「うわっ、寒い!」
家を一歩出ると、冷気が肌を刺す。
思わず叫んだ久保の息が、白く濁っている。
「しょーしゃ冷却ってやつだろ?」
神谷も同じく白い息を吐きながら、空を見上げた。
透明水彩の青で着色したような晴れ渡った朝空には、雲の一片も見あたらない。
「雨、夜の内に止んで良かった〜」
「だから余計寒いのかな?」
昨日の夜に降り始めた雨は、夜中の12時くらいには結構激しい雨音を立てていた。
けれど朝起きたら、窓の外は日の光で溢れている。
受験シーズンを目前にして、久保と神谷は土日ごとに交代でお互いの家を訪問して、勉強会を続けている。
冬休みに入ると、それは泊まりがけになることが多くなった。
昨日の晩は、久保の家に泊まった。
今日は進学塾の後、神谷の家に移動する。
こうしてサッカーをしていないプライベートで日々を過ごすようになってから、1ヶ月と少ししか経っていない。
なのにもう何年も一緒にいるような錯覚を感じている。
チーム仲間として、ヤマハでの付き合いだけで終わると思っていたのが嘘みたいだ。
共通の夢を持ち、共に進む大切な親友となった今は、一緒にいるのが自然になった。
二人とも出会う前は、自分にこんな相手が出来るとは想像もしていなかった。
二人並んで塾へと向かう。
雨で洗われた街はいつもより綺麗だ。
朝の路上では、水たまりがいつもとは違う輝きを放っている。
それを見て取った神谷は、一緒に歩いていた久保をその場に置き去りにして走り出す。
水たまりへ向け、大きくジャンプする。
ピシッ!
足元で、小さな音がした。
「やっぱり氷だ」
振り向き、嬉しそうに笑う。つられて久保も笑った。
本人に言うと怒って殴られそうだから言わないけれど、久保はこんな無邪気な表情がとても好きだった。笑顔を向けられる度に、嬉しくなる。
久保が水たまりの縁で立ち止まっても、神谷はまだ氷を踏み砕いていた。氷の破片と水滴が、朝の日差しを弾いて輝き跳ねた。
「ここじゃ、氷なんて珍しいもんな」
掛川の気候を思い出して呟く。父親の赴任でドイツに行くまでは、掛川に住んでいたのだ。
「ドイツは寒かった?」
「冬はね。氷だって張るし雪も積る」
「ふ〜ん」
雪が積ると言われてもピンと来ない。
掛川で雪と言ったら『遠州名物からっ風』で横殴りに叩きつけてくる細かい氷の結晶止まりだし、いつも積る前に溶けきってしまう。
「なあ、スキーとか、した?」
「チーム仲間と、何回か行ったけど」
久保も足を伸ばして氷を踏みながら答えると、入れ替われるように神谷が足を止めた。
自分でふった話題なのに、学校のサッカー部で起きた出来事を思い出してしまった。
自分には、チームの仲間と遊ぶ事なんか無かった。
「楽しかったか?」
どことなく寂しそうな神谷の口調に、久保は不思議そうに首を横に傾ける。
「滑れるようになったし、まあまあ楽しかったかな。……でもオレにはサッカーの方が性に合ってるよ」
久保の答えに、神谷の口元が少し歪んだ。
「……このサッカー馬鹿」
それは普通なら、気付かれない程度の小さな八つ当たり。
だけど久保は気付いてしまった。
だから、気付いてしまったことがばれないように、明るく笑って見せる。
「サッカー馬鹿はお互い様だろ? よ〜し、今日も頑張るぞ。二人揃って合格だ!」
久保は右腕を大きく天に突き上げて宣言すると、さっさと塾へ向かって歩き出した。
「おい、待てよ!」
慌てて神谷も後を追う。
二人の後には水たまりだけが残された。
しかし氷は、寒い外気にまだ溶ける様子が全く無い。
ただ力を加えて無理矢理に砕かれて溶けたように見えるだけだった。
続く 2003.12.30
冬コミに間に合わなかった本の話です。この際だからオンで連載してみます。
なんだかリライトしてみたら、徹底的に直したくなって来ちゃいました。どうやら時間かかりそう……(汗)
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