【午後 2時00分  広沢美澄(ひろさわみすみ)】

(――なにかしら)
 そう思った時、私の脳は、たぶん正常に働いていなかったのだと思う。その、あまりに非常識な光景に。普通に考えて、こんなのはありえない。
(なんで、学校に、メイドがいるのかしら?)
 それも教室に。もしかして、誰かがふざけてコスプレ(?)でもしているのかと思った。でも、こんな顔の生徒はこのクラスにはいないはずだし。なぜか彼女は、いちばん後ろの矢作草揺(やはぎそうよう)の席に座っている。もしかして、彼女の知り合いなのかしら?
(他のクラスの生徒でもないのは、たしかなのだけど……)
 あんな目立つ容貌の生徒なら、私が覚えていないはずがない。金色の瞳に、銀色の髪の、際立った容姿の美少女。体格的にも、見事に均整が取れているように見える。比べるまでもなく、負けた気がする。そんな人物が、紺色の地に白いひらひらしたエプロン(?)のようなものを付けたメイド服を着て、教室の最後尾の席に、ちょこんと腰掛けている。
(……まさか幽霊とか、いわないでしょうね?)
 実家が神社のせいか、自分には霊感のようなものが、それなりにあったりする。
 古の魔女や神官――そして、『天使』に比べたら、どうということもない、力だけども。
 本物の天使(セルーシア)は、それはもう、凄いチカラを持っていたといわれている。
「ねえ、あれなんだけど」
 まだ始業まで少し時間があるので、このクラスで最も信頼のできる、級長の榛名耀子(はるなようこ)に訊いてみる。律儀に自分の席で教科書を開いて、授業の開始を待っていた彼女だが。
「ああ、あれは……」
 すすっと綺麗に斜め後ろを振り返って、少しだけ、彼女は目を細めた。
「――少し見ない間に、随分と成長したようですわ」
「成長?」
 訝しげな私の問いに、
「日に日に成長する人形の話を、ご存じですか?」
「怖い話ね」
 テレビの心霊特集なんかで、よくやっている。
「主に動物霊が憑依するのだけど。時に、水子の霊だとかもね。それと?」
 あれは関係があるのかと、私は訊いた。
 たしかに、人形のように、綺麗な女の子ではあるが――。
「わたくしが思うに、あれが‘今の’矢作草揺の姿ですわ。周囲の机を、ご覧くださいな」
「隣と前の席に、小さな人形が置いてあるわね」
 今根理人(いまねまさと)と、遠藤真江(えんどうさなえ)の席に、小さなぬいぐるみ人形が鎮座ましましている。
「いずれあれらも、成長して、あのような姿になるのでしょうか」
「成長するって?」
 榛名耀子が、こんな、ばかげた話のできる子だとは思わなかった。
 そっちの方が、実は驚きなのだけど。
「人形や、生命のないモノに魂を吹き込む研究を、昔の科学者はしていたとか」
 目を細めてメイド少女を見つめる榛名が、私に尋ねるように呟く。
「錬金術? ホムンクルスでしょ。人造人間。オカルトよ、あんなの」
「歴史の教師としては、その回答こそが正解なのでしょう」
「なにが言いたいわけ?」
「天使様の時代には、『魔法』は普通に存在したと言われていますけど」
「伝承では、ね。ありえないでしょ。あなたも、魔法に興味あるの?」
「だって、……魔法の儀式みたいじゃないですか、あれって」
 あれ、とは――机に置かれた人形たちか。
「それじゃ、ちょっとお話でもしてきましょうか、‘あの’矢作さんと」
 榛名の肩を軽く叩いて、教室の後ろへ足を向ける。まだ少し、時間はある。
 いざとなれば、自習にしてもいい。あの不法侵入者を、放置しておくよりは。
「あなた――」
「はい?」
 きょとんとした顔で、その少女は応えた。
「そこは、あなたの席かしら?」
「いいえ。人を待つ為に、お借りしています」
 にこにこと笑いながら、彼女は答える。生徒たちが、なにやら囁きあっている。
「お嬢様――私の主人からも、この敷地内にいる許可は、頂いておりますが」
「授業が、そろそろ始まるのですけれど」
 ちらりと壁の時計を見ながら、私が言うと、
「帰ってきませんね。理人さん。もしかして、ズル休みなのでしょうか?」
「……そうかもね」
 彼女の呟きに、ため息とともに私は答えた。
(残念だったわね、遠藤さん。この儀式は、これで失敗よ……)
 彼女が、自身を『矢作草揺』と言い張れば、成功だったのでしょうけど――。
 不確定要素に頼りすぎ。榛名には効いても、私には効かないわよ、その魔法は。
「佳優は、なんて?」
 メイド少女に訊く。この学校で、‘メイドに’『お嬢様』呼ばわりされるような女は、あれくらいのものだ。榛名や、元貴族のお嬢様ってのは、多い学校ではあるけれど。
「みすみちゃんに怒られたら、私の名前を出していいよ♪」
 今根佳優(いまねかゆう)の真似をして、彼女は答えた。さすがメイド。クセとかよく見てるわ。
「――で、あなたは今根理人に、何の用事で?」
「ええ。忘れ物を届けに。お昼からずっと、探していたんですけど」
 ぜんっぜん見つからないんですよー。こんな狭いところで――と、彼女は言う。
 つまり、今の今までずっと、この姿で校内を捜し歩いていたということか。
(あのイマネ宮殿に比べれば、この学校なんて狭いものでしょうけどね)
 ――頭が痛いわ。口うるさい奴に見つかったら、どうするのよ。
「前の授業は? やっぱり三人とも、いなかったの?」
 私の質問に、今根の前の席の、ガッチリと体格のよい男子生徒が振り返る。
「鈴守は、普通に出席とってたけどな。てこたぁ、いたんじゃねえスか?」
「そうっ、それですよソレ! 納得いかないじゃないですかっ!」
 タンっと、勢いよく生徒が一人立ち上がって、こちらに近づいてきた。
「サナのやつ、お昼いっしょに食べようって約束してたのに、思いっきりすっぽかしたんですよ? おまけにサボリですよ、サボリ! 友達として、あたしは悲しいっ」
 ブンと首を振る少女の、耳の上あたりで二つに分けた栗色の髪が、ぴょこんと跳ねる。
 宇尾都(うおみやこ)――このクラスでも目立つ存在だ。遠藤と仲がよいのは、私も知っている。
 そんなことをしているうちに、授業の開始を告げる鐘が、鳴ってしまった。
 今根たちは、まだ帰ってこない。仕方ない、授業を始めるか――。
(まったく、私の授業をサボるとは、いい度胸だわ)
 メイド少女は、今もおとなしく、矢作の席に座り続けていた。
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