ベッドの脇に客用の大きめの布団を敷くと、ベッドに久保、布団は神谷とに別れて床に就く。
「電気、消すぞ」」
神谷が布団の中で寝る体勢を取ったのを確かめると、スイッチをオフにする。
途端、部屋の中を柔らかな闇が包んだ。
今までは微かに聞こえていた秋の虫の音が、やけに大きく響き出す。
久保が横になった神谷を跨いで、ベッドに乗る気配がした。
ベッドの枕元の電気スタンドが点灯される。薄目を開けて見ると、目覚まし時計をセットしている。
「明日、何時起きだ?」
「6時でいいだろう。まぁギリギリ6時半までかな」
セットした時計を、ベッドの下、神谷の枕元に置く。
何をするんだと訝しげに見上げると、
「最近低血圧でさぁ。頼むよ」
お願いポーズを取られてしまった。
「仕方ねぇなぁ。オレだって朝は苦手だって」
文句を言いながらも、時計を取り上げ位置を直す。時刻は日付を変えたばかりだ。
「あ、そうだ。もう一つ頼みがあるんだけど。月曜日、放課後のクラブの方、任せていいか?」
「何だよ、何があるんだ?」
「ちょっとな、ヤボ用」
「は〜ん、デートだな。解った、貸しにしとくぜ」
「違うよ!」
からかわれ、久保はベッドの上で上半身を起こした。
「ムキになりなさんな人差し指を。ところでお前ら、どこまでいったんだよ。教えろよ」
神谷も布団から身を起こし、ベッドの縁に寄りかかるようにして座り込んだ。
瞳を輝かせて覗き込んでくる表情に、何故か久保は躊躇いを見せた。
「知りたいか?」
「ああ。ケチるなよ」
「…他の奴らには内緒だぞ」
久保が右手の人差し指を内側に曲げて、もっと近くに寄れという動作をする。
神谷は、聞き耳を立てるように右耳の後ろに手のひらを広げて添え、身を乗り出した。
二人の距離が、一気に縮まった。
―久保の右手が無防備な神谷の左首筋に差し込まれ、正面を向かせると、そっと唇を合わせる。
「…!」
驚愕に見開かれた目は、スタンドの明かりがぎゃこうになってしまっているおかげで、久保の表情を捕らえることが出来ない。
最初軽く触れるだけの口吻は、いつしか深い物に変わっていた。
歯列を割って舌が入り込んでくる。柔らかに絡められると、背筋に震えが走った。
漸くと、唇が離される。
お互いの表情が解る程度に、顔が離れた。
「泣かないんだな」
やっぱりという風に頷く久保の表情に、それまで呆然としていた神谷の怒りが爆発した。
「何のつもりだ!」
まだ首筋に差し込まれたままだった右手を力一杯に叩(はた)くと、返す手でオマケとばかりに頬も叩く。
「ひどいな」
叩かれた頬に手を添える姿を見ても、『キス』をされた怒りは収まらない。
「非道いのはどっちだ!訳の解らないことしやがって!」
手の甲で唇を擦る。―まだ生々しい感触が残っている。
「だって、お前がどこまでいったかなんて訊くからじゃないか」
「!?!おい、じゃあキス以上だったら、このままオレを押し倒したとでも言うのか!」
「残念ながら、ここ止まりだよ」
「残念だとぉ?」
「出来るなら、そうしたい」
―久保のセリフに神谷が凍り付いた。信じられない。
何かの冗談だろうと言おうとしても、如何せん、言葉は発せられる前に頭の中で反響して留まってしまう。
「…美奈子は泣いたんだ。嬉しいって。好きよって。…なんかジンと来て、ああオレもこの子が好きなんだって思った。―でも、違うんだ」
ゆっくりと話す声を聞いているうちに、よっや九神谷の金縛り状態が説ける。
「何が違うんだよ。それで良いんだ」
ドスを利かせた声で喋ろうとしているのだが、どうしても震えてしまって情けないことこの上ない。
そんな神谷の様子を見て取って、久保の口元に軽い笑みが浮かんだ。
「サッカー好きなんだろ?誰にも負けないくらい」
いきなりの話題替えに戸惑う。
「ああ、それだけは自信がある。―それがどうした」
「オレも誰よりもサッカーが好きなんだ。たぶん美奈子より。そう考えたらさぁ、お前のことが浮かんだんだ」
全身で『?』を表している神谷の頭を、逃げる隙を与えずに抱き寄せる。
「ずっとお前とサッカーがしたい。離れたくない」
湿った息が、首筋を擽る。―意外なことに、嫌じゃなかった。
「それで、オレとナニしようっていうんだ?」
そっと久保の髪に手を差し入れる。
「初めては一番好きな相手としようって、決めてたんだ」
「オレが一番だって言うのか?」
神谷が鼻先で『フンッ!』と笑うと、久保は手を神谷の背中に回して引き寄せた。体勢は、久保がベッドに腰掛けたまま、膝立ちの神谷を抱きしめるという風に変わる。
「女の子の中では美奈子が一番だけど、人間の中では神谷が一番だ」
「サッカーとオレを比べたら?」
「ちょっと難しいな。同じくらいかな」
「…負けたよ」
そう言えば、出会った時から久保に勝てた試しはなかった。
身体を少し離し、見つめ合う。
不安げな表情を浮かべている久保を目にして、今までの緊張感が完全に解け去ったことを感じた。
「オレもお前が好きだぜ。サッカーとどっちが上か解んなくなるくらいにな。―でも言っとくがな、ナニの対象で見たことなんか無いからな」
「…うん」
好きと言われたことに喜色を浮かべていた表情が、途端にシュンとなる。
「やっぱり、ダメか?」
あからさまにガックリと肩を落とす姿を、ヤバイ事に可愛いと感じてしまう。
―危険信号―不思議なことに嫌悪感はまったく浮かんでこない。背に回されたままの腕が暖かくて気持いい。
「ここまで来て引っ込むのも男が廃(すた)るな。まぁ良いさ」
度胸を据えて、触れるだけの口付けを久保に送る。
顔を離してしばらく経ってから、目を丸くしていた久保に満面の笑みが浮かぶ。
「で、どうやるってんだよ」
ムッツリとはしていても、神谷の顔も上気している。
「こっち上がって来いよ」
ベッドの上をポンポンと叩く。
「客用の布団を汚すのは、やっぱりマズい」
「…!バカヤロウ!」
何を言い出したんだと呆然とした次の瞬間、意味を察した神谷のゲンコツが飛んだ。
だけれどもそのゲンコツからは微妙に力が抜けていて、久保は余裕で避ける事が出来た。
避けると同時に神谷の腕を取り、引き寄せる。
「大好きだよ、神谷」
囁きに、神谷は諦めたように小さく息を吐いた。
思い切って自分から寝間着を脱いでベッドインしたものの、初めて裸同士で抱き合うという行為には、どうしても躊躇いがあった。
親たちの寝ている真上…よりは少しずれていても、やはり同じ屋根の下というのは、気付かれてしまうのではないかという心配が拭いきれない。
それでも触れ合って口吻を交わすと、お互いにもう止まることは出来なかった。
上がりそうになる声を抑え、緊張で堅くなりがちな身体から力を抜く。
「大好きだぜ、神谷」
首筋に軽く口付けてから耳元で囁くと、
「ばかやろう」
憎まれ口を叩きながら、背に回した腕に力を込めて抱きしめ直した。
強く触れ合った胸の鼓動は、同じリズムを刻んでいる。まるで心臓が一つに結び合ってしまったようだ。
舌を深く絡め合う。
身体を深く繋げ合う。
苦痛も快感も…全てはこの相手だから
二人だから何でも出来る。
ぎこちなかった動きが、やがて煽られた熱に導かれるように激しくなっていく。
同時に迎えた絶頂の後―
神谷は身を翻弄した強烈な感覚の余韻を感じる事もなく意識を
深く沈め、久保はそんな神谷を愛おしげに見つめて後を追うように眠りに落ちた。
雨のせいで二日潰れてしまった埋め合わせの日曜朝練に、久保と神谷はいつもより30分程遅く到着した。
―とは言っても、他の部員よりは前に着いたのだけど。
何せ、朝は大変だったのだ。
目覚ましの音に先に気付いて伸びをした神谷の中には―まだ久保が入ったままで、それも朝立ちなどという恐ろしい状態になっていたのだ。
思わぬ刺激に、二人して同時に眠気から醒めた。
ついでだからもう一回と催促する久保を『一回だけだと言っただろう』と叩いて神谷が引き離す。
「ケチ!」
「そういう問題じゃ無いだろう!」
親が起き出さない内にと慌てて二人してシャワーで身を清め、冷蔵庫の中に用意されていた朝食を電子レンジで温めると味も分らないスピードで飲み込んだ。
もう一度部屋に上がり、久保が客用の布団を畳み、自分のベッドから血や粘液でゴワゴワになったシーツを新しいものに取り替える。
神谷の方は、節々の痛み―特定の場所では激痛―を治めるために飲んだ痛み止めが効くまでの間、久保のかいがいしい働きをボウッと見ていることで過ごしていた。
そんな訳で、出かけるのが予定よりもずっと遅れてしまったのだ。
(幸いに、両親が目を覚ましたのは、二人が玄関のドアを開けた直後の事だった。)
昨日の今日で、いくら痛み止めが効いているとはいえ、神谷の動きは散々だった。
「だから、休んでいろって言ったのに。風邪引いたでも何とでも、ごまかしておいたのにさ」
一時休憩の時に、久保が神谷にそっと耳打ちする。
「こんくらいで休めるか。サッカーしてりゃ治るって」
「でもなぁ…オレが無茶やったせいだし」
「大丈夫だって!」
久保の背中を思いっきり叩く。
その勢いに転びそうになって、何とか体勢を立て直した。
「ま、その元気じゃ心配すること無いか」
「明日にゃぁ全開バリバリで練習出来るって」
にやりと不敵な笑いを浮かべ、言い切った。
雲一つ無く晴れ上がった秋の空の下、練習再開の掛け声がフィールドに響く。
皆が、一斉に一つのボールを追って、走り出した。
―神谷も知らされていない事だが、次の日の午後、早退した久保は、とある病院で検査を受けることになる。
そして出た結果は、独語で Myeloische Leukamie ―日本語で言う『骨髄性白血病』…。
終わり
★実はこの作品が、私のシュート!第一作で、生涯初めてのやおい(!?)でした。
先に転んでいた友人の騎馬ちゃんに、少し出来る度にFAXで送る…という連載形式で作り上げたもの。
全てはここから始まりました。
1994年4.月6日脱稿
初出:BLUE LEGEND サークル・K'sさま
「天の軌道」収録(初版・再版とも完売)