展覧会の紹介
第一回 サッポロ未来展 北海道新世代作家達の現在 |
2002年3月4日(月)〜9日(土) 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3) |
1月28日の項にも書きましたが、この展覧会は、東京で毎春、道内出身の美大生らが中心となって開いている「011展」のメンバーに、40歳以下の道内在住作家を加えて、今回初めて開かれるものです。
計42人出品のうち、首都圏が23人(なぜか相模原市がやたら多い)。愛知が1人。道内は、苫小牧、旭川、中標津などが各1人。13人が札幌とその周辺であります。
したがって、札幌ではあまり名前を知られていない若い世代が、多数を占めています。
このような大規模な展覧会を開くのは、大変だったと思われます。まずは、関係者の労苦をねぎらいたいと思います(パンフレットの広告もかなりのものです。
会場を見渡すと、絵画が大半です。そして、この事実が、美術展の性格を難しくしているように思われます。
というのは、どうしても作品サイズにばらつきが出てしまうのです。道内在住者が大きなタブローを搬入しているのに対し、首都圏の作家たちはいかんせん小品が中心になってしまいます。これは、輸送費がからんでくるので、容易には解決するまいと思います。
それよりも、筆者の感想として書いておきたいのは、絵画が大半でありながら、なぜいま絵画なのかという問題意識がほとんど感じられない作品ばかりのように思えたということです。これは、印象批評ですらない、感想にすぎませんから、あるいは作家に失礼かもしれません。
筆者は、現代においてすべての絵かきが、絵画という前提を疑わなくてはならない、などとは考えてはいませんし、いわゆる「現代美術」だからといって賞賛し、旧来の「絵画」だからといっておとしめるというような偏狭な考えは持ち合わせてはおりません。
しかし、絵画という制度をあえて所与のものとするなら、がんばって良い絵を描けばいいだけの話。そうやってがんばっている人は、公募展の中にも外にもたくさんいます。そうでなければ、たとえば、だれでもいいのですが、秋岡美帆や李禹煥や篠原有司男のように、現代でしか成立しえない絵画を求めて模索するか、あるいはタブローから離れていくのが普通なんじゃないかと思うのです。今回の美術展の作品の多くは、21世紀における絵画の困難さを漠然と肌で感じながらも、そこからあまり先に進んでおらず、なんとなく絵画というフィールドにとどまっているという作品なんじゃないか、という気がします。言い方を変えれば、迷いが感じられるのです。技術を追求している絵ではない。かといって、21世紀にふさわしい新しい絵というわけでもありません。
まあ、まだ第1回だし、迷うのは若者の特権です。あまり厳しく言うのも、考えものなのかもしれません。ただ、作家側はともあれ、見る側にとっては、出品された作品がすべてです。道内と首都圏の若手の交流とかの要素は、作品という結果につながってこない限りは、どちらかというとどうでもいいことでしかありません。
規模の大きさも、はたして見る側にメリットになっているでしょうか。たしかに、未知の作家に出会うという意義はあります。その一方で、42人もの作品がひしめいた結果、朝田千佳子(札幌)の染織作品や伊藤生野(士別)の陶によるインスタレーションは、タブローの中に埋もれてしまったという印象が否めません。彫刻の展示場所も、タメがなくて作家に少々気の毒です。竹居田圭子(空知管内南幌町)は、道展の会場でもまけずにコンセプチュアルアート的な作品を発表する人ですから、今回もタブローの重圧をものともせず、ひとり、きわめて「現代美術」色の強いインスタレーションを出品しています。ただし、見た目のインパクトはともかく、13人に辻仁成の文庫本を読ませるというコンセプトは、あまり美術作品っぽくないという気が、正直言ってしないでもありません。
絵画では、先ほども述べたように、迷いがあるというか、自分なりの道を見出していないとおぼしき人が多いように見受けられました。その中で、真っ青に塗られた風景の中で背を向けて横たわる裸の人物を描いた「ホール」の前田宗(中標津)、色の使い方に味のある、女性二人の像「圏」の辻由佳里(神奈川県相模原市)、女性の肖像「2月」の田中怜文(東京都小平市)、黒の塊を効果的に生かした抽象画「無題」「soul」の木村紘子(東京都町田市)、群像と風景に日本的な背景を導入しようと試みた「もう一人の私」など大作3点を出した佐藤弘法(稚内)に可能性を感じました。
版画では、すでに国際展に招待出品を重ねている渡邊慶子(札幌)の安定感ある仕事ぶりが印象に残りました。しっかりと自分の道を歩んでいるという点では、あるいは42人の中でもトップかもしれません。
最後に、加藤宏子(札幌)の「improvisation U」にふれておきましょう。これは、壁と床を使ったインスタレーションです。壁から、石垣の模様がかかれた縦長の紙が床へと続き、床の上には、石がごろごろと転がっています。平面に描かれていた模様がいつの間にか立体の実物へと変わっていくという、なにやらエッシャーの絵を三次元にしたようなユーモアの漂う作品です。しかし、単純な構造の中に、平面とは何か、立体とは何かを、考えさせる作品になっていると思いました。
(2002年3月6日)