展覧会の紹介

追憶 旭川の作家たち 道立旭川美術館
(旭川市常磐公園内)
2001年9月1日(土)〜10月14日(日)


 ようするに、道立旭川美術館の所蔵品展に、旭川市教委などから借りた若干の点数をプラスアルファした展覧会です。
 しかしまあ、単に「所蔵品展」と銘打っても、たぶんお客さんは来ないと思うから、いろいろ手を変え品を変え、展覧会を組織することは、悪くないことだと思います。 

 ただ、そういった制約があるため、旭川ゆかりのすべての物故画家がおさめられているとはいえないようでして、ぱっと思いつくだけでも、かの中原悌二郎の作品はありませんし、旭川高女で学んだ丸木俊も見当たりません。
 また、たとえば上野山清貢(1889-1960)などは、彼の代表作といえるような戦前の作品は、近代美術館にあるため、今回は並んでいません。
 その反面、難波田龍起(1905-97)は、たった5点で彼の全貌を通観できるような、絶妙の選択がなされているといってよいのではないでしょうか。

 ここでは、いくつかの出品者について、筆者に新鮮に感じられたことを記したいと思います。
 これは、裏を返せば、筆者がどのあたりに、とくに不勉強であったのか、恥をさらすようなものですが。

 まず、日本画家の小浜亀角(1899-1985)。
 筆者は初めて見ましたが、東京美術学校卒、院展院友といった肩書きをさしおいても、おもしろい画家だと思いました。
 「海嘯による枯林」は、題名からしてなぞめいた感じがしますが、まっすぐにそそり立つ木々、枝から垂れ下がる緑のサルオガセ? といったモティーフは、どこか人間絶滅後の地球のような、不気味な静けさをたたえているようです。よく見ると、右下につがいのタンチョウが小さく描かれており、これは希望を表しているかのようです。
 また「雪渓」は、題名の通り、雪に半ば覆われた高山を描いたものです。上部5分の1くらいで、スパーンと画面を左右に横切る線、そこから斜めに勢いよく滑り落ちてくる谷。ダイナミックな、思い切った構図が、快感です。
 いずれの作品も、自然はあくまで材料で、シンプルかつダイナミズムのある構図を得ることに、作者の関心は向いているようです。
 これは自戒を込めていうのですが、日本画家の場合、道展に所属せず、札幌住まいでもない場合、どうしても筆者のフィルターからこぼれ落ちてしまいがちです。力量を持った作家は、どこかできちんと歴史に位置付けなくてはならないということを、痛切に感じます。

 佐藤進(1914-92)は、この展覧会で、高橋北修(1898-1978)に次いで2番目に多い10点の水彩が展示されています。
 これは、ほかのだれよりも旭川の町を題材に絵筆を執ったという要因が、大きく反映しているのでしょう。今回の入場券にも使われた「廃屋」は、窓が破れて荒れ果てた旧偕行社が題材です。それが「新緑の頃」では、市の彫刻美術館として蘇った姿が描かれています。このように彼くらい、旭川の町をじっくりみつめてきた画家はいないと言っていいのかもしれません。
 そもそも、函館や小樽の陰に隠れてほとんど知られていませんが、旭川の町並みというのは、かなり美しいものだと筆者は思っています。古い建物も、札幌なんかに比べるとはるかによく残っています。宮下通りや旭町、大町といったあたりは、なかなか散策のしがいがありそうです。
 で、気になったのは「鳥ぐもり」と題されたふたつの作品です。
 片方は、横長の作品で、晩冬らしく、半ば雪に覆われた住宅地の風景。
 もう片方は、縦長で、春先とおぼしき住宅地の風景。
 よく見たら、どうやら同じ場所から見た風景のようです。家の形などが、ぴったり一致するのです。
 明度の差を少なくして、暗い影をつくらない佐藤進独特の画風が、曇り空のやや眠たげな、平凡な風景にぴったりマッチしています。
 ただ、右側の家の三角屋根が、横長の作品では、紫色をしたひし形のトタン屋根なのに、縦長では水色の細長いトタンに変わっています。
 この家はかなり古い木造で、屋根だけを葺き替えるということはなさそうに思えます。風景を写生しただけのように見えて、やはり、絵としての完成度を求めて屋根の色調を変えていたのでしょう。
 さて、彼が選んだのは、ほかの画家なら見向きもしないであろう凡庸な住宅街の一角です。
 しかし、凡庸も、突き詰めて描くと、ある種の典型に転じるのだと思います。
 筆者は、「丘」という作品に強い感銘をおぼえました。
 それは、何の変哲もない、原野と疎林の中間のような一帯を描いたものです。
 北海道を列車で旅したことのある人なら車窓から飽きるほど見たことがあるような、おそろしく平凡な景色です。そこには、とくべつ高い木とか、目立つ花とか、人目をひく山といったものは何ひとつありません。
 にもかかわらず、その景色は、はなはだしい平凡さのゆえに、わたしたち北海道人にとって一種の原風景たりえているのです。

 菅原弘記(1934-98)、村山陽一(1926-61)、山口正城(1903-59)の抽象画については、1997年に同館で開かれた「北海道の抽象美術」展で、たっぷり見たので、ここでは省略します。そういえば「北海道の抽象美術」も、実態はほとんど所蔵品展に近いものでありながら、好企画の展覧会に組織されていたのを思い出します。

 最後に、ぜひ道立旭川美術館にお願いしておきたいことがあります。
 旭川美術館は、道立であり、道北全体をカバーすべき館であることはいうまでもありません。
 機会を見て、旭川以外の道北の作家たちの展覧会を開いてほしいのです。
 物故作家は、筆者もよく知りません。留萌出身の版画家阿部貞夫や、上川北部の美術振興に尽くしたのち横浜在住の全道展会員として活躍した田辺謙輔くらいしか思いつきません。
 ただし、健在の作家も含めると、天塩出身の上野憲男、士別在住の小池暢子らがいます。
 ぜひお願いします。

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