【午前 10時00分  矢作草揺(やはぎそうよう)】

 一限目終了のチャイムが鳴り止まないうちに、右側の扉がガラリと音を立てて開く。
「また来ちゃいました♪」
 明るい声に振り向くと、さっきのオノナガカヨリが立っている。
 歴史研究部に入りたいという、一年生の女の子。
 勝手知ったる我が家のように教室に入り込み、マサトの机の角に、腰をかがめて両手をついた。顔を上げる。私と目が合う。なに考えてるかよく解らないけど、私も天使なら、分け隔てなく総てを愛さなければいけない。――笑顔。すると、相手も笑顔。
 悪い子じゃないのかなと、ちょっと思う。
「さっきの問題、答え解りました」
 マサトの方に首を傾けて、カヨリが言う。さっき、サナエが彼女に問題を出した。入部テストらしい。解らなければ、入れたげないらしい。少数精鋭だかららしい。私も最初に歴史のことを訊かれた。前の部長がまだいた時。これが部の伝統らしい。
「へえ、それで?」
 とマサトが微笑む。自分より天使っぽく見えるのは、気のせいだろうか。
「一色有美(いっしきゆうび)、で合ってますか?」
 カヨリも微笑んだ。相当、自信があるらしい。でも、何それ? 名前?
「……え、えーと」
 マサトが答えに詰まる。すがるような目を、サナエに送る。
「正解」
 なんで解るのよー、という目で、サナエはカヨリを見た。
 カヨリは、偉いでしょ〜誉めて、という目で、マサトを見る。
「すごいね、尾永(おのなが)さん」
 尊敬の混じったニコニコ顔のマサトを前に、カヨリの頬が少し赤くなる。
 むう――。ちょっと納得いかない。じっと見つめると、
 ぴょこん。
「……え?」
 耳が。ううん、気のせい。もう見えないし。彼女の頭に、変な耳が見えた気がしたけど、気のせい。もう見えないし、あんなところに耳なんてない。当たり前。
 たしか、「最後の皇帝に仕えた宮廷魔導師の名前は?」とかいう問題だったと思う。
 その答えが、イッシキなんとか。らしい。知らないし――。
「矢作さん、知ってた?」
 マサトがこちらに顔を向けて、小声で訊いた。私は首を横に振る。
 だよねえ、と力なくマサトが笑う。きっと、ものすごくマイナーな人物なのだ。
 やっぱり、サナエはちょっといじわるだと思う。
「別に、解らなくってもいいのよ。調べようって気持ちがあれば……」
 私とマサトからの非難の視線を受けて、うろたえたサナエは答えた。
 とにかく、これで問題はないということ。私は立ち上がる。
 てくてくと、マサトの机の後ろを通って、カヨリの隣にいく。
「サナエも入っていいって。よろしく」
「はい、こちらこそ!」
 さっきと同じ、両手を机についた前傾姿勢で見上げながら、カヨリが言う。
 なんでだろう。頭、なでたい。なんか、妙にかわいい気がする。
 変な幻覚を見たからだろうか。姿勢が微妙に犬っぽいからだろうか。
 今度は、彼女のおしりの辺りを凝視してみる。
(――見えないか)
 ふさふさの尻尾が見えたりしたら、すごくかわいいと思うのだけど。
「あ、あの、なにかついてます? もしかして、見えちゃってましたっ!?」
 視線を感じたのか、カヨリは急に立ち上がって、おしりを手で押さえた。
「……かわいいから」
 そう言うと、マサトがちょっとビックリしたような顔で、私を見た。
 それから、またなんでもないように、ぎこちなく微笑む。
 ――なんだろう?
 首を傾げていると、横から腕を引かれた。――ん?
「ねえ、草ちゃんって、実は女の子が好きだったりする?」
 ぼそぼそと、サナエが私の耳元で囁く。
「みんな、好き」
 私は笑顔で答える。だって、私は天使になるのだから――。
「そ、そう。私も、その、範疇?」
 なぜか苦笑いを浮かべるサナエに、私はできる限りで最高の笑顔で答える。
「もちろん。サナエのことも、大好きよ」
 そうして、彼女の身体を抱き寄せる。前にTVで見た、動物好きのおじさんみたいに。なんとか王国の王様らしい、その人。動物たちは、みんな幸せそうだったから。
 ――私も、真似をしてみたいと思っていたの。
「かわいい……」
 私は、彼女を抱きしめながら、微笑む。できれば、みんなにしてあげたい。
「……マ、マジ?」
 逃げるように私から身体を引き剥がして、サナエはつぶやいた。
「き、気持ちは、う、うれしいけど、わ、私は……」
「なんだ、羨ましいことしてるなお前ら。百合か?」
 ヒロスミが、’ニコニコ’(ニヤニヤ?)しながら席を立った。こっちにくる。
「ユリ? 『lily』(リリィ)?」
「百合ってのは、女同士仲良く抱き合うような関係のことさ」
「こら倉田(くらだ)、草ちゃんに変なこと教えなくていい!」
 サナエが、ヒロスミの後頭部を殴った。ぐーで。
「痛ぇな。……ああ、天使さま、この暴力女に天罰のいかづちを――」
 ヒロスミが、私を見る。膝をつき、手を組んで、祈る。
「バカやってないでっ!」
 今度は平手で、ぺしっとはたいた。
 ――天使。いかづち。それって――魔法?
「サナエ、魔法見せてっ」
「えっ?」
 私は、彼女が驚くほど、輝いた瞳をしていた――らしい。
 魔女の魔法。それを使えば、私も空を飛べるかもしれない。だから、
「魔法の使える魔女は、もういないのよ」
 だけど、哀しそうな顔で、サナエは言った。私が、悲しませてしまった?
「ごめん、もう言わない……」
 だから、私はもう一度、彼女の身体を優しく抱いた。
 サナエは、困ったような顔で「ありがと」とつぶやいて、笑った。
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