【午前 8時00分  鈴守勇一(すずもりゆういち)】

 ガンガンと、お玉でナベ蓋を叩く。朝の炊事は俺の役目になっているので、キッチンに入って朝飯を作っている。といっても料理などロクにできない俺のこと、今日もいつもと同じベーコンエッグにトースト三人分。塩コショウで適当に味付けをするのだが、要領がいまいち掴めず、いつも微妙に味が違う。幸いにして味にうるさい奴もいないし、それはそれで飽きがこなくていいと思うのは、貧しさゆえの悲哀ととるべきか……。
 鈴守家は、もと公家で、歴史を辿れば『教会』のお偉い様に辿り着くのだとか。さらに遡れば貴族のトップたる『公爵様』だともいうが、怪しい話だ。そんな過去はともかく、今のウチは祖父が事業に失敗し、父母が事故で早死にして、要するに貧乏だ。持っていた土地もほとんど取られ、残ったのはこの小さな家と、廃れて誰も寄りつかなくなった古い神社だけ。そこも管理者がいなくて荒れ放題だし、近々手放そうとも考えている。ここも一応は都会だし、まあそれなりの額には、なるのかもしれない。
 民主化革命なんて、やらなけりゃーよかったんだよな。なんて学校で言うと校長あたりが怒りそうだから言わないが(金持ちはいいよな)、あれさえなきゃ、今でもウチは貴族様で、皇帝陛下の御為になんて時代劇みたいなこともやってられて安泰だったんだろう。
 ……ていうのは、単なる僻みだ。
 今根(いまね)家みたいに上手くやれば、(元々の資産が違うってのもあるが)今でもウチは金持ちだったんだろう。祖父に商売をする才覚がなかった。――それだけだ。
(それにしても、教師の給料はもうちょっとよくならねえもんかな)
 なんて思いながら、ガンガンガン、ナベ蓋を叩き続ける。
「ったく、いつもながら遅えな、ガキどもは……」
 舌打ちしつつ、再びガンガン――
「起きてるよぅ〜」「うにゃ〜、うるさい〜」
 眠そうに目をこすりながら、猫のプリント入りのお揃いの黄色いパジャマを着た小学生のような体型の少女が二人、ダイニングキッチンに入ってくる。二人とも同じような体型に同じような顔だが、緑がかった銀髪を長く伸ばしている方が、姉の夕(せき)。短くして後ろを刈り上げている方が、妹の朝(さき)。俺の、年齢(とし)の離れた双子の妹たちだ。両親は、こいつらが幼い頃に死んで、それ以来、十年間、俺が面倒を見てきた。最初はなけなしの遺産、今は高校教師の安月給でな。俺としては、さっさと大人になって嫁にいってもらいたい。今のままでは女遊びもロクにできねえし、だいたい俺が結婚できねえじゃねえか。
「ほら、さっさと食え」
 テーブルに並んで座った二人に、メシを与える。
「眠いよぉ〜」「きょうやすむ〜」
 ぐったりと、半分以上眠ったままの状態で二人は箸を動かして、目玉焼きとベーコンを、バターを塗って焼いたトーストの上に載せる。両手でパンを掴んで、もしゃもしゃ食べる。本当はサラダでも用意したいところだが、面倒だし、時間ねえし、食えそうもねえし。
 時折、手を下ろしては寝つつ、妹たちは食事を終えた。
 最後にカフェオレを、ずずっとすすっておしまい。
「よし、朝は着替えてこいっ! 夕は顔を洗え、いけっ!」
 俺が命ずるまま、のろのろと二人は立ち上がり、廊下にでていく。
 贔屓目に見ても妹たちは美形の部類だと思う。成長すれば美人になるだろう。ややツリ目気味のその目許は、俺によく似ているし、死んだ母親にも似ている。大きくぱっちりとした、髪と同じような色の瞳も綺麗に輝いている。これで性格さえなんとかなれば、引く手あまただと思うのだ。俺の教え子の誰かを適当に騙くらかして、婚約でもさせられねえもんかなと思う。例えば、先日、俺のクラスに転入してきた今根理人(いまねまさと)だとか――。
 教師の間でも問題児扱いされてきた矢作草揺(やはぎそうよう)が、ここにきて更正の兆しを見せているのは、あいつの影響かもしれないと思う。恋は人を変えるってね。狩田(かった)も踏ん切りがついたみたいだし、もう大丈夫だろう。俺が金持ちなら、代わってやってもよかったんだがな、さすがにこれ以上家族が増えると、生活できねえしな。
 ともかく、あいつらを嫁に出さねえことには、俺の将来設計は成り立たないんだ。
 俺もそろそろ着替えようと立ち上がった時――、
「あーっ、しまったーっ!?」
 二階から、大声。朝か――
「どうしたの、サキちゃんっ!?」
 洗面所から顔を出した夕が、どたどたと階段を昇っていく。俺もそれに続く。
「どうしたっ!?」
「……教科書そろえるの、わすれてた」
「あのなあ……」
 部屋の中には、着替えもそこそこに、子供っぽい白い下着と靴下だけの姿の朝が、通学カバンをひっくり返している姿があった。
 ……頼む、少しでいい、大人の女になってくれ。
 俺の幸せのために。
「あれー? 国語の教科書がないよー?」
 よつんばいになって、あたふたと本を探している妹の姿に、俺は泣きたくなった。もう中学生なんだから、少しは恥じらいを持ってくれ。兄とはいえ、俺も男だ。ガキの身体に興味はないが、まさか学校でも、こんな調子じゃないんだろうなあ?
「学校に置いてきたんじゃないの、重いから」
 夕が言う。顔は同じだが、こちらの方が、多少大人びた印象がある。
 やはり、まずはこっちを――
「……思い出した。セキがこの前、宿題写すってノートと一緒に持ってったんだ」
「そうだっけ?」
 と、首を傾げて夕がつぶやく。
「カバン見せてよ!」
「ないよそんなのっ」
「いいからっ!」
 夕の机の上からカバンをひったくった朝が、中身を安物のカーペットを敷いた床にぶちまける。教科書や筆入れが散乱する。その中に、《国語》と書かれた教科書もある。
「ほら、あった! ちゃんとわたしの名前、書いてあるよっ」
「じゃあ、わたしの教科書、どこやったのサキちゃん?」
「学校に置いてきたんでしょ、重いから」
 下着姿の妹と、パジャマ姿の妹が、部屋の中央でむす〜っと睨み合っている。
「どうでもいいが、早くしろ、お前ら……」
 俺は頭を抱えた。今根はおろか、誰がこんな奴らをもらってくれるというんだ?
 たとえ、そいつがロリコンだったとしても、ダメだろうと思う。
(なあ狩田さん? こいつらとお前の養女、取り替えてくれねえか?)
 ダメもとで、提案してみようかな。
 たぶん、嫌な顔するよな。
「もう時間ねえし……」
 このまま置いていこうかな。あーあ、俺まで遅刻だ。校長よ、頼む、今日は出て来るな。
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