黄泉比良坂の怪

 ――キーンコーンカーンコーン!
 始業のベルが鳴る。いや、鳴った気がする――。
「ここ、どこ?」
「学校ですわ」
 そう、那波が応えた。そうか、学校――か。
「古い建物ね――」
「うん。ここは、戦前に建てられたものらしいからね」
 わたしの後ろの席に座る、透矢が言った。
「――なんで、わたしとあなたが同じクラスなの?」
「アリスちゃんは、天才ですから。飛び級ということで――」
 那波が言う。どうやら、まだ寝ぼけているらしい。
「はいはーい、みんなー。HR始めるから席ついてーっ!」
 ガラッと、前の扉を開けて――。
 変な、犬の耳みたいな髪形の女が、教壇に立った。
「えー、今日から、このクラスを受け持つことになった宮代花梨です。
よろしくねー。あー、前の人は、ちょっと訳ありというかなんてーか」
 とりあえず、そういうことなんだと。――そう彼女は言った。
「――ん?」
 目が、合った。
 つかつかと、近付いてきたその女が、わたしを睨むように見ている。
「あなた、悪魔ね?」
「――魔女だけど」
「悪しき存在には、違いないわ」
「そうかなあ?」
「透矢に仇なす存在、私が今ここで祓ってあげますっ!!」
 懐から、お札のようなものを取り出す、宮代。
 さっ――と、飛び退いて、その攻撃をかわす。
「そんなもの、効かないけどねっ!」
 にらみ合い――。
 バチバチと、二人の間に火花が散る。
「透矢と、どういう関係? ただの教師と生徒じゃないでしょ」
「――知りたい? 気になる?」
「べ、別に、透矢のことなんて、どうでもいいんだけど…」
 にやり――彼女は笑う。
「私たち、実は同じ家に住んでるのよ。ね、透矢くん?」
「バ、バカ、花梨!?」
 焦って、ばたばたと両手を振って否定しようとする透矢。
「学校でも、いつもみたいに『花梨ママ』って呼んでいいのよ?」
 ざわっ――と、教室がどよめいた。
「どういうこと?」
 ――と。
 メガネをかけた女生徒が、つかつかと透矢に歩み寄っていく。
「説明してくれる、透矢くん?」
「い、委員長!? いや、これは、その…」
 ちらっ――と。救いを求めるような視線を、女教師に送る透矢。
 宮代は、そしらぬフリで、あさっての方向を向いていた。
「やっぱりそうなのね…。ふ――不潔よぉぉォ!!」
 ――ドォォン!!
 派手な音がして、透矢の身体が、空の彼方へ吹き飛んでいく。
「…まあ、それは誇張表現として」
 後方に吹っ飛んだ透矢の身体が、木造校舎の壁に激突して止まった。
 委員長の強烈なアッパーが、炸裂したのだ。
 ――いいパンチだわ。
「もう知らないっ!!」
 顔を真っ赤にした委員長は、ずかずかと教室を出ていってしまった。
「んー、冗談が、ちょっとキツかったかなあ…」
 苦笑いを浮かべながら、宮代が呟いた。
 冗談――か。
「大丈夫―、透矢くん?」
 へらへらと笑いながら、彼女は透矢に手を差し伸べる。
「いてて…なんで僕がこんな目に――」
「自業自得なんじゃない?」
 ため息をつく、わたしの横を、
「大丈夫ですか、旦那様っ!?」
 ――と。那波が心配そうな表情で、すり抜けていく。
「だんなさま?」
 にやにやと笑いながら、花梨が透矢に訊いた。
「いや、これは彼女が、勝手にそう呼んでいるだけで――」
「那波を…守ってくださると、言ってくれたのに…」
 よよよ、と。顔を両手で覆いながら、崩れ落ちる那波。
「だんなさまって、なに?」
 その声に――。振り向いた透矢の顔が、再び引きつる。
 にこにこと。微笑んだ、小柄なメガネの少女が――。
「やっぱり不潔よぉぉォ!!」
 ――ドォォン!!
「話を聞いてぇー!?」
 透矢の悲痛な叫びは、夏の高く、青い空の彼方へと消えていった。
「…比喩表現だけどね」

 放課後――。
「おにーいちゃんっ♪」
 カラフルな中学の制服を着た、バカマリアが教室にやってきた。
「どうしたの、マリアちゃん?」
 笑顔の透矢が――なんかむかつくんだけど。
「透矢さんに、手紙を預かってきたんです」
 そう言って。マリアは手にした封書を透矢に差し出す。
 普通の、白い封筒――。
 さすがに、ラブレターという感じではないようだけど。
 中の便箋を取り出して、読み始めた彼の表情が――。
 みるみるうちに、蒼ざめていくような感じ。
「――しまった。僕としたことが…!!」
 唇を噛んで、悔しがる透矢。
「どうしたの?」
「アリス…。那波さんは、どこっ!?」
「那波? さあ。教室には、いないみたいだけど」
「やっぱり。彼女は、誘拐されたんだ!」
「それって――この前の?」
「わからない。例の場所で待ってるって、この手紙に――」
「例の場所って?」
「わからない。きっと、記憶をなくす前なら、わかる場所なのに…」
 本当に、悔しそうな透矢を見るのは、少しつらい。
「那波さんなら、裏庭の方で見ましたけど」
 そう、マリアが言って――。
「行こうっ!」
 透矢が、駆け出した。仕様がないんで。
 わたしたちも、彼の後を追って、走った――。

「あそこに――」
 マリアが指し示す先には、鉄格子のはめられた、小さな洞窟の入口の
ようなものがある。学校の裏庭の、さらに少し奥に入ったところ。
「行ってみよう」
 透矢に続いて、わたしとマリアも洞窟の入口に立つ。
「鍵が…」
 恐らく、ここにかけられていたはずの、大きな南京錠が。
 無造作に、地面に転がされている。
「誰か、いるみたいね」
「これが――地下世界への入り口なのか。那波たちは、ここから地上へ
出てきたのだろうか」
 透矢が呟く。陽の当たらない、風すらも吹かない、闇の世界――。
 そんな世界に、人は暮らしていけるのだろうか。
「気味が悪いわね」
 洞窟は、大人二人が並んで歩くには、少し狭いくらいで。
 下は、きれいにならされているのか。さほど歩きにくくはない。
 なにがあってもいいように、慎重に、ゆっくりと進む。
 明かりの届かない、洞窟の中は、ひんやりとして、少し寒かった。
 ――ざっく、ざっく
「待って。なにか聞こえる…」
 わたしは、二人に注意を促しながら、耳をそばだてる――。
 ざっく、ざっく、ちゃ――と、シャベルで土を掘り返すような音。
「もう少し…先みたい」
 物音を立てないよう、さらに慎重に前に進む。
 ――懐中電灯のわずかな光の中で。男が一人、地面を掘り返していた。
「マリアが火だるまになった時の、あの男よ。…なにしてるのかしら」
 そっと、小声で透矢にささやく。
 男は、一心不乱に、大きなシャベルを使って地面を掘り続けている。
「地底世界への道を拓いているのさ。――おいっ、そこの男!!」
 透矢の発した大声に――。
 のそり、と。男は、こちらを振り向いた。
 頭部にくくり付けられた、懐中電灯が、わたしたちを照らし出す。
「なんだ…。お前たちか――」
 まるで関心のないような、力のない声で、男は言う。
「こんなところで、なにをやっているの?」
 わたしは、少し大きな声で、男に問う。
 ――いるのいるのいるの、と。
 さして広くはない、この洞窟の中に、残響音がうるさかった。
「骨が…」
 ゆらり――男の身体が傾ぐ。
「…見つからないんだよ。那波の骨がね…どこにもォ!?」
 絶望か、歓喜か。それは、どう表現すべき、声なのか――。
 いや、それよりも。
 ――この男は、今、確かに『ナナミ』と言った。
「どういうこと? どうして、那波のッ――!?」
 わたしは、思わず叫んでしまう。最悪のケースが頭をよぎる。
 ――ますます。混ざり合った音の反響が、うるさくて耳が痛い。
「ここで…殺されたはずなのに。彼女は…」
 がっくりと膝をつき、なおも両手で土を掘る男。
 ――狂ってる?
「殺された…はず? ――那波は、どうしたの? 答えなさい!」
 わたしが、そう叫んだ。その時――だ。
「あなたがたのさがしているものは、ここにはありませんよ」
 ふらふらと前に進み出たマリアが――。
 わたしたち全員を、見渡すようにして言った。
「マリア…?」
「ななみ、というひとは、ここにはいません」
 マリアらしからぬ、ひどく冷たくて、落ちついた声だった。
「あんた、誰よ――? わたしの妹を、どうする気?」
 これは、マリアじゃない。――なにが、憑いた?
 これは、あの猫の時と同じ。いや――。
 完全に、このモノはマリアの意識を乗っ取っている。
「べつに――」
 焦点の定まらない、その瞳が、わたしを見た。
「いまさら、せいへのしゅうちゃくなど。ただ――」
 すぅ――と、金の瞳がわたしを見据えた。
 支配が、より強固になった――?
「私は、ずっと…この場所を見てきた。多くの――同じ目に遭わされた
者たちを見てきた。その躯が朽ちて土に還る様を、ずっと…。止まる者、
行く者、多くの魂…。その中に、『ななみ』という者はいない。それを、
教えてあげようと――思いましたのよ」
 キッ――と。その瞳が、今なお土を掘る、その男の手を睨んだ。
「そやつが、わらわの骨を掘り返してしまう前にのう――」
 ぞくっ、と。背筋が凍る。そういう、怖い、声。
 そう、ここの空気は、マズイんだ。
 澱んだ、良くないモノに充ちた――怨み、妬み、恐怖、憎悪。
 そういった――悪い感情が凝った。そういう、世界。
 ヨモツヒラサカというのは、きっと、こういう場所をいうんだ。
「ここは、なんなの…?」
 わたしは、そのマリアに憑いた、いわばここの代表に問う。
 こんなのが、周囲にうようよしてると思うだけで、肝が冷える思い。
「塵芥捨て場か? もう少しましな言い方をすれば、屍体置き場…か。
供養さえしてもらえぬ、まつろわぬ――非国民たちの…ここは墓場」
 マリアの声なのに――。
 ――この声は、こんなに、怖い。
「ごめんなさい。お邪魔したわね。…さあ、いますぐ去るわよ」
 そう言って、透矢の腕を引っ張る。
 下手をすれば、わたしたち全員が、ここのモノに憑かれる。
 ――また、死体が増える。そうだ。あの男も、連れて帰らないと。
「いや。待ってよアリス――」
 透矢が、マリアの姿をじっと見つめながら言う。
「シャーマンの王になるために、強い霊を連れて帰れないかなあ?」
「…やめときなさい」
 今は、そんな妄想に付き合っていられる状態ではないの。
「霊を甘く見たら、死ぬわよ」
 マリアを見る。ソレは、妖しげな笑みを浮かべていた。
「あんたも! ――ちゃんとマリアを解放しなさいよ?」
 優しく、彼女に言い聞かせるように言う。
 いつでも消滅させられるという、その意思を強固に持ちながら。
「…マリア、つまんない。みんな死んじゃえば、愉しい…かも」
 ――って、おい。
「バカマリアっ! 今度はなにに憑かれたッ!?」
 さっきの、落ちついた霊とは、既に雰囲気が違っている。
 より子供っぽい、存在に見える。
「ここから出るわよ、はやくっ!!」
 マリアの手を引いて、歩き出す。
 ピタリ――。その足が止まった。
「…俺か? そうだな、千人斬りのサムライと言えば、解るか――」
「…今度は男? サムライって…とにかく、歩きなさいって」
「ソレだ!」
 透矢が、グッと握りこぶしに力を込めた。
「いいから。透矢は、あの男を連れてくるのよ! 助けてもらった恩も、
あるんだからねっ!!」
 1秒でも早く、ここから逃げたいんだから。
 ピタリ――。再び、マリアの足が止まる。
「お前も聴いただろう? 青の旋律を――」
「なんでいちいち、喋る前に立ち止まる必要があるのよッ!?」
「アリス、だけど那波は――?」
 中年の男の手を引いた透矢が、懇願するような顔で訊いてきた。
「ここにはいない。ここは、死者の国。ここは、彼女の世界ではないわ。
そう――マリアが見たのは…いえ、この話は後っ! とにかく歩いてっ」
 さして深くもない穴なのに、どうしてこんなに、地上が遠い――。

「――ぷはぁ!」
 ようやく、地上に辿り着いた。
 全身が、だるい。だけど、外の空気が、こんなにも、おいしい。
「早く、透矢っ!」
 マリア、透矢、中年男――。3人が、無事に脱出したことを確認して。
 ――がしゃん。
 鉄格子の扉を閉めて、鍵をかけた。これで、元通り。
「さて――」
 わたしは、眼鏡をかけた、その中年男の姿をじっと見る。
 澱んだ空気が、そうさせていただけなのか――。
 今は、中にいた時とは違い、随分と落ちついて見える。
 初めて会った時と、同じ。
「こっちは、問題ないか。マリ――うわぁ!?」
 マリアの様子を見ようと、視線を移したわたしに――。
「コン!」
 ソレは、微笑んだ――ように見えた。
「マ、マ、マリアーっ! 今度はナニッ!? なんなの、ソレはっ!」
 頭の、変な部分に、耳があった。それも、動物の。
「えへへ、ついてきちゃった」
 マリアは、――ちゃんとマリアの声で――そう言って笑った。
「つ、ついてって…あんた」
「でも、悪い子じゃないんだよ。ね?」
「コン!」
「う――」
 マリアの足許に、小さな動物――キツネ?――が現れた。
「具現化――?」
「そうか! 我々には、なにかが足りないと思ってたんだ」
 それを見た――見えるのよね――透矢が、ポンと手を打って叫ぶ。
 ちなみに、普通の人間霊は、なかなか常人には見えないもの。
 動物霊というのは、それだけ、霊力も強いと言われている。
「ほら。魔法少女には、カワイイマスコットキャラがつき物じゃないか」
「いや、わたしたちは、魔法少女じゃなくて、魔女――」
「オッケー、無問題。宅急便でも、充分萌えられるから」
 グッ、と。親指を立てて、歓喜の表情の透矢。
 もういいや、魔女でも魔法少女でも。ウィッチハンターでも。
「名前を、決めないとね」
 へらへらと、締まりのない顔で、透矢がマリアに言う。
「そうですね…。キツネっぽく、コンチっていうのはどうですか?」
 嬉しそうに、人差し指を立てながら、笑顔のマリアが応え――。
「――やめなさい」
 という、わたしの制止を無視して、
「その名前、反対から読むと、もっとイイかもしれないよ?」
 ハァハァと、息を荒くした透矢が――マリアに、にじり寄る。
「死ね、バカ透矢!!」
 ――キーン。
 思いっきり、股間に蹴りをくらって、もんどりうつバカ透矢。
「なに考えてるのよ、この変態っ!」
「反対…?」
 んー、と。マリアが考え込んでいる。
「…チンコ? ああ、チンコですか? チンコがどうかしたんですか?」
 ――バカマリア。
「ああ! チンコが痛いんですね、透矢さんはっ」
「そうなんだっ。さすってもらえたら、治るんじゃないかな…?」
「再起不能に、してもいいかな♪」
 にっこりと微笑んで、わたしは透矢に歩み寄る。
 股間を押さえた透矢は、引きつった表情で後ずさる――。
「し、白魔法かな? た、たぶんアリスの魔法は、効かな――ぐわぁ!?」
 ――ベキ、と。固いものが、折れた。
「クリティカルヒットーっ!!」
 マリアの方をみて、笑う。
 わたしの右手には、一升ビンのような、魔法の杖が握られている。
「わーっ! やっぱりおねえちゃんって、すごいねーっ?」
「コンッ!」
 マリアの笑顔を見て――嬉しそうに、子ギツネが鳴いた。
 心配、ないみたいね。
「僕の…僕のタマがぁー!? 助けてぇ、スーパーピンチ!?」
 叫び、転がる透矢を無視して、わたしは中年男を見た。
「ちゃんと、説明してもらわないとね」
第4話