【午前 9時00分  倉田広純(くらたひろすみ)】

 あと十分で授業が始まるという時間。普段より遅く現れた担任の鈴守(すずもり)は、級長の号令が終わるや否や、さっさと連絡を済ませて出て行ってしまった。あまり機嫌が良くなさそうだったが、他人のことはまあどうでもいい。朝のホームルームを終えると、大抵の生徒は授業の用意をして席に着いてるか、教室内で誰かとダベってるか、トイレに行く。
 今日の俺は、三つ目のパターンだ。前側の扉に手を掛けて(後ろは魔女が睨んでて怖ぇ)ガラガラ開く。――と、そこに女の子。ウチのクラスじゃない。
「あ、えーと、今根理人(いまねまさと)って人、この組にいますか?」
 ちょっとはにかんだ笑顔で、彼女は言った。
 超カワイイ。誰だっけ? 必死に脳内のデータベースを検索する。
 ――すぐにヒットした。
 一年だ。超カワイイ子がいるってんで、チェックしに行ったことがある。
 尾永(おのなが)かより。字は忘れた。いやまて、たしか……
「あ、えーと」
 小首を傾げて、彼女は微笑む。両手を身体の前で組んで、肩をすぼめて、わずかに上目遣いで、こちらを見る。鳶色の大きな瞳と、肩までの真っ直ぐな、瞳と同じ色の髪。背は平均くらいか。痩せ型だが、必要な部分は出ている。口許に牙も出ている。いや、八重歯というのか。とにかく、超カワイイ女の子。個人的には、もう少し胸があると最強クラスなんだがなあ、と思いつつ、教室の後ろを振り返る。
 ――いるな。
 こんな子が、あいつになんの用だと思いつつ、
「おーい、マサトーっ、お客さんだぞーっ!」
 彼女にもわかるように、あからさまに彼に向かって呼び掛けた。
 彼女もまた、そちらを見て、「入っていいですか?」と訊いた。無論、なんら問題はない。
「今根理人さんですか、歴史研究部の?」
「そうだけど、君は?」
 香依に訊かれた理人が、律儀にも立ち上がって、逆に彼女に訊き返す。
「一年C組の、尾永香依(おのながかより)です。今日は、先輩にお願いがあってきました♪」
 ぺこっと頭を下げて、彼女は答える。声がまたカワイイ。
「お願い……?」
「はい。あたしを、’先輩の’クラブに入れて下さいっ」
 ぴくん、と真江(さなえ)、草揺(そうよう)が反応する。二人して、彼女を睨みつけた。挟み撃ちか。しかし、彼女は気にすることなく、(睨まれて石になったりするわけでもないし)にこやかな表情で理人の返答を待っている。
「入部希望?」「はい」「……ウチがどんなクラブか、知ってる?」「たぶん……」
 そんなやり取りが続き、
「いいよ。試しに今日の放課後、
「いいんじゃない?」
 理人の言葉を遮るように、魔女が、にっこりと微笑みながら言った。そうだ、俺もこの笑顔に騙されたクチだ。こいつは、こう見えてなかなか美人なのだ。神秘的とも言える。魔女の瞳を持つ女なんてそういないし、性格だって悪いわけじゃない。
「ただし、我が部が少数精鋭で活動していることは、留意しないとね」
 そう、ちょっとだけ、人間不信の気があるのが、彼女の問題点。人当たりがいいくせに誰も信用してない奴だ。なんだかんだ言って、見ず知らずの人間(それもライバルになりそうな美少女)を、おいそれと自分の仲間(サークル)には入れようとはしないだろう。
「かよりちゃん」
 そっと、手招き。彼女を呼び寄せて――、
「なに?」
「もし本気で入りたいなら、彼女だけは怒らせない方がいいぞ」
 耳元で、そっと囁く。君が迂闊にも笑顔で「先輩」なんて連呼してしまったものだから、彼女たちに警戒されてしまったようだぞ。特に遠藤はあれでデリケートだから……。
「……それって、彼女が魔女、だから?」
 声をひそめて、香依は言った。
「あいつは、自分が『本物』だと思ってる奴だ。マジで呪い殺されかねん」
「でも……あたし、どうしても、少しでも今根先輩の側にいたいから……」
(困ったな。この娘も本気か。本気で、理人が好きなのか? まったくぅ)
 せつない声で言われては、俺も男として、彼女を見捨てられないじゃないか。
 ああもうわかったよ。俺が君を応援してやる!
 板挟みになって少しは苦しめ。イマネマサトめ――キサマも魔女に呪われろ!!
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