生命の巫女

「追われていますの。助けてくださいませ――」
 日も暮れようかという時間に、その女はやってきた。
 髪の長い、色白の女。――透矢と同じくらいの年齢か。
「ていうか、今日もいるの、あんた?」
 瀬能透矢は、今日も教会に入り浸っている。
「追われているって、誰に?」
 彼が、その女に問う。人が良いのは、間違いないとは思うのよ。
「あの――」
 女が、口を開く。その瞬間に――。
「那波っ!」
 という、若い男の声が、礼拝堂に響いた。
 若い男が、ずかずかと、礼拝堂の中央を歩いてやってくる。
「さあ帰ろう、那波。君の、いるべき場所に――」
 優しい言葉で。諭すように、男は言う。
 悪人ではないが、透矢ほどバカな、善人というわけでもないようだ。
「――家出とか?」
 わたしは、女に訊く。
「違う。彼女は、カンパニーの秘密を知ったがゆえに。この見るからに
悪い男たちに追われているんだ! 僕の夢を叶えるためにっ!!」
 たちっていうか、一人なんだけどね。
「――てゆうか、その夢ってなに?」
 相変わらず。透矢は、わけの解らない妄想に囚われているらしい。
「今すぐ、ここから去るんだ。そうすれば、悪いようにはしない」
 そう言いながら、どこから取り出したのか、弓に矢をつがえて構える
透矢。――その矢の先端は、男の方を向いている。
「――抵抗する気か、お前?」
 やや茶色がかった髪を短く切った、優男ふうの、その男。
 矢を向けられても、怯んだ様子はない。
 ――できる。
 なんというか、余裕のようなものを感じさせる男だ。
 そう――。この前の、あの眼鏡の中年男に、少し近いかもしれない。
「僕は、正義のヒーローだからね。美少女を守るのは、僕の義務さっ!」
 ぎりぎりぎり、と。矢を引き絞る透矢。
 台詞はともかく、表情は、真剣そのものだった。
 そういえば、彼は弓道部のエースとか、言っていたような気がする。
「わぁー、格好いいです、透矢さんーっ!」
 その姿を見て、喝采を送るのが、バカマリア。
 ――わたしの、妹。コイツは、透矢のことが、好きらしい。
 きっと、バカとバカで、気が合うのに違いないわ。
「まあ。わたくしを、守ってくださるのですか。素敵――」
 ぽっ――と頬を赤らめる、長く真っ直ぐな黒髪の、家出少女。
 まったく。わたしの周りには、バカしか集まらないのかしら。
「なんでもいいから、さっさとカエレ」
 わたしは、その男と女に言う。
「ダメだっ! 彼女は、僕が守ると決めたんだっ!!」
「透矢ァ!?」
 このバカは、またわたしを面倒に巻き込む気なのっ!?
「那波――っ!」
 男の鋭い声に、彼女――ナナミは、ふるふると首を横に振る。
「彼女は、君と一緒には行きたくないそうだよ」
 そう、透矢に言われて。男は――、
「また、すぐに迎えに来る。よく頭を冷やしておくんだな」
 今日のところは――という感じで。颯爽と礼拝堂を後にした。
 後には、ナナミという少女と、わたしたちが残される。
「助けていただき、ありがとうございます。わたくしは――」
「牧野那波――知っているよ。僕に、なにをさせたいの?」
 彼女の言葉を遮るように、透矢が訊いた。
「わたくしは、この世界を――護りたい」
 目を伏せて、悲しげな表情で、那波は答える。
「君の世界を――護る。そのために、僕が必要なんだね?」
 那波の瞳を見つめて、透矢が言う。
「貴方を、つらい目に合わせるかもしれません。わたくしは――」
「この生命。必要とあらば、すべて我が君に差し上げましょう?」
 彼は――。
 西洋の騎士がするように、片膝をつきながら――。
 そっと彼女の手をとって、くちづける。
「まあ。いけませんわ、そのような…」
 ぽっ――と、頬を赤らめる那波。
「ありがとうございます。あの、よろしければ、お名前を――」
「瀬能透矢と申します。こちらが、従者のアリスとマリア」
「――誰が従者だ、バカ透矢」
 わたしの訴えは、このアレな二人には、完全に無視された。
「透矢さま…すてきな、お名前ですわね」
 うっとりと、那波。
「那波というのも、とてもキレイな名前だと思う」
 その透矢の言葉に、那波の表情が、少し曇ったように見えた。
「わたくしは、あまり好きではありませんわ…」
 やはり哀し気な声で、那波は言う。
「どうして?」
「那波というのは、代々の――神に仕える巫女の名乗る名前なのです。
母も、祖母も…そして、わたくしの娘もまた、名乗らなければならない
名前。――誉めていただくようなものでは、ありませんわ」
「それでも、僕は、君の名前が好きだ」
「透矢さま…」
 ――こいつらはバカだ。もう間違いない。
 バカ同士の会話は、聞いてるだけで、こっちが恥ずかしくなる。
「いいなあ…」
 それを見て、ため息をついたマリアも、言うまでもなくバカだけど。
「それじゃ、さっさと帰ってね?」
 わたしは、那波に向かって微笑む。
 これ以上、バカが増えるのは――勘弁して欲しい。
「帰りません。――帰るわけには、いかないのです」
 強い、意思のこもった瞳で、那波は言う。
「父は、魔に心を奪われています。邪な野心を抱いているのです」
「父って?」
 わたしは訊く。世界の危機。那波が先ほど、言っていた言葉――。
「悪は、僕がこの手で滅ぼしてみせるっ!!」
 ぐっと、握り締めた手に力を入れて、透矢が叫んだ。
 だけど、那波は――。
「わたくしには、あの人に拾っていただいた恩があるのです。恩を仇で
返すわけには、いかない。ですから――」
 その哀し気な瞳で、そう言った。
「――改心、させて欲しいわけね。わたしたちの力で」
 そういうこと、なのだろうと思う。
 だから、ここに来た。頼られるのは、悪いことじゃない。
「あなたの存在が、彼に野心を抱かせる原因であるのね?」
 そうなのでしょう――那波は、そっと目を伏せる。
 儚げな仕種が、これほど絵になる存在も、そうはいないだろう。
「僕にとって、貴方は突然すぎた――」
 透矢が言い――。
「わたくしには、きっと、あなたが遅すぎたのですわ――」
 那波が、返す。
 ――見つめ合う、透矢と那波。
 たぶん、凄まじい電波が、二人の間を行き交っているに違いない。
「いいなあ…」
 それを見て、やはり羨まし気に呟くマリア。
「まあ、バカマリア以外は、それなりに役に立てると思うわ」
「バカじゃないー」
 必死に抗議する、バカマリア。それを見て、
「マリアちゃんの方がオリジナルなんだから。精神的にも安定してるし。
薬の副作用で、苦しむこともないから。だから、大丈夫だよ」
 ――またしても透矢は、意味不明のことを言った。
「オリジナルって、わたしはなんなのよ?」
「アリスはね、マリアちゃんのクローンなんだ。マリアちゃんの、心の
弱い部分を強化して、戦闘力を増大させた存在。それが…君なんだ」
「つまり、アリスさんとマリアさんは、よく似ているのですね?」
 那波が訊いた。ん――?
「見ればわかるでしょう。双子なんだから。――って、見えない?」
「はい――」
 巫女というのは、見えてはならないモノを見るために。この世を見る
ための眼を、持っていてはならない――とも言うけど。
「それも、その男が――?」
「いえ、もともと見えなかったのですわ」
 そう言って、にこり――と微笑む那波。
 うすぼんやりとくらいは、見えているのかもしれないけど。
 慣れているからか、そんな素振りは、まるで見せていなかったから。
「そうなんだ。ぜんぜん、判らなかった」
「皆さんが、優しい方だというのは、よく判りますから」
 にこり――。
 実は、笑顔の方が似合う女の子なんじゃないかと。
 その時に初めて。わたしは、彼女が嫌いではないと――そう思った。

 そして――。
 彼女が、教会で過ごすようになって。数日は、何事もなく過ぎた。
「護衛の責務を果たすため」
 とか言って。透矢まで、わたしたちの家に泊まりこもうとしたので。
「礼拝堂で、寝てもいいよ?」
 先手を打って、さっさと追い出した。間違いがあったら困る――。
 そうこうしているうちに、再び、あの男がやってきた。
「そろそろ、頭は冷えたかな、巫女様?」
 庄一という名前の、その男が、那波に向かって言う。
「わたくしは、あの暗い闇の中へ戻るつもりは、ありません」
 きっぱりと――。
 それでも、その男から視線を反らすように、那波は応えた。
 彼に対する、罪悪感みたいなものが、あるんだろうか。
「なに不自由ない、幸福な暮らしを捨ててまで――」
 本当に、解らないというふうに。庄一は、那波に向かって言う。
「ここには、光があるのですわ」
 微笑んで、那波。
「光だと?」
「あなたは、感じないのですか。この世界の、暖かさを――」
「あたたかい…ひかり?」
「こうして――」
 那波は、天に向かって両の手のひらをかざす。
 それはまるで、太陽を捧げ持つような――姿にも見えた。
「生命を育む陽の光を感じましょう。そして――」
 その手を、大きく横に広げる。
「生命の種子を運ぶ、風の歌を聴きましょう」
「風の――うたを」
 庄一は、呟く。彼は、もう、那波の術中に落ちている。
「わたくしは、この世界にきて、とてもたくさんのことを知りました。
透矢さんや、アリスさん、マリアさん…大切なお友達から、この地上で
生きていくことの、素晴らしさを、教えていただきました」
 目を閉じて、耳を澄ます。そんな、那波の姿を見て――。
「やはり、あの時、無理にでも連れ帰っていれば…」
 庄一が、苦々しげに呟く。
「あなたは、優しい方です。わたくしの心は、きっと、あなたに届いて
いると。そう――わたくしは、信じておりますわ」
 優しい瞳で、微笑む那波。
 生命の巫女と、彼等が呼ぶ存在。
 この教会に、相応しい呼び方をすれば、それは――天使か。
「…俺は、あんたを連れ戻しにきた。それが、任務だ…。君は――」
 そんな彼女とは、対照的な――苦渋に満ちた、庄一の顔。
「どうしても――?」
「どうしても」
 彼の問いに、鸚鵡返しで、那波は応えた。
 どうしても、帰るつもりは、ないと。
「ならば――。力づくでも、あなたを我々の世界へ連れ帰る――」
 険しい瞳の、視線が――那波を睨み。
 涼しげな瞳が、それを見返す。
 明らかに、那波の方が、役者が上のように思えた。
「那波さんは、僕が護ると――言ったはずだ、庄一ッ!!」
「このバカもいるしね…」
 呟きつつも見れば――。
 透矢が、いつぞやのように、弓を構えている。
 もちろん、狙いは、既に定められているだろう。
 手を離せば。矢は確実に、彼の心臓なり脳を、射抜くに違いない。
「――地上人が、いい気になるなよッ!?」
 庄一の、その侮蔑の混じった視線が、透矢を見据えた。
 マゾの気のあるらしい透矢には、あまり意味はないんだけど。
 だけど――この男は、なにに憑かれているのか?
 憎しみか。地位か、使命か。義務感――。
 それは、彼の信じる世界の――意思であるのか?
『投げ出しなさい』
 と、那波は言う。いつまでも、過去に囚われてはいけない、と。
 けれど――。
 それでは、彼等が今まで生きてきた世界は、なんであったのか。
 そう簡単に、捨ててしまえるものならば――。
「やってみろ。できるのならな――」
 庄一が、透矢を挑発する。
 透矢は、この世界の人間だ。
 人を殺すことの、許されないこの世界で、彼は――。
「どうした。やはり、お前も口だけの男か?」
「クッ…」
 矢をつがえたまま、標的から目を反らす――憐れな、透矢。
 世界から、自身を否定することなど、できるわけがないんだよ。
「あなた――ちょっと、やりすぎたかな」
 冷たい視線が、男に注がれる。わたしは、その男を見ている。
 わたしたちは、もともと、世界から足を踏み外しかけているから。
 わたしは、魔女――だから。
「少しだけ、痛い目に遭ってもらおうかな?」
 左手に、例のステッキを構える。中身は、ただの水。
 アルコールは、なくなっちゃったし。火は危険みたいだから。
 だから、今日は違う魔法を使ってみようと思う。
 ――バッ!
 大きく左腕を振って、その男に、酒ビンの水を浴びせかける。
「なんだ、水かッ!? チッ――」
 慌てて身を引こうとした男に、右手に隠し持ったスタンガンを――。
 最大電圧で稼動させたまま、投げつけてやった。
「なにッ!?」
 びりびりびり――。電流が、男の身体を走る音。
 水が、足りないか。――まあ、多少なりと効果はあるだろうし。
「サンダーボルト!!」
 それっぽく、ポーズなんかつけながら、技の名前を叫んでみると――。
「わーっ! お姉ちゃん、かっこいいーっ!」
 パチパチパチ――と、マリアが、嬉しそうに手を叩く音が聞こえた。
 ――やっぱり、こういう恥ずかしいことはやめよう。
 改めて、そう思った。
 ――ただの、気の迷いなんだからね。
「透矢さんも、お姉ちゃんのあまりのかっこよさに、惚れ惚れしてるよ」
「ハァハァ…アリスたん、ハァハァ…萌えーっ」
 もうやだ、こんな変態――。
「ク…この俺に一撃を食らわせるとは、――何者だ、お前っ!?」
「何者って言われても…。とりあえず、魔女かな」
「魔女…。我々のような能力者とは、少し違うようだが…」
 ――気絶くらいは、してくれるかと思ったんだけど。
「あなたこそ、何者?」
 多少は、苦しそうではあるが。しっかりと、二本の足で大地に立って
いる。よほど、強靭な肉体なのか、精神力が図抜けているのか――。
「ここではない世界に住む者だ。今日は…君に免じて退いてやろう」
 その男――大和庄一とは、またどこかで会うような気がした。
「わたしは、アリス。香坂アリス――」
「魔女狩りのエキスパート、うぃっちはんた〜ありすたんだっ!」
「――バカ透矢ッ!?」
 また、あまり嬉しくない想像を、された気がした。
「ありすたんか…まさに萌えだな」
 庄一は、ニカッ――と、爽やかな笑みを浮かべている。
「解るか、マイ同志ッ!」
「おうよ! 俺の部下にして、萌えセリフを言わせてみたいものだぜ」
 ガシッ、と握手。
 ――また、バカが増えた。
「次に会う時が、本当の勝負だ。お前とは、いいライバルになれそうな
気がするぜ。――負けるなよ、透矢ッ!」
「お前こそな、庄一ッ!」
 はっはっは、と高笑いしながら、大和庄一は去った。
 ――とりあえずは。
「アリス――」
 透矢が、真剣な瞳で、わたしを見た。どうせ、ろくなことじゃない。
 だから――。
「やだ」
「じゃあ、マリアちゃん」
「はい、なんですか?」
「これからは、僕のことは『お兄ちゃん』と呼んでいいからね」
「…おにいちゃん?」
 ――バカマリアめ。
「ああ、素晴らしいよマイシスター!!」
 えへへ――と、なんだか解らないまま、笑うマリア。
 ますます、バカ透矢から目を離すわけにはいかなくなったようだ。
「次はアリスちゃんの番だよ? マリアちゃんと心を合わせて、危険な
地球外生命体マギュアと、戦わなければいけないんだからね」
「うるさい。ヘタレ男は、少し黙ってなさい」
 もとはと言えば、あんたが元凶なのよっ!
「では…わたくしは、透矢さんをなんとお呼びすれば――?」
 その那波の問いに、
「はいはい。お兄さまでも、にいやでも、好きにしたら」
 投げやりにそう応えた、わたし。
 那波は――、
「那波的には、旦那様と――お呼びしたいのですが」
 そう言って、頬を染めながら、目を細めた。
 まったく、みんなバカ透矢のどこがそんなにいいんだか。
「旦那様か、それも…ハッ! もしや那波、君は…。君の身体は、実は
ナノマシンで構成された、非常に希少な種族だったのか!!」
「はい…?」
 まーた、バカ透矢のバカな妄想が始まったようね。
「ああ、でも爆発するのは嫌だなあ。だから…泣かないで、那波?」
「――はい。那波は幸せですから、泣きませんっ」
 にっこりと、那波は微笑む。たぶん、彼女は、なにも解ってない。
「明日は、一緒に学校に行きましょうね。――旦那様?」
第3話