【午前 11時00分  広沢美澄(ひろさわみすみ)】

 まず、自分自身のことは、棚に上げておく。
 ――この学校は、なにか変だと思う。
 例えば、あの校長室。持ち主の趣味か、地味な校舎に比べて、余りに煌びやか。貴族的というのだろうか。壁に掛かった絵画も、天井のシャンデリアも、床の絨毯も、調度品のすべてが、とてつもなく高価なものに思える。自分などの見立てが正しいかは解らないが、そう見えた。真贋を見極める眼は、それなりにあると思う。
 それにあの若造りの持ち主。
(エロオヤジが、鍵なんて掛けて何をする気だったのかしら)
 それとも、私と、他の誰かに聴かれたくない話を、するつもりだったか……。
 私の見立てでは、あの男は怪しい。校長として、より良い学校運営に真剣ではある。
 あるが――。
 例の退学処分、彼の陰謀だと言う噂もあるらしい。彼が、罠を張ったのだと。たしかに、問題のある生徒だったけど、何もしなければ、官憲にも捕まりはしなかっただろう。
(体よく、追い出すことには、成功したわけだ)
 そう考えれば、彼が、例の組織の回し者というセンも、捨てきれないところ。
 通称、『異端狩り』――
 実体はともかく、国家体制に反するモノを、狩り出す闇の組織と言われている。
 教会関係者の、それも上の方でしか関与を許されない、秘密の組織なのだとか。
 私も、噂でしか知らないけど。そういう組織が、この世界には、あるのだという。
「……なんであれ、自分の生徒を売り渡すような行為は、感心しないわ」
 職員室で、安っぽいスチール製の机に突っ伏しながら、そっとつぶやく。
 あまり生徒の前では見せたくない、だらしない態度だが、ちょっと疲れた。
(いっそ、セクハラでもされて、訴えてやれば良かったかしら)
 なんてことも思う。しばらくは、あの校長室には近付きたくない、けど……
 昼休みに、彼と校内を散策しないといけなくなった。憂鬱である。
「どうかしたの、美澄ちゃん?」
 頭の後ろで、とぼけた声がする。振り向かずともわかる。
「……別に。あなたには、関係ないこと」
「そーお?」
「……そうよ」
 ため息を一つ。後ろの人物は、立ち去る様子はない。仕方がないので、頭を持ち上げて振り返ってやると、目の前に、胸があった。それも、かなりの巨乳である。こんな奴は、この学校に何人もいない。今根佳優(いまねかゆう)。私の一つ年上で同僚の語学教諭。旧伯爵家のお嬢様だというが、なんでこんな学校にいるのかは私も知らない。道楽なんだろう。あるいは、本当に、教育活動に熱心なのか。なるほど頭は良くて、何種類もの外国語を操るらしい。けれど、性格的に穏やかで、むしろ小学校の先生が合っている気もしなくはない。
「悩みがあるのなら、相談に乗るわよ?」
 胸の前で手を合わせて、彼女は小首を傾げる。表情は、いつものように笑顔。こいつが怒っているところを、実は見たことがない。いや、怒っていても、笑っているような奴だ。文字で表せば、「ぷんすかぷー」って感じで、見ていると笑えてくる。だから、この女は、基本的に他人と争うということがない。さすが、もと大貴族のお嬢様と言うべきか。
 容姿からして、ほにゃーんとしている。綺麗な翡翠色の瞳に、タレ目。眉は細く、淡い色の金髪は長く真っ直ぐで柔らかそうに風になびく。昔の貴族階級の女性のように前髪を左右に分けて、おデコを広く見せている。穏やかな表情は、他人に安心感を与えるものだ。服装も、上品に白のブラウスに水色のロングスカート、桜色のベスト。一見して地味だが、私の眼には、かなりの高級品に見える。さすが、大金持ちの清楚可憐なお嬢様――。
 そんなだから、生徒の間では、非常に人気が高い。《優しいお姉さん》と慕われている。まあ、気持ちは解らんでもない。が、高校教師としては、どうだろうな、それは。
 逆に私は、《お姉様》とか《女王様》とか呼ばれて、怖れられているらしい……。
「美澄ちゃん、キレイだからー」
 と佳優は言っていたが、そうだろうか。黒い髪は、地味なだけにしか思えないけど。
 私も歴史の教師なので、ある程度の歴史は知っている。――つもりだ。
 多くの民族の寄せ集めを、彼等の代表者たる貴族と、さらにその代表者たる皇帝およびその親族たる皇族が支配する帝国。それが国家の成り立ちである以上、今もこの国家には様々な民族を源流とする人々が暮らしている。帝国中期に、言語や文化体系も統一された。ゆえに、この国では民族差別なるものは基本的に存在しない。
 問題は、宗教。表だって問題はないように見える、『教会』が支配する、緩い単一宗教。『天使セルーシア』を頂点とする、いい加減な多神教――というか、これも寄せ集めね。教義に従えば、例え邪神を祀った神社でも、末社として遇される。うちの実家も神社なのだけど、度々帝国に叛旗を翻した地方豪族の長が祭神になっていたりもする。問題はないようだが、内部では分裂傾向にあって、『天使』の復活を目論む一派が力を付けようと躍起になっているのだ。いわば、急進派である。力とは、武力に他ならない。
「異端狩り、だったのかなって、この前のアレ」
 私は、誰ともなしにつぶやく。佳優が聞いていることを期待して。
「う〜ん。ただの趣味じゃないかなー。子供って、強いものに憧れるでしょう?」
 穏やか〜な声で、彼女は答える。まあ、厳しい意見は、期待してないし。
「帝国時代の兵器を欲しがってたっていうのがねー」
「そうね。平和になって、軍は全体的に弱体化してるわね……」
 少しだけ、真剣な表情で彼女は答えた。ちょっと珍しい。
 真面目に話を聞いてもらえたということが、少し嬉しい。
「……あなたの、従弟? 彼は、そういうの興味あると思う? 兵器とか……」
 歴史研究部の新部長、転校生の今根理人(いまねまさと)。校長の前ではあえて名前を出さなかったけど、彼が前部長と同じ性質の人間ならば、注意しないといけない。
「理人クン? 彼は大丈夫。ただの歴史ドラマオタクだから。ぜんぜん平気よ〜」
「……つまり、彼が‘兵器’の話をしても、‘平気’なのね?」
 私は、彼女の表情を窺う。残念ながら、特に変化はないようだ。
「平気よ〜。遠藤さんが、変なことを吹き込まなければ、大・丈・夫♪」
 ――流された。気付かなかったのか。兵器と平気を掛けたということに。
 ちなみに、私のギャグはウケたことがないということを、‘併記’したい。悲しいので。
「遠藤真江(えんどうさなえ)は、」
 本当に、大丈夫なのだろうか。実質的な、部の支配者とも言われているようだけど。
「彼女のことは、物知りで優しい人だって聞いているわ。若いって、いいわねえ」
「それって、どういう?」
 私もまだ二十四歳。まだまだ若いつもりなのだけど。
「んー、理人クン、恋してるわね、彼女に。あ、でも二人にはナイショよ?」
「……そうなの?」
 恋愛事に疎い私には、そういうのはよく解らない。気付きもしなかったのに。
「わたしの勘。よく当たるのよ、昔から」
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