反魂――生命を紡ぐ力

 庄一が去り、わたしたちが残された。
「わたくしが――」
 くるり。那波が振り向く。
 思わず、身構えてしまったが。
「怪我を治して差し上げても、よろしいのですが」
 にこり。――いつもの笑顔。
「ですが?」
 なんだか、引っ掛かる言い方だと思った。
「疲れてしまいました。後は、マリ、アさ、ん、に…」
 くらり――。
 彼女の身体が、揺らいで――。
「え、ちょ、なな――」
 そのまま、前に倒れてきた。うわっ、
「え、あっと――!?」
 きょろきょろと、一瞬で周りを見て、状況判断――。
 マリアが、両手を口許に寄せて、目を見開き、
 ――ダメ。
 花梨が、死んだような顔で、
 ――問題外。
「わはー」
 ――バカ。
「ん――!」
 手を伸ばして、無理矢理に受けとめようとしたわたしより。
 鈴蘭を頭に載せた透矢の方が、動きは迅速だった。
 がしっ――と。
 那波の身体を受けとめた透矢が、振り向いて微笑む。
「はあー」
 とりあえず、安堵。
 無理に動こうとしたせいで、足が痛いわけだけど。
「ナイスよ、透矢」
 ――那波は?
 ずりずりと、床を這うように、二人に近付く。
 なるべく、足首に負荷をかけないように。
「…大丈夫?」
 透矢に、心配してもらった。
「わたしより、那波は――?」
「大丈夫、眠っているだけみたい」
「そう――よかった」
 大事では、ないようで。
「術者自身にも、彼女の力は過負荷をかけてしまうのね…」
 庄一の言った言葉の意味を、少し理解した。

「反魂は、術者本人にも負担が大きい。そう、ざらとは使えねえさ」

 彼は、そう言った。
 術の仕組みは、本人に聞かないと解らないけど。
 本人すら、知らない可能性すら、あるのだけど。
 ――もしかしたら、術者の生命力を、分け与えるものなのか?
 それならば、二度と使わせるわけには、いかない。
「だから――か」
「ん?」
 わたしの呟きに、透矢が首を傾げている。
「庄一は、彼女に能力を使わせないために、退いたのかなって」
 なるほどー、と。透矢が頷く。
「あの矢も、誰かを殺すつもりで返したんじゃないのかもね」
 那波を、廊下の床にそっと仰向けに寝かせた。
「布団でも、あればいいんだけど」
 すぅすぅ――と。かすかな寝息が聞こえている。
「宿直室に、たぶんあるよね」
 そう言いながら、いまだ死んだような状態の、花梨を見た。
 那波は、たぶんこのままで大丈夫だと思う。
 問題があるのなら、庄一が帰ってしまうことはない。
 問題があるのは――こっちなんだよね。
「おーい」
 ぱたぱたと、彼女の目の前で手を振って、注意を引く。
 無意味だった。
 だらしなく崩れた正座のような格好で――。
 彼女は世界を見ていない。
「うーむ、これはやはり…」
 透矢が、腕組みをしながら、じぃーっと彼女の顔を見ている。
 わたしの隣で、マリアとキツネが仲良く座り込んで様子を見ている。
 とてとて――。
「ん、なに?」
 外へ投げ出された、わたしの左足に子ギツネが歩み寄っていき――。
 ぺろぺろ、と。小さな舌で、痛む足首を舐める。
「ありがとう」
 微笑む。怪我を治そうとしてくれてるんだね?
 ――と。
 みるみる、痛みが退いていく感じがする。
「ウソ――、マリア?」
「えへへー♪」
 顔を見合わせるように向き合って、マリアがわたしに微笑む。
「わたしにも、能力ついちゃったみたい」
 にこにこと、嬉しそうなマリア。
 ――そういう、世界か。
 ここでは、人の思いは、なにものにも勝る。
 万能とまでは、いかないかもしれないけども。
 信じていれば、思いは叶う。健二の、言った通りの世界だ。
「ん――」
 たんたん、と。足首を振って、サンダルで床板を叩いてみる。
「痛くない…」
「えへへ♪ やったね、コンチ」
 ぱたぱた――。嬉しそうに、コンチは尻尾を振っていて。
「カワイイ子じゃない」
 怪の一種として、悪いモノの一味のように見てきた。
 けれど。
「わたしの負け。マリアに負けるとはね…。情けないわ」
 そっと、手を差し出すと、コンチは頬を摺り寄せるようにする。
 カワイイ――。
 思わず抱きしめて頬擦りしたくなった。
「――と。まずは、花梨をなんとかしないとね」
 忘れるとこだった。
 てへ、と舌を出して、花梨の方に向き直ると、
「ナナミ様、ナナミ様、宮代花梨が、もとに戻りますように――」
 わたしは、礼拝の時のような姿勢で、祈りを捧げる。
 これは、土地の人間がよく行うという、おまじない。
 いたいのいたいの、とんでけーってのと、大差ない。
 そう思っていたけれど。
 些細な願いならば、それはきっと叶うのだと、今は思う。
「思いが叶う世界、ここはセフィーロというんだよ」
 そう、透矢は言う。
「伝説の魔法騎士が、囚われのナナミを救うために戦い、崩壊してゆく
世界を救った。…それが、ナナミ神話の正体だったんだ!」
「えっと、透矢――それは、妄想?」
 ナナミが、この世界の神であるのなら。
 瀬能透矢という男は、相当、彼女に気に入られているのだろうか。
 ――旦那様、だからなあ。
 あの時、ナナミは間違いなく、透矢のことをそう呼んだ。
「透矢はね、たぶんその魔法騎士とやらの子孫なんだよね?」
 人の想いには、強いものと弱いものがある。そう思う。
 透矢や健二は、強い人間なんだと思う。良し悪しはともかく。
 それが、つまりは世界を創る人間なんだと思う。
 彼等は、要するに、この世界の王であり為政者なのだ。
 そして、民衆であるわたしたち凡人は、それに頼るしかない。
 結局のところ、わたしやマリアは透矢に頼るしかないのだ。
 理不尽ではあるけども。ムカツク話では、あるけども。
 那波や鈴蘭が透矢についたというのは――。
 それは、透矢の思いの力が、健二のそれに勝ると見ていいのか。
「なんでも透矢の思い通りってのも、癪なのよねー」
 だから、わたしは、抵抗してやる。
 彼のことは好きだけど、絶対にわたしからは言わない。
 ――あなたが、わたしを好きになる。
 それが、この世界のわたしの想い――かな。
 なに言ってんのかなー、と。冷静に考えると、恥ずかしい話だから。
「花梨ってさ、あんたのこと好きよね?」
「そうかな?」
 そうだよ、このトウヘンボクのウスラトンカチ。
「王女様は、王子様のキスで目を覚ますのよ?」
 抵抗、抵抗――。逆らってやる、逆らってやる。運命に――。
 やれるもんならやってみなさい。
 ――わたしに、嫌われてもいいならね?
 透矢を見つめる視線に、強く、念を込めてやる。
 ちゃんと見てなさいよ、ナナミ――。
「ちょ、アリス、それって…」
 焦る透矢。そうよ、もっと焦りなさい。
 ほーっほっほっほ――! 心の中で、高笑い。
 ――なんか、電波が移ったかもしれない。もう少し、抑えよう。
 セルフコントロール。自我をしっかり持たないと、だめ。
 でなければ、世界に食われる。怖い、世界なんだ、ここは。
「わはー、ちゅーするの、透矢ちゃーん、ちゅー?」
「鈴蘭ちゃんまで…?」
 頭の上で、ちゅーちゅー言われて、困り果てた透矢が、かわいい。
「アリス…?」
 助けを求める、敗残者の瞳。よし、勝った。
「冗談よ♪ わたしに任せて」
 アリスの死が、起因であるなら――。
 その原因を、取り除けばいいだけの話。
 難しいことなんて、なにもないんだからっ。
「こにょこにょこにょこにょ…」
 ――としか、周囲の人間には聞こえないような、小さな声で。
 わたしは、花梨の耳許にささやく。
 ぴくん。
 花梨の身体が、震えて――。
 カッと、その大きな瞳が見開かれた。
「透矢―っ! キミは神聖な学校でそんなことを――」
 がばっ、と。跳ね起きた花梨が、拳を握り締めて、
「この変質者がぁッ!!」
 委員長ばりのマッハパンチが、透矢の顔面に炸裂した。
 真っ赤な鼻血を撒き散らかして、彼の身体が宙を舞う。
 ――ズシャァァ!!
「ぐはァ!?」
「人として、恥を知りなさい…って、へ、あれ?」
 きょろきょろと、周囲を見まわして――。
 花梨の瞳が、わたしを見た。
「あなた――」
「ごめん、さっきのウソ、冗談。てへ♪」
 かわいらしく小首を傾げながら――にっこりと、笑ってみる。
「――冗談? 言っていい冗談と悪い…本当に、ウソなのね?」
 じとー、と。まるで幽霊が世界を恨むような視線。
「当然でしょ。誰が、バカ透矢なんかと――」
「そう。そうよね? まさか、こんな子供にねえ…」
 ニヤリ――。
 ――カチン。
「本当は、透矢が手を出したのは、マリアの方でしたー」
 ギロリ。
「え、なに? あ――あぅ…お、おねえちゃーん?」
「花梨の恐怖の視線を直視してしまい、石のように固まるマリア…」
「ちょっと…人をメデューサみたいに…」
 がっくり。
 肩を落として、花梨がうなだれた。
 もう、大丈夫。
「まあ、お互い一度死んだ身。仲良くしましょう?」
 右手を、彼女の前に差し出す。
 宣戦布告。
「そうね。あなたが私を、こっちに連れ戻してくれたみたいだし…」
 がしっと握られた、二つの手。その上にマリアの手が重ねられる。
「えーと、よく解らないですけど、わたしも――」
 えへへー♪
 無邪気に笑うマリア。――こいつ、確信犯か?
「ボクもー」
 透矢と一緒に吹っ飛んだはずの鈴蘭が、そこにぶら下がっていた。
「…うー、てて…ねえ、アリス、花梨になんて言ったのさ?」
 ゾンビのようにふらふらと歩きながら、透矢が訊く。
「教えてあげない」
 にっこり、と。わたしは彼に向かって微笑む。
 正解は――。
 ――アリスは生きている。
 ――アリスは透矢にキスされた。
 ――アリスは透矢にエッチなことされちゃった。
 ――花梨がいないから、安心してできるよね?
 ――花梨がいないと、かわいいアリスとやり放題なんだ。
 まあ、そんな感じなんだけど。
 その時。
 むくり――。
 なにかが起き上がった。
「那波?」
 那波が、上半身を起こして、こちらを見ている。
 ぼーっ、と。焦点の合わない瞳が、こちらを向いている。
「おはよう、那波」
 透矢が微笑み――。
「…おふぁよぅ…ふぁぁあ…」
 大あくび。
 お嬢様然とした普段の姿からは想像もつかない、まぬけな姿。
 ぼーっ。
 しばらく、そのままの姿勢で頑張ったあげく。
 ――こてん。
 今度は、横に倒れた。
「な、なんだったのかしら――?」
 そう花梨が、わたしの耳許でささやいたので、
「ずるいですわ、わたくしだけ仲間はずれにして――かな?」
 那波の声色をできるだけ真似て、そう言ってみた。
 たぶん、そんな感じのことが言いたかったんだと思う。
「…まだ、いると思う?」
 再び、花梨が訊く。
「間違いなく」
 出会った女は、全て敵だと思った方が、いいように思う。
 そういえば、委員長――。あれも、態度が怪しかったな。
 そんなことを考えながら。みんなで、那波の身体を宿直室に運んだ。

「――おはようございます」
 数時間して、那波は目覚めた。
 今度は、寝ぼけた様子もなく、しゃきっとした目覚め。
 あれが、本当の那波で――これは演技なんじゃないか。
 そんな疑惑も、湧いてきたり。
「どう、身体は?」
 訊かれた那波は、うつむき、首を左右に振るようにして。
「特に問題は、ないと思いますが」
 顔を上げて、微笑んだ。
 ――まぎらわしいって。
 まるで、身体の各部位を、目で見て確認しているようだった。
 精神を集中して、身体の状態を――感じていたんだと思おう。
「…さて、那波も復活したところで」
 立ち上がって、全員を見渡す。
 透矢、マリア、花梨、鈴蘭、那波に、わたし――。
 随分と、大所帯になってしまった。
「――これからどうするかの相談をしよう」
 礼拝堂で、ヒマを持て余す生活は、もう終わってしまったんだ。
 これで否応なく、世界の流れの一部に巻き込まれてしまう。
 最後の選択は、那波をリリースすること。
 健二に彼女を返せば、彼の想いとの接点は切れるから。
 ――それは、透矢が納得しないね。
 なら、透矢とここで別れる。そうすれば、もとの通り。
 世界を転々として、居場所を探す日々に逆戻り――。
「どうするの? 戦うって、あんなのと?」
 花梨が、手を挙げて発言。
 彼女の選択は、透矢の意思を無視して、彼を別の世界へ連れ去る。
 そういうものだったように思う。
 この世界の象徴でもあるナナミ。
 それが失われれば、世界そのものが崩壊するから――。
 今、この世界にいるわたしたちは、もうこの世界にはいられない。
 ――そうなのか?
「能力ってのは、なにも特殊なものじゃないのよ」
 わたしは、花梨を見て、マリアを見て、鈴蘭を見た。
「こんなバカにも使える程度のものよ」
 マリアが、頬をぷぅっと膨らませて、わたしを睨んだ。
 わたしは、それを無視して話を進める。
 ――むしろ、バカの方が使いこなせるのかもしれない。
「頭で考えるんじゃなくて、こうしたいって想うことが肝要」
「思う?」
 花梨が、怪訝な顔。
 そういえば、さっきは、まだ戻ってなかったのよね。
「この世界は、想いの力で成り立っているの。ナナミの想いによって」
 それが、世界の根幹?
 それとも、ナナミですら、透矢と同じように世界の一部なのか。
「はっきりとは言えない。けど、ナナミは多くの人間に認知されている。
それは、ナナミが世界の中心に近い位置にいるということなの」
「やっぱり。ナナミを倒せば解決するのね」
 してやったり、という花梨の表情。
 どうだろう?
「わたしたちは、ここ以外の世界に、存在できるのかな?」
 ナナミにより近い位置にいた、那波に訊きたい。
 想うに、世界の中心にいるモノから、数珠繋ぎに人は存在する。
 例えば、透矢――アリス――マリア、という順に。
 それは、しばしば組み替えられながら、世界を構成する。
 場合によっては、ナナミ――那波――透矢――アリス――?
 わたしと花梨が、透矢から分岐するのかもしれない。
 透矢から、わたし、マリア、花梨、那波、鈴蘭が分岐している。
 これが、現状――この宿直室の、世界構成なのかもしれない。
「できますわ」
 那波は、そう答える。
「ナナミのいない世界にも、牧野那波や香坂アリスは存在するでしょう」
 ただし――と、少し厳しい表情の、那波。
「わたしたちは、この世界で、ナナミの存在に触れてしまっている」
 そういうことか。納得がいった。
「記憶――。ナナミに関する記憶は、この世界でのみ通用する記憶」
 だから、
 ナナミだけじゃない、この世界の、ありとあらゆる記憶は、
「アリスはアリスでも、それはわたしじゃないんでしょ?」
 ――この世界の記憶は、別の世界では、失われてしまう。
「あれ――?」
 ふと、思った。
「それじゃ、透矢は――?」
「透矢さんの記憶が失われたのも、そういうことでしょう」
 いつもの、少しボケたような表情の、那波が言い、
「やっぱり僕は、異世界から召還された魔法騎士?」
 透矢は――嬉しそうな、哀しそうな顔をしていた。
「僕を召還したのは、那波なんでしょう? なら、僕は、君を――」
「違いますわ」
 きっぱりと。
 まるで、透矢の思考を読んだかのように、那波は言う。
「あなたを呼んだのは、ナナミ。彼女は、過去とは逆のことをしようと
しています。七波に呼ばれた、記憶のないナナミ――ではなく。自身の
世界に、七波…つまり透矢さんを呼ぶ。護られるのではなく、護る存在。
それが、この那波町という世界の、真実ですわ」
 真実――。
 あるいは、電波。
「これはね、そんなに大それた話では、――ないのですわ」
 那波は語る。そう、これはただの――。
第9話