第3章「香りし折りに」

――大好きな、おねえちゃんのためだもん…いいよね?
――私に、妹なんて…いないっ!!
 新しい時代。新しい人。それでも、変わらない、銀の――

「いらっしゃいませーっ! ぴあ…ゲフン…にようこそーっ!」
「栞っ、変なとこでせき込んだりしたら、お客さまが困るでしょ?」
「ごめんなさい、おねえちゃんっ!」
 私の名前は、美坂栞。
 大好きな香里おねえちゃんと一緒に、お父さんの残してくれた、この
小さな食事処『百花屋』を営業しています。
「もうっ…ごめんなさいね、妹が、いたりませんで」
「いやいや…栞ちゃん、いつもの…もらえるかな?」
「はーい。おねえちゃん、ご注文ですよーっ」
 お父さんの料理は、すごく評判よくて、お店も大繁盛だったんです。
でも…
「オーナーって呼ぶようにって、言ったじゃないの、栞っ!」
「はーい、オーナーに、オーダーでーす!」
 お父さんは、もういない。だから今は、おねえちゃんが料理を作って
います。お父さんには、敵わないけど、評判は、上々なんですよ。
「栞、ふざけてないで、ちゃんと働きなさいっ、もうっ」
 仕事には厳しいけど、本当はとっても優しい、わたしのおねえちゃん。
わたしは、そんなおねえちゃんが――大好きですっ!!

「今日もお疲れさま、栞」
「おねえちゃんこそ、大変なんだから」
 おねえちゃんは、料理だけじゃなくて、接客とか――それこそお店の
お仕事を全部やってる。人を雇えるほど余裕はないから、仕方ないけど。
「少しは、休まなきゃ…」
 本当は、わたしがもっと頑張らないといけないのに…。
「このままだと――」
 きっと…
「いき遅…ゲフゲフ…恋の1つも出来なくなっちゃうよ?」
「…あのね。誰がいき遅れの年増女ですって?」
『え、えうっ…まだキレちゃダメだよ、おねえちゃん?』
『なに言ってるのよ? こんなことで怒るわけないじゃない』
 こめかみに血管浮いて見えるのは、わたしの目の欠陥ですか?
「ばかばかしくて笑っちゃうわ。いい、栞? 私にとって、お父さんが
残したこの百花屋を守ることが、第一。他は、オマケなのよ」
 わたし、オマケですか? カメレオンのおもちゃですか?
「あら、私に妹なんていないって――言わなかったかしら?
「そんなこと…言う人、嫌いです…くすん」
「くすくす…冗談よ、栞。そんな、泣きそうな顔しないでよ」
 でも、本当は、とっても仲のいい姉妹なんですよ?
 2人だけの…たった、2人だけの。世界で最も大切な――

「いらっしゃいませーっ! 百花屋へ、ようこそっ!」
 今日も、お店は繁盛だ。まるで――
「栞っ、そっちのテーブルお願いっ!」
 まるで、おねえちゃんの婚期を遅らせるために――
「はーいっ! 今いきますーっ!!」
 敵が送りこんだ――死神の列。
「…なんとか、しなくちゃ。わたしが、やらなきゃ…」
 ――黒く歪んで、真っ赤に萌える…。
「そんな恋する青年を、見つけてこなければ――!」
「栞ッ! ちゃんと働いてるっ!?」
「呼び込み、いってきまーすっ!!」
「もうっ、しょうのない子ね…」

「さて――」
 おねえちゃんのために、格好良い男の人を連れていかなきゃ!
「あっ――!?」
 …いいカモ。
「おいしい料理屋さん、どうですか? お腹、すいてないですか?」
「ん…そういえば、もう昼か…」
「絶対、損はさせませんから――!」
 ちょっと頼りない感じだけど、おねえちゃんには、丁度いいかも。
「お名前、なんと仰るんですか、軍人さん?」
「北川――北川潤だが、なにか…?」
「いえいえ、軍服、お似合いになりますねって」
 なんで、ゴミ袋なんて持ってるのかは、あえて訊かないどこう。
「君は――ええと…」
「栞です。美坂しおり♪」
「しおりんか…」
 し、しおりん…?
「あ、嫌ならやめるが…」
「い、いえっ、かわいい感じで、いいですよねっ!」
「しおりんは、もう学校には行ってないのかな。こんな時間だし――」
「去年、中学を出ました。今は、お店の手伝いですっ」
 本当は、もっと…わたしが頑張らないと、いけないのに…。

「…いらっしゃいませ」
「姉の、美坂香里です。北川さん」
「北川潤だ。しおりんから聞いたんだが。なんでも、2人でこのお店を
経営しているとか。…大変だろうにな?」
「はい。昨年、父親を亡くしましてからは…妹と2人、精一杯、お店を
守るために頑張っています。どうぞ、ゆっくりなさってくださいまし」
 たいしたおもてなしも出来ませんが――
と言って、おねえちゃんは厨房の方に戻っていきました。
「綺麗な人だな」
「あ、そうなんですっ! 真面目で一生懸命で――」
 …は、いいが、
「あの仏頂面さえ、なんとかなればなあ…」
「ん、なに?」
「あ、いえっ! ご注文のほう、お決まりになりましたか?」
「…そうだな。なにか、おすすめのものはあるかい?」
「あ、それでしたら――」

「…どう?」
「…どうって、なにが?」
 いつもの、姉妹の語らい。
お店を閉めた後、わたし達は――大抵、わたしの部屋で、今日の出来事
なんかを話し合っている。反省会みたいなものかな。
「だからー、今日来たあの軍人さん。どう思う?」
「今日…? ああ、あの…軟じゃ――頼りなさげな人ね」
 …脈、ないかも。
「そうそう北川さん。名門らしいし、結婚相手にどうかなって」
「冗談でしょ?」
「私は、本気だよ。おねえちゃんには、幸せになって欲しいから」

「おねえちゃん、ちょっと…怒ってたかな?」
 今は、お店が大事だっていうのは解る。お父さんが死んで、馴染みの
常連さんたちを、お店に繋ぎ止めるのが大切だってことも、解る。
 だけど――
「それで、おねえちゃんが幸せになれないなんてのは…」
 ――間違ってる。
「このストール…」
 お母さんの、形見。銀色の、糸で織られた――。
『これはね、どんな願いも叶えてくれる、魔法のストールなのよ』
 そんなことを、言っていた気がする。
「冗談でしょ?」
 冗談に決まってる。でも…
「お願い、してみようかな? だめなら、もともとなんだし…」
『本当に大切なことだけを、お願いするのよ?』
 あれは――要するに、叶わなくても落胆するなってことなんだろうな。
本当に大切なこと――そんなの、一生にそうは、ないもの。
「それが、解るまでは、使っちゃいけないって…」
 こと――なんだよね、お母さん?
 なら――
「今のわたしなら、使っても、大丈夫だよね? どうせ――」
 叶いっこない願いだって…解ってるんだから。
「だから、私は使うよ。大好きな、おねえちゃんのために…。今が――」
 今しか、ないのかも、しれないから。
「だから、いいよね? 私の――」
 私の、願いは――

「ようっ」
「あ、北川さん、また来てくれたんですね♪」
「あ、うん。なんだか、来ないといけないような気がして…」
 もしかして――
「あ、それから、しおりん。これからは、俺の――」
 ストールの、力が――?
「名前も、うるりん…って呼んでくれるかな?」
「は…?」
「いろいろ考えたんだけどねー、ジュンジュンとか、キタるんとか…」
「…うる…りん?」
「潤って、うるう…って読むだろ? だからさ――」
「…嫌です」
「つれないなあ。俺と、しおりんの仲じゃないか」
「な――」
 なんか、変だ。なんだ、これ――?
「なにが…」
「栞っ! なに遊んでるのっ!? 早く注文、聞きなさいっ!!」
「あ、はい。今すぐっ!」
「うわ、怖いねー、お姉さん。いつもこれじゃ、大変だろ?」
 違う。こんな展開――わたしは望んでないんだよ?

「栞っ! 今日のアレはなにっ! 巫山戯るのも大概にしなさいっ」
「だって…折角、北川さん来てくれたのに――」
 おねえちゃんこそ…
「どうして、挨拶のひとつも出来ないのっ!」
 違う。そんなことじゃない…。
「私はね、あなたと違って忙しいの。遊んでる暇なんで、ないのよ」
「そんな…わたしだって、一生懸命に――」
「一生懸命? 笑わせないでっ。あれのどこが?」
「わたしは――」
「いい? 明日もこうなら…」
 ――もう二度と、あなたを妹だなんて、認めないわよ――
「…うん。わかった…」

「…本当に、ストールの力? それとも、ただの偶然なの?」
 わからない…。
「わからなく、なっちゃったな…」
 もし、本当に魔法の力なら――
「なにが、いけなかったのかな?」
 やっぱり…
「わたしとおねえちゃん…2人とも幸せにして下さい――なんて、虫が
良すぎたんだろうか。だったら、せめて――」
 おねえちゃんだけは、
「幸せに――」

「栞っ、ちゃんと働いてるのッ!?」
 また…来ている。あの男…北川とかいう奴。
…下心、見え見えなのよっ! …なんだろう――腹が、立つわ。
「栞ッ!!」
「あ、はいっ! オーダーです、オーナーっ!!」
「あの人ばかりに構ってないで、ちゃんとお仕事しなさい?」
「ううん。それは、解ってるけど…」
「解ってないじゃないッ!!!」
 あ、しまっ…まずいっ、お客が――
「お、おねえちゃん…?」
 な、なんでもないの、なんでも。だから――
「…ごめんなさい。ちょっと、裏の方へ行きましょう」
 だから、席を立つんじゃァないのよ。いいわねっ?

「お、おねえちゃん、さっきの…」
 解ってるわよ。お店で、あんな大声で…どうかしてる――。
「栞…。私達は、2人っきりの姉妹なの。わかるでしょう?」
「うん。わかってるよ。だから――わたしは、おねえちゃんのことを、
大切にしたいの。幸せに、なってもらいたいの」
 大切にしたい? なら――
「どうして、私を…私だけを、置いていこうとするのッ!?」
「え――おねえ…ちゃん?」
 泣かないと――
「なんでも、ないわよ」
 この子の前でだけは、死んでも、泣かないと――
「とにかく、あなたはずっと、私の側にいればいいの。いいわね?」
「う…う、ん。大丈夫だよ、わたしは、おねえちゃんの味方だもん」
 誓ったから。だから――
「さ、戻るわよ。お客さん、困ってるだろうから、ね」
 私は、泣かない。

「…そっか。おねえちゃん、知って…たんだ」
 なら――
「今度こそ、絶対に――」
 願いを――

「…お話って、なんですか?」
 今日、わたしは、北川さんに…
「まどろっこしいことは好きじゃない。単刀直入に言おうっ」
 お店の裏に呼び出された。ここなら、おねえちゃんに聞こえない…。
「俺と付き合ってくれ」
 来た…。こうなることは、分かってたんだ。
「ごめんなさい。あなたとは、お付き合いできません」
「どうしてっ! 俺が…頼りなく見えるからか?」
「そうじゃないです。私には――時間がないから」
「それって、どういう…? 留学とか――ならっ!」
 発想が、お坊ちゃんなんだから――。
「待ってたって、無駄ですよ。一緒に来るというなら、ともかく…」
「帰って…くるつもりは、ないってこと?」
「来ない。…来られない。どうして――」
 どうして、どうして、どうしてっ!!
「私だけが、行かなきゃならないのっ! あなたみたいに、苦労ひとつ
知らないっ! 放っておいても幸せになれる人間が…」
 どうしてっ!!
「…なぜ、あなたは美坂香里を選ばないのよっ!? …おねえちゃんは、
まだ幸せになれる人なんですよ? なら、あなたは…そういう人をこそ、
幸せにしなきゃ、ならないんじゃないんですか!?」
「し…しおり、ちゃん? な、なにをっ!?」
「そんなに、わたしと一緒になりたい? なら――」
 おねえちゃんを、苦しめる奴…お前はっ!!
「く、苦し…お、り…!?」
 わたしが、――コロシテヤル――
「栞っ!? なにやってるのっ!!」
 はっ…!?
「お…ねえちゃ…どうし、て?」
「あんな大声で…あなたがいないことに、気付かないわけないじゃない」
「わ、わた…わた、し…北川さんの、首――」
 おねえちゃ…ために…
「…大丈夫? 北川くん…」
「あ、ああ…。どうしたんだ、栞ちゃんは…?」
「北川くん、この子は…栞は、本当は――」
「わたしはね、北川さん。もう、すぐに――死ぬの」
「え――? 今、なんて――?」
「死ぬんですよ、私。次の誕生日まで、生きられないんです」
 ふん、間抜けな顔。やっぱり、見立て違いだったかな。なら――
「1人で死ぬのは、寂しいな。ね…北川さん?」
 一緒に、逝ってくれるんだよね?
――と。お芝居で見た、妖怪変化の美女の表情で、言ってみた。

 な、なんだ…。なんだ、これ? なんで…?
「俺が、殺される? この、少女に?」
 美坂――栞。俺が、好きになった少女。笑顔が、素敵な――。
 だけど…その、笑顔は――
「嘘…だったのか? 全部…」
 あの笑顔も。あの優しさも。凡て、まやかしの――
「くす…あなたみたいな不甲斐無い男、姉に見合わせようとしたなんて
一生の不覚。とんだ、見当違い。私の人生の、この上ない汚点…」
「栞、やめなさい」
 俺は…俺は、どうすれば、いい? この姉妹を――どうすれば。
「…どうすれば、救える?」

「おねえちゃん、ごめんね…。わたしが、バカだったばっかりに…」
 つまらない結末は、迎えさせるわけにいかないから。
「腰のサーベルは、飾り? 大人しく、死んでくれるの?」
 スッ…と、隠し持っていた包丁を――

「クッ…」
 サーベルを、抜き放つ。
 だからといって、このまま斬りつけるわけには、いかない。
「どうすれば、いい? 俺が、香里さんと結婚でもすれば――」
「巫山戯るなっ! あなたが、おねえちゃんを守れるのっ?」
 …出来るのか? 俺は…
 ――美坂香里を、愛することが――?
「出来るさ。俺だって男だ。愛する者のために戦うことぐらい…」
「そう…なら、これでどうっ?」
 なっ――!?
「し、栞…君は――」
 香里を、人質にするのか? ――なにを、考えて?

「はぁはぁ…どう、これで? 手も足も出ない?」
 なに、やってるの、わたし? おねえちゃんに、包丁を…?
「はは…おねえちゃん、怖い?」
 怖いよね? わたしは、怖いよ?
「死ぬのって、とっても怖いよね、おねえちゃん?」
「栞ちゃん、やめるんだっ!」
 腰抜けめ…小娘ひとり、斬れないのかっ!!
「ねえ、おねえちゃん…一緒に逝こうよ。今のままじゃ、私が死んだら
おねえちゃん1人ぼっちじゃない? そんなの、寂しいよね? ならさ、
2人であの世に行ってさ。それで、また、お店…やろうよ。ね?」
 つう、と…頬を伝うのは――
 はは…あれ? なんで、泣くの? わたしは…
――自分が、なにしてるのか、解らなくなってきたよ。

 栞…本当、馬鹿な子ね。
「いいわ。私も、もう疲れちゃったしね」
 折角、母さんの形見のペンダント――銀色の紐で結わえられた綺麗な
宝石――に、幸せを祈ってみたけれど…やはり、無駄だったみたいね。
「さ、いつでもいいわよ。…どうしたのよ? 一緒に死ぬんでしょ?」
「う、うん…。でも…おねえちゃん、本当に、それでいいの?」
「なによ、あなたが言ったんじゃない? それともなに?」
 急に、怖くなった?
――あれ?
 違うじゃない。私は、この子のなにを見て、聞いてたのよ。
そう――
「貸しなさい、栞っ!」
「えっ――!?」
 栞の手から、包丁を奪い取る。
そう、最初から――
「あなたが死ねばっ!!」
「な――」
 北川潤――この男が、総ての、元凶。なら――
「おねえちゃ――」
 キィィン――
「はぁ…本当に、腰抜け軍人ね、あなた…」
 サーベルを、叩き落として、包丁を、彼の――胸に
「だめえっ!!!」
 …突き立てる、寸前で止める。
「死にたくなければ、言うことを聞きなさい」
「き、君は…君たちは、なにを…考えて――」
 そんなの、決まってるじゃない。
「私は、母の形見の宝石に、妹の幸せを願ったわ。残り少ない生命かも
しれない。けど…せめて、素敵な恋ぐらい、させてあげたいと」
「それで、俺が…?」
「自惚れないでよね。あなたなんかじゃ、役不足なのよ」
 栞には、本当に素晴らしい相手と結ばせてあげたかったから。
「とんだ、欠陥品だったわけね。なにが、どんな願いも叶う――よ」
「そんな、おねえちゃんも――なんで?」
「…も?」
 も――ってなによ。まさか――
「わたしもね、願ったんだ。このストールに。お母さんの形見の、この
――どんな願いも叶えてくれるという、布に…おねえちゃんの、幸せを」
「そう、それで…」
 どっちつかずの、この状態か…。
「いいわ。解決させましょう。あなた、栞と付き合いなさい」
「…それは…解決に、なるのか? むしろ…」
「栞の生命の炎が燃え尽きる、その時まで――泣かせたら、許さない」
「し、しかし…」
「まあ、その後で私が貰ってあげるから…覚悟しとくのね」
「む…なによそれ。言っとくけど、簡単には死なないよ、わたし!」
「そう? じゃ、せいぜい頑張ってみなさいよ。ふふ…」
「あははっ。1日でも長く生きて、せいぜい困らせてあげるわ」
「…俺って、もしかして…人権すらないのか?」
 私達の願い、ちゃんと叶ったわ。ありがとう、お母さん…。
「でも…結局、どちらの願いが叶ったことに――なるのかしら?」

                      第3章  ― 完 −
第5章 鈍(にび) その3 へ