――よい歌だ。
 そう思いながら、魔山は手にした刀を強く握り締める。
 これは、鎮魂歌だ。死者を弔う、安らぎの歌。彼女は、その魂を自ら天へと送るつもりなのだ。本当の、天使となって。それにしても、
「この街の人間の気持ちが、私にも少しは解るつもりだ」
 この時代に、敵として会いたくはなかったと、そう思う。
 慌てて駆け寄ろうとした矢作を、セルーシアは唄いながら片手で制した。
「なにをっ!?」
「彼女を信じて、お願い」
 なおも近寄ろうとする矢作を、身体を張って魔女が、サナリが止めている。
「大丈夫、だから」
「しかしっ!」
 それを尻目に、嘲笑うように、ゆっくりと魔山はセルーシアに近付いていく。
「覚悟ができたということか。安心しろ。街は、私が守ってやる」
 なおも唄い続ける彼女の頭上に、黒い刃がゆっくりと振り上げられていく。
「離せサナリ! 私は、彼女を護る役目だ! 絶対に、護れと言われた!」
 衿奈を裏切るわけにはいかない。彼女の居場所を、失うわけにはいかないんだ!!
「離せ! 離せぇ!!」
 叫び声が、虚しく教団本部の玄関ホールに響く。
「信じて、お願い! 貴方の大切な人が、信じたものを…お願い…」
 サナリは泣いていた。ぐっと強く拳を握り締めて、矢作基早(やはぎもとはや)は、視線を反らす。
「――我々の戦争は、これで終わりだ」
 ぽつりと、魔山が呟いた。その時、
「うわぁぁぁ!!」
 叫び声。魔山のものでも、セルーシアのものでもない。矢作やサナリのものでも、ない。
 振り下ろそうとしたその時、脇腹あたりに痛みが走った。
「…謀ったな」
 脇腹に、短い刃が突き立っている。セルーシアの背後に隠れるように立っていた、あの少女の小さな手が、その柄を握り締めている。血に濡れたその手が、小刻みに震えている。
「こんな子供に、人殺しをさせるのか。それが、――貴様等の正義かぁ!!」
 魔山が叫ぶ。
「違うっ! セルーシアは悪くないっ!!」
 意外なことに、叫び返したのは少女であった。魔山に劣らぬ大きな声で。突き刺した小刀の柄を握り締めながら。いや、離すことができずに、小さな身体が、震えている。
「私は、弘兼旭妃(ひろかねあさひ)。先の宰相皇族弘兼雄飛(ひろかねゆうひ)の子、弘兼旭妃だっ!」
「弘兼だと?」
 魔山は舌打ちした。この街に、奴の娘がいると聞いてはいたが。
「それがどうした、皇族っ!」
 魔山も負けじと叫び返す。子供だからとか、そんなことはもう関係ない。
 少女の手首を掴んで小刀から引き剥がす。突き立ったままの刃。真っ赤な絨毯に、真っ赤な血が滴り落ちる。手首の痛みと血の匂いに、旭妃は顔をしかめた。けど、負けてはいけない。怖がってはいけない。シェルと約束した。エリアと約束した。セルーシアと――
「私が、レイムルを倒す。レイムルを倒して、みんなが幸せになる国をつくる!」
「我々の幸福は、おかまいなしか!」
 少女の表情が、緩んだ。魔山を睨んだ強い瞳が、力を失っていく。
「違うよ。…みんなで、幸せになるんだよ。レイムルだって、そうなりたいと思って、だけど上手くいかなくて、きっと苦しんでる。だから、私が、それをするの」
 少女の頬を、涙が流れた。
 優しい瞳だ。そう美冥は思う。それでいて、強い。そうか――
「レイムル・ロフトは強いぞ。私とて、お前のような子供に、負けはしない」
 これが、器というものか。そう思うと、知らず、彼女も穏やかな表情になっていた。
 意外に思う。まさかこの私が、こんな少女に、
「よくも騙してくれた。セルーシア・エテルテア」
「これがこの教団の、真実の姿です」
 セルーシアは微笑む。そして、再び歌を、唄い始めた。
「風よ、優しい風よ、この思いを、届けて…」
 サナリが囁くように言う。特になにかが起こったようには見えない。けれど、彼女は魔法を使ったのだ。矢作はそう思う。本物の魔女は――力の方を継いだ存在は、初めて見た。そう思い、魔山は顔をしかめる。少女の手を離す。傷が深い。致命傷では、ないが。外れたのか、外してくれたのか…
 少女の大きな、力のある瞳が、美冥を見上げて、
 そして彼女はこう言った。
「私、勝つよ。そうして――、そうしたら、貴方たちの力を、私に貸してください」
 にこりと微笑んで、少女は血に濡れたままの手を、差し出す。
「みんなで、幸福を、手に入れましょう。この国に暮らす、すべての生命の、幸福を」
 その手はもう、震えてはいなかった。小さいけれど、大きくて、暖かなその手を――
 魔山は、その手を取らない。くるりと向きを変えて、歩き出した。
「戦える日を、楽しみにしている、弘兼旭妃。我々に勝ちたければ、もっと強くなれ!」
 しかし、と彼女は思う。
 ――それまで、生きていられるかな、レイムルも、私も。
 カユウ・フォーウッドとの決戦の時は、すぐそこまで迫っている。それだけは、間違いない。アリシナリア・マルザスの魂は、失われてはいない。弘兼旭妃は、それを継ぐ者である。それは、魔山の望む幸福な未来を、否定するものでは――ないのに違いない。
 ならばそうだな。戦争が、終わったならば…
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