刻を超える想い

 広い広い、空を見上げて思う。
 この中に、わたしの居場所はあるのだろうか――。
 幾億もの星の下で。
 小さな輝きに照らされながら――。
 この中に、わたしの星はあるのだろうか。
 ――そんなことを考えていた。
 今はもう遠い、あの日。
「ねえ――」
 広い、大きな背中にもたれかかりながら訊いた。
「運命って、あると思う?」
 あの星の数ほどもいる、人の中で。
 満天の星の下で。
 わたしたちが、出遭えたことを。
「今、ここにいることは、運命に決められていたのかな?」
「違うと思う」
 彼は言う――。
「僕たちが出遭ったのは、それは偶然だったかもしれない。運命だった
かもしれない。だけど――」
 今、ここにいる僕は、僕が自分自身で選んだ結果だよ。
 優しく語りかける、彼の背中が暖かい。
 背中越しに、胸に伝わる、愛しい想い。
 ――ここが、わたしの居場所。
 ――こうありたいと、わたしが望んだから。
 だから――。
 もう、ここにいよう。ここにいれば、幸せになれる――。

 ――そんな夢を、いつも見ていたように思う。
 わたしの居場所を、教えてくれる、優しい人の夢を――。
「アリスさんっ!」
 那波が、わたしの名前を呼んでいる。
 ――戻らないと。
「いやっ、行きたくない、あんなところっ!!」
 わたしは、今の、この世界が――
「透矢っ」
 にこり。微笑む、彼の顔が、滲んで――。
「いや、離れたくない。透矢ァ!?」
 泣いても。
 叫んでも。
 手を伸ばしても、もう届かない――。
「僕は…」
 彼の口が、ぱくぱくと動き。
 わたしの耳が、その音を拾い――。
 脳が。
 解ってる。
 この世界は、もう終わった世界。ここには、もう、
 ――マッテイルカラ――
 そう動いた、わたしの唇に、最後の――
 涙で滲んだ瞳を、閉じて、彼の、ぬくもりを――。
 そう、これは、わたしの――彼女の見ている、夢のカタチ。
 もう終わってしまったはずの、彼と彼女のいた世界。
 わたしが――。
「アリスさんっ!!」
 那波が呼んでいる。
 ――帰らなきゃ。
 透矢が、マリアが、みんなが待ってる、あの場所へ。
「いいよね、持っていって…」
 最後に、わたしが、そう呟いて。
 ――わたしの夢は、これでおしまい。
 目覚めたら、忘れてしまう、夢だけれど、
「この暖かいぬくもりだけは、ぎゅっと、抱きしめていこう…」

 そうして、目が覚めた。
「アリス、良かった…」
 気付いた時には、もとの世界にいた。
 透矢がいて、マリアがいて、那波がいる――。
 この世界の、学校の校舎。
 こうして、わたしは、もとの世界に戻ってきた。
 どうして、戻ってきたのか。
 今まで、なにをしていたのか。
 ――たぶん、死後の世界とやらにいたのだろう。
 そう、適当に。脳の考え出した意見に、丸め込まれながら――。

「時空を超えた、ラブストーリー?」
 花梨が、なんだそりゃ――と言った。
 六畳くらいの宿直室には、六人の人間が入っている。
 狭い。
 ちゃぶ台も布団も片して、廊下に放り投げても、やっぱり狭い。
「一人の女の、千年にも及ぶ――愛の物語なのよ、これは」
「気の長い話ねー」
 花梨は、やれやれーと肩をすくめながら、言った。
 こうなれば、なんでもいい。想うところを、述べてみよう。
 それが、世界に影響を与えるかもしれない。
 それは、透矢のやり方なわけだけど。
 正直、どうしたらいいのかがわからない。
 ただ一つだけ。
 透矢をナナミに奪われた時が、わたしたちの負けだということ。
 それと――。
 健二が、五本のムラマサとやらを集め終わった時。
 ――か。
「健二が、涙石だか刀だかの力で世界を変えてしまったら、それはもう、
わたしたちのいるこの世界ではなくなる。つまり――」
「今ここにいる、わたくしたちは、そこには存在しないと」
 那波が言い、
「単純に、器が取り換えられるだけ――には、ならないか」
 顎に親指、下唇に人差し指をあてて。
 横目で、ちらと透矢の様子を窺うようにして、花梨が呟く。
 透矢は、相変わらず、鈴蘭に遊ばれている。
 愉しそうだ。
 年少というアドバンテージは、わたしには、なくなっているわけで。
 ――くそ、あのロリコンが全部悪いっ。死ねっ!
「そうよ。いっそ、健二と一緒に殺してしまえば、世界も――」
「世界も?」
 にこっ。
 はあっ――。
 なんとなく、那波と目が合った。
 見えていないはずの彼女は。
 気配を感じたのか、優しい笑顔をつくってわたしを見つめる。
 ――はいはい解りました。
「最良の方法は、健二が諦めてくれること。ナナミをどうこうよりも、
まずは健二を抑えることを考えるべきね」
 よく出来ました。
 そんな、那波の笑顔。
 ――この女は、苦手だ、やっぱり。
「でさ、健二って奴はどこにいるわけ? 秘密基地とか?」
 花梨が、那波に訊く。
「秘密基地…か」
 呟いたのは、那波でも鈴蘭でもなく、透矢だった。
「砂の嵐に隠された塔の上か、南極の氷の下…厚い雲に覆われた――」
 そこで透矢は、ぽんっ――と拳骨で手の平を打つ。
「どうやら、僕は勘違いをしていた」
 存在自体が、勘違い――。
 とは、言わないけれど。今度は、どんな妄想なのだろう。
 慣れてしまった自分が、ちょっと嫌。
「僕はずっと、那波のいた世界は、地下にあるんだと思ってた」
 防空壕――。イザナギ――。地上人――。
 そう思わせる要素は、あったかもしれないなあ。
 とは、思う。
「違うんだ。彼等は、天空の城から降りてきた戦士なんだよ」
「天空…の、城?」
 わたしは、呟く。
「ありえねえー」
 花梨が、疲れた顔で肩を落とす。
 たしかにそれは、地下世界以上にありえない。そうは思う。
 けど――たぶん。それは今、この瞬間に、真実となった。
 ――観測した時点で、箱の中の物体は、猫になるのだ。
 そんな話を、なにかの本で読んだ気がする。
 蓋を開けるまでは、なにが入っているかは、解らないという話。
 そして、この中で箱の蓋を開ける力を持つのは、透矢だけ。
 だから、それは、真実。
「しょうがないよ、透矢はバカだから」
 もう諦めた――と、わたしが言い。
「面白い考えだとは、思いますわよ」
 那波が、くそ真面目な顔で言った。
「正解?」
 わたしは、彼女に問う。彼女は――。
「さあ。なにぶん、目が見えませんもので――」
 それが猫なのか、犬なのか、彼女には判らなかったということか。
「密閉された空間のようでは、ありましたが」
「風の吹かない、光の届かない場所なんでしょう?」
 初めて会った時に、彼女はそう言っていたはずだ。
 その、わたしの問いに――。
「雲に周囲を囲まれているんだよ。外界から見えないように。それなら、
風もない、光も差さないというのも考えられるんじゃないかな」
 透矢が、真剣な瞳で訴えかける。
 まるで、叱られた子犬のような瞳。
 あーもう、しょうがないなあ。
「で、その天空の城とやらは、どこにあるのかしら?」
 ずっと、わたしは透矢の妄想に付き合ってきたんだから。
 今さら――。
 それに、透矢がわたしを信用してくれてるってことだしね。
 知らず、彼を見つめる瞳が、熱を帯びてくる。
「健二の話から推測するに、太平洋か大西洋だと思う」
 と、透矢。
「なんで?」
 と、花梨。この世界の透矢に、まだ戸惑いがあるのだろうか。
 わたしと同じで、何かを、別の世界から持ってきてしまった。
 彼女の抱く、透矢の姿とは、少しだけ違っているから。
 頑固な人間なんだろうなあ、と思う。
「透矢が、そう言うから」
 もはや当たり前のように、わたしは答える。
「むぅ――」
 花梨が、わたしを睨み。
「ま、それもいいか」
 不意に、にぱっ――と笑いながら、こう言った。
「でさ、その城に行くには、どうすればいいの?」
「だから、それがムラマサなんじゃないの?」
 わたしは答える。根拠なんてない。なくたっていい。
「透矢はどう思う?」
 彼の想いは、世界に反映されやすい。
 永遠に未完成なこの世界を構成する、要素となりやすいから――。
「それが、村正なんだと思うよ。庄一も言っていたけれど」
 それは、あんたが言わせたことになるんだけどね。
「でも、本当に五本も必要なのかしら?」
 わたしは呟く。
 ――だって、集めるの面倒臭いんだもの。
 せめて三本くらいにならないかなー。
 なんて思ってると。透矢は――。
「わからない。五本かもしれないし、七本かもしれない」
 ――増やさなくていいっ!!
「そう、それが刀とは、限らない――」
 ん――?
「そういえば、庄一が…二つ目がどうとか言ってなかった?」
「そういえば、そんな気もしますわね」
 わたしの問いに、那波が応えた。
「ここに、あるってことかしら」
 花梨が、周囲を見渡して。
 その視線が、それに注がれる。
「弓――なのかしら」
 壁に立て掛けられた、透矢の弓を見て呟く。
「武器の形をしたものが、それに該当する?」
 わたしが、訊いて。
「それを持つべきものも、たぶん決まっているんだよ」
 透矢が、これだっ――という顔をして、言う。
「武器は、全部で八つ! 僕たちは、選ばれたサムライだっ!」
 また増えてるし――。
「侍〜?」
 眉根を寄せて、花梨。
 透矢は――。
「見てて」
 そう言って、ヘンなポースをとった。
 テレビで、特撮ヒーローが変身する時のような格好で、
「武装―ッ!!」
 そう叫んだ。
 ――のは、いいんだけど。
「なにも起こらないじゃない」
 呆れたように、花梨がため息をついている。
「…僕は、姫様を護る、侍たちの末裔じゃなかったのかな?」
 首を捻りながら、透矢が呟く。
 しきりに、おかしいなー、珠がないからダメなのかなー。
 などと、
 ――珍しく、透矢の想いを世界が無視した。
「それって、里見八犬伝かなにか?」
 花梨が、透矢に訊く。
「そう思ったんだけどね。ほら、姫様もいるし…」
 彼は、那波を見た。
 ああ――そういうこと?
 つまり、ナナミの気にくわない想いは、無視されると――。
「サムライじゃない。ということは…」
 透矢が、マリアを見た。
「ほえ…?」
 話についていけないバカマリアが、首を傾げている。
「僕は、蒼の騎士だったに違いない」
 サムライの次は、騎士って?
「あおのきしって、なんですか?」
 マリアが訊く。――訊かなくていい。
「異星人。人類の生まれる遥か以前から、地球を支配していた生命体。
その末裔が、僕――瀬能透矢の正体だったんだよ」
 そういえば、そんなことも言ってたかも。
「すごいんですねー、透矢さんは」
 たぶん解ってない、マリア。
 解れという方が、無理があるかもしれない。
「人類というのはね、彼等が造ったモノだったんだ」
「それじゃ、神じゃない」
 神は、自身の姿に似せて、ヒトを創りたもうた――。
 いちおう、教会住まいなので。
「そうさ。それこそが、我々のいう、神の正体さ」
 天を見上げて――校舎の屋根だけど――透矢は笑う。
「ナナミ様は?」
 問う。問わなくていい、と誰かに言われそうだけど。
 これは、道を示す想い。そういう、直感――。
「そう、それだよ。天空城の正体が、僕には解った」
「それは――?」
「太古の昔、ムーと呼ばれた大陸があった」
「海に沈んだ――と、言われていますわね」
 那波が微笑む。
「沈んだんじゃない、浮かんだ――んだ」
「ハァ?」
 花梨が、肩を落とした。――そろそろ、慣れようよ。
「もちろん、全部じゃない。島の中枢だけが、空に浮かび上がり――。
それは今でも、天高く、地上を見下ろしているに違いないっ!」
 力説――。
「透矢、あんまりヘンな雑誌、読まない方がいいよ」
 コイツ大丈夫か――?
 そうとでも言いたげな、花梨の表情。
 それは、UFOとか、そういう話に近い。
 というか、そのものなわけで。
 彼等UFO研究家の迫害ぶりを見れば、まあ、その感情は解るけど。
「密閉された空間――って、言ったよね?」
 聞いてないし――。透矢は、那波の手を握り締めて、
「つまり、それは、巨大な宇宙船のようなものだと思うんだ」
 彼女の返事も待たず、そう言った。
 ――わたしは、こいつの、どこが好きなんだろう?
 そんなことを、考えずにはいられない、宿直室の夜。
 空が、白み始めていた。
「ねむ〜」
「えへ〜、とうやちゃんおいしい〜はぐ〜にがい〜」
 見れば。鈴蘭が、透矢の背中にもたれかかるようにして眠っている。
 すやすやと、気持ちよさそうな寝息に。時々、意味不明の寝言。
 アレに訊けば、真実は判る?
 それとも、余計に混乱するだけか?
 下手をすれば、透矢以上に危険な存在。
 そう思って、今までなにも聞かないようにしてたけど――。
 やっぱり、聞かない方がいいと、そう思った。
 ――だって、マリア以上にバカなんだもん。
「そんなわけで、花梨――」
「な、なによ…?」
 じぃっと見つめられて、赤くなる。
 わたしと同じように。
「犬の遺伝子を継いだのは、君の方だったんだよ」
「は?」
「マリアちゃんが、キツネ。花梨がイヌ。アリスは――」
 そこで透矢は、う〜ん、と考え込んで、
「魔女っぽく黒猫あたり? それともカラスとか?」
 わかんないなら――
 ていうか、なんだそのダークなイメージは。
「だから、なんの話よ?」
 もう我慢できないと。花梨が、不機嫌そうな声を上げる。
 ぷぅ――と頬を膨らませて。腰に手を当てて、仁王立ち。
「地球の未来にご奉仕するために、集う戦士たち。今にも絶滅しようと
している動物たちの――遺伝子の力を借りて変身するんだよっ」
 ――いや、カラスが絶滅しそうだとは、とうてい思えないんだけど。
 どう見ても増えてるし。猫とか犬も。――狐は微妙かな。
「ご奉仕って、なによ?」
 えっちなこと――と、たぶん花梨の口が動いた。
 声には、ならなかったけど。
「えっちなことは、いけないと思いますー」
 気をとり直すように、花梨が透矢を睨みながら――言った。
「違うっ! 僕はただ、イヌ耳やネコ耳で萌える魂を――」
 慌てて立ち上がった透矢の後ろで、
 ――ゴン。
 背にもたれて眠っていた鈴蘭が、倒れて床に頭を打ちつけていた。
「まさかキミは――ゆ、雪にも、あんなことやこんなことを――」
 花梨の声が、拳が、ぷるぷると震える。
「ゆき?」
 怪訝なわたしの声に、透矢が、
「僕のメイドさん」
 そう答える。
 メイド――が、ご奉仕?
「花梨も、落ちついて。雪さんに、そんなこと。…なこと、させられる
わけないじゃないか。そりゃ、いろいろお世話してもらってるけどさ」
 えっち――と言うべきところで、真っ赤になる透矢はカワイイ。
 見れば、那波は口許に片手を当てて、目を反らし――。
 マリアが、解っているのかいないのか――にへらと笑い。
 鈴蘭は、まだ寝ている。――痛そうな音、してたんだけどなあ。
「イロイロお世話〜? こンの変態エロガッパーっ!!」
「だから、誤解だって…ぎゃー待ってーッ!?」
 ――ドゴォォッン!!
 それは、渾身の力を込めた――右ストレートだった。
第10話