久保の両親からの『泊まっていったら?』の申し出は、神谷にとって渡りに船だった。
微かに嫌そうな表情を浮かべた句簿を無視して、さっさと自宅に電話を入れて許可を取り付ける。
そんな神谷の行為は、久保にとって目の前が暗くなるほどの絶望を与えた。
交代で風呂に入ってから、家族と一緒に食事をする。
食後、二人は二回の窪の部屋へと上がっていった。
窓の外はすっかり暗くなっているが、まだ眠りに付くには時間が早い。
客用の布団を敷いていつでも床に就けるように準備を整えると、準備を整えると、神谷は改めて久保に向き直った。
「なあ……オレじゃ力になれないか?」
慎重に言葉を選んだつもりでも、それは十分にストレートすぎる問いかけだった。
問われた久保の全身が、緊張で硬くなる。
「いきなり何だよ」
「何かあったんだろ?」
「そんな事……」
「隠せると思ってんのかよ」
神谷から向けられる視線が、痛い。
それでも久保は何とか笑顔を作り微笑むと、身体が震えだしそうなのを悟られないためにベッドの端に腰掛けて、両手を身体の脇に突っ張らせる事で姿勢を真っ直ぐに保った。
「変な事言うな〜」
平然を装って返した言葉は、しかし紙屋の真面目な表情に叩き落された。
「北原さん……と、上手く行かなかったのか」
美奈子の名前を出され、思わず平然さの仮面が剥がれた。一瞬瞳の奥が震えてしまう。
その反応で、神谷は確信した。
「やっぱりな。仲直りなら協力するから、悩むなよ」
慰めの言葉をかけながら、隣に座る。
神谷の残酷な申し出と座るときに起こしたベッドの振動が、それまで何とか身体を支えていた久保の腕の力を奪ってしまった。
状態が前屈みゆっくりと崩れる。
「何で……神谷」
自分のではないような声が出た。
だが神谷の残酷な慰めはさらに続く。
「何をしたかは訊かないけど、好きなんだろ?北原さんだってお前に惚れてるんだから、誤れば許してもらえるって」
その言葉に、ついに久保は追い詰められた。
もう抑えてなんか居られない。
伏せていた顔を上げ、今まで誰にも見せた事の無い哀しみにゆがんだ瞳を向ける。
その視線に捕らえられて、瞬時に紙屋は自分が何か間違いを犯していると気が付いた。
「久保……?」
恐る恐る声を掛けると、久保の顔に悲惨な笑顔が浮かんだ。
「許してなんか、もらえないんだ」
始めてみる打ちひしがれた様子に言葉を失った神谷に、その告白は投げかけられた。
「好きだ。もうお前しか欲しくない」
静かな告白だった。
そして思いを、神谷は正確に読み取った。
「オレを……なのか?」
確かめの言葉に無言で頷かれて、身体が竦んでしまう。
親友から投げかけられた、予想もしていなかった想い。 どう受け止めたらいいのかなんて、解らない。
動けなくなってしまった神谷に、久保の手が伸ばされた。
頭の後ろに手を回して引き寄せ、口付ける。
これで何もかも終わりだという絶望が、最初で最後になるだろうキスを深いものに変えていく。
無抵抗の唇をこじ開け、隙間から舌を差し入れる。探り出した神谷の舌に自分のものを絡めると、その柔らかく暖かな感触に泣き出したくなった。
されているほうにとっても、それは別の意味で泣き出したくなるような感触だった。
親友だと想っていた者が、自分にこんな感情を抱いていただなんて……。
『裏切られた』思いに、目頭が熱くなる。
だが突き放すことも出来なかった。
今ここで句簿を自分の中から排除してしまう事は、自分の半身を殺すことと一緒だ。
きっともう走れない。
二度と『楽しい』と思えなくなる。
もう一人になんかなりたくない。
――久保が望んでいるなら……このくらい耐えられる。
ふと過ぎった思いに、自分の気持ちに気が付いた。
恋愛感情までは行かないけど、失いたくない大切な者として……久保の事が『好き』だ。
静かに長く続いたキスは、久保が身を引くことで終わった。
上がってしまった息をお互いの顔に吹きかけて、暗い瞳で向かい合う。
「ごめん……」
久保が謝る。
そんな言葉を送られて、神谷は久保を睨み付けた。
「謝るな!」
「許して……くれないよな」
フィールドではあんなに大きく見えるのに、今目の前に居る久保は二回りも小さく見える。
こんな姿、見たくない。こんなのは自分の好きな久保じゃない!
神谷は思い切ると、自ら久保を抱きしめた。
腕のナカノかrだが、驚きに跳ね上がる。
「くそっ!何でオレなんだよ。彼女だって居るくせに、何でこんな、変だ、お前。」
優しい態度と裏腹に、囁かれる言葉はきつい。
「ごめん……でも駄目だった」
正直に告げられる言葉は、神谷の中に沁みて行く。
嘘の無い告白が、心の内側を変えていく。
「本気……なんだな?」
「ああ」
「なら、好きにしろ」
突き放したよな言い方の後で、神谷から久保に口付けが送られた。
驚きに見開かれた瞳に、目元で微笑み返してやる。
与えられた許しに、久保も紙屋の身体を強く抱き返した。
勢い余ってベッドに上体が倒れ込む。
その勢いで口付けが解かれた。
「神谷……?」
身体の下に敷きこむ形になってしまった神谷を恐る恐る見下ろすと、真剣な表情に出会って心臓が跳ね上がった。
こんな体制になっても、神谷は一向に抗わない。
「同情……なのか?」
「同情だけで、こんなことが出来るかよ」
伸びてきた両腕に引き寄せられ、身体が密着した状態で、触れるだけのキスが送られる。
「仕方ないだろ?オレにはお前が必要なんだ。お前が本気で望んでいるんなら……応えたい」
それが神谷の正直な気持ちだった。
(★)
今度は久保が決断する番だった。
「オレからキスしてもいい?」
許可を得てから口付ける。
体中が熱かった。
敷き込んだ身体は自分と変わらぬ男なのに、美奈子の時にに感じた以上の愛しさと暖かさを感じる。
この腕の中の存在こそがほしかったのだ。
思いを再確認すると共に、このまま流されることの罪悪に思い当たった。
自分が欲すれば神谷は与えてくれると言う。
それではこちらの気持ちばかりを押し付けて、神谷に無理をさせてしまうだけだ。
そんなのは駄目だ。
何よりこんな勢いのままに求めるなんて……。神谷の『好き』と自分の『好き』が重ならない状態で結ぶ関係なんて、違う。
誰よりも大切な神谷……だからこそ。
「ありがとう、神谷」
耳元に囁く。
「もう強制はしない。ただ、いつかお前が本当にオレを欲しいと思ってくれたら……お前をくれないか?」
同じ気持ちで応えて欲しい。仕方なく抱かれてくれるのじゃあ、駄目だ。
久保の申し出に、神谷はほっとする反面、心配になった。
「オレがその気にならなかったらどうする?そのほうが確率高いぞ」
「それでも俺の気持ちは変わらないから」
久保が微笑む。
それはやっと戻ってきたいつもの笑顔だった。
「いいぜ」
答えと共に、神谷も微笑む。
「ありがとう」
もう一度だけ軽いキスを交わすと、久保は神谷の身体を解放した。
夜中に一度目覚めた久保は、隣で眠る神谷の月明かりに照らされた横顔を僅かな間だけ見つめた後、クーラーのスイッチを切り目を閉じた。
送風音が消えた部屋の中に、神谷の寝息が穏やかに浮き上がる。
もう大丈夫、もう辛くない。
たとえ肉体的には一生結ばれることが無くても、想いは何時も隣にあると知ったから。
しばらく今の気持ちを考えて、やっとふさわしい言葉を見つけた。
「愛してる」
口にしてみて確信した。
もう一度目を開き、神谷の寝顔に告げる。
「愛してるよ、神谷」
おきている間に言ったなら思いっきり殴られるだろうなと考えながら、神谷の寝息を子守唄代わりに心地良い眠りに誘われて行く。
二人の関係が変化した夏が、穏やかに過ぎていく。
そして……。
これが二人で過ごす最後の夏休みになった。
終わり
1997年5月3日・ECTOGENE発行「きみとの夏休み」(絶版)
二人にとって、一緒に過ごす夏休みは高校1年の時しかなかったんですよね。
……そして……美奈子ちゃん、ごめんなさい。
原作で出てくる女性キャラでもお気に入りなのに、
どうしても不幸な扱いをしてしまう同人女を、どうかお許しください(T_T)
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