第9回日本AS友の会定期総会報告

平成11年11月20日 サンルートプラザ東京(浦安)


第9回日本AS友の会記念定期総会次第

  • 開会の辞                (司会進行)井上 久
  • 物故者への黙祷
  • 会長挨拶                       田中 健治
  • 議長選出                       F.N、T.N
  • 議事
    1. 議案1号  平成10年度活動報告
    2. 議案2号  平成10年度決算報告
              同、監査報告
    3. 議案3号  平成11年度活動報告・予定
    4. 議案4号  各支部活動報告及部会及委員会報告
    5. 議案5号  その他(質疑応答を含む)  

               〔休憩〕

  • 体験発表特別企画 皆で語ろう「懇談会」
         「今を生きる力」
            (いま、あなたはどのようにASと折り合っていますか)

          座長        井上 久
          コメンテーター  F.N
                     T.N
                     S.M
                     田中 健治


    開会の辞…井上事務局長
     司会進行を務めます事務局長の井上です。よろしくお願い致します。 「ようこそ東京へ」と言いたいところですが、ここは千葉県です。 例年は9月のまだ暑い頃に開催しているんですが、今年は僕が例の 国際会議で9月にドイツに行ってたもので、少し遅らせて頂いたんですが、 寒い時期になっちゃって、申し訳なく思っています。午前中に開かれた 役員会では、来年から、やはりもう少し暖かい時期に戻そうという事に なりました。

     今日の参加予定者の数を見ますと、過去最高の人数、約70名です。 これまでは、総会出席者はだいたい35名ぐらいだったんですが、今日は 2倍ですね。我々のような日本では希少な仲間がこんなに一同に集まる 機会は滅多にない訳ですから、後半の懇談会では、できるだけ多くの方々 に発言して頂きたいし、休憩時間、そしてその後の懇親会はですね、 くどいようですが、本当に滅多に会えない仲間同志の貴重なチャンス なんですから、積極的にどんどんお話しして頂きたいと思います。

     今日の簡単な予定を申し上げますと、まず物故者への黙祷をさせて 頂いて、その後に会長の挨拶、それから議案がいろいろありまして、 前半は2時45分ぐらいに終えたいと思います。15分ぐらい休憩をとって、 その後は、これまでの会では、体験発表という形で、何人かの会員に 前に出て頂いて一人10分ぐらいお話して頂いたんですが、今回は、 特にそういう事はしないでですね、せっかく皆さん集まったんですから、 できるだけ皆さん同志で話し合って頂こうと思っています。
     この病気と付き合うコツとか、先輩のアドバイスとか、あるいは 後輩からの質問とか、できるだけ多くの方に発言して頂きたい、 そういう懇談会の場にしたいと思っています。それで、4時半に終りに したいと思います。その後、懇親会まで1時間あります。その間に、 宿泊される方はチェックイン手続きして頂き、部屋に入ってけっこうです。 他の方々は、前のロビーで歓談していて頂くという予定にしております。

     それでは恒例によりまして、全員で物故会員への黙祷を捧げたいと 思います。この一年間で、4人の会員が亡くなりました。K.S.さん。 田中会長の昔からのお友達で、友の会の創設以来監事をやっていただいて いた方です。M.N.さん。慶応大学の精神科のお医者さんで、 強直性脊椎炎と頸髄損傷で、車椅子でずっと闘病されながら精神科医として 活躍され、障害者や病人の心理学・精神医学の分野では重鎮の方でした。 M.T.さん。この方も創設当時から名古屋の地区会長として活躍して いただいていた方です。T.K.さん。初期は四国で唯一の会員の方で、 田中会長とは、電話などで積極的に色々とお話をされていた方です。 最後にもう一人、全部で5人でしたね。もう一人、賛助会員の方でY.S. さん。田中会長のご学友で、シオノギ製薬の社長さんでした。今年の9月に 亡くなったばかりです。合計5名の方々が、今年亡くなられました。 起立可能な方は起立して頂いて、無理な方は座ってらして結構です。

     黙祷……

    黙祷、終ります。ありがとうございました。

    それでは会長の挨拶に移ります。よろしくお願いします。


    会長挨拶…田中健治会長
     こんにちわ。昨年の事を知っておられる方にとっては 「昨年の総会の時に比べて、ずいぶん元気になったな」というふうな 印象を持って頂けるんやないかなと思っております。田中でございます。 今日はずいぶん大勢の方が参加して下さるようで、初めてお目にかかる 方も相当居られるんやないかなと思います。新幹線の中で、ちょうど今、 話題になっております介護保険の認定制度の問題について、新聞を ずーっと読みながら来ました。
     私たちにとっても非常に身近かな問題だけに、かなり深刻な気持で やってまいりましたが、今日、皆さんにこうやってお目にかかって お顔を拝見しておりますうちにですね、なにか非常に明るい気持に なってまいりました。皆さん、お顔がね、すがすがしいですよ。 これはもうASの会にとりましてなによりもうれしい事でございます。 今、事務局長からお話が出ました5名の亡くなられた方々、非常に 重要な役割を果しておられた方ばかりですから、友の会にとりましても 非常に残念至極な事なんです。共通して言えることは、ASという病気 そのものが原因で亡くなったとは考えられない、あの中でお二人は癌が 最終的な原因で、あとの方ですね、何でしょうね、ちょっと判らない 部分があるんですが……。

     とにもかくにもそういう暗いニュースが続く中でちょっとご紹介して おきたい朗報がございますので申し上げます。ご結婚された方が4組 おられます。日にちは、ちょっと私、物忘れがひどいんで相前後しますが、 昨年入会されましたケーナの名手のT.M.さん。S.M.さんの ご主人と同じ名前なんで、Mさんが冗談で「私はふたり亭主を持った」 とか言ってましたけれど、この方がまず結婚されました。それから若手の ホープとして期待されておりますT.K.さんっていう方も 結婚されました。ホープと言えばこれほど存在感の濃い方はおられない、 AS友の会のこれから顔になっていくんやないかなと思うN.T.さん。 Tさんご夫妻、ちょっと立って頂けますか。ご紹介したいと思います。
     あの〜、ついでにお話ししときますが、大阪府立大学出身の、お二人とも 獣医というお医者さんでありまして、動物も人間も一緒やということで ですね、で、勝手な質問ですが、「動物にASとかいう病気あるんか?」 とか聞いてみたんですけども……。府立大学で乗馬部に在籍しておられて、 トレーニング中に落馬されたらしいんですよ。骨盤を骨折されて、 それがきっかけでASという病名が判ったということで、もしも落馬して おられなかったら今だに判らなかったであろうと。で、もっと重い症状に なっていたかも判らないということですね。ASにとりましてもね、 早期発見というのは非常に大切なことではないかと思います。 それから若い方ではないんですが、賛助会員のMさん。ちょっと年を へられてますが、あの、ご結婚ということでお祝いして下さい。

     こういう明るい材料の中で、しかもこういうディズニーランドという 華やかな場所で総会を開けて本当にうれしく思っております。皆さんの お手元に 「療養の手引き」の第2版「らくちん」の11号 が事前に届けられたと思うんです。その「らくちん」の中の巻頭言に 少し触れておきましたが「SHG」というセルフヘルプグループ。 こういう、なんて言うんでしょうね、そういう位置付けっていうんで しょうか、色々考えるんでしょうね、自助団体っていうか、そういう 中に私たちのグループも加えられていたんでしょう、そういうところから 友の会の事を教えてくれって学生が参りまして、ああいうふうな記事 (巻頭言)に書いたような結果になったんですが。その本はですね、 こんな分厚い本です。ここにいろんな会の事が書かれてあるんです。

     患者会としてはなぜか「AS友の会」と「どんぐりの会」の二つだけ 選ばれておりました。どんぐりの会っていうのは癌患者の作ってる会 なんですね。対照的にAS友の会が描かれてまして、関心のある方は ぜひ読んでもらえばいいんですが。大変ですね、確かに癌の人達の 苦しみっていうのは。こういうことはね、他の会と私たちの会と、 それから病気と病気を比べて、人間って妙なもんで比較して自分の 幸を噛みしめるっていうところがあるでしょう。あの人に比べて私は 幸せであるとか、不幸、不幸って思っているけどあの人を見てごらん、 あの人に比べればっていうのあるでしょ。こういう比べ方っていう のはね非常に悪いと思うんです。その人達を見て、頑張ってる姿を 見てそれで自分達の励みにするんだったらいいんですが、その優越感 というのが存在してて、その優越感に頼ってですね自分の幸せを かみしめる。これはね、私たち、皆さんどっかでこういうことを 感じておられるかも判らない。職場でもどこででも。傍から見れば あいつに比べればおれら幸せやと思われてるかもわからない。 思われた方は嫌ですね。重度になればなるほど、どんどん、 あの人に比べればあの人に比べればっていうふうになっていく わけで。そうするとですね、私こんなこと考えたんですよ、 重度の者は今度比べる相手が無いんですよ、最も重度になればね。 そういうふうに段階的に比較していくってことは絶対に避けたいと 思います。

     しかし、このセルフヘルプグループの考え方の中に「自助、互助」 っていうのがあるんです。自分を助けていこう、努力して自分を 自立させていかそうとする、そういう考え方、それからお互いに 助け合っていこうという考え方、「自助、互助」っていう考え方は 基本的理念としてあるみたいです。
     もう一つですね私たちは、以前にもこの話は申し上げたことが あるんですけども、そこへ加えて「他助」っていうの加えていきたい と思います。「他助」っていうのは、どうしてもね、こういう病気を 持っていると特にこの痛い辛いっていうものを持ってますと、家庭の 中にいても自分だけ頑張っていればそれで精一杯でいいじゃないか、 傍の人にそれだけで我慢して下さいよっていうようなところがあるん ですよね。自己中心的になってしまいがちです。
     だけど、もう一歩辛抱して、それ乗り超えて家族のことも考えていく。 それから他の会の事、病気の事、そういう事にも目を向けて、せっかく この強直性脊椎炎という病気に関わったわけですから、他のいろんな 難病、難病といわれてるのが4百何種類あるらしいですね、 そういう人達のことも含めて、他の人達の病気、障害、そういうことで 苦しんでる方々の事も含めて共に助け合っていきたいというふうに、 そんなふうに前向きに考えていって頂きたいと願っております。

     今日は、先ほど事務局長も申し上げましたけれども、皆さんから いろんなお話しを私たちがむしろ吸収させて頂けるみたいな、日頃 気づかないことを語って頂きたいなと思っていますし、明日はまた ディズニーランドで楽しい一日を過ごして頂きたいなと思っております。 夕べ、ここに泊まりました。ここのホテルってのはディズニーランド 一色なんですね。子供達も大勢来ています。大人達も大勢来ています。 なぜかみんなの表情が和らいでいるんですよ。ディズニーランドって そんな効果があるんかなっていう、結局そこには夢があるんでしょうね。

     そこで、今日のご挨拶の締めくくりとして、私たちは何か夢を 持ちたいと、それから息抜きするところを持ちたいと、そういう方向で 友の会を進めていきたいと思っております。 どうもありがとうございました。


    井上久事務局長
     ありがとうございました。今、会長のお話にありました 「セルフヘルプグループ」の本は後で回します。それから、 この 「らくちん」の11号で楽しい紀行文を書いて下さった、 Mさんの旅の写真も届いてますんで、見て頂きたいと思います。 僕が9月の国際連盟の会議に出たときの写真も持って来ました のでご覧下さい。

     それでは、議事に入りたいと思います。恒例によりまして、 議長は会長指名で関東支部長のT.N氏にやって頂く予定 でしたが、お仕事の都合で遅れるようなので関西支部長の F.N副会長に、会長指名で議長をして頂きたいと思います。 よろしく。


    F.N関西支部長(以降N議長)
     こんにちわ。毎年、議長の大役をやらして頂いてます。 今年もお役、任命されましたので議長させて頂きたいと思います。 関西支部の支部長でNと申します。よろしくお願いします。 「第9回日本S友の会総会」、本日の出席者は今のところ51名、 委任状が146名、合計197名。会員総数が272名、これは賛助会員を 合わせた数です。その二分の一で136名。ということで、過半数に 達していますので、本日のこの総会は成立するということを ご報告申し上げます。


    議案1号: 平成10年度活動報告…井上久事務局長
     10年4月に 「らくちん」9号発行。6月に「友の会だより」第4号発行。 9月に第8回日本AS友の会総会を会員35名とその家族で大阪のホテル 「ニューオオタニ」にて開催。平成11年元旦に年賀状を配布。 3月に東京ボランティア市民活動センターのアンケートに協力。 同じく3月に第19回日本肢体不自由者卓球選手権和歌山県大会 (田中会長が委員長)のプログラムにAS友の会宣伝・広告料として 5万円支出(前回の総会時、会の承認済み)。同じく3月に 「らくちん」10号発行。 以上10年度の活動報告であります。


    N議長
     では、以上をご承認いただけますか?
     拍手多数ですので承認致します。


    議案2号: 平成10年度決算報告…井上久事務局長
     収入の部、会員会費161名分、会費納入率84%。会としては非常に いい方の会です。他の難病団体ではなかなか集まらないらしく、 聞いたところ一番集まりの良いのは人工透析の患者さんの団体です (約6万人)。なぜ、納入率が良いかといいますと、透析に来た時に 徴収するからだそうです。絶対に来ますからね。そういう事の無い会 としては我々の会は納入率が高いと思います。これに、賛助会員の個人 57名、団体4、以上で会員が481,000円、個人が171,000円、 団体が40,000円、御寄付33件で570,000円。昨年総会参加費(懇親会会費)、 前年度繰越金が1,126,616円。以上収入の部が2,560,616円。

     支出の部、郵送料(会報等)ですが、発行部数が少ないもので、 第3種郵便とかが取れません。小さい所で集まって一つの団体として 安くするという手もあるのですが、問い合わせしてみるとやはり500部 ぐらいないとだめだそうで、今のところ普通に郵送するしかありません。 その郵送料が147,000円。通信費(年賀状込)が86,023円。 文具(ラベル等)が28,420円。翻訳料、外国の会報の中から面白そうな 短い記事は私がやりますが、本の一部など長いものは、余裕がないので 依頼しています。脊髄損傷の患者さんで医療分野の翻訳をやられる方がいて、 特にこういう患者の会には格安でやって下さいます。これが6万円。
     国際連盟(ASIF)会費は会として基本額が30ポンド、それに 会員一人に一人につき0.5ポンド。イギリスの会は、資金集めのイベントを やっているようですし、スポンサーもついたりで、我々よりははるかに 潤沢のようです。それから、印刷代が367,500円。 総会補助(懇親会その他)が70万円。香典が4万円。広告掲載料が 50,120円。雑費(フロッピー修理代等)13,750円。合計で支出の部は 1,118,361円。これを引きますと1,042,255円が繰越金になります。

     特別会計ですが、支出ゼロで、利息が付いて1,014,836円。これの 用途としましては、会の旗を作るとかいろいろありましたが、今度の 手引き書の改訂版の印刷に、「らくちん」よりも良い紙を使ったためも あって80万円余程かかりましたので、これに当てることを検討中です。 以上会計としてご報告します。

    N議長
     ありがとうございました。


    監査報告…井上久事務局長
     現在入院中で、今日は欠席ですが、その吉田監事氏より 了承頂きました。


    N議長
     拍手多数ですので承認させていただきます。


    議案3号: 平成11年度活動報告および予定
                         …井上事務局長

     11年4月、かねてからの懸案であったインターネットの ホームページ、これを作ろうということで関東で5人が集まりまして、 第1回作成委員会を開きました。後でA委員から報告があります。 11年5月に「友の会だより」の第5刊を発行。同じく7月に 杏林大学医学部「セルフケアグループ活動実態調査」に協力。 これは三省堂発行「病気になったときに相談できる団体、 窓口ガイド」に掲載されます。11年9月に私が、ドイツで開かれた 第5回国際連盟会議に出席。これは 「らくちん」第11号 に詳しく書いてあります。11年11月に「遺伝医療システムの構築と 運用に関する研究班」、代表は静岡県立子ども病院という所ですが、 ここで遺伝による病気を調査するということで、その予備段階の 調査依頼が来ました。私と会長で検討して回答を出しました。 同じく11月に 「療養の手引き」の第2版会報「らくちん」の 第11号発行。

     今後の予定としては、平成12年度予定。12年元旦に年賀状配布。 それから、「療養の手引き」 を全国のリウマチ専門の病院に配布を考えています。 「らくちん」、「友の会だより」 をそれぞれ年2回発行していきたいと思います。以上です。


    N議長
     それから、平成13年度の 第11回日本AS研究会の学術集会の学会長に井上事務局長が 就任されそうですので、皆さんご協力とご注目をお願い致します。


    井上事務局長
     正直、大変なことになりました。この「友の会」が出来る前に リウマチ専門医の医師達によって「強直性脊椎炎研究会」、後の 「日本AS研究会」がまず出来て、それが「友の会」発足のきっかけの 一つになった訳ですけど、当初は、患者の代表という形で、理事にして いただいたんですけど、理事が持ち回りとする学会長の職が順番として 回ってきてしまいました。理事は、大学の教授や大病院の部長ばかりで、 一介の臨床医、それも、ほとんど医療から足を洗った身なので困る…… と言ったんですが、是非やりなさいと。理事会は偉い先生ばっかりで、 「ハイ」と言うしか無くなりました。

     順天堂の整形外科の教室員、それに膠原病内科というリウマチ専門の 内科の教室員も手伝ってくれると言ってくれてますので、再来年、 お引き受けすることにほぼ決まりました。せっかく患者会の代表が 会長をやりますから、学術研究ばかりじゃなく、患者さんの生活とか 日頃の悩みとか、そういう事も少し専門医達に啓発するような、 そういった特色を出す会にしたいと思っています。もしかすると この会のどなたかにお話をして頂くことになるかも知れません。

     その準備として、5年ぐらい前に、会員の皆さんにアンケート調査を したと思うんですが、その後会員も増えましたのでもう一度やって、 その結果を発表して、AS患者の悩みとか苦労とか、それにお医者さん たちへの要望なんかも伝えることができたらと思います。従って、来年、 私の方からかなり詳しいアンケート調査が行くと思いますけど、皆さん、 是非協力して頂きたいと思います。それと学会というのはお金がかかる 訳でして、多少、余裕があれば会の方から援助をお願いするかも 知れません。その節はよろしくお願いします。


    N議長
     今、到着されました。関東支部長のT.Nさんです。では、 議案4号、各支部活動報告および部会に移ります。


    議案4号:各支部活動報告
    関東支部…T.N副会長

     関東支部のNと申します。関東支部会としては未だ正式には 開催していません。毎年、展望だけで申し訳ないんですが、年一回 総会があって、みんなが集まって要望っていうのがあるのかも 知れないですが、私の方に入ってこないんですが、それはともかく、 会は開くべきとの声もあります。今回こうして見るとたくさんの方が 集まっておられ、初期のことを考えるとこれが本当にASの会なのか という感がします。そういうことを考えまして、そろそろ支部会をと 思っております。田中会長、井上事務局長との関わりあいの中で 患者さんとの交流があるんですけど、私個人としてあまり交流すること がなく、関東支部会としてなにかやってほしいということがあれば お気軽にお電話とか連絡を取り合って、次回には報告出来るように 進めていきたいと思っております。以上です。


    関西支部…N関西支部長
     今年7月、役員、協力者の方が数名集まりまして舞洲 (大阪オリンピック候補地)という所にあります障害者専用の 「アミニティ舞洲」に、以前好評だった焼き肉パーティ開催の相談で 集まったんですが、今回、私がちょっと忙しくて、総会までには実行 出来ませんでした。今後の展望といたしましては、まずは焼き肉 パーティ、そういう懇親会的なもので集まれたら一番いいかなと 思っております。それ以外には、以前、「懇親会」と名を打ちまして ゲスト(主に医師)をお呼びし質疑応答とか意見交換とかあった んですけど、そいうのをまた今後もやっていきたいと思っております。 以上です。


    九州支部…Y九州支部長
     (都合により欠席。ホテル宛に届いた「九州支部だよりあるいは 活動報告もどき」というファックスを井上事務局長が代読)


    井上久事務局長
     山下氏、ご存じの通り、ユーモアに富んだ方ですので、読み方が 難しいところもありますがご了承下さい。

    (以下本文)

     AS友の会総会に全国からお集りになられた会員の皆様、 支援者の皆様、九州支部のYです。年に一度の総会、一年前から楽しみに していたのですが、今年は残念ながら参加することが出来なくなって しまいました。本当に申し訳ありません。すべてに優先させてスケジュール をうまく空けていたのですが、どうにもならない飛び込みの用事が入って しまい不義理をすることになってしまいました。簡単に申しますと、 ある女子大学の大学祭でちょっとした話をするように依頼されたのです。 勿論、大事な約束があるので、どうしてもその日、本日、20日だけは 引き受けられないと断わったのですが、その大学にも色々義理がありました ので、結局押し切られる形になってしまいました。まぁ、キャンパスを 濶歩するミニスカートのイケイケギャルと田中会長のやさしいお顔を交互に 思い浮かべてるうちに田中会長のお顔が完全に脳裏から消えてしまった という事だけのことであります。
     話のテーマは「家族の肖像、豊かさの消失、見失われた自画像」という やたら格調の高い題名なのです。我ながらその格調の高い題名に酔い しれていたのですが、直前になって大学の友人から「山ちゃん、あんまり 難しい話ばせんでよかばい、どうせ、ロックバンドの前座だから」と 言われました。ガツーン!。今どきの大学は何を考えているのでしょうか。 ロックバンドがメインなのです。まぁいいでしょう。そんなことは どうでも。女子大生の集団に会えるのですから。

     大事な事を忘れていました。活動報告ですが……、特に何もありません。 ただ田中会長の肝入りで先日、久留米大学付属病院に敷設されている 久留米大学医療センターリウマチ膠原病センターという所を訪ねて 参りました。田中会長が以前にお世話になられた井上明生先生という方が 整形外科の教授をしておられ、そのご紹介で医療センターの山中教授と いう方に会いに行ったのです。九州支部としての拠点病院みたいなものを 今だ確保していませんので、「どんな感じかな〜」と思いながら行って 見ました。
     リハビリセンターも立派なものがあり、専門もかなり細分化されている ようで、関節外科の専門科、内科的なリウマチの専門科、整形外科的な リウマチの専門科と何やら色々おられるようでした。ただ、山中教授は 人の良い話好きのオジサンって感じで。今後2回、3回と足を運ぶなかで 核となり得る人がいるかどうか、じっくり見極めようと思っております。

     最後になりましたが会員数は少ないのですが、九州支部のこともどうか お忘れなきよう今後ともなにとぞ宜しくお願い申し上げます。明日、 東京ディズニーランドへ行かれる方も多いかと思われますが、九州、 長崎にもハウステンボスって所があります。ここの何処がいいのか 私にはさっぱり判りません。しかし、とにかく九州方面にも一度足を のばして下さい。AS関係者の方に限りお迎え付きで何処でもお望みの 所にご案内申し上げます。末尾ながら総会のご成功と皆々様ご健康と ご多幸を心より祈念致しております。
                        九州支部長S.Y.


    N議長
     九州のY、中京のTと言われていたあのTさんが亡くなられて しまいました。中京地区は今回は報告無しっていうことになります。


    婦人部報告…S.M.婦人部長
     こんにちわ。松岡です。婦人部と言いましてもなかなか集まれ ませんし、20人足らずで遠いところで散り散りばらばらですので、 なかなか会うということが難しいんですけれども、一応、総会が 近づいてくると、どうしていらっしゃるかと電話で近況をお訪ね しています。それが皆さんのなかで恒例になってきたようで電話を かけますと、「あぁ、総会が近いんだな」と。

     で、「どうしてらっしゃいますか」と聞きます。患者さんの中で親の 介護をしながら自分も病気をしながら体力を保持しながら体調整えながら やっとなのに、介護するのはなかなかハードやっていう話を聞きました。 病気もそうだけれども親を看るって事も逃げることが出来ないから 「受け入れることしかないよね」って話に皆さん落ち着くんですけども。 疲れないようにいろんな工夫をしたり。痛い時、どうしても動けない時は 寝るときもあるんやけども薬で痛みをだましだまし動いてますって方が 多かったです。精神的にもやっぱりしんどい、また病気が周りにしっかり 判ってもらっていないとどうしても背負って動いてしまうって事が ありますので、それもしんどい。

     私は個人的にも興味があって聞いたんですけども、「らくちん」の 感想はいかがですかって。そしたら新しい情報が知れてとっても心強い ってことと、皆さんの生の手記がとっても心の力になりますってお聞き しました。どうしてみんな暮してはるんやろかとか、近くに同じ病気の 人がなかなかいませんので、どうして乗り超えていはるんやろとかいう ことが「らくちん」を読めば判って、それが自分の苦しい時期と重なった り、「あぁ、やっぱりそうやな」と思って本当に励まされたり元気を 貰ったりしますっていう話も聞けました。

     もう一つ興味があって聞いたのですけども、「らくちんを家族の方は 読まれてますか?」って。残念ながら、ほとんど家族は読まないという 返事が多かったです。やっぱり知ってくれている人が傍にいると心強い という体験が私にありますから、家族の方に大事な所は読んで欲しいな と思います。そういう様に「読んでもらうようにモーション掛けて はります?」ってお尋ねしたんですけども。「初めはそうしたんです けども、だんだんあきらめてきた」という事でした。「内の女房は しんどいしんどい言いながらでも何とか動いてるやんか」ってうちは 読む気がしないのかなって気もします。本当に動けなくなってしまった 時に読もうっていうふうになるんでしょうか。倒れないうちに読んで 欲しいと思います。で、周りの人に私は元気そうに見えるけれども 痛み止めを飲んで頑張って動いてるんだからねっていうのがようく 伝わっているのといないのではいろいろ違って来ると思います。

     自分自身の体験で弱音を吐けないっていうのが苦しかったので、 せめて愚痴、聞いて欲しいし、痛いって言っても「うるさいな」って いうふうには言わないで「そうか」っていうふうに受け取って貰う とまた痛みも変ってくるなぁと思います。今日、いらして下さって いる方々はご家族が多いとお聞きしましたので、どうぞ 「らくちん」を 愛する人のために読んで下さい。 「療養の手引き」、 悩んだとき開いて読むんですけど、心強いですので、どうぞみんなが 手に取れる所に置いて欲しいなって思います。

     展望なんですが、総会だからと慌てるのではなく、もう少しこまめに みんなで連絡を取り合って、「気持が判るよ」っていうそんな電話を 掛け合いたいなと思っております。それから世の中の風潮がそうなって 来て私がある会で婦人部ってところに属していたんですけど、 そちらでも「婦人」っていうのは夫に従属しているっていう意味が強い ので、結婚しててもしていなくてもどんな人でもということで「女性会」 っていうふうに名前を変えたっていう事がありまして、AS友の会も そうすればどうでしょうか?ということを会長にお話ししましたら、 今日、みなさんから決を取ってご意見聞いたらどうやろってことなので お願いいたします。以上です。


    N議長
     ただいま「婦人部」を「女性部」に名称変更したいという提案が 出ましたので賛成と思われる方は拍手でお願いします。拍手多数ですので 決議いたします。今後は「女性部」になります。


    ホームページ作成委員会報告…A委員
     こんにちわAです。第1回ホームページ作成委員会を4月に 開きました。そこで、決まりました事は、ホームページ名は「AS Web」。 形態としては「日本ALS(筋萎縮性側索硬化症)協会」のホームページ を参考にして作ろうと考えています。

     ターゲットは若い人向けにする。作ったホームページは 「難病情報センター」に登録してある「日本AS友の会」の情報から リンクできるようにする。掲載内容は友の会の紹介、ホームページに ついての概略、友の会の規約、活動内容。連絡先等。また、現在発行 されている「療養の手引き」、 「らくちん」から掲載可能な ものを載せる。ホームページの作り方には法人用と個人用があるが値段が 安い個人用で契約。ドメインネームは取らない。検索エンジンに登録 しない。料金支払は1年一括払い。

     事務局長からの依頼で役に立つホームページを「らくちん」に載せる 予定でしたが間に合わず、この場にて簡単にあげます。「ASIF (強直性脊椎炎国際連盟)」のホームページ。この中から世界各国の AS患者会のホームページが見られます。「難病情報センター」の ホームページ。専門的には「血清反応陰性脊椎関節炎」のホームページ。 「ウェル」という雑誌のホームページ。これはバリアフリー情報誌です。 年間料金は2万5千円程度です。以上です。


    N議長
     続いて「らくちん」編集部から。


    井上事務局長
     毎度のお願いですが、年2回、僕と田中会長だけで作ってる様な 状況なんですが、なかなか原稿が集まらない。集まらないときは外国の 原稿を訳してごまかすという状態なんです。次号は来年の4月頃に 出したい。何でも結構です。文章に自信の無い方は取り合えず出して 貰えれば検討しアレンジして載せます。ぜひ投稿を。今回のMさんの ような紀行とか、面白い体験をしたとか、感動したとか……そういうもの でも結構です。そうやって喜びとか感動を分かち合いたいと思いますので ぜひ投稿していただきたい。

     事務局には世界各国から会報が来ます。公開質問状、医療相談みたいな ものもよく載っています。そういうものも送っていただければ、私、 あるいはリウマチの専門医に聞いてお答え出来ると思いますし、あと 福祉とか補助具の紹介、そういう質問を受け付けます。そういうもので 掲載していいものは次の「らくちん」に載せる形になります。 アメリカとかイギリスなどは2〜3ページ割いてペンフレンド募集 みたいなものもあります。「お手紙下さい」といったようなものでも 良いと思います。インターネットでやってる方もおられますが……。 また、「らくちん」の記事についてご意見、ご希望がありましたら、 この場で結構ですので、遠慮無くどうぞ。宜しくお願いします。


    N議長
     続いて「友の会だより」編集委員からFさん。


    F編集委員
     編集係をさせて頂いてていますFです。「らくちん」の 井上事務局長と同じく、「友の会だより」も原稿が集まらないという 状況ですので、これからは突然でも会員さんに電話とかしまして普段の お話しから記事を頂きたいなとかも考えています。内容的に関西に偏り 過ぎかなという感がありますので関東の方で記事を集めて下さる方が 欲しい。以上です。

    田中会長
     「らくちん」と「友の会だより」はですね、AS友の会の定期的な 出版物として考えてきた訳です。当初は「らくちん」だけだったんですが 「らくちん」がどうしても年二回発行出来ることが少ないものですから、 その間、皆さんの情報交換、気楽な気持で何でも書いて頂けるという ことで「友の会だより」がいいんじゃないかなと計画したものなんです。 ですから、二つ出ますと内容がしっかりしているのは「らくちん」ですね、 「友の会だより」は遊びで書いてるような感じで受け取って居られる方も あるかもわからないが、実はそうではなく、先に事務局長が言ってたような 情報交換、むしろ「友の会だより」でそういう事をやってもらいたいなと 希望を持っておりました。
     「友の会だより」の方は、ほとんど修正を加えません。ストレートに なんでもしゃべっていただけたらとフランクな会報というか、そういう風な 考えでおります。どうなんでしょうか、皆さん、「らくちん」はしっかり 保存して、「友の会だより」はその辺にポーンと放っているということは ないでしょうね。発行部数も確かに少ないです。軽んじてる訳でもない んです。これから内容も充実してくるかなとか、ページ数も増えてくる かなとか考えてるところなんでしっかり育ててやってください。 お願いします。


    N議長
     今、Fさんが言ってましたように関東で書いて頂ける方、記事を 集めて頂ける方、私だと思われる方、どうぞ連絡お願い致します。
     続きまして議案5号、その他、という事になってます。 「日本AS友の会」のロゴマークについて会長から。


    田中会長
     ロゴマークについてご説明します。来年がちょうど10周年記念に 当たります。で、何年か、その前にロゴマーク、つまりシンボルマーク です、それを持ったほうがいいんじゃないかと話し、会員の皆様から 広くマークを募集してきました。 「らくちん」の第11号に 載せましたけれども、今年の12月31日をもって一応締切と致します。 そのロゴマークを皆さんに選んでいただき永久にAS友の会のマークに したいと思います。いろんなところにそのマークを使っていきたいと 思います。イギリスのNASSですか、そういう会のロゴマーク、ちょうど からだが曲がっている格好からまっすぐへという、そういうインパクトの 強い形が使われていますが。ドイツはまた、何人かが手を取り合って いる感じとか……いろいろあるんです。今、集まっているほとんどが ASという文字をデザイン化したものです。何か他にいいものがあれば と思うんですが。もう少し時間がございますので宜しくお願いいたします。


    N議長
     ありがとうございました。続きましてASIFの国際会議と 「日本AS研究会」の報告。先ほどの井上事務局長の学会長というのは、 このAS研究会の学術集会の会長です。井上事務局長から。


    井上事務局長
     強直性脊椎炎の患者会の国際連盟、27ヶ国ぐらい加盟している んですが、「らくちん」 第11号に詳しく書いてありますが、その第4回の会議でドイツまで 行ってまいりました。今回、ぜひ皆さんで行こうと声をかけて、 最初は何人か希望者が出たのですが、一人、二人と抜けて行って、 結局、我々夫婦と賛助会員の女性の三人になりました。そんなに 大々的な、そして堅苦しい会じゃないんですが、主催するにはお金が 掛るし、お金を持ってない会が多いので、だんだん間隔が空いて来ます。 次回は3年か4年後になるらしい。でも、それぞれの会を見ると、 その規模・活動としては、イギリスとドイツだけはすごいです。 イギリスは、資金集めのためにいろんなチャリティパーティーなどを 催したり、会長自身が各地飛び回って支部を作ったりしています。 事務局には、専属の事務員が二人います。羨ましい限りです。

     ドイツは会員が15,000人。会費もすごく集まるでしょうし、専門家も 入ってますし、ここの活動も凄まじいものです。独自の体操療法の ビデオテープを作ったり、補助具を開発したり、専門員の相談システムが あったりと……。イギリスの会長は医師ではないんですが僕なんかより ASの事をずっとよく知っています。患者さんからの電話相談も一手に 引き受けているらしく、また医者の国際会議から呼ばれて講演する ぐらいです。でも、他の国は日本と同じで、資金もあまりないという 感じです。次回はスロベニアです。可能であれば募集しますので是非 参加してください。ヨーロッパは遠いですが、Mさんも行かれたの ですから、やる気になればどうってことないでしょう。

     「日本AS研究会」の学術集会は10月30日に開催されました。 ASに興味があるちょっとマニアックな医師達が集まる会で、 参加人数は友の会と同じぐらいでした。学術集会にしてはささやかで、 なごやかです。ただ内科医と整形外科医が混ざった研究会ですから、 手術の話になると内科医が黙ってしまって、免疫学になると今度は 整形外科医が黙ってしまう。こういうちぐはぐな状況にもなります。 しかし最近、ASおよびその関連疾患に興味を持ち始めた若手の 内科医が増えてきたように思います。
     21世紀には、慢性関節リウマチよりも、我が脊椎炎の方が注目を 集めるのではていか……と希望的観測をもってきます。ASに限らず その類縁疾患はいくつもありますし、その上、なんだか判らないが 関節が腫れる、背骨も痛いという病気が世の中にまだまだいっぱい あります。風邪で関節が痛いとか、BCGその他の予防接種後に訳の 判らない関節炎が起こるとか、癌だとか、会員の中でも心当たりの ある人もいるかと思いますが、怪我がきっかけになってASが 初発したという発表もありました。炎症を引き起こすのに関与する サイトカインという物質もたくさん判ってきた。手術や分娩が きっかけで出てくる場合もあるそうです。ノルウェーのオステッセン という女性の教授が女性AS患者を調査したところ、三分の一ぐらい が分娩がきっかけで出たということです。でも、分娩が出来ない訳 ではありません。

     からだに起こったいろいろな事件や精神的ストレスなど、原因と いうことではないが、発症のきっかけになり得るらしいことが わかってきました。また、病気の原因は、決してただ一つという 訳ではなく、先天的(複数の遺伝子)素因に、様々な後天的因子が 加わって発症する訳です。整形医は手術とかリハビリしか出来ませんが、 内科医が入って来ると原因とか発症機序はなんだ……ということで やってくれますから、かなり判るようになってきました。 リウマチ学会では2005年までには完全にリウマチを克服すると 言われています。ASは例のHLA-B27という取っ掛かりがあるもん ですから、もっと早く克服出来ると言う医師もいます。期待しましょう。

     最近のトピックとして、遺伝的要因、やはりASになり易い 先天的要因はどうもあるようです。日本人に少ないとか、男に多いとか、 家族発生が多いとかいう事実は確かですし。これは高血圧でも癌でも 肥満でも、なんでも同じことです。それぞれに、浸透度、影響度は 違いますが……。今度、アメリカで、AS患者の家系を調べて行く というかなり大がかりな調査研究が始まるようです。報告を終ります。


    N議長
     続きましてK.S.氏死去によって欠員になっております 監事について。


    田中会長
     午前中の役員会に計りまして、東京のT.I.さんがどうで あろうということで、ご本人に打診しましたら、心良く引き受けて 下さいました。T.I.さんを任命したいと思います。


    井上事務局長
     Iさんをご紹介します。実は私の近所にお住まいなんです。 以前、リウマチ友の会にいらっしゃいました。今はこっちの会に 移られました。奥様はリウマチ友の会の現役の会員さんで、ASと RAのカップルということで、後でいろいろお話が聞けると思います。 きめ細やかなお仕事をされていまして、会計についても詳しく、 人生経験豊富な方であります。私が推薦させていただき、ご快諾を 頂きました。冗談で会長と話してたんですが、どうも役員の死亡率が 高い、会員よりも高い。今度は元気な方を……っていう事でIさんに 白羽の矢を立てた訳です。ですから、是非お元気で、よろしく お願いします。


    N議長
     漢方の土方先生に関して、会長から。


    田中会長
     えー、先ほどの事務局長の話、事務局長は冗談がきついんで。 皆さん御心配無く。土方先生という大阪の漢方の専門科で賛助会員です。 大阪で総会が開催される時はいつも出席していろいろと力になって 下さってるんです。本来は内科のお医者さんですが、漢方の方の研究に 目覚めて、今はもう漢方一色なんです。中国から文献を取り寄せたり、 先生をお招きし研究会を開いたり、熱心にASの方の研究も進めて 頂いているんです。今回、土方先生は出席できなかったのですが、 これだけは皆さんに伝えて貰いたいということが一つありました。
     中国本土で,けっこう効力を上げている、処方については内容は おっしゃいませんでしたが、独自の名称を付けられて、「消炎1」って いうのが非常に効果があったと。誰に効果があったと申しますと、 今回新しく入会されたM.Y.さんというニューフェイス。実際 どのぐらい効果があったかといいいますと、ブタゾリジン® を使って、その後ボルタレン®を使っておられました。 そこへ漢方を併用されたんですね、「消炎2」っていうのを。そしたら ストーンとCRPが下がってしまったそうです。つまり炎症値が下がって 社会復帰が可能になったんです。そういうことで症例としてはたった一例 ですが、中国で非常に効果的であったという事も含めまして、日本人の 体質に合うようにアレンジして処方されたのが「消炎2」ですから、 こういう方法も出来ましたよという事を皆さんにお伝えして欲しいと いう事でご紹介させて頂きました。

     それから、土方先生の薬が、最近、漢方医のなかでも注目されている というお話ですが、今日、30部ほどしかお配りしてないんですが、 「安心」っていう雑誌に対談が載ってます。「単純ヘルペスの作用と その治療について」なんですけれども、「免疫強化」っていう非常に 面白い名前の薬を開発されていたのが、今、大変注目されているらしい です。AS友の会の会員さんも、土方先生に続々電話を入れてご相談 しているみたいですが、非常に親切に励まして下さって。漢方薬って 高いって印象がありますでしょう。保険がききませんからね。そういう ことも割安で提供されています。そういうこともちょっと付け加えさせて 頂いて終ります。


    N議長
     有難うございました。では、来年度の開催地について、会長から。


    田中会長
     順序からいえば関西、大阪かなと思います。大阪で考えてみたい。 10周年の総会に当たりますからホテルと会場の一体化ということで 企画したい。大勢の参加者を願っております。和歌山ってことも考えない ではないんですが、とにかく関西でと考えております。


    N議長
     有難うございました。


    A委員
     ホームページ作成委員会の件で、各役員、賛同される会員の方で、 各個人の電子メールアドレスを公開してはどうかという話があり、 「らくちん」には載せないにしても「友の会だより」にはどうかという 話なんですが、電話はかけづらいが電子メールなら連絡取り易いという 方もおられると思いますので承認して頂きたい。
    (一応、多数の挙手はあった)


    N議長
     ただいまのホームページ作成委員会のA委員から提案がありました Eメール、やってる方どれぐらいおられますか、挙手願います。


    井上事務局長
     20%ぐらい。これからもっと増えるでしょう。インターネットも 同じぐらいですね。


    N議長
     これで議事を終了します。


    <休憩>

    第2部 懇談会


    井上事務局長
     それでは、これから第2部の懇談会に入りますが、その前に ちょっと皆さんにご紹介したい方がいます。障害者対応に関する スタッフ教育とか施設の開発・充実などに関して、全国をオシャレな 車椅子に乗って駆けめぐって精力的に仕事をしてらっしゃる戸谷 千恵子さんです。昨年のホテルニューオオタニ大阪にも、今年の このホテルにも、いろいろなご配慮を頂きながら格安の値段で 使えることができたのは、一重に戸谷さんのお陰とも言えます。 それでは、ちょっとご挨拶をお願いします。


    戸谷知恵子
     戸谷でございます。今日は天気の良いところ舞浜まで足を のばしていただきありがとうございます。ディズニーランドに 行かれましたらバリアフリー対応をご覧になって、楽しんで いただきたいと思います。こういうふうに施設の宣伝なんかをして いるんですが、私は怪我をしたのが12〜3年前で、ちょうど井上先生が お加減が悪い頃でしたが、お互いの子供が同い年で同じ学校の同じ クラスでしたもので、私が事故に遭いました時に先生の奥様から声を かけていただきまして、もしなんかあったら家の主人が整形外科医 だから遠慮なく言って……と。この一言で随分救われた気持に なりました。
     その時のことは大変ご恩に感じているんですが、そのあとは、 ずっと憎らしいことばっかり言い合って来ているという関係でして、 家もご近所なものですからお付き合いが続いております。 この様な形で皆様の会とも関われるんでしたら光栄でございますので、 ホテルや旅館ということでなれは、ホテルはホテル協会の広報の仕事も しておりまし、旅館の方は全国2,000軒ぐらい係わらせて頂いております ので、何かありましたら遠慮無くお声をかけていただければと思います。

     私が言ったすぐになんとかなるとか、そういう事ではなくて、 自分が行きたい所にまめに出かけて行けば相手はだんだん備えてくれる という事を実践しているだけの事です。ちょっと自慢げに言いますと、 この4〜5年で500以上の改善を実現させていただいております。ここを 変えて下さいとかここを直したら良いですよとかとは、一度も言った ことがありません。良いなと思って、自分が行きたいなと思う所に 足繁く行っていれば、先方が「なにか不自由な事はないですか?」と 言ってくれるような時代になったなと、こんなふうに思っております。
     昨日、石川県の県の大会でバリアフリーの講演をさせていただいて 帰って来たところなんですけど、皆様のとっても判りづらい病気、 私から見ると、皆さんどういうハンデがあるのか判らない。井上先生 からのお話や、こうやって会場で聞いて初めてそういうこともあるのか、 私どもみたいに見てすぐに判るというのと違うハンデの重さとかご家族の 方の力の必要さとかを感じます。けれども、皆さんがいろんなところに 出かけて行けることが社会環境の整備に繋がると思いますので、ますます こういう会を、あちこちで開いていただければいいなと思っております。 すいません、関係ないのにおじゃましまして。では。


    井上事務局長
     ありがとうございました。あちこちの障害者用施設のほとんどが 車椅子向けであり、我々のような障害まで想定されてつくられている ことはまずありません。これからは、どんな障害者にも、高齢者にも、 そして健常者にも、すべての人に便利であるという施設の開発を求めて いきたいものです。

     では、第2部「体験発表特別企画」に移ります。実はどういうふうに 進めていくかまだ決めていません。とにかく、今日ご出席の方々の ご発言に頼るという形であります。日本では滅多にみつからないという 仲間が集まっているんですから、最初から垣根は取っ払って、挨拶も無し、 仲間同志の間で、気楽な気持でご発言をお願いしたいと思います。 田中会長からテーマとして「今を生きる力」というカッコイイテーマを 頂いたんですが、副題は、「今、あなたはどのようにしてASと折り 合っていますか」であります。闘うじゃなくて、折り合う。とりあえず 具体的な話から。たとえば、今、どんな薬を使っているかとか、 どんな主治医にかかってるかとか、相性のいい主治医に会うのにどんな 努力をしたのかとか、また、主治医への不満、どこかに良い医者は いないかとか、そういう様なことを自分のご経験から忌憚無く言って 頂くといいんじゃないかなと思います。それから、今日はご夫婦や ご家族で参加の方もかなりいらっしゃいますので、患者さんにはちょっと 失礼な言い方かも知れませんが、AS患者の操縦法とか扱い方などを お話しして頂けたらと思っております。

     とりあえず、自分自身のことをちょっと話させて頂こうと思います。 あっ今、我がAS友の会最長老のS.N.さんが到着されました。 後で、お話を伺いたいと思います。

     僕は発症してから、もう30年ぐらい経ちます。医者のくせに、 自分の病気がはっきり判ったのは30才ぐらいです。振り返りますと 19才の超元気なスポーツマンだった頃、大学の寮に入ってまして、 ある朝、背中の激痛で目が覚め、それから20分ぐらいのたうちまわり ました。同室の仲間が救急車を呼ぼうかとか言ってるうちにケロッと 良くなってですね、昼間、またスポーツをやって、土曜日だったので 夜に自宅へ帰ったところ、また同じ激痛に見舞われました。でもまた 20分で治りました。振り返ってみれば、この時がASの初発かなと 思います。患者さんに尋ねてみますと、今から思えば、初発はかなり 前だったという人が多いですね。
     そんなときは、どんな名医だって判りませんから、「坐骨神経痛」 とか「ギックリ腰」「椎間板ヘルニア」なんて言われて……。 のたうち回っておいて、それで少し経つとケロッと治っちゃうもん だから、「心身症」だとか言われた方も多いようです。医学部に入って 整形外科を習っても、まぁあまり勉強しない学生だったもんですから、 勿論、診断なんかつけられない。先輩に診てもらって、坐骨神経痛だと 言われ、足をひきずってました。若いのに坐骨神経痛だなんて、 あんなにスポーツで鍛えていたのに……と両親がもうビックリしちゃって、 むりやり人間ドックに行かされました。でも、行ったら周りはお爺さんと お婆さんばっかりで、受付で逃げて帰ってきました。
     その2年後、今度は股関節というよりは、横の出っ張り、正確には 大腿骨の大転子と言う所に激痛が出たのはスキーから帰った翌日です。 三日間、全然動けなかった。「なんだ、なんだ?」って言ってるうちに、 またケロッとしてしまう。話を聞くと、こういうケースはけっこう多い ようです。激痛で動けない、でもケロッと治り、また痛くなる。それを 繰り返すうちに、その間隔が狭まったり、だんだん痛みも持続性になって 来ました。そのうち背中を反るのがヤケに辛くなってきました。

     誰もが、こんな経過をとる訳ではなく、足が一回すごく腫れただけで 後はなんともない方もたくさんおられます。中には、「そういえば ちょっと腰が痛かったことがあるが、ほとんど痛みはかんじなかった、 だけど、最近、背骨の動きが悪くなって……」という訴えで受診されて 初めてASが判明したなんていう人もいます。もっと軽い人は、AS なんて夢にも思わず、診断されず、ただの腰痛持ちぐらい、時々、 坐骨(お尻)が痛かった、ちょっとおかしかったけど知らぬ間に治って、 死ぬまで整形外科にかかったことがない……なんていう人もたくさん 埋もれているはずです。

     その後、だんだん悪くなって30才ぐらい、ちょうど結婚した直後 ぐらいですが、股関節も痛んで、だんだん動かなくなりました。 今、同じ様な病状の患者さんから電話相談が来ますが、僕は重症の 部類で、30過ぎて急に悪化しまして、首や背骨が固まってきました。 そのうち背骨が前に曲がってしまって、前が見えずに電柱にぶつかる ようになってしまったんですね。こりゃまずいってことで、その頃は まだ上を向いて寝ていれば真っ直ぐに戻ったので、もっと曲がっては 大変と60センチぐらいのつっかえ棒を背中に入れる手術を受けました。 いろんな医者に聞いても、そんな手術の経験がないというので、 自分で当時の外国の文献もあさって自分で決めて、教授に 「やって下さい」となんとか頼み込みました。そのおかげで、ほど良い 曲がりで済んでいると思っています。あんまり真っ直ぐに固まっても、 それはそれで不便なものです。下が見えなくなって、オシッコをする のも難しくなりますから。

     ASが初発するきっかけが分娩ということもあるそうです。怪我、 手術、精神的ストレス、その他身体に対する様々なイベントや アクシデントが発症あるいは増悪のきっかけになることが多いようです。 僕は背骨の手術をして、非常にうまくいったと思ったら、2週間後に 股関節が一気に悪化して、3ヶ月ぐらいベッド上で全く動けなくなって しまい、天井見たまんまで麻薬漬けになってしまいました。その時には、 入院なのに、知り合いの漢方医にきてもらってハリ治療や漢方薬も 試しました。6ヶ月ぐらいで、なんとか痛みも遠のきましたが、結局は、 「とき(時)ぐすり」だったように思います。それから、なんとか仕事に カムバックして、その1年半後に右の人工関節をやりました。左も 悪かったんですが、右を人工関節にしたら左の痛みが軽くなっちゃった。 それから左は10年間もちました。で、10年後に左をやり、今、両方に 人工股関節を入れています。背骨にはロッド。息子にはロボコップと 言われています。

     飛行場でピンポン鳴るんで困るんですけど、あれ、鳴らない時もある んですよね。外国の飛行場の方が感度を上げているんだと思いますが、 外国ではまず鳴ります。外国ではすぐに「メタルが入っているか?」と 聞いてくれます。日本の空港では、早く聞けばいいのに、いつまでも ピーピーガーガー調べてます。僕はいつも、いたずらのつもりでジーッ としているんです。最後に、「金属入ってるよ」って。でも、ズーッと やってるうちにあきちゃうのか、「もういいです」と言われることも あります。ASカードに書いておいて黙って見せるというのも良いかも しれませんね。これは余談でした。


     ところで、ASはまだ治せません。治せないが、薬、運動療法、そして 手術のおかげで、昔だったら寝たきりになってとっくに死んでいたと 思います。「らくちん」にも書いていますが、今では、日本全国津々浦々、 そして海外にも足を延ばして飛び回っています。本当に医学の発達の お陰です。最近では問題噴出の西洋医学ですが……。


     発病した時に、皆さん方と同じように、「なんで俺だけが、よりによって こんな珍しい病気に……」って思いました。そんな悶々とした時期が何年か ありました。でも、結婚し子供もでき、食わしていかなきゃと、 そういう拠り所って言うんでしょうか、自分を必要としている人間がいる、 あるいはそういう人間がいなくともこっちから何か役に立とうという気に なって行くということが大切なんだと思います。たまたま僕は医者という 融通の利く仕事だったので、本当にラッキーだったと思います。実は、一時、 他の仕事に目を向けまして医者の仕事をほとんど止めたんです。そんな時に、 田中会長から新宿のホテルに呼び出されたんです。教授にも、AS研究会の 理事会に推薦していただきました。そこでまた医療の世界にひっぱり戻され、 今の僕があります。
     病気になったのは悔しいけれど、本当に良かったと思ってます。田中さん その他、皆さんにお会いできたし、病気にならなければわからなかったこと もたくさんわかってきたし……。「大学病院の医者の自宅まで電話をして いいなんて、そんなことありえるのか?」って、よく言われますけど、 僕の場合は、少しでも、同じ病気の方々のお役に立てるよう務めることが、 これがむしろ自分自身の生きるための起爆剤になっていると思います。 私の方が感謝しなければならないのかも知れません。“ASのお陰”、 発病して20数年、やっとそういう気持ちになれました。

     「あなたはASと、どう付き合っていますか?」と聞かれれば、 「しょうがないや」と思って付き合っているということになるかも 知れません。「しょうがないんだからこれは」。「あなたはこの病気を 受けられる人間だから、神様が選んだんですよ」と誰かが言っていました が、そんな大それたもんじゃないんです。「まぁしょうがねぇじゃないか、 なっちゃったもんは」というのが正直なところです。「らくちん」にも 書きましたが、最近「いいかげんな奴ほど病気が治る」という本が 出ました。これですね。「私は病気と闘うんだ、打ち勝つんだっ」と 気張って生きる、これ、最悪じゃないかと思うんですね。打ち勝とうと 思って、しゃにむに頑張ってる人で良くなった人はあんまりないですね。 ここのところがミソかなと思います。

     でも、ここまで来るにはかなり大変でした。こんな偉そうなことを 言ってますが、まだまだ田中会長には、はるかにかなわない。「しょうが ねぇや」と思っても、まだまだ健康な人が羨ましい。スキーやってる人が 羨ましい。バリバリ仕事をやってる人が羨ましい。ゆっくり“そぞろ歩き” ができる人が羨ましい。まだ邪念があるんですよね。でも、田中会長の域 まで達すると、もう誰も何も羨ましくないそうです。例えば、僕は 人工関節を入れたお陰で外国に行ったり夜遊びに行ったりできてます。 その話を、ついつい田中会長に電話したりファックスしたりするんですが、 電話を切った後、ハッとしちゃうんですよ。そうだ、田中会長は、 自分みたいに簡単に動けないし外出できないんだ、悪い事しちゃった かなって。
     そしたらとんでもない話で、あるとき田中会長が「私は、全然羨ましい と思いません。安心して」と言ってくれました。ショックでした。 この方はずっと雲の上の人だなと。田中会長の域にまで、皆さん行けるか どうか判らないですが、とりあえずは、「しょうがないじゃないの」が 一番!。ある程度“いいかげん”になるのがいいんじゃないかなと 思っています。体操しなさいしなさい……もいいんですが、 朝6時きっかりに起きて15分しっかり毎日体操やろうとか、確かに 病気にはいいことなんですが、あんまりそれに固執しますと、今日は 6時5分過ぎちゃったからだめか……なんてことになりかねない。 あんまり几帳面になるのは問題です。


     それでは、皆さんにですね、しつこい、しつこいんだけどなにか愛敬の ある我等がAS、このヤッカイなヤツとどういう気持で付き合っているか、 あるいは付き合っていけば良いか、ということをお話しして頂きたいと 思います。とりあえず、どんな薬を使っているか、西洋医学以外で有効 だったものにはどんなものがあるか、というようなところから入って 行きたいと思います。例えば漢方、これはRAなんかでは、かなり昔から、 そして今でも幅広く使われているようですが、土方先生のところで もらった漢方薬でASの症状がだいぶ良くなったという話はいくつも 聞きます。ところが、リウマチ学会の重鎮で某大学の内科教授なんかは、 最近の文献で、はっきりと「私は漢方で良くなったリウマチ患者なんか 見たことない、そんな訳はない」と。こういうお医者さんも たくさんいます。漢方薬、その他これは良かったぞというのがあれば お話し下さい。まずは、Oさん。漢方で良くなったという感触を。


    Oさん
     私もいろいろな医者にかかり、最初、大阪厚生年金病院でASだと 言われたんですけど、それからブタゾリジン®とか ボルタレン®を飲みましたが、あんまり痛みが止まらない ので漢方にしまして、保険薬の漢方を頂いたんです。最初は良く効いた んです。でも、その後、ちょっと効き目が薄れたんでやめてしまった んです。そしたら痛みが激しくなり、全然動けなくなって、それから 漢方薬局で煎じる漢方薬を飲みまして、10年ほど経ちます。今は、痛みが 無くて整形の先生にかかっておりません。薬と無縁になりました。


    井上事務局長
     そうなりますと、その漢方薬の名前はなんだ?と聞かれると 思いますが、これが漢方の特徴でもあるのですが、Oさんに効いたから といって、同じ症状であっても他の人には効くとは限らない。実は、 海外の患者さんから直接「日本にいい漢方薬はないか?」と電話が かかってくることがあるんですが、これを説明するのが大変。漢方の 特徴から話さなければならないんですから。下手な英語で。その人の 病状とか体質とか、漢方としての診察の結果、同じ病名、同じような 症状でも全く違う漢方薬が出るのが普通です。この点は、西洋医学と 全く違います。従って、結局は、評判の良い、そしてなんたってその人と 相性の良い、整形外科医でも同じことですが大切なことです、そんな 漢方医を努力してみつけることがまず大切でしょう。どんな漢方の 名医でも、最初から一発で、その人にピタリ合った薬を出すことは むずかしいようです。試行錯誤を繰り返して、その人のその時の病状に 合った漢方薬を探すということが大切ではないかと思います。
     他に漢方で良いというご経験の方はいらっしゃますか?。以前やった アンケートでは、半分以上の方が漢方をやったことがあると回答されて いました。実は私も、若い頃使ったのですが、結局、合わなくて やめました。何かいかがですか?

     では、漢方以外でもいいです。事務局には、いろいろな広告が舞い 込みます。しまいにゃお祈りや宗教みたいなものまで来て、断わるのに 困っちゃうんです。

     例えば、免疫ミルクを飲んだ方がいますね。結婚された方で、 「らくちん」紙上でも、有名な方です。去年お子さんが出来ました。 私の知ってる患者さんの中で唯一、分娩という大イベントを経験された N.K.さんが、その娘さん、そしてご主人と一緒にいらっしゃって ます。Kさん飲みましたよね、どうでした?


    Kさん
     神奈川から来たKです。 「らくちん」にも書いたんですけど、去年、 順天堂浦安病院で井上先生ご協力のもとに出産しました。免疫ミルク ですが、手のひらぐらいの袋に入ってて白い粉ミルク状のもので、それを 水かお湯に溶かし飲みます。一日に二回飲む様に書いてありました。 約1ヵ月分で値段が2万円ぐらい、かなり高いものです。味は牛乳の 薄い感じで、実は私、牛乳が嫌いで飲むのが苦痛で止めちゃったんですが、 牛乳がそんなに苦手じゃなかったら飲みにくいものではないですね。 3か月ほど飲みましたが、はっきりと顕著な効果は感じませんでした。 今日飲んで、明日すぐ効くというものじゃないんですね。永く何ヶ月も 何年も飲んで初めて効果が出てくるものなんで、害があるとは思わない んですが、私は値段が安くないということと味が牛乳に近くて好きじゃない ということで止めてしまいました。試してみるのは悪くはないけど、 是非飲んだ方が良いとは言えないです。


    井上事務局長
     免疫ミルクはアメリカではけっこう有名です。読売新聞なんかでも 紹介されました。リウマチに良いそうです。医者として、患者さんから、 いろいろなものを「これはどうか?」と聞かれるんですが、怪しげなもの ではなかったら、実はこの判断もむずかしいんですが、とりあえずやって みたら……と言っています。

     次に、光線療法。これをやって非常に良いと言う方いらっしゃい ませんか?。Iさんの奥様、ちょっとやってらっしゃいましたよね。 どうでしたか?


    I氏婦人
     私がリウマチになったのは44年も前だったので、プレドニンが 出たばっかりで、ものすごく高くて一錠千円ぐらいでした。家の経済では 一月3万円は出せず、それで、痛いまんま泣く泣く富山の漢方のケロリン を飲んでたりしていたら、小学校の校長先生が何かをしていたら気が休む だろうと、黒田先生の「光線療法」、ご自分が持ってらっしゃったのを 下さったんです。私ももうやることがないからやってたんですけど、 その黒田先生が私におっしゃるには、これをやっていればリウマチの変形は 来ないとおっしゃったんです。でも、その頃すごく悪かったから、この ジイサン何言ってんだろうと信じていなかったんですけど、やることが ないから、そして歩けないので外に出られないし、だから「光線」って 家の中で出来るもんですからやってたんです。握力が無くて、高くしたり 低くしたりが出来なくて、その頃、母がいましたのでそれを全部やって もらってたら、2年ぐらいやって、膝だけ進みましたが、あとは 治まりました。それから検査値はいまだに同じです。良いです。今、 本当に困ってるのは膝だけで、肘は固まってますけどあとは平常に 動いています。


    井上事務局長
     ありがとうございました。光線療法がピッタリ合ったケースですね。


    I也氏婦人
     悪くなると引きずり出して今だにやってます。家の主人もASの他に 腎臓で死にかかった思いを二度もしていて、今も腎不全なんで奨めたんですが 全然やらないんです。どう言う訳でしょうね、信じてないんでしょうか。 私には奨めるんですよね、どう言う訳か。私がちょっと不思議な形の リウマチになっているのはこれのせいじゃないかなーって。


    井上事務局長
     実はIさんはうちの大学で、最近人工膝関節を入れました。 初め、レントゲンをみたとき、これリウマチかいなっていうような 変った形なんですよね。光線療法のせいかなとも思うし、そういう 民間療法、最近では英語を直訳して代替療法って言うんですが、 とにかくそれが合えばいいんじゃないか、良いと信じれば良いんじゃ ないか……という感じがします。漢方、その他いろいろな治療法は 2、3回やってですね、少しでも良い兆し、効くわ、楽になるわと いう感触があるなら、しばらく続けていいと思います。2、3回やって 同じとか悪くなるのなら、たとえ「そんなに直ぐには良くならない。 2年続ければきっと治る」なんて言われても、そういうのは、あまり 期待できないんじゃないかなと思います。でも、漢方薬に限っては、 少し長い目でみないといけないかなという感じはしています。それから Nさん、カーボン療法、どうでした?


    N議長
     1年ぐらいやりましたが、症状の改善はあんまりみられなかった ように思うんですが。


    田中会長
     可視光線燈ですね、我が家にもあります。医療用が。5本の カーボンをいろんなタイプのものを合わせて発光させるんですが、 これ良いですよ。間違いなく良いです。例えば捻挫なんかしますね、 本には10分以上かけたらだめだと書いてあるんですが、痛みが治まる までずーっとかけ続けるんですよ。そしたらあくる日、歩いてます からね、そのぐらい効きます。ただ根気がいりますね、あれは。 私も根気がいるんで止めましたが。冬寒いでしょ、肌に直にやらな いかんから。


    I氏婦人
     私の場合、炎症はあれで治まっていると思うんですが。


    田中会長
     一人、脊髄損傷の方がおられまして、毎日40分間、ずーとかけてる 方がおられました。そういう根気はなかなか無いですね。


    井上事務局長
     今日、光線療法が良いとか悪いとかはっきり決める場では無いので。 でも、やってらっしゃる方多いですね。

     国際会議に出て、外国の患者さんと話しますと、最近は、西洋医学の薬 から離れる傾向があるように感じます。「何が一番良いと思う?」と聞く と、だいたいが、「とにかく運動・体操だ」と言いますね。体を動かすって いう事。積極的に社会に出て働けっていう事。無理して死んじゃうっていう 事は無い病気なんだから、とんでもなく痛かったり熱が出ている場合別 ですが、痛くても無理しても動くと良くなっちゃうのがASなんですから。 これは実感している方も多いと思います。それをやったら痛みが和らぐと いうなら、身体に悪い事をしている訳がないんですから。どんどん動く。 でも、日本人はなかなか体操しない。そういう環境にない。慢性疾患と 付き合うには田中会長がおっしゃったように“根気”しかないのかも 知れません。その他に、何か薬でもなんでもお話ししたい方は?。 あるいは、こういう心構えでとか、遠慮無く言って頂けませんか?。

     最長老のNさん、最近、 病状回復のための素晴しい手段を見つけられたそうですので、 そのお話を是非。



    S.N.さん
     Nでございます。皆様のお話を伺ってて、私は非常に怠け者だって 事が判りました。薬って本当に使ったことが無いんです。考えると全部 精神力で、それもなんて言うかしら、私は幸せに産まれて、ずーっと 幸せに来ているから。今は主人を亡くして気楽にしていますので、 どこ飛び歩いて、何をして、普通に考えれば車に衝突されて迷惑かけたり とか、そういうひどい迷惑かけたりすることがあるでしょうに、神様が 私にこういう病気、しかも軽い病気を授けて下さったことに幸せを 感じております。

     最初にこの病気を発見していただいたのが今から20何年前ですけど、 これは、1994年に発刊の「らくちん」4号に書かせていただいたと 思うんですが、その時に、病気で死ぬ事はないが治療法は何も無いと 言われて、それで治療法が無いなら何やってもいいのかなと思って、 活発に動けましたので、これはいいと言われれば温泉に行ったりした こともございますし、日本に少ないと言われたのでヨーロッパにまで 行って大学病院の先生にお会いしていろいろ伺ったこともございました。 とにかく生来が怠け者で、なんでも“精神”でかたずけちゃう人間 なんですね。だから、薬は本当に試したことはございません。運動と いうのも、一軒の家に一人きりでいますと手を動かしたりいろいろ 何かしなきゃなんないので、自然に体を動かしております。ただ、 どうしても自分で出来ないっていうのが靴下が履けないとか、足の爪が 切れない、下に落ちたものは器具がなきゃ拾えない、そういう事は自分で 考えてやってはおりますけども……。あとは薬も飲まず何もせずという 怠け者でございます。

     さきほど、井上事務局長がおっしゃって下さったんですが、今、 CD が流れていますが、私、奨められまして音楽を聞くようになりました。 そうしましたら、多少身体が柔らかくなって、今まで出来なかった事が 出来るようになったんです。一日じゅう一人でございますから、朝から 晩までCDを次から次へと流しっぱなしで、人が見えてもちょっと トーンを下げて聞いているというようなことでやっております。 とにかく私には、それがいいようでございます。たいしたものじゃ無い んですけども、ベートーベンのお陰かな、モーツァルトのお陰かなと 思っております。もしも音楽がお好きだったら、そういうのをやって 気分良く音楽を聞いてらしたら、何か、薬ほどには聞かないでしょう けども、病気には良いのではないかと思います。非常に痛かった時に、 ロキソニン®という薬を飲んだ以外は、薬を飲んだ事は ございません。

     役に立つことは申し上げられませんが、ただ私は非常に神経質なん ですね、それでなんか嫌なことがあると、夜、寝られないんです。 それで1〜2時間うだうだしていますけど、翌朝起きると前の日の事を 全部忘れちゃってるというようなのんきな性格でもあるんです。 そういう事で、会長とお話しさせていただいたら、「あなたは“らくちん” を身を持って実行してらっしゃるんですね……」と言われました。 本当にそうなのかも知れません。それともう一つ、幸せに産まれて幸せに 育ってずーっと幸せですので、死ぬときまで幸せだろうと固く思ってます。 変った人間だと思って下さいませ。どうも有難うございました。


    井上事務局長
     自分が幸せに思うのが一番幸せだっていうのを本で読んだ事が あります。それとのんびり音楽を聞くこともいいんでしょうね。 モーツァルトを聞くと痛みが和らぐという文献もあります。そうかも 知れません。それから前向きに生きる。もう、いやまだ84才。今なお ご自分で運転してらっしゃる。私はさすがに、アブナイからもう止め なさいって言ってるんですけど、その前向きな姿勢が絶対大事。特に ASは根治療法がない訳ですから、動くこと。僕の場合、痛みを和らげる 一番の手段は、とにかくがむしゃらに仕事すること。たまに暇で家で グダグダしていると、痛みも最悪だし、精神的にも落ち込むんです。 これだけは言っておきたい。多少無理しても痛くても死ぬ訳じゃ無い んだから「動けっ、行けっ」と。これが基本、この病気に限ってのこと ですが、AS患者として胆に命じていていただきたいことだと思います。 でも、なかなか皆さん運動して下さらない。今回の改訂版の 「手引き書」3つ体操 を載せたんですが、あんまりんまり几帳面でなくていいです から、とにかく日課みたいに気楽に、そして続けてやって下さい。 中には、自分流の運動を創作してちゃんとやってる方がいらっしゃいます。 その方は非常にお元気です。そんなR.K.さんがいらっしゃってます から、ちょっとお話を。


    R.K.さん
     初めて参加させて頂いたKでございます。小さい時から鉄棒の 逆上がりが出来なくて、多分腹筋が弱かったんだろうと思うんですけど、 30過ぎになってギックリ腰だと思ってた腰痛と言うのが、今から8年 ほど前にその正体がわかったんです。この前の 「らくちん」に書きましたように、タイに赴任していました頃、 ある時、あまり腰が痛いんでバンコクのジェネラルホスピタルで、 タイ人の先生に相談に行きました。 東京の大学を出られた日本語ペラペラの先生で、レントゲン撮って頂いて、 向こうから出てきた言葉が、最初は「ごうちょくせいせきついえん」だと。 「先生、どんな字書くんですか?」と言ったらば、いわゆる 「きょうちょくせい…」の字が出てきました。「これはどうして『ごう』 と読むんですか?」と聞いたら、あなた、「強力」の強ってこの字を書く でしょうって、そのぐらい日本語の達者な先生とのやり取りしまして……。

     とにかく治療する薬がタイには無いから日本へ出張で帰ったときに インドメタシン®でも塗ったらどうだ、座薬を使ったら どうか……と言う事で。実を言うとそれ以外使った事が無いんです。 92年に帰りまして順天堂の山内先生のところに紹介状を頂いて行きまして、 この時山内先生から発せられた言葉が、「おう珍しい患者さんが来たから 学生を全部集めいっ」と。私はびっくりしましてね、そんなに珍しい病気 なのかといろいろ伺ったら、ASだと。それで、こちらの専門の井上先生 とは、それ以来のお付き合いでございまして。

     63才になりますけど、井上先生はご自分でおっしゃっておられました ように大変いいかげんな先生ですから、私も年3回ぐらいしかお邪魔 していないいいかげんな患者でございまして、家内にも聞かしておいた 方がいいと思い、いつも一緒しているんですが連れて参りました。 あまり具体的な話じゃなく、「せいぜい運動をしろ」ということで。 今年の春、仕事を全部やめましたが、3年ほど前から定期で買える 一番遠い駅から定期を買って、最後の勤めは東京の御徒町ってとこ なんですが、そこから順天堂のそばのお茶の水まで歩くとかですね、 さらにその先の後楽園の水道橋まで歩くとかというふうなことを勤務の 行き帰りにするとか、仕事を止めましても一週間に三日ぐらいは4〜5 キロ歩くように心がけております。

     幸いなことに、先生のご診断も「あなたも軽度だからやりたいことは なんでもやってもいいよ」というお話でしたんで、昔からやっております ゴルフを月に3〜4回はやるとか、好きな芝居を見に行くとか、あるいは 私はモーツァルトとかベートーベンじゃ無くジャズなんですが、ライブへ 行くとかで人生比較的楽しませて頂いているのが、今のASとの お付き合いの仕方ではないかと思ってます。

     先生から伺いますと、私のは遺伝性で、母親の方からっていう事で、 私の男の兄弟、男の従兄弟はほとんどASの症状が出ておりますが、 だいたい80才近くになっておりますけども、お陰で元気でやっております し、その遺伝を発信しました母親も98才で元気でおりますので、 後20〜30年はこの病気と仲良く付き合いながら楽しい人生を送らせて 頂きたいなと思っております。「皆さんの友の会で何かお役に立つことは ありませんか?」と井上先生にご相談しましたら、原稿が足らないから 原稿を書いてくれということで、 「らくちん」第11号に拙文を出させて頂きました。その他に、 私は今、小児ガンの子供とその家族を支援する会、NPOに認可された 組織がありますが、ここの方の手伝いをやったりして、日本橋小伝馬町の 事務所にも週に一回づつは出るようにしております。折りがありますれば その方のご支援もお願いしたいところでございますが……。えぇ大変、 いいかげんな先生に付いているいいかげんな患者という事でお話を させて頂きました。どうも失礼いたしました。


    井上事務局長
     いいかげんな医者と言われちゃいましたが、まっいいかげん同志、 相性が合ってるってことです。医者と患者の“相性”、これ一番大切。 他にご意見ないでしょうか?

     気楽に。N議長はどうですか? 積極的に病気と共存しているように お見受けしますが。


    N議長
     いろいろあるんですが、今までの経緯が。とりあえずちゃんと 前向きに考えて、考えてしもうたあとはね、あとはいいかげんでもいいん じゃないかと。すべてのことに対してきっちりとやることはないんじゃない かと。どうせ100%成し遂げられるってことなんかまず無いし……。 だからまぁ努力することは良いことなんですけども、すべて生活のことに しても仕事のことにしても。

     元々、大学受験のときにこの病気になってますので、それからスタート しましたんでね。1〜2年はそれで棒に振ったりしたことから始まった んです。商船大学って神戸にあるんですけど、そこを希望だったんで、 船乗りになりたいなと。家は建築と不動産をやっていたんで、それと僕、 三男なんで、なにしてもええような、親も大学のことは口にしませんでした ので自由に大学選んでやってたんです。ところがこの病気になったんで、 一応は受験しましたが、商船大学というとこは勉強の方で受かっても、 まだ体力検査があるんですよね。で、高校3年からこの病気やったもんで、 半年ぐらい学校休んでましたので、先生と相談し、サッカーを6年やって いたもんで、本当は落第やったんですが、後輩と一緒に勉強するのはかっこ つかんということで無理やり卒業させて頂いたんです。一応、商船大学を 受けたんですけど二次試験でいろいろ突っ込まれました。「なんでこんな 長期間休んでたんや?」と。その時は一応、骨折ということにしてたんです けど、そしたら「レントゲン持って来い」とか言われて。で、骨折してない ということになって。初めリウマチ熱の疑いという診断やったもんで、 そのことがばれちゃったりして。その大学は結局行けなかったんです。

     兄が法学部やったもんで法学部へ進もうと、どこの大学でも良かったんで、 結局、法学部に行ったんです。お酒は全然飲めない下戸だったもんで、 その時商船大学に入って、全寮制なので寮に入った人のうち歓迎会で 急性アルコール中毒で4人ぐらい亡くなっているんです。僕、ビール半分 ぐらいで顔が赤くなってましたから、その年に入ってたら、僕、まず 死んでたと思うんです。そういうふうなことをあとから考えてみたら、 むしろラッキーやったかなと思ったりすることも多々あるんですけど。 それから、ちょっと絵を描くのが好きやったもんで、第二志望は美術系の 学校へ行きたかったんです。職業的に金にならんと親は思ってたやろうし、 家は不動産もやってたんで、在学中に、すぐに宅地建物取り引き主任という 国家試験があり、これは法学部を出た者なら80%ぐらい受かるような試験 やったもんで、そういう家の事情もあって、そっちの方に進んだ訳です。

     考えるとね、あんまり自分の思ってる事と生きて来ていることが 合致しないんですよね。方向的に。働き出したときは建築のほうが好き やったんです。不動産より。免許は不動産の資格持ってたんやけど、 設計図書いたり現場に出て実際に家を建てたりするのが面白くて、 ずっとそれはやってきたんですが、兄が亡くなりまして、兄が不動産を やってたんで出来ない状態になったんで、また、結局、建築と不動産 やるようになったんです。今、人生振り返ってみて、ほんまに商船大学 出て船乗りになろうと思ってたのに家に帰ってくることになったし、 建築の方が好きやったんやけども不動産も結局やらないかんようになった。 それから考えると成るようにしか成らんのかなと。この病気にしたって、 井上事務局長と違って、僕は一度も「なんで俺だけが」って思うた事 無いんですよ。そういう悔しさがあんまり無い人間なんですよ。走りに 負けてもそれほど悔しく無いですよ。ただ自分がやろうと思って 出来なかった事は悔しい時ありましたけども。だから腹も立てる事が 少ないですよね。だからそういった生活している方がこの病気は良いんかな というのが最近ようやく判ってきました。

     それと、あとはね、皆さんもしたい事はあると思うんですけど、僕、 浪人中の時やったんですけど、その時友達と北海道に行こうという計画に なり、一ヵ月ほとんど野宿でした。でも、その若い時にしか出来ない体験。 身体は痛かったんですけど薬飲みながら回ってきたという体験もしました。 北海道一周してね、5千キロぐらい車で走りましたかね。で、毎日ラーメン ライスやった。今ではとてもやないけど出来ません。今は冬、子供と スキーをしに行ってます。あんまり無茶は出来ないんですけど、リフトに 乗って上から降りてくるぐらいはなんとか出来てます。骨折する恐れは あるんですが。一昨年はうまい友達にレクチャー受けてて膝をひねっ ちゃって、治るのに一年ぐらいかかったりね。あとエグサスってスポーツ クラブありますよね。あそこへ週に一日ぐらい体動かしに行ってます。 というのは、最近、現場の仕事が少なくなってきて体を動かす機会が 無いんですよね。固まらん程度にラケットボール、結構ハードなんですが そんなんやったり、筋力付けたり、水泳もたまにやってます。水泳は OさんとFさんが行っておられますが、その効果は?。 ちょっと聞いて下さい。


    井上事務局長
     Nさんの話を聞くと、やっぱりいいかげんが一番良いという結論に なっちゃいますね。ところで、患者さんに一番勧めるのは水泳ですね。 水泳は僕はあんまりやってないんですけど、Fさん、水泳の効用を少し 話して下さい。


    Fさん
     25メートルプールを歩いて10往復以上してます。町中を歩くのが 苦じゃなくなってきました。今年の夏から週一回行ってますけども、 体が軽いような感じになってきました。平泳ぎ、クロールなどが出来ない 体型になってしまったんで、ラッコみたいに上向きで肩も痛みがあります ので手をスクリュー状に動かし足はバタ足で泳いでいます。


    井上事務局長
     そうですね我々に一番合ってるのは背泳ぎですね。平泳ぎはまず 息つけなくて死んじゃうし、クロールも足が下がっちゃうしですね。 とにかく、ASには水泳が一番いいんじゃないかと思ってます。 水中を歩くだけでも十分です。水圧で抵抗運動になるし、浮力もあって 楽だし、水が少し温かいと温熱療法にもなるし、その上、心肺機能にも いいし。週に一回でいいですから、皆さんも是非、これを機会に初めて みてはいかがでしょうか。

     話は戻りますが、いいかげんって言えば田中会長もですね、最初お会い した時は、非常に几帳面な方だという印象だったんですが、付き合って みると、またこれがけっこういいかげんなところがあって、それで僕も 助かってるんです。でも、僕が見たASの患者さんの中で一番重症 なんですが、やっぱり、このいいかげんさが、これだけ元気にあちこち 飛び回ってらっしゃる秘訣じゃないかと。田中会長にも、この病気との 関わり方、うまく付き合う秘訣をお話しして頂きたいと思います。


    田中会長
     秘訣と言われてもあまり無いですね。さっき、事務局長が 「しょうがねーや」っていうふうに過ごしてきたと言ってましたが、 関西の人間ですから「しゃーないや」ですね。家内にもよく言われます、 なんでもかんでも「しゃーない」で済まして行くって良く言われます。 「しゃーない」っていう言葉は便利ですね。これしか「しゃーない」 ですよ。いや本当に。秘訣と言われてもそれしか無いんです。だけど 薬も随分飲みます。慎重に飲んでいた時期は過ぎました。痛みに耐える とかそういう事も止めました。ですから薬はバカバカ飲みます。さっきも 根気が無いと言いましたが、とにかく早く効いて欲しいということが 先に立ちますから速攻性のある薬はなんでも飲みます。一錠で効かない ときはすぐに二錠目を飲みます。そのぐらい飲みます。
     ただそれだけではだめなんですね。非常に慎重な部分もありまして、 それに伴う副作用に関して頭の中は一杯なんですよ。ですから副作用を 抑える方法もきっちりやります。それがある種の漢方薬であったり、 他のお医者さんから出して貰ってる胃の粘膜保護剤やったりいろいろ するんですけれども、そういう飲み方をします。だからこれは真似して もらってはだめです。
     私の生き方は、ある時期からはもうずうっと何年も前かにですね、 大阪府立成人病センターの小松原先生に、田中の言うことは参考にならない からというふうに患者さんひとりひとりに言い渡しておられるぐらい 参考にならないです。滅茶苦茶な生き方です。滅茶苦茶がまた良い んですね。これがASの不思議なところで。どうなんでしょう、皆さん そういうご経験お持ちやないんかなと思うんですが、なりふり構わず 突っ走るっていう、そういう時に、ふと薬を飲まないで済んでるって 日があるんですよ。夕べも実はものすごく痛みました。私はASだけや なく難治性下腿潰瘍っていう難儀な病気を膝から下に全周で持ってます から、それの痛みっていうのも激しいです。どこまでASで、どこから そっちの方の痛みなのか判断のつかないところがあります。最近足首が ぐうっと痛みました。足の指も炎症を起してしまって、それに足の甲も、 裏も、かかとも腫れ上がっています。そういう状況ですが、それも ひょっとしたら難治性下腿潰瘍の影響かなと思える節もあります。
     ですからどこまでがASでって事が言えないんですけれども、生き方と いうか関わり方という事であれば、そういうなりふり構わぬ生活って 事ですかね。今日も皆さんおとなしくして頂いていてますが、家で 長い時間じっとしているって事無いと思うんです。私もそうなんです。 こういう格好でじっと過ごしているって、まぁ無いんですね。スポーツは、 元々ハンドボールの選手で、それにどっぷり浸かったままこういうふうに なりましたから、障害を持つ身になってもスポーツは捨て切れなくて 卓球の方に関わってきました。昭和45年ぐらいからずっと卓球、卓球で きてましたんで、肩がうずいてラケットにボールが当たっただけでもう 激しい痛みでボールを前に飛ばせないって時でもやってました。メマイが していつ倒れるか判らんという時も傍から支えて貰って、あぶないから 前後を固定してでもやってました。
     そのお陰か何か判りませんが、肩が強直するって事がないんですね。 肘の強直もないです。こういうふうにやはり使っていくという事も大切 なんでしょうね。練習のときは、前後にストレッチをしますから、 なにも身体の曲がらない人にストレッチ体操は出来ないって思わなくて、 動ける範囲でやっていけばいいですし、ベッドから起き上がる時に柵を 持ちましてぐうっと身体をいろいろ動かすんですよ。時々ブチブチって 言ったりしますね。それでスーッとしたりして。Nさんもさっき おっしゃった精神力ってのも確かにございます。精神力、それもね、 自分の調子とか体験とかをお話し申し上げるのは本当はいやなんです。 というのは平生自分自信をごまかして生きているんですよ。ごまかすって いうのは悪い意味じゃなくて、薬でも何でも痛みをぼやかして、生活 そのもの何もかも何かASの痛みとかそういうものから離れた感じで 過ごして来ているもんですから、詳しくお話しをしようと思えば自分の 悪い箇所を全部思い出すんですよね。思い出してくると自分で驚いて しまうんです。こんな悪いとこあったんかとか痛みがあったんかとか。 そうなると急に体が痛み出したりするもんですから、そういう意味で 思い出したくないんですけれども。


     夢の話、これ面白いと思います。5年ぐらい前まではまだ夢の中で 走ってました。3年ぐらい前から松葉杖をつくようになった。夢の中で。 ここ2年間は車椅子なんですよ。いよいよドップリと精神的にもその様に なってしまったんかという弱さを感じているんですが、つい数年前、 精神力だけではだめだなっていう時期を迎えました。体力がガタッと 落ちて、データを井上事務局長に送りましたら、これじゃ、今手術って 言われても出来ないよって言われた頃なんですが、完全にもう、なんて 言いますか、体力が落ちると気力も落ちますね。我慢する力も何も残って ないっていう、ああいう体験をするとは思ってなかったんですが、だから あまりにも精神力、精神力っていうふうにみんなを引っぱっていこうと すると、これはあぶないっていうふうな、非常にありがたい体験をさせて 頂きました。それをどうして切り抜けたかと言いますと、1年半、点滴を し続けたんです。それでね、みるみる体力が回復しました。回復してくる とまた気力がね、出てくるんですね。これは不思議な体験でしたね。 だからその兼ね合いってところが非常に難しいんやないかなっていうふうに 思っておりました。


     ASとどういうふうに折り合っているかというタイトルで考えれば、 私はあんまりASの事を考えないようにしていると。それと「いいかげん」 ていうより「しゃーない」、ここまでやってそれ以上はしかたがない。 それと夢中になる事を作る事、これはね、大事ですね。病気も何もかも 忘れてそれに夢中になって取り組むって事。これに尽きるんじゃないかな と私は思っております。


    井上事務局長
     有り難うございました。今日はご夫婦で来ていただいた方も多い んですが、家族の中でAS患者が出たとしたら大変だと思います。 それをどうやって乗り切ったか、あっ、そうやって構えちゃいけないん ですよね。もっと気楽でいいんですが、そういう話がもし出ればと思う んですけど。僕も結婚20周年迎えました。まだそこそこ繋がってますが、 偉そうには言えないんですけど、僕は結婚してすぐ発病しましたから、 そういう意味じゃ女房に苦労かけたなと思っています。照れくさくて、 こんなところでしか言えませんけど。家族との付き合い、最初は仕方が ないですよね。手と手を取って泣きあうとか、でもそういうウェットな 状況はASにはあまり合わないと思うんですよね。甘やかしてもいけない 病気なんですこれは。患者さんには厳しい言い方だけど。適当に尻を 叩いた方がいい。実際、病状にもいいですね。これが一番大事な事じゃ ないかと思ってます。

     もう一つ、患者として大事な事は、八当たりしないこと。辛いけど 家族には八当たりしない。家族だって辛いんでしょうからね。僕なんか 女房が風邪ひいて寝込んでしまうと、どういう訳かむかつくんですよ。 僕は人間が出来てないから、「しっかりしろっ」なんて。これいけません よね。俺の方が痛いんだとか辛いんだとか言っちゃいけないっていう事を 胆に命じています。大事な事です。家庭の中で痛い痛いって言ってる人が いると、家族みんなすごく気が重い。家族のQOLも忘れてはいけない ってことが僕のAS患者としてのモットーの一つです。


     今度は、患者さん本人じゃなく、パートナーの方に聞こうかと思うん ですが。Mさんのご主人。時々、「父ちゃんキレル」そうですが、 M夫妻は、田中会長夫妻とは違った意味で理想の夫婦ではないかと 感じてるんですけど。ご主人いかがでしょうか?


    T.M.さん
     Mです。初めての方もたくさんいてはるみたいですが。 井上事務局長のお話を聞いてて、僕は根が冷たい人間なんで……。 奥さんのSさんの場合、両足の人工股関節の手術を8年前にしたんですが、 最初は車椅子に座るために手術をしたんですが、曲がり方が良かったって いうか、普通の椅子には座れないんですけど少し補助具を使えば少し 高めの椅子になんとか座れる。立って動く事に関しては、長い距離は 歩けないですけど家の中ならば伝い歩きしながらでも歩けるということで、 家事を自分でリハビリだと思って頑張ってはります。

     「らくちん」に一回書いた事があるんですけど、この人は手術を受けて からの方が世界が広がったと思うんです。作業所も、今から5年前に 作ったし、協力しあって作ったんですが、そこに行ったりしてますし、 今年の春からは作業所が二つになったんで、その一つの作業所に週3回 ぐらい、お昼から行ったりしてます。もう一つの方には一回行ってます んで、週4回ぐらい出かけて行きますし、日曜日は教会の方へ、私、 教師をしているもんですから、一緒に出かけ、朝の9時頃から中、高生 あるいは小学生と一緒にワイワイ楽しんだりとか。今年も一緒に ハンセン病の介護のキャンプに中、高生と行って来ましたけれど。 世界が逆に広がっちゃって、いろんなところに出没するもんですから、 いろんなところに自分の座る椅子とか置いて少しでも行動の自由が広がる ようなかたちで動いてはります。

     僕でなければ出来ないって事はせいぜい足の爪を切るぐらいのもんで。 足のマッサージは最近友達がやってくれているみたいで、僕は今やって ません。今、僕自身も障害者と関わってるんですが、来年から介護保険が 施行されますが、介護福祉士とかホームヘルパーの場合でもADL (日常生活動作)の確保っていうのがよく言われます。要するに、 日常生活動作の確保なんですが、高齢者、障害者の場合、どうしても 依存による自立という形で、例えば着替えるのに3時間かかるのを人に 手伝って貰えれば20分で済む。残りの2時間40分を自分の好きなように 使えば良いじゃないかっていうような“依存による自立”っていうのは “人の尊厳”とは何の関わりもないというふうな考え方があるんですが、 それも非常に大事な事だと思います。

     でも,その単に動く事が、筋肉だけじゃなく内臓とか代謝機能の 働きにも関わりますし、逆に手伝ってしまってADLの確保を奪って しまうってこともありますし、ボランティア、本当の意味でのヘルパー、 介護人っていうのはそういうところにあると思うんです。冷たい様に 見えてもお互いが納得した上で、本人にとって長い目で見たとき一番 良い方法っていうのを一緒に考えて行くっていうのが、最近、家族と して一番大事じゃないんかなと思ってます。


    井上事務局長
     有り難うございます。どうですか、それを受けて奥様の方は?


    M女性部長
     今日も喧嘩しながら来たんですが……。体調が良く、気分が乗った 時に仕事をとても頑張れる時があります。皆さんの話を伺っていると、 皆そうなんだと思いました。夫は私のためを思ってブレーキをかけて くれようとするのですが、今しかないという時には私の思う様にやらせて 欲しいと思います。


    井上事務局長
     このご夫婦見ていると、うまく夫婦関係を作ろうとか幸せになろう とか病気を打ち負かそうとかいう気張りが無いですよね。気張りが無いって いうのがこれまたいいですよね。今までのキャラクターを変えようと すると、だいたいは病気になるそうですから。自分の性格は変らないし、 成るがままに行く。自然に、結果的に変るのはいいんでしょうが、 無理やり変える必要はない。あんまり努力して変えていく必要はないん じゃないかなと、このご夫婦を見て感じます。しょっちゅう喧嘩している 方が長持ちするのかなっていう感じもします。

     Oさんの奥様。OさんはAS診に来られている方なんですけども、 田中会長とそっくりな状態なんで、最初ビックリしたんです。最初、 Oさんが来た時、「こりゃまあ頑固オヤジが来たなぁ」と思ったもんです。 その頑固オヤジを取り扱ってらっしゃるのが、奥様です。ご本人でも 良いです。何かお話があれば。この場を借りて、奥様への感謝の言葉でも けっこうです。


    M.O.さん
     大変深く感謝しております。


    井上事務局長
     それ、大事ですね。


    M.O.さん
     東京から来ましOと申します。よろしくお願いします。今日、 皆様にお会いした事をとても嬉しく思っております。なぜならばいつも 「らくちん」紙上でお会いしているからであります。今日、ふと見て 感じたことは、ASというのは、最初見ても女性部長さんをすぐ認識 できました。それは顔を存じ上げている訳じゃなくて、体型を拝見 しまして、あぁこの方だなぁと。いいとこもある訳ですね。私は いつも「らくちん」紙上で皆様が病気としっかり対峙していらっしゃる ことに心から敬服しております。私は幸いなことに東京に住んで おりますので、井上先生のご拝診を賜わっております。これがとても 精神衛生上に良くて、お顔を見るだけで2割ぐらいの痛みは軽減して おります。約一ヵ月のペースでお顔を拝見させて貰っております。 特にお話することは無いんですが、ただ先生のおっしゃるとおり、 いろいろの方に感謝をして、これから生活をして参りたいと思います。 有り難うございます。


    井上事務局長
     有り難うございます。最後に何かおっしゃりたい方が いらっしゃれば?

     Yさんの奥さんは?。Yさんは若いんで、これからの方なんだけども、 最近かなり病状が悪化して一時大変なようだったですけども、今日、 ビックリしたんです。こんなにお元気そうで。まぁ奥さんと一緒に なんとか乗り超えられて、仕事にもカムバックされたそうですね。 若者代表としてどうぞ。


    M.Y.さん
     大阪から来ましたYです。職業は郵便屋です。って言いましても、 今年なったばっかりなんですけど。私の病気、ASとの関わりあいは、 今年の7月の頭ぐらいに始まりまして、東大阪市の市民病院ってところに 入院しました。そこで整形外科に入院したんですけども、終始判らん 判らんって事で、抗生物質とかいろいろいかれたんですけど最後まで 判ること無く、結局無駄な時間を長い事過ごしてしまいました。
     身内がインターネットでAS友の会っていうのを探してきまして、 そこで知った堺の辻本先生の治療を受けまして、それから小松原先生や 土方先生のお陰で、今この状態になっております。そしてその間に、 職場の先輩方に、まだ就職したばっかりなんで、あんまり長いこと 調子乗って休んでおったらクビにするぞ、みたいな事を言われまして、 夫婦でずうっと涙に暮れてました。そういう時にAS友の会を知り、 田中会長初め井上事務局長に相談に乗って貰って、なんとか病気と 対峙する事が出来ました。心からこの場を借りてお礼を言いたいと 思います。有り難うごさいました。これからも皆さんよろしくお願い します。有り難うございました。


    井上事務局長
     頑張ってください。残念ですけど、もう時間がありません。 懇親会まで、一時間待ち時間があります。是非、残って頂きたいと 思います。円卓形式ですからどんどん自由に場所を変えて、とにかく 繰り替えしますが、滅多に会えない仲間ですから、いろんな方と いろんなお話をして頂きたい。また個別に医療相談があれば私の ところにでもけっこうです。
     では、懇談会を終わります。


    戻る

    トップページへ戻る