「衿奈の部隊は、相当に士気が高いようですね」
 執務室で、エリアはミーネに語りかける。彼女の情報収集能力には、素晴らしいものがあった。帝国でも屈指の才能だとエリアも思う。弘兼は、彼女を手許に置いて使うべきであったかもしれない。そうすれば、「突然現れた」レイムルの軍勢に邸を包囲されることも、影の皇帝とも囁かれる、現宰相に帝都を追われることもなかっただろう。リデールという名前は、微かに聞き覚えがあった。皇帝ルシフォルの、側近の一人。既にかなりの高齢のはずである。若い頃は医師であったともいう。もともと貴族ではない、市井の民。そんな人間を、ルシフォルは多く抱えていた。変わり者の皇帝だったとエリアは記憶している。三公に対するカモフラージュであったかもしれない。民間人になにができるか。そう三公などは思っていたはずだ。皇帝に即位したレイムルという男も、もとは近衛の人間であるらしい。仇を取ったと、そういう形になるのだろうか。
 それにしても、皇族でもない人間が、よもや皇帝の位に就く日が来ようとは。
「本職ですから。やってもらわないと困るんです」
 ミーネが応える。本軍とも言うべき、急造の部隊――信徒から徴集したエテルテア防衛隊の訓練を見たが、まるでなっちゃいない。素人集団なのだから多くを望むわけにはいかないのは解る。戦争なんてしたくないのも解る。しかし、負けたらそこで終わりなのだ。
「負けたらもう、こんな暮らしはできないって、みんな解ってるんでしょうか」
 ついつい愚痴っぽくなってしまう。敵が来たら、我れ先にとばかり逃げ出すんじゃないかと心配になる。大丈夫だとエリアは言うけれど。彼等の陣が崩れたら、帝国軍はあっという間にこの街を蹂躙してしまうだろう。衿奈の部隊だけで防げるわけはない。精鋭であるだけに数が不足する。防衛隊なんてのは、言ってみれば数合わせだ。壁だ。もう立っているだけでもいいとさえ思う。いっそ地面に身体半分埋めてしまえと、思わないでもない。
「それでは、ミーネがなんとかしてください」
「わたしだって、戦争なんてしたことありませんっ」
 できるものなら、クラッテオ祭司に変わって本軍の指揮を執ってやりたいと、ミーネは思う。指揮官からしてへっぽこでは、勝てる戦も負ける。没落貴族で、戦争経験もあるというが、お世辞にも誉められた指揮官ではないだろう。いや、貴族なんてあんなもんか、とも思うのだが。衿奈やフォーウッドは、異常の部類なのだとも思う。実家の軍と戦うのなら、クラッテオでも勝てるような気もする。しかし――、相手は帝国の、大将軍候補。彼女の実家の田舎軍隊とは、格が違いすぎる。
「真正面から戦うだけが、戦ではありませんよ。敵の編成、規模、布陣、天候、地形、補給、戦の要素は、それこそいくらでも。その最も脆い部分を突くのが戦です。…と、衿奈が言っていたような憶えがあります」
 敵の弱点か――そんなものあるんだろうかとミーネは思う。なるほど、地の利はこちらにあるのかもしれない。あるか? 夜魔族は、山岳地帯で神出鬼没のゲリラ戦を展開したと聞く。しかし、エテルテアは平原だ。結局は、力押し。彼我の戦力差がそのまま勝敗に――う〜ん、と彼女は考える。エリアには、たぶんその「脆い部分」とやらが解っているのだろう。自分は試されているのだと思う。衿奈や藤樹ではなく、エリアでも解る帝国軍の弱点。つまり政治的あるいは経済的、人事的な――問題点。敵の総指揮官はエーリンス。そこは問題ない。帝国にとってこれ以上ない人材だろう。では、その脇を固めるべき副将、あるいば部隊長たる人材は、
 ――誰?
 それか、とミーネは思う。
「資料、お借りしますっ!」
 机の上に置かれた敵軍についての資料をひったくって、部屋を飛び出す。ほとんど自分で調べたものだが、見落としがある。調査が足りない。そうエリアは言いたいのだ。
 どんな小さな綻びも、見落としてはならない。そういうことなのだ。
 燃えてきた。絶対に、勝つ。勝ってやる! 帝国がなんだ! 大将軍がなんだっ!
「こっちには、大宰相エリア・カレティアがいるんだからっ」
 ミーネ・アルリナウの士気は、この上もなく高まっていった。
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