空の残り火(B)

 夕焼けなんてさほど珍しくはないけど、今日のは一段と綺麗だった。
 久保ならさぞ喜んだだろう。
 あいつ、意外とロマンチストだったから。


     



 夕焼けは、雲が出ているときの方が綺麗だ。
 ただ真っ赤なだけと違って、いろんな色が混ざり合って、ぼうっとした光を放つから。


「じゃ、先に帰るぞ」
 部室の外、冬の選手権優勝の祝いに寄付された洗濯機の前で汚れ物の整理をしている実花に声をかける。
「お前も早く帰れよ」
「うん、すぐ終わるから」
 実花は笑いながら、元気に答えた。
 最初は躊躇ったけど、今ではこいつがマネージャーになってくれて助かったと思う。
 遠藤は相変わらずアテになるようなならないような気紛れを発揮してくれるし、記録の取り方にもムラがある。その点実花ならパーフェクトだ。小さい頃からサッカーを仕込んだ甲斐がある。
 でもあまり遅くまで残してしまうのはやっぱり心配だ。
 一緒に帰ろうと誘っても「なんだか保護者同伴って感じで恥ずかしいから嫌」と断られてしまって今まで来たけど…これ以上日が暮れるのが早くなるようだったら、何と言われても一緒に帰ろう。暗い夜道を一人で歩かせるなんて出来るものか!!
 大塚や矢野は過保護だと笑うけど、大切な妹を守れないで兄貴がやっていられるか!

 大切な者…
 失いたくない、大切な存在。





 ずっと一緒にいられると思っていた存在を失ってしまってから、オレは臆病になっているのかも知れない。
 守りたいものがたくさんある。
 実花や、サッカー部の皆や…
 そしてあいつの想い。

 死んでもなお、オレの心の中に鮮やかに生き続ける久保の存在。
 時々、すぐ隣りに立っているような気がしてくる。
 今だって、一緒に夕焼け空を見ている錯覚がある。横を見ると、笑顔のあいつが立っているようで…。きっとこの感覚は消えないだろう。

 久保と過ごした時間は2年にも満たない。あいつの入院していた期間を抜いたらもっと短くなる。
 その短い時間で、あいつは誰よりも鮮やかに、オレの心に焼き付いた。





 夕焼け色に染まった町を一人歩く。
 その時
 ふと前を歩く人たちが、なぜか反対車線側の歩道に移るのに気が付いた。
 何があるのかと目を凝らすと…

 既視感に襲われる。

 人目もはばからず、いちゃついている制服姿の男子生徒二人組。
 一目で田仲と馬堀だと解ったけれど…
 思わず息が止まる。
 馬堀の姿が、一瞬久保に重なっていた。
 田仲を見つめる瞳の色、愛おしさを隠そうとせずに肩を抱く動作。
 そして田仲は、昔のオレだ。戸惑いながらも、想いを返し、受け入れている。
 そこには去年までのオレと久保の姿があった。


 こうして冷静に見ていると、改めて恥ずかしい光景だと思う。
 だけど、懐かしい。
 懐かしくて…胸が痛くなる。


 オレが感傷に浸っていたのは、ほんの一瞬のことだった。
 田仲の肩越しに、馬堀がオレの姿を見つけたのだ。
 少し困ったような、でも確信犯の微笑みを浮かべてオレを見てきた。
 その表情は久保と全然似ていなくて、ホッとする。
 ところがその後の馬堀のセリフが凄い…
「家、来ないか?本当は今すぐキスしたいけど、怒られそうだし」
―おい…頭痛いぞ。ここは公道だろうに。通行人が歩道から逃げ出した理由がよく解ってしまう。全くもって…久保よりも恥ずかしい奴だな、こいつは!!
 田仲が恐る恐るというように振り向いて、オレを見つけて顔色を青くした。
 ああ、可哀想に。その気持ち、解るぞ。
 まあこのままにしておくのもなんだから、とりあえず声をかけてやることにした。
「道の真ん中で、邪魔だぞ」
 我に返ったという風に、田仲が辺りを見回して益々顔色を青くする。まったく溜息しか出ないな。こいつ、ほんと鈍くて単純で、馬鹿なんだから。
「お前ら、遠巻きに見られてたぞ」
 だから離れろ、と言外に伝えたつもりだったのに
「うわぁああ〜!」
 田仲は叫んで余計注目を集めるし
「大丈夫だよ。いまさら隠すこともないじゃないか」
 馬堀の方は居直りやがった。
 さては…
「馬堀…お前、確信犯だな」
 思わず脱力してしまう。
 目の前には、堂々と微笑む馬堀。…やっぱり確信犯か。
「ええっ?」
 可哀想にな、田仲。できたら実花と付き合わせてやりたかったよ…。
 パニックの後で事態を飲み込んだ田仲は、「馬鹿!!」と一言残して走り出した。
「あ、待てよ、トシ!」
 馬堀はオレに一応という風にぺこりと頭を下げると、慌てて田仲を追っていく。
 でも大丈夫か?田仲のヤツ、今まで見たこともないようなスピードで走っていったぞ。



 取り残されて、オレは自分が笑っていることに気が付いた。
 可笑しい。本当に可笑しい。
 あいつらと来たら、本当、オレと久保以上に馬鹿だ。
 馬鹿で馬鹿で、返って愛おしくなる。

 田仲、馬堀。お前ら上手く行くと良いな。
 ずっとお互いを大切に想い合って、一緒にいられると良いな。
 この前みたいにスペインと掛川に離れても心が離れなかったように、ずっと一緒にいられたらいいな。





 空を仰ぐ。
 夕焼けの色は、少しずつ夜の藍色が混ざり始めている。
 刻々と変化していく情景は、怖いぐらいに綺麗だ。
 少しずつ…
 変わっていっても綺麗だ。
「きれいだな」
 思わず声に出して呟くと
『ああ、そうだな』
 久保の声が答えたような気がした。
 しばらくそのまま空を見続ける。
 流れる雲が、燃え上がるような朱色の輝きを内に秘めながら横切っていく。





「お兄ちゃん、何してるの?」
 どのくらい立ち止まっていたんだろう。背後から声をかけられて我に返った。
 実花が追いついたんだ。
 だけど、オレは空を見るのをやめなかった。
「綺麗な夕焼けだろ?」
 声をかけると、実花がオレの横に立つ。
「うん、綺麗ね」
 無邪気に答える声に誘われて、ようやく実花を見る。
 横顔が、夕焼けに染まっている。
 柔らかな陰影が、実花を不思議と大人びさせて見せた。
「たまには一緒に帰ろうか」
 声をかけると、実花が見上げてきた。
「そうだね」
 ニッコリと笑う。我が妹ながら、可愛いじゃないか。





 オレには大切なものがある。
 実花やサッカー部の皆や、あいつの想い。
『おまえもロマンチストだな』
 今度ははっきりと、心の中から久保の声がする。
 悪かったな、お前に感染させられたんだよ。
 失う怖さがないと言えばウソになるけれど、それでもこの一瞬を大切にしていたい。





 夕焼け雲の燃えるような光の下、オレは静かな幸せを感じていた。












                    Bパート(神谷)終わり 2001.9.30.





  この話の前フリAパート(馬トシ)もございますv 




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Aパートのバカップルぶりに影響されて、神谷までギャグ風路線になりました、自滅