本隊大隊本部で全軍――といってもパルナス隊は既に壊滅していた(ファンは消息不明であった)し、衿奈や藤樹は独自の判断で動くことを認めていたので、彼女の采配は専らその支援行動となっていたのだが――の指揮を執っていたフィリア・エーリンスは、それを聴いた時に、ただの幻聴だと思った。戦場の空気に、頭が惑わされているのだと。認めたくはなかった。私は、本当は逃げたいと思っているのかと、そんなことも考えてしまう。だってそうだろう。こんなふうに、戦場で、穏やかな歌声が聞こえてくるなど…
「聞こえますか?」
 隣で、参謀役のユーナ・ドレイスンが、囁く。
「お前も…?」
 見れば、兵たちの様子もおかしい。明らかに動揺が見える。聞こえているのだ、これが。
「戦場で、歌だと。誰だ、非常識な――」
 士気が下がるだろう馬鹿者と、そうフィリアは思う。
「見つけて叩っ斬ってやる…!」
「斬れないわよ。この声――街の方から?」
 やれやれと、ユーナが首を大きく横に振った。
 歌声は、次第に大きくなっていく。やがて、戦場のすべてを、包み込んでゆく。
「これは、風が――歌声を運んでいるの?」
 風が吹いている。これまで吹いていなかった、優しい風が…
「まったくもって非常識ね、あの天使様は」
 今は、ユーナにもはっきりとわかる。この歌の主。この声が、誰のものであるのかが。
 そして――、砲声が、止んだ。
「なにをしている! 打ち方ッ! 今は戦争中だぞ、気を抜くなッ!!」
 フィリアが、叱咤するように大声を張り上げた。ちらほらと、砲撃が再開される。遠くで、銃の音、馬の蹄の音、兵たちの雄叫び。もとの、戦場の音が甦っていく。しかし、
「この歌は、なんだ…」
 いまいましげに、フィリアが小さく呟く。邪魔をするなと言いたい。いかにセルーシアでも、戦場の兵士の邪魔をすることなど、許されない行為である。
「天使の力か、魔女の――サナリ、あなたは、私たちに、なにを伝えたいの」
 この歌声は、彼女たちの起こした奇蹟なのだと、ユーナは思う。
「――そうね。戦争の、邪魔をしたいのでしょう。あの子は、優しい子だから」
 あるいは、街で、なにかがあったか。街の方向を振り返る。小さく見える城壁と、尖塔。
 ――煙?
 尖塔の先に、小さく煙が上がっているように見える。街の方は、変化がないようだが。
「負けた、のかもしれないわ、私たち」
「まだ、そうと決まったわけではない」
 前方を見据えて、フィリアはつぶやいた。彼女の無事を、心で神に祈りながら――。
 セルーシアの歌は、まだ続いている。優しくて美しい声が、戦場を包んでいる。
 それは、こんな歌であった。

 鳥たちの羽舞い うたう空の下で
 花は咲き乱れ ひかり露に濡れる
 生まれくる大地に 帰りましょう今は
 あの高い空へと 心だけ残して
 白い翼を広げ 高い空の彼方
 天使の腕の中に 心だけ預けて
 空へ――
 わたしは翼広げて 舞い上がるの あの空へ
 わたしの腕の中に その心を 抱きしめて
 あなたの悲しみも よろこびに 変わる日まで
 はるか彼方の空で 守りましょう このせかいを
 いつか生まれくる生命 その日のよろこびの為に
 さあ いきましょう あの空の彼方へ――
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