先程から空の色が鈍くなった。 もうじき雨が降るのだろう。天気予報でも60%だって言ってたし。
雨が降るのは歓迎だ。駅前ですぐに客が拾える。 更に今の時間は終電間近。条件としたらすこぶる良い。 とりあえず渋谷駅にでも向かうかとハンドルを切ったときに、無線が入った。
――『渋谷・●○通り■丁目方面、10号車・小野さん、どうですか?』 呼び出しだ。 マイクを手に取り、了解を告げる。 「10号車了解」 『寿司屋・つかさ寿司です。男性二人。よろしく頼みます』 つかさ寿司。入ったことはないけれど、何回か客を乗せたことがある。味の評判も良い店だ。 タクシー運転歴16年の頭の中で、最短ルートを組み立てて、呼び出しから3分で店先に着いた。
「ありがたっした!」 店員に送られて出てきた客を、一目見て『あれっ?』と思う。
外人と日本人の若い二人連れ。寄っているらしく足元がふらついている。――別にそんなことには驚かない。 不思議な感覚は、他の何かから来ている。
後部ドアを開けると、乗り込んできたのはすっかり良い色になった金髪の外人だった。頬にニキビが残っている――多分20才前後か? 外人の歳はよく分らない。 「お客さん、どこまでですか?」 声を掛けたが、二人は会話の途中だったらしい。
「神谷……一緒に来ルカ?」 座席の奥まで外人が詰めると、 「お前がおれと一緒に来るの」
今度は日本人が乗り込んできた。歳は……20才にはなっていないかも。やはりすっかり良い色に染まった顔は、髪と肌・そして瞳の色を除けば先に乗ってきた外人とそっくりだった。
そうか、これが第一印象で感じた不思議な感覚の正体か! ニキビの位置までそっくりで、あからさまに人種が違うはずなのに、双子と言っても通用しそうだ! 「勝負はおれが勝ったんだかんな」 日本人の青年がふんぞり返ると、外人の方は途端に顔色を変えた。
「ナニ? そんな話は聞いてナイゾ?! オイ」 「寝てただろう、思いっきり!」 同じ顔で言い合って、その上掛け合いの間が絶品だ。お客に悪いとは思ったけど、どうしても吹き出したくなってしまう。 途端に二人がバックミラー越しに睨み付けてきた。
「………ナンダ? 運転手」
睨み方までが瓜二つ。芸人にでもしたいぐらいだ。――もしかしてそうなのか? 何となく既視感がある。
「い、いえ、お二人さんは、親戚か何かで? どこかで見たことがあるような気がするんですが……」 するとまたもや 「他人だ!!」「別腹ダ!!」 見事に息の合った答えが帰ってきた。
別腹……そうか、父親が一緒の兄弟か。母親が日本人と外国人なんだろう。 「どこまで行きます?」 もう一度訊ねる。 「ドコにとまってるんだ?」 「下北沢へ行ってクレ!!」
「わかりました。下北沢の……どの辺ですか?」
「●●ホテルだ。あとは知ラン……」 そこだったら知っている。3年ほど前に出来たシャレたデザインのホテルで、確か一泊結構な料金だったはずだ。クリスマスイブの予約が1年前から全て塞がってるって聞いたことがある。 「ホテルの名刺とか持ってねえのか?」 黒髪の青年に言われてポケットを探っていた金髪の青年がメモを見つけるのと私の返事は、奇しくも同時になってしまった。 「そこなら知ってますよ。●●なら、いいホテルです」
「ウーン……アッタ」 指し示されたメモの字は、日本語でも英語でもないようだった。
と言うことは、日本語を話してはいても母国語は外国語で、ホテルに泊ってるのだから住居も外国なのだろう。異国から兄弟に会いに来たと言うところか……。 「日本語、お上手ですね」 「ソウカ?」 誉めると、とても無邪気な笑顔が返ってきた。 それを合図にして、車を発車させる。 無線に「下北沢・●●ホテル。男性二名」と報告を入れた。 後部座席の二人は陽気にはしゃいでいる。
金髪の青年が黒髪の青年に鼻をつままれたり、反撃されたり…… まるで子供のようにはしゃぐ二人を時々バックミラーで確認する。改めて姿を確認し、そのスポーツ選手のように鍛えられた身体と、湿っている髪と服に気が付いた。
濡れている? まだ空は曇っているだけだが……?
「濡れていらっしゃるようですが……。まだ雨は降ってませんよね」 聞いた途端、二人ははしゃぐのをやめた。 黒髪の青年が、くしゃみをしながら空を仰ぐ。
「……降りそうだなー……」 「ラジオじゃ60%なんて言ってましたけど」 今度は金髪の青年が表情を曇らせた。
「……アア……嫌な雲ダ……」 その様子に、明日の日曜に二人で遊びに行く計画でもあったのだろうと考えた。 「明日はどこかにお出かけで?」 「明日カ。明日はもう飛行機の中ダナ」 それきり、二人の客は黙り込んでしまった。 マズイことを聞いてしまったらしい。きっと別れの寂しさを忘れようと、はしゃぎまくっていた二人なんだろう。 車内に静寂が流れる。 音声を絞った無線の音が時々スピーカーから流れる以外は、エンジンの振動と、車内にいる人間の息遣いだけが世界を支配している。
車は、道程を2/3程を消化した。深夜料金だから、3000円を少し超えるくらいか……。 バックミラーの中の二人は、そっぽを向きながらも、互いを強く意識しているようだった。
静寂に、最初に耐えられなくなったのは金髪の青年だった。
「……ヤッパリ、賭けはワタシの負けダナ……。神谷……何をすればイイ?」 黒髪の青年―神谷という名なのか―は視線を窓外から戻すと、のろのろとした動作で金髪の青年の頭を一発殴った。 「イタイ」
「……お前が言いたかったことを言え。明日帰るとか、そういうものの前に言いたかったことがあんだろ?」 「……言っタラ、キット、オマエが困ル」 「おれのことはおれが決める」
「……確かにナ。ワタシは敗者ダ。拒ム権利ハナイ……」 寂しげな金髪と、それに腹を立てているらしい黒髪。 二人の間に、張り詰めた緊張がある。 もしかしたら兄弟じゃないのかも知れない。
この雰囲気は……長い運転手生活で何度か遭遇したことがある。
――もっとも、男同士の組み合わせは珍しいけど。 そう思って見ると、不思議だけど納得した。 そこにいるのは、訳ありの恋人の姿に他ならない。 気持ち悪さは感じない。 今までだっていろんな客を見てきている。人間は想像以上に多様なのだ。 また車内に訪れる静寂。 この場は邪魔をするべきじゃない。私は運転と無線だけに意識を集中することにした。 車は下北沢の街に入った。●●ホテルはすぐそこだ。 再び沈黙を破ったのは、またも金髪の青年の方だった。 「……ホテルに入ってから話そう」 黒髪の神谷からは返事は無い。 「二人きりで話そう、神谷」 繰り返し請うと、面倒くさそうに、だけど酷く真剣な表情で
「……わかったよ」 黒髪の神谷は頷いた。
ホテルで客を降ろし、タイムシートを記入すると、次の客を捜して駅へと車を走らせる。 無線で本部に、一仕事終えたのを報告した。 運転しながら考えるのは、どうしても先程の二人連れのことばかりだ。 「あとでチームの総務部に回してオク」と言っていたから、金髪の青年はやはりスポーツ選手なんだろう。 プロ野球やJリーグの選手の顔ならスポーツ新聞で結構知っている方だが、あの顔には憶えがなかった。外国のチームなのか? と言うことは、あの神谷という青年もスポーツ選手なのだろう。プロじゃなくて、学生? そうか。 どこかで見たことがあるのは『神谷』の方だったのだ。
もう少し考えれば詳しく思い出せそうだったけど…… これ以上考えるのはやめた。 客のプライバシーを守るのも運転手の役目だという、この仕事を始めて以来守っているモットーに反してしまう。 ふらつく足元をフォローするように、寄り添ってホテルに入っていく後ろ姿を思い出すのを最後にして、頭を次の客へと切り換えた。 今度乗せるのはどんな客だろう?
フロントグラスに、遂に雨粒が当たった。 最初はまばらだったそれも、あっという間に本格的な雨に変わる。 フロントグラスの向こう、街の姿は滲んだネオンの光で飾られた。 歩道を傘を差さずに走っていた水商売風の女性が手を挙げた。 客だ。 後部ドアを開けると、飛び込むように乗り込んでくる。 「いきなり降るんだもん、嫌になっちゃう」 濃い化粧を押えるるように、花柄のハンカチで顔を拭った。 なかなかの美人。ただし素顔は解らないけど。 「お客さん、どこまでですか?」 「あ、渋谷までね。スナック愛っていうの。■▲ビルの3階なんだけど、解る?」 「解ります。コンビニが隣にあるとこですよね」
「そうそう! やだ、知ってるの?すご〜い!」 香水の、甘い匂いが漂ってくる。それに、タバコの匂い。 ずいぶん客層が変わったもんだ。 思わず笑ってしまうと、客は自分に笑いかけたと勘違いして、商売向けの笑顔を返してくれた。
そして私は雨の中、眠らない街へと車を走らせた。
終わり 2001.6.17.
突発キャラ第3段、タクシーの運ちゃん。名前は『小野伸治』、ちょっと遊んでみました。
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