本研究会での医療事故のとらえ方
医療の安全をめぐる諸問題については、背景となる専門性や立場によってさまざまなとらえ方があり、用語の用いられ方や定義の仕方もさまざまです。こうしたさまざまな立場のひとつとして、本研究会で採用している医療事故に関連するいくつかの事柄のとらえ方を紹介します。ここで紹介するのは、主に心理学の立場から事故防止を検討する場合のとらえ方であり、暫定的なものです。今後、新しい研究成果や現場の変化を踏まえつつ、検討していきたいと思います。みなさんからもご意見や情報の提供をいただき、いっしょに議論していけたら幸いです。
研究会幹事 山内桂子
(東京海上メディカルサービス(株)メディカルリスクマネジメント室 上席研究
員)
T Patient Safety 〜患者の安全を作り出す
(1)“Patient Safety”の意味
“Patient Safety”、日本語にそのまま訳すと“患者安全”を意味します。アメリカでは、この“Patient Safety”という語が、“医療事故防止”とほとんど同義の言葉として、好んで用いられています。事故を防ぐというのは、ネガティブなことが起こらないようにするという考え方ですが、“Patient Safety”は、患者の安全というポジティブなものを作り出す、確保するという積極的な姿勢をより前面に出した言葉といえます。
アメリカの医学研究所(IOM)の有名な報告書「To Err is Human(邦題「人は誰でも間違える」)」には、“(この報告書は)医療におけるエラーを減らし、患者の安全向上に向けた包括的な取り組みについて提案するもの”であると示されています。またこの報告書は、患者の安全に関する国家としての目標設定、その目標の達成状況の追跡および報告、さらに、医療におけるエラーに関する研究やエラー発生防止の活動への資金を提供する“Center of Patient Safety(患者安全センター)”の設置を求めています。
(2)事故防止と患者の役割
近年、医療事故防止の取り組みにおける“患者の役割”が注目されはじめています。“Patient Safety”という言葉には、患者の立場にある人に対して、事故防止は医療サービスの提供者だけの問題ではなく、あなたたち(私たち)患者自身の問題でもあり、積極的に関与して欲しいというメッセージもこめられているといえるでしょう。IOMの提案する患者安全センターにも、その目的の1つとして“患者への消費者教育”が位置づけられています。
なお、この“Patient Safety”という語は、本研究会のニュースレターの名称“Psychology of Patient Safety”(略称“POPS”)にも採用しています。
U医療事故に対する心理学的アプローチ
(1)医療事故の防止 〜広範な要因を視野に入れて
近年、「医療事故」は社会問題の一つといえるほどに関心を集めており、新聞やテレビで報道が数多くなされています。医療事故が発生するメカニズムは、社会に少しずつ理解されつつあるものの、事故の引き金をひいた医療従事者個人のみの責任を追及しようとする風潮は、まだまだ根強いといえます。医療事故という事象が「起こるはずがないこと」「起こるべきでないこと」であるという考え方から、「起こりうること」そして「防ぎうること」という考え方へ転換していくことが求められるでしょう。
失敗をした医療従事者を「おっちょこちょいな性格だ」とか「倫理観が欠如している」と非難し、その個人に対して注意喚起や指導を行うだけでは、事故防止対策としてあまり意味がありません。なぜなら、間違いを引き起こす要因は人間の側だけでなく、人間を取り巻く情報や環境の側にも存在するからです。さらに、そもそも医療業務の遂行には複数のスタッフが関与しているため、集団思考や社会的手抜きといった集団で作業する際の陥穽にも着目することも必要です。このように、さまざな要因が事故発生の背景に存在することを念頭において、事故防止対策を検討していくべきです。
(2)医療事故に対する心理学的アプローチ 〜一般論
本研究会は医療事故とそれに関連する諸問題に対して、心理学の立場から検討しようとしています。では、心理学的なアプローチとはどのようなものでしょうか?ここでは、この心理学を専門に学ばれていない方々もこのHPを見てくださっていることに配慮しつつ、心理学的なアプローチの一般論をご紹介します。
価値中立的な立場
心理学は「科学」であり、様々な心理的な現象を理解するために、客観的な事実をひとつひとつ実証していく学問です。「医療事故」を心理学的に検討しようとする場合、事故の発生過程に内在する心理メカニズムの解明や、事故の発生後に生じる心理的諸問題の理解といった事柄が主題となるでしょう。研究を進める上で重要なことは、「価値中立的な立場」をとることです。つまり、事故の当事者となる医療従事者と患者・家族のいずれに対しても、擁護する「代弁者」の立場には立ちません。あくまで、医療事故という事象が“なぜ起こるのか”、“どうすれば防げるのか”、“起きた後にどのように対処すればよいのか”という点の検討を目指します。そして、医療従事者と患者の双方が納得できる安全な医療の実現に寄与する研究をしていく必要があります。
科学的な実証主義の立場
心理学では、直感的な意見に基づいて議論を展開するのではなく、収集した客観的なデータに依拠しつつ論理的な議論を行います。ある現象を理解するということは、究極的にはその現象がどのような原因によって生じるのかという因果関係を立証することです。因果関係が証明されれば、ある要因がもたらす結果である現象の発生を予測することが可能となります。データを収集する方法としては実験や調査などを用い、データの分析には統計的な技法が用いられます。
介入と実践を視野に入れた立場
医療事故を防止するために、制度的な改革や医療従事者を対象とする研修の導入などが必要とされています。医療事故を心理学的に検討する際には、このような現場への介入と実践を視野に入れ、事故防止に有用な提言を行えるよう努めるべきでしょう。重要なことは、“どのような方策が適切で効果的なのか”という点を、先に述べた実証的な方法で明らかにすることです。そのためには、医療現場との連携が欠かせません。心理学の方法論に基づいて、事故防止に有効な方策を現場に導入し、その効果を検討するという介入・実践研究が求められるといえます。
●医療事故に対する心理学的アプローチ 〜各論
工事中
このコーナーについてのご意見・ご感想などございましたら事務局(anshinken@yahoo.co.jp )までお寄せください。