第4章「銀の翼」

――ボクの、願いは…
――ボクの事…忘れてくださいっ!!
 時代を越えて、語り継がれる物語。想いを叶える…物語。

「危ないよっ、どいてっ!!」
「…なん
 言うより早く、身体をひねってソレを避けた。同時に、
――ドカン
という、なにかとなにかが激突するような、大音がして――
 ドザァ…!
と、振り向いた俺の前に、雪の塊が降ってきた。
「な、なんだ…?」
 一瞬、なにが起きたか解らず、呆然とする。
「冷静になろう」
 まず、後背から突然襲い来た…敵の刺客。
 両手に握り締めた、獲物は――
「ナイフ…だったっけ?」
 ちら、と見ただけだから、断定は出来ないが…。
「そして――」
 俺を殺り損ねた奴は、そのままの勢いで――
「あの木にぶつかり…」
 雪が、落ちた。
 なら――
「奴は、どこに…? 暗殺に失敗して、既に姿を…」
「うぐぅ…妄想はいいからたすけてよぅ〜」
「なっ…」
 今、雪の中から声が…なんだ? この雪は…生きて――いる?
「んなわきゃーない」

 白銀の雪の塊から、銀色の羽のようなものが突き出していた。
「…大丈夫か?」
 雪をかきわけて、ソレを引っ張り出す。
 羽のようなモノは、奴の背負ったリュックに付いていた
――飾り。
 布を繋いで、中に綿をつめたような感触のものだった。
「…ひどいよぅ〜、避けるなんて――」
――出遭いの形式としては、王道と呼べるものであるだろう。
 ただひとつ。
「…つ、か…ハァ…なんでっ、俺ま、でっっっ…!」
 走って逃げなければならないっ!?
「捕まったら、アウトなんだよっ!!」
「だからっ――」
 なんで、俺が、関係あるのかとっ――
「捕まったら、殺されるよっ!!」
「くっ…!」
 ちら、と後ろを振り向く。
 明らかに、俺達を追いかけていると見られる…

「…なにが、殺されるだ。バカチンっ!」
「うぐぅ…凄く強暴な顔だったんだもん。てっきり…」
 その、俺達を追いかけてきた女性は、にこにこと笑っている。
「あら、強暴だなんて、…ねえ?」
 優しそうな、女性(ヒト)だ。
「いえね、その子が――」
 お金を払うのを忘れていったから
――と。頬に片手を当てて、彼女は優しく微笑んでいる。
「…お前が悪いんじゃねえかっ!」
 ごちん――
「うぐぅ、痛いよぅ〜、どうしてぶつのよう…?」
 軽く、奴の頭を殴る俺。まあ、要するにだ…
「お金がね、たまったま、ぐうぜん、なかっただけなんだよぅ」
 俺は、食い逃げ犯の片棒を担がされるところだったんだ。
「…煮るなり焼くなり、好きにしてもらって結構!」
 まだ若そうに見える…鯛焼き屋の主人――秋子さんというらしい――
彼女に言い、奴を引き渡そうと――
「待って! 祐一くん――!」
「えっ――?」
 なんで…俺の名前を――こいつが知ってるんだ?
「お前…なんで、俺の…」
「ボクだよ、祐一くん。昔、一緒に遊んだ、月宮あ――」
「あやめかっ!?」
 月宮あやめ…そう、確か、そんな名前の…
「えっ? 違っ…あやめじゃなくて、ボクは、あ――」
「元気か、あやめっ! よく憶えていてくれたなっ!」
「…お知り合い、なんですか?」
 秋子さんが、言う。
「ええ。幼馴染なんです。あ、俺、昔このあたりに住んでて、しばらく
他所に行ってたんですけど、最近また帰ってきて――」
 なんで、そんなにハイになってたか、解らないんだけど…
「じゃ、連帯責任ということで――」
 その一言で、いきなり地獄に突き落とされた気がした。

「キリキリ働くっ!!」
 ピシッ――!!
と、鞭を叩きつける音が、聞こえてきそうだった。
「だから、怖いって言ったんだよぅ〜」
 あやめが、泣きそうな顔で、つぶやいている…。
『連帯責任』
 俺は、秋子さんの経営する鯛焼店で、過酷な重労働を強いられて――
「あら、もうお休みかしら、祐一さん?」
 笑顔の秋子さんが、妖しい微笑を、浮かべて――
「疲れたのなら、言ってくださいね♪」
 なんて、言うのは――
「つ、疲れてなんていませんっ! 俺、一生懸命やってますともっ!!」
「…そう? もし憑かれてるんなら、ちゃんと言ってくださいね?」
 とても、危険な感じがする。
だから――
 休みたいだなんて言葉は、口が裂けても言うワケには、いかない。
「あ〜、疲れたー。ねえ、秋子さん、ちょっとだけ休んでいいかな?」
――なんて、考えている側から…
あやめが、おずおずと秋子さんに向かって言いやがった。
『連帯責任――』
 ゾクッ…と、背筋が寒くなる、その言葉が――。
「バ、バカッ! そんなこと言ったら――」
「了承」
 …1秒で、赦された。
「…どうしたの、祐一くん? なんか、ヘンだよ?」
 変…だろうか。
「疲れているのね。ありがとう、祐一さん。今日は随分と助かりました。
これは少ないけれど、アルバイト料です。良かったら――」

「…また来てくださいね――か」
「うん。また来てね祐一くん。ボクは、明日もあそこで働いてるから」
「ああ…」
 あやめは、正式にアルバイトとして採用されてしまったらしい。
「気が向いたらな」
 秋子さんは、いい人だ。
 あやめが食い逃げしたのも、貧しいからだ――と、判断したんだろう。
「あいつは――」
 あやめは、結局…どうして食い逃げに至ったかは、言わなかったから。
「事情があると踏んだか。警察沙汰にも、ならなかったしな」
 久し振りに…7年振りくらいか――に会った、幼馴染の少女。
「あやめ…か」
 本当に、そんな名前だっただろうか…?

「いらっしゃい! あ、祐一くん」
 なんとなく、足が向いてしまった。
「あら、祐一さん。今日は、お客さんですか?」
「ええ、余裕がないわけじゃないんで」
 しばらくバイトは必要ないだろう。どうせ、毎日だらだら生活してる
だけの学生だし。生活費だって、親元から出てるわけだし。
 本当は、自分で稼ぐことは、大事なんだろうけど…。
「頑張ってるか、あやめ?」
「うん、ボク頑張ってるよ――!」
「つまみ食いなんて、してるんじゃないぞ」
「うぐぅ、そんなことしてないもん」
 そんな、どうでもいい話が続く。
 丁度、この時間はヒマなようだからな。
ただ――
 秋子さんの腕がいいのだろう。この店は非常に評判が良くて、時間に
よっては目の回るように忙しくなる。…昨日1日、働いてみて解った。
 たかが鯛焼き…と侮るなかれ――だ。
名人が作れば、どんな料理でも、本当に美味しいものが出来上がるのだ。
尤も、この店は鯛焼き以外にも、様々なものを売っている。
 お好み焼き、焼き蕎麦、たこ焼を初め――
 ワッフル、クレープ…などまだいい方。
 果ては、自家製のラーメンから、肉まんまで、なんでもアリ状態。
それも、その辺のファーストフード店のような適当なものじゃなく…
「すべて手作りだというから、只者ではない――」
 もしや、どこぞの国の宮廷料理人では、ないのだろうか?
 それが、こんなところにいる理由…?
 なにかを探っている――なにを?
 俺達が出遭ったのは、偶然なんかじゃないとしたら――?
「祐一さん…ちょっと」
 ふと気付くと、秋子さんが厨房の方から手招きをしている。
「あ、はい。なんでしょう?」
 行くな、祐一! 行けば――
「ごめんなさい。ちょっといいかしら――?」
 行けば――なにかあるというのか?
やはり――
 最近の俺は、どこかおかしいのじゃないだろうか。
なんだか気ばかり逸って…。
「もしかして、手が足りないんですか? 俺で良ければ手伝いますよ」
「ああ、いえ――」
 どうやら、少し話があるということだった。
しかし――改めて見ても、この人は凄い。俺と話をしながらも、少しも
手を休めないなんてのは、常人離れしている。まるで――
「なにか、心配事でもあるんですか、祐一さん?」
「え…どうして?」
「なんだか、浮かない顔をしていますから。なんだか、上の空」
 心配事? …単位が取れるか――出席日数が足りてるか…
「いえ、大した心配事なんて、ないハズなんですが」
「そう…ならいいけど。ところで、あの子のことなんだけど――」
「あやめが、なにか?」
「そう…あやめちゃんね。あの子は――」
 何処に住んでいるのかしら?
――そう、秋子さんに訊かれた。
「え? さあ…えっと、あいつの家、どこだっけ…?」
 記憶をまさぐってみる。
…7年前の記憶。
…さらに、その前。その、前は………
「あれ? 俺、あいつの家って、行ったことないや…」
「…そうですか。この近く、なんですよね?」
 まさか、河原とか、駅とかいうんじゃないだろうな?
「…だと、思いますけど」
 いや、待てよ。
「そういえば、俺たちと違う学校だって言ってたよな…」
 制服もないし…かなり自由な学校だって話だ。
「もしかしたら、隣町とかじゃないですか?」
 なんだろう? なにか、間違ってる気がする。
なにが――?

「あれ? 祐一くん、待っててくれたの?」
 結局、今日もここで働くことになってしまった。
 秋子さんは、大丈夫だと言ったけど…余りに忙しそうだったから。
「おう、なかなか頑張るじゃないか、お前も」
「えへへ、祐一くんに誉められるなんて、初めてだよね」
「そうか…?」
 確かに、バカだのアホだのは、良く言った憶えがあるが…。
「私…馬鹿だからね…」
 ――?
「お前なあ、いきなり『わたし』とか言って、女のフリはやめろよ」
「うぐぅ、ボク女の子…」
 なんだろう? ――今の、彼女の寂しそうな表情。
 …ずっと胸を締め付けている想いは――?
「それじゃ、祐一くん。また明日ね――!」
 手を振って、別れる。昨日と、同じように――
「あ、ちょっと待て、あやめっ!」
 呼び止めたのは、秋子さんの言葉が、引っ掛かっていたから――。
「お前さ、そういえば…家どこだっけ?」
 聞いて、いいことなのか、
「家…? わた――ボクの、家? あ、うん、隣町だよっ!」
 良く、なかったことなのか――。
「電車に乗って帰るから。…どうして、そんなこと聞くの?」
「あ、いや、交通費とか、出してくれるのかな、とか思ってな」
 まだ、分からないこと…だらけだ。
「あ、そうか。明日、秋子さんに聞いてみようかな?」
 …そうして、俺達は今日も…ここで別れた。
初めて会った、この場所で――

「やっぱり、隣町なんだってさ。あいつの家」
 今日も、ここに来ている。
「そう…なら、交通費を出してあげないといけなかったのね」
 うっかりしてたわ…。
と、秋子さん。
「駅の名前も聞いておけば良かったですね」
「そうね。後で私が直接聞いても良いのですけど」
「忙しそうだから、俺が聞いてきますよ」
 今日も、秋子さんは手を少しも休めずに、話していた。

「え? 駅の名前? えーと、なんだっけ?」
「いつも乗り降りしてる駅が分からないのか?」
「あ、3つめの駅なんだよ。だから名前分からなくても困らないし」
 3つ目…というとあそこか。
「幾らだ? 秋子さん、出してくれるってよ」
「え、お金? たしか――」
「分からないのか?」
「あ、ううん。定期っ! 定期券だから、よく覚えてなくてっ」
「見せてみろ」
「あ、今日は、そのっ、忘れちゃって!!」
「なら、切符を買ったんだろう。幾らだった?」
「うぐぅ…それは…」
 嘘だな。こいつは、俺達に決定的な嘘をついている。
なにが――目的なんだ?
「祐一さん、あまり、あやめちゃんを虐めないでくださいね」
 …秋子さんが、来ていた。何時の間にか…
「い、いや…だけど、秋子さん。こいつっ――」
 秋子さんから、余分にお金を取ろうとして――
「隣町から来てるというのは、嘘なの?」
 優しく、秋子さんが問う。
「…ごめんなさい。家は、今の隣町にあったんだ。あんなところでも…」
 今の…? 合併とか分裂みたいのが、あったんだろうか?
「そう。もしかして、家出でも、しているの?」
「…うん。私は、あそこから、逃げて…」
 また、『わたし』って言ったな。つまり――
「どうして?」
「生きている、証が欲しかったから――」
 それが本来のコイツの姿で…。
なら――
「でも…あなたはもう、生きていないんじゃなくて?」
 え――?
今、なにを言ったんだ、秋子さんは?
 生きていない――って、なにを…言ってるんだ?
「…輝いて、みたかったの」
「それで、祐一さんの思い出を――あれ? だとしたら、どうして――」
「ちょっ、秋子さん、あなた、さっきから、なにを…?」
 秋子さんは、例のポーズで、ちょっと考えた後――
「祐一さん、あなた…この子のこと、どのくらい憶えてる?」
と、言った。どのくらい――?
 そう、例えば――
「道に迷って泣いていたコイツと、仲良くなった日のこと」
…とか、
「森の中の大きな木に登った日のこと」
…とか、
「旅人から奪った、肉まんを――なに? 違う、これは――」
 俺の記憶じゃないっ!?
「あれ? なんだよ、これ? なんで、俺は、人を殺して――」
 うっ――!?
「気持ち…わるい。なんだ、これ…?」
「祐一さん。…それは、思い出さなくてもいい記憶よ」
 ――ワスレナサイ――

 ゆさゆさ…ゆさゆさと…
 私の身体が、揺すられています。
 いつもの――。
 そんな、生きているのか、死んでいるのか、分からない生活。
『私。もう疲れちゃった。もう――先にいくね? ごめんね…』
 同じ部屋のお姉さんが、首に縄を巻きつけていました。
 そんな、夏の日のこと――。

『…食い物を、出しな』
 重い脚を引き摺るように、辿りついた、小さな丘。
「持ってない…」
 もう、何日も、なにも食べてなかった…。
『そうかい。だったら、さよならだ』
 その若い男の人は、腰に下げた刀を、すらりと抜いて言いました。
そして――

 ――季節は巡る。
 俺は、相変わらず秋子さんの店でバイトを続けている。
もちろん、勉強だってちゃんとしている…つもりだ。
 秋子さんは、そういうことには結構うるさい人だったのだ。
「祐一さん、これを――」
 ある日、秋子さんに渡された小さな紙切れには…
「病院? 俺、やっぱりどこかおかしいんでしょうか?」
 ある病院の名前と、住所が記されていた。
「違いますよ。あゆちゃんが、ここに入院してるんです」
 あゆ…? ああ…月宮あゆ、か。懐かしいな…。
「そっか。アイツ、まだ退院できてなかったのか…」
 7年前、俺がこの街を離れるまで、一緒に遊んだ少女。
 よく、森の中の大きな木に登って、遊んだっけ。
 …後になって聞いた話だが、
「あの木から落ちて意識不明になった女の子がいるって聞いてたけど、
まさか、アイツだったなんて…思ってもいませんでしたよ」
「…ごめんなさいね。あなたが、塞ぎ込んでしまうんじゃないかと――」
 心配で…。
と、秋子さんが、申し訳なさそうに、言った。
「目、覚めたんですって?」
 その少女が、7年振りに、意識を取り戻したと――
「ええ。いってあげてください。今度こそ――」
 今度こそ――か。
 そうだな…
「今度こそ、俺の気持ちを伝えてきますよ。奴にっ」
「頑張って――」
 目を細める秋子さんを置いて、店を出た。
 行く先は、言うまでもなく――

「…あれ? ここは、どこだ?」
 病院なんて、どこにもないじゃないか?
「地図が、間違ってるのかな――?」
 秋子さんにもらった紙切れを、もう1度よく見てみる。
「…間違って、ないよな」
 そこは、一面になにかの植物が生え揃った、沼沢地のようなところ。
「はは…移転しちまった後だとかな…?」
 なんの植物だろうか? 花は、咲いてないみたいだ…。
「咲きませんよ、その花は…」
 不意に、声がして振り向く。
 寂しげな表情をした、女の人が立っていて――
「もう、ずっと咲かないのです。その、あやめは…」
 大きなチェック柄のリボンを髪につけた、その少女が言う。
「咲かない、あやめ?」
「咲きたい、あやめです。そう、あなたになら――」
「君は…?」
「咲かせてください。あなたが…この、花を」
 すっ、と――
 リボンをほどいて、俺の手の中へ…
「これは――あなたに返してあげます。今だけは…」
「これは――?」
 ふわっと――
 風が…吹いた。
「え? …ゆういち、くん?」
「…あゆ? あゆかっ!?」
 振り向くと、少女が立っていた。まだ、あどけなさの残る、少女。
リボンの少女は、もう、そこにはいなくなっていて…
「…久し振りだな」
「うん…。ここに来れば、会えるような気がしてた…」
「入院…してたんだって? 悪いな、見舞いにも行けなくて」
「…秋子さんに、聞いたの?」
「ああ…。でも、あの人のくれた住所、間違っててさ…」
 あの人らしいね…と、あゆが笑った。

「祐一さんは、あの人でもないし、あなたも…彼女とは違うのですよ」
 秋子が、言う。私を、否定する。
「祐一さんにとって、あなたは『月宮あゆ』以外の、何者でもないのよ。
それが、彼にとっても、あなたにとっても幸せなこと。だから――」
 ――これ以上、彼に思い出させるようなことをしてはいけない――
「…勝手ね。あなたのせいで、こんな風になってしまったというのに…」
「否定はしないわ。けど、そう願ったのは、あなた自身よ」
「彼をここに呼んでおいて――」
「それは、私じゃないですよ。お節介な、誰かさんが…よくやるわね」
「兎に角、私は彼を離さない。どんなに、歪んでたって…」
 構わない。やっと、逢えたのだから。祐一に…。
「離れる必要なんてないわ。だって、彼もあなたが好きだもの」
「なら――」
「歪みはね、少しでも抑えたいのよ。…彼女が、増やしては消し続けて
いく世界の歪み。それこそ、永遠に終わることのない世界を――」
 そのために…
「彼には、相沢祐一として、あなたと幸せになってもらいたいの」
 だから――
「私にも、月宮あゆとして、彼を愛せと言うのね? いいわ…それでも、
彼と一緒にいられるのなら。一緒に――」
 遠い、あの日に願った…この、銀の糸に――託した想いを。

「あやめ…まだ咲いてないね」
「あゆは…あやめの花、好きか?」
「うん。一緒に、見たいね。一面に咲き誇る、あやめの花」
「そうだな…。一緒に見たかったな、この花を…ふたりで」
 その時、彼女に渡されたリボンが…輝いて――
「あれ? 祐一くん、それは、なに? その、銀色の――」
 銀色の、光――。いつか見た、その輝き。
「あっ! 見て、祐一くん!!」
 あやめの花が…。ずっと咲かなかった――
咲きたかったという、あやめの花が、次々と開いていく…。
「あやめ、咲いたよ」
「ああ、綺麗だな…あやめ」
「うん。ずっと、待ってたんだ、この時を――」
「ごめん。随分と、遠回りをさせちまったな。…あやめ」
「え? ボクは…」
「まあ、どっちでもいいや。こうして、俺達の願いは、叶ったんだから」
 一緒に、あやめの花を見ようという――約束。
「あの時、言えなかった言葉があるんだ」

 あの時…?
 いつの、あの時のこと、言ってるのかな?
『まあ、どっちでもいいや』
 そうだね。どっちでも…どれだって、いい。
「私も、あの時、わからなかった言葉があるよ」
 言いたくても、言えなかった言葉――。
 その言葉の意味さえも、知らなかった言葉――。
「俺は、お前が好きだ」
「私は、あなたが好きです」
 やっと、言えた。やっと…叶ったんだ、願いは…。
「ばか、泣くなよ…」
「祐一くんこそ…ぐすっ…」
 …咲かない花なんてものは、この世界にはないものだものね。

                      第4章  ― 完 −
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