帝国軍は、ほぼミーネの予測通りの地点に布陣した。中央にエーリンス子爵の軽装歩兵二個連隊を置き、右翼にアーヴァイン男爵の重装歩兵連隊。左翼にはミハルディン男爵の軽装騎兵大隊を置いた。ミハルディン隊は、昨今流行の傭兵部隊であった。ほとんどが庶民階級出身の職業軍人である。エーリンス隊よりも、兵質に関しては上であるとの話もあった。ミーネ曰く、大親友の部隊である。帝国軍は、軍全体としては、横に長い方陣形をとっていた。帝国の軍制は過渡期であり(というより、『夜魔族の乱』で従来の戦術に危機感を持った)、いまだ明確な階級というものもない。諸侯が、自らの領地から徴発した兵士を戦場で使役し、各々の判断で戦う。アーヴァインのような旧い体質の貴族ならば、兵科すら自軍で統一してくる。今回の戦いで彼が率いる軍勢は、すべてが重装の歩兵である。この方式は、たしかに指揮系統は簡略化されるが、臨機応変の戦いというものには向かない。逆に、改革の進んでいるフォーウッド軍などは、三兵戦術といわれる歩、騎、砲の三兵混成部隊による複合的部隊運用を可能にしつつあった。エーリンス隊は、その中間とでもいうか、歩兵と砲兵の混成軍となっている。騎兵はいない。その役割は、左翼のミハルディンに任せている。無論、彼女がこの遠征軍の総大将であるからには、麾下のアーヴァインやミハルディンの部隊を動かす『指示』はできる。しかし、その部隊運用は、基本的には彼等諸侯の判断に任されているといってよい。エテルテアでも、弐礼衿奈(にれえりな)などは軍制改革に熱心で、フォーウッドのやり方を参考にして制服を採用したりと、部隊の効率的な運用法を模索している様子である。あまりに「フォーウッドがどう、こう」とうるさいので、口さがない家臣には、「姫様のフォーウッドかぶれにも、困ったものよ」などと陰口を叩かれたりしている。それはむしろ、コンプレックスに近いものであったかもしれない。相天家は、彼女の率いる軍勢に、完膚なきまでの大敗北を喫していたのだから…
 衿奈の軍制改革を支持していたエリアは、それを、自軍全体に統一して採用する。
 エテルテア軍は、敵正面にクラッテオの軽装歩兵二個連隊を置き、武装を小銃で統一した。予備として兵は長槍を携行していたが、使えるものか。どうにか銃を扱えるというレベルの、練度の低い部隊である。多くは期待できない。部隊の前に低い土塁と柵を築き、弾除けおよび騎兵隊の突入を防ぐ陣地とした。これが本隊である。また、左翼に大きく突出した形で、弐礼衿奈率いる騎兵大隊を配している。衿奈は、小高い丘に教団旗を立て、その下に野戦砲五門を配した。これは、木々の間に隠れるようにカモフラージュされている。ただし、ここからでは敵の陣地まで砲撃は届かない。衿奈と藤樹は、そこで部隊の指揮を執るらしい。敵軍の様子を、手に取るように見ることができた。本隊の後方には、総大将を衛るべく、少数ではあるが精鋭とも呼べる近衛小隊が本陣を取り巻き、周囲に睨みを効かせている。彼等は砲兵も兼ねていた。榴弾砲三門が、彼等の前に並べられている。そして本陣の天幕で囲まれた中央部には、彼女の身体には不釣合いなほどに大きく重い、もはや儀礼用でしかないような、相天製の装飾華美な大鎧に身を包んだ、小さな少女の姿があった。彼女は、床几に腰掛け、身じろぎ一つしない。
「総大将は、セルーシア・エテルテアに」
 それが、内瀬藤樹の行った「もう一つ」の提案であった。

 エーリンスは、クラッテオ隊の陣地構築を、邪魔するでもなく静観していた。騎士の情けとでもいうか。これから蹂躙する敵部隊の、「最後の仕事」に敬意を払ったものであるのか。帝国軍の誰もが、自軍の敗北など有り得ないものと、実に呑気に近隣の仲間等と世間話などをしているようにも見える。それでも、彼等も本物の兵士であるならば、いざ攻撃ともなれば本気で戦い、力なき敵の兵士を屠り尽くす獣の群れと化すのだろう。――いや、はっきり言って戦いにすらならないと彼女は思っている。敵の布陣には、大きすぎる穴がある。本隊の側面防御。そこをミハルディンに突かせれば、終わりである。火砲すら使う必要もない。本体は、前進する構えでも見せておけばよい。彼等がこちらに気を取られているうちに。気になるのは敵左翼部隊だが、アーヴァインの重装兵に、騎兵の突撃は効果が薄い。問題ない。持ちこたえられる。それに、彼等は本当に戦う気があるのかどうか…
 左翼のミハルディンは、今か今かと開戦の時を待っている。この戦いは、彼等の名を上げるチャンスでもある。例え、どんな過程を経たとしても、生き残ればそれが勝者。それが戦場の哲学というものである。その上で、戦果の一つも挙げられれば、上等の部類であろう。そしてその戦果は、いまや彼等の眼の前に、無防備にぶら下がっている。むしり取られるのを待つ、熟れた果実だ。悪く思うなよ――黒毛の良馬に跨りながら、シデルグは、にやりと笑う。
 アーヴァインは、東方に陣取った弐礼隊が気になって仕方がない。距離が離れすぎているが、相手は騎兵ばかりの編成であり、長駆こちらに攻め寄せてくるかもしれない。なんといっても、「あの」相天家の残党である。騎馬の扱いにかけては、帝国で並ぶ者なき戦闘集団。特にその怒涛の突撃戦術は、まさに大地を駆ける竜の如し、などと言われる――恐ろしい敵だ。陣地を築くべきか。敵の本隊がしたように、馬を防ぐ柵を。今からならまだ時間もある。そう考えて、やっぱりやめた。弐礼衿奈の部隊と、奴等の中枢にいる聖職者(シスター)どもが不仲だという噂がある。たぶん、あいつらぁやる気がねぇ。フォーウッドの挙動が不審だという今、そっちに付く腹なんだろう。だから、あんな遠くに陣取ってやがる。よりフォーウッド領に近い、あの位置にだ。それよりも、だ。エーリンスが中央で手間取っているうちに、俺等が敵の本陣を落とす。相天の残党どもを相手にするよりも、敵の本体を壊滅させるよりも、よほど出世の種にもなるだろうぜ。なんといっても、あそこには、セルーシア・エテルテアという大将首があるんだからよ。
「いいかぁ、てめえら! 狙うはエテルテアの小娘! ハエカトンボなんざ無視しろよ!」
 そのアーヴァインの檄が飛ぶか飛ばないうちに、戦局は動き出していた。
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