第5章「鈍(にび)」(4)

「おなかすいた…」
「そこに、牛丼やさんが、あります」
「おうち、帰りたい…」
 だめよ、舞。もう…帰れないの…。
「お父さんも、お母さんも、大切なお仕事があるのだから…ね?」
「おしごと?」
 そう、最後の――お仕事。最期の――
「牛丼、食べようか?」
 私達に残された、最後のお金で。最後の――晩餐を。
「うん。牛丼は、嫌いじゃないから」
 乾いた大地と、乾いた大気…。
 もう、どれだけ降っていないんだろう?
 雨さえ…
「雨さえ降れば、こんな――」
 わたしが…
『天から、飴が降ってきたら楽しいな…』
 …なんて考えてしまったから、
「天の神様が、怒っちゃったのかな…。ごめんね…」
 ごめんね、お父さん…お母さん…。美汐が、馬鹿でした。

「…なにか…」
「ん?」
 まだ幼さの残る少女。薄汚れた着物の少女が、いた。
「なにか…たべるもの、を…」
「食べるものを? そうか…おい、誰か食糧を分けてやれっ!」
「久瀬さま…?」
「秋子殿の力で、旱魃は去ったのだ。我がもとにはこれからいくらでも
米は入ってこよう。彼女らとて、大切な民――我らの財産ぞ」
 こんな小さな子が…物乞いをせねばならぬ世の中とは――。
ならばやはり、なんとしても…この銀糸で我が願いを…
「しかし――」
 秋子殿の、あの死に様を見てしまった今、私は――
「いや、だからこそ、私が、この世界を――幸福に――」
 出来るのか?
 雨は、降った。しかし――あれは、どこまでが真実なのだ?
「彼女の言うように、偶然そうなっただけでは、ないのか?」
「あ、あの…」
 先ほどの少女だ。まだ、なにか言いたいことがあるらしい。
「なにかな?」
 聞いてやろう。民の意見を直に聞ける機会も、そうはないものだ。
「おねえちゃんを、たすけて…」
「そうか、1人分では、足らなかったのだな」
「違う。苦しいの。おなかが痛いの…」
 …空腹のあまり、悪いものでも食べたか?
「解った。案内してくれ」
「久瀬さまっ! 姫も…佐祐理も参りますっ!!」
 まあ、あと少しくらい…考える時間があっても、良い。
私は――
 これを…この、銀の糸を、どう使えば、いいのか…。

「ああ…そうか。あれは、あの時の――」
 河原に埋めた、あの女は…その時の、姉の方…であったな。
「あの頃の、姫は…それはもう、可愛い…少女で…」
「久瀬様っ、もう、喋らないで…。私は、私は、なんて…」
「佐祐理、姫…銀糸を、頼む。君に、なら――」
 秋子殿を殺してしまった、私と同じ…なら――
「銀糸よ、今こそ…私の願いをお前に望もう――っ!」
 姫…佐祐理姫よ――君に困難を押し付ける、私を恨めっ!!

「銀糸を、封印する? なぜ――?」
 願いは、叶ったというのに。
「あなたの願いは、領内を旱魃から救うことでありましょう」
「そうだ。だが…私には、まだまだ多くの望みがある」
 この世の理想郷を、つくらなければ――。
「さしせまって――」
 あなたの願うべき、次の願いは――
そう、秋子が、言う。
「秋子殿には、解っておられるのか。私は、なにを願うべきなのか」
「水害ですよ、久瀬様」
「…水害?」
「そうです。この大雨で、旱魃は免れることは出来るでしょう。恐らく、
2度とこの地に旱魃などは起こりません。けれど――」
 けれど?
「何年かに1度は、洪水になることを覚悟せねばなりません」
「では、洪水を抑えれば…」
「さて…? 地が呑み込んだ水気(すいき)が、街を沈めることになり
ますか? それとも、別の災厄が、降りかかるか――」
「それでは、堂々巡りではないか」
「なにかを変えれば、なにかが変わる。これが道理ですよ、久瀬さん」
 …なんだ? 私の行為は、なんの解決にも、ならないと…?
「無駄…だったのか?」
「無駄ではないでしょう。この雨で、救われた者も多くいるのでしょう?
なら、それは無駄ではない。けれど、それは、あくまで――」
 一部の者が救われたというだけ?
なら…
「総ての者を救うことは、出来ないのか?」
「出来るでしょう。永遠に、繰り返していれば、いつかは――きっと。
だから、私は、今のままで、被害を最小に食い止めるために――」
「問題がややこしくなる前に、無かった事にするというのか?」
「今のままなら、洪水に対処するだけで済むのですから」
「永遠に、願いを繰り返せば、良いのだろう」
「永遠…? あなたに、永遠は――あるのですか?」
 それは…
「私が死んでも、私の意思を継ぐ者が…」
 我が、末裔たちが…しかし…
「だから、私はこれを、ここで終わらせなければならないんですよ」
 あなたは、聡明な方ですから。
――と。あの依頼をしてから…初めて秋子は、俺に微笑んで見せた。
「それは…もう、起こってしまったのだ。なら――」
 今さら、因果の流れを止めたところで…
「あなたが、したことです。解ったでしょう? こんなものに頼っては、
人は幸せにはなれない。なら、この未だ完成せざる銀の糸…」
 なに?
「完成、していない――って、秋子殿?」
「ええ、していません」
 今度は、にっこりと――笑った。
「たばかったのか? いや、しかし、この雨は…」
「そうそう、旱魃などは続きませんよ。季節は、もう――」
 …秋、か。
「いいですか、久瀬さん。銀糸を完成させるのに必要なのは…」
 それを作りしものの――赤い――
「血です」
 血…血が……血を………この、糸に、注げば…秋子の――赤い――
どくん。
「あなたは――」
どくん、どくん――と。秋子の、赤い――血が――銀の。
「もう、後戻りは出来ませんよ。久瀬――」
「は…ハァ…後戻りは…なぜだ、秋子?」
 なぜ――?
「楽しみになったから。あなたの――永遠の――更に、その先の世界。
世の幸福を願う心が、どこまで真実たりえるのか、知りたくなりました」
「お、お前は…なんだ?」
「さあ…。私は、水瀬秋子という人間ですよ、久瀬さん?」
 俺は、
「俺は――なにと話していたんだ? 水瀬秋子? 違う…」
 なんだ? なんだ、なんだ、俺はっ!?
「また、いつか――」
 あなたの未来(さき)で…。

 …八百比丘尼という話が、ある。
「永遠の生命を手に入れた、尼僧の話」
 様々な、不死の伝説。憧憬とともに語られる、昔話。
「恨みますよ、久瀬様」
 口癖のようになってしまったセリフを吐く。いい加減、もう飽きた。
でも、他にいい言葉もないし…。
「死ねっボケナス!」
なんてのも、品性がないし…。そもそも、もう死んでるんだから…。
「あー、死にたいなー」
 ていうか、死なせてください。銀糸の力で…。
「おいおい、いい若者が、昼日中から、死にたいはやめろよな」
「お腹すいてるんじゃないの?」
「お前と一緒にするな。まったく、リストラ会社員じゃあるまいし…。
ま、金がないなら食い逃げでもしちまえ。…こいつみたいにな」
「うぐぅ…祐一君、ひどいよぅ…」
「食い逃げ…?」
 はは…なんだろ、なんか懐かしいや…。
「あははーっ、食い逃げなんて、幸せぽくていいですねーっ!」
 久瀬様…私、ほんの少しだけ、幸せの意味が…解ってきましたよ?
「ぎんいろ 〜想いを叶える物語〜」  ― 完 ―