ぴくん、とエリアの膝の上で、ぎゅっと握られた手がわずかに動く気配。 藤樹は、厳しい表情で、とんでもないことを言い出す捕虜を見ている。 「あ、でも皇帝は演習には参加しなくって、代理の大将がたしか、エーリンス子爵っ」 「フィリア・エーリンス?」 がたん、と音を立てて、エリアが立ち上がった。彼女のこういう態度も珍しいと藤樹は思う。しかし、それよりも、相手がよりによってあの堅物だなんて。ついてないというか、最悪というか。 「あの、フィリア・エーリンスですか?」 嘘だ冗談だバーカバーカ引っ掛かってやんのー。そう言えと、エリアの瞳が訴えている。 しかし、 「本当です。わたしの情報に、嘘偽りはありません」 訴えは、あっさりと却下された。 エーリンス子爵といえば、最近有名なカユウ・フォーウッドが、大将軍になる前の話。ルシフォルが無能な皇帝を演じていた頃には、「次の大将軍に」と言われた女性で、エリアも直接の面識はないが、知らない名前ではない。戦争の名人らしい。ルシフォルの指揮下に入って戦った『夜魔族討伐戦(ゲル・ヤーマ)』でも活躍したと聞いている。 藤樹は、さらに彼女をよく知っていた。相天侯の肝煎りで、帝都の全寮制の士官学校に通わされていた時のこと。同じ学校に、エーリンスという奴がいた。模擬戦で、まったく勝てなかった。たまーに奇策が成功して、なんとか勝てたというくらい。いいもん。私は軍師になるんだからっ。部隊指揮は――安親様がしてくれるもんっ。藤樹は、そんなことを考えながら、聞きかじりの呪(まじな)いで、夜中にこっそりと藁人形に釘を打ち込んだりしたものである。若かった。安親と馬の鞍を並べて戦える日を夢想して、身体を熱くしていたものだ。 「で、行き遅れたと」 衿奈のその言葉は、残響音を伴って、今も藤樹の耳にくっきりと残っている。死ねクソガキ! そう思いつつ、安親様の命だから、と一生懸命彼女をしごいた。ああいうのを、スパルタ教育というらしい。同窓会で誰かが言ってたっけ。誰だっけ。 「まあ、あれですよ。自分が思うに、あの新皇帝は長続きしません。ちらっと見ただけなんですけどー、なんていうか主体性がないっていうか、宰相に操られてますね、あれは」 「弘兼雄飛に?」 エリアが訊く。ふふん、おっくれてるー、という感じでミーネは胸を張った。 「弘兼は、とっくに失脚しちゃいました。彼もねー、頭は良かったんですけど、とにかく人望がない。清戸って人が死んでから、そりゃもうグダグダで。帝都も追放されちゃったみたいですよ。それで、――聞きたいでしょう?」 にやりと、彼女は笑った。なんかむかつくが、仕方ない。藤樹は無理に笑顔を作る。 「聞きたい…かな」 「そーでしょうそーでしょう。このミーネさんの超極秘情報。情報戦の達人(プロ)とまで言われた、このミーネ・アルリナウが、」 「早く言え」 藤樹が刀に手を掛けた。ひょえー、とミーネがおののく。おののきつつ、 「わ、わたしはもともと、弘兼様の密偵として雇われましてー、それでですね、長いことこの街に潜伏して、相天の娘がどうとか、そういう情報をですね、送っていたわけです」 それは知らんかった、と藤樹はすこし感心していた。そういった、怪しい奴等の情報はたいてい握っていて、どこそこに誰の密偵が紛れ込んでいるというのは、たいてい知っていると思っていたのに。こんな阿呆っぽい奴に、気付かなかっただなんて。 「その雇い主が、そんなことになっちゃったら、わたしも路頭に迷ってしまうわけです」 「実家の貴族様はどうしたのよ?」 「あー、まーえーと、お見合いがイヤで、逃げたというか、色々ありまして…」 つまり、です。――コホンと咳払いを一つして、ミーネは、 「ここで雇ってください!」 そう言って、ぺこりと頭を下げた。長いポニーテールが、ぴょんとはね上がる。 「それは、まあ、構いませんけど…」 頬に手を当てて、思案顔のエリア。別に反対する理由はない。来る者は拒まず。教団の基本方針は変えるつもりもない。来てから、――は、どうなるかはわからないけども。 ちらり、とエリアはミーネを見る。 あははーっと、見るからに愛想笑いな、ぎくしゃくした笑みを浮かべていた。 可笑しかった。 そうだ、自分が初めてここに来た時と似ているんだ。もっと背も低くて、若かったけど。 ヘスティア様、私は、あなたの望むような祭司に、なれていますでしょうか。 そう問うても答えはない。ヘスティア・エテルテアは、もうこの世にはいないから。 ――私は、たぶん間違っている。でも、 私は、この教団と、セルーシアの――あなたの子供たちのために、最良の方法を。 「解りました。あなたの力を、この地に暮らす全ての者たちの為に――」 エリアは、胸の前で手を組んで、祈りを捧げた。 えっと、こう? とか言いながら、ミーネが真似をした。 藤樹は、それを見ているだけだ。自分は、宗教家ではないのだから。 私は、戦争に勝つ方法だけを、考えればいい。それだけだ。 祈りが終わった。もうここには用はないと、藤樹が立ち去ろうとした時である。 「ところであれ、なんていうんですか、新型ですよね、あの形式の小銃って」 なに、と藤樹が振り向く。エリアと眼が合う。彼女は、にこりと微笑んで、首を傾げた。 「銃、ですか?」 「とぼけても無駄です。言ったでしょう、わたしの情報は完璧だって。北の街外れの工廠で、こっそりと作ってるやつですよ。擬装してましたけど、どう見ても銃の部品でした」 「なんのことでしょうね、藤樹さん?」 本当に知らないという顔で、エリアが言う。藤樹もまた、私は知らないぞと首を振る。 ミーネはちょっとだけ、自信がなくなった。 「えーと、クラッテオ祭司っていうんだっけ、あのヒゲの人。あの人が、夜中にこっそり入ってったりして、怪しいんですけどー。いや、もう少ししたら、本格的に調査をしようかと、思っていたところだったりするんですが」 「それは、困りました…」 エリアは、本当に困り顔である。もの言いたげな視線を、藤樹に送る。 藤樹は納得し、その上で、空気の読めない奴だな、という目でミーネを見ていた。 「解った解った。今度そのクラッテオとかいう奴しょっぴいて、監禁でもしとくからさ。そんな怪しい奴は野放しにはできんしね。なんなら、拷問でもかまそうか」 「ご、拷問!?」 冗談じゃない、というふうに、エリアが藤樹を見る。拷問っていうのは、容疑者を柱に括りつけて思いきり水をかけたり、逆に火で炙ったり、叩いたり、さらに恐ろしいものになると、爪と皮膚の間に針を――それ以上の想像は、エリアには無理だった。 よろよろと、椅子に倒れ込むようにして座る。 「拷問といいますと、大きな針でびっしりの棺桶の中に罪人を入れ、フタを閉めたら身体に針が刺さって穴だらけになったり、大きな輪っかの外周に罪人を括り付けて回転させて、よく見るとその先に刃物が突き出していて頭から真っ二つになったりするあれですね」 それは処刑と言わないか、と藤樹は思う。ふと見ると、エリアが机に突っ伏して、死んだようにぐったりしている。まさか、あまりの恐ろしさに気絶でもしているのか? 「ウチの御大将閣下はデリケートなんだから、表現には気をつけなさい」 「ありゃー、本当だ。――そいで、本当のところは、どうなんですか?」 銃はあるのか、と。 「私がエリアに造れって言った時には、必要ないって突っぱねられたからね。もしそうなら、そりゃあやっぱりそのクラッテオって奴の独断なんじゃない?」 「てことは、やっぱり拷問ですか?」 「そんなに興味があるんなら、自分でやってみる?」 むぅ、としばらく考えて、ミーネは、 「後学のために、ぜひ」 そう答えた。後になって、ごめんなさい許してもうやりたいなんて言いません。いやーだめ彼が死んじゃう!止めてお願い彼を助けて!もうしません!ワガママも言いません!結婚だってしますだから、いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!なんて泣き叫ぶ羽目になろうとは、この時の彼女には、思いも寄らなかったのであるが。 ちなみに、その時の拷問は完全なヤラセで、当のクラッテオは痛くも痒くもなかったし、痛かったのは、ミーネの心だけであった。ようやく解放された彼に、彼女は泣きじゃくって抱きついて。やり過ぎたかなあ、と藤樹もちょっと後悔。衿奈に知られたら、無茶苦茶怒られそうだったので、まあ、これは、その場に居合せた者だけの秘密にしようということになって。――なんというか、恋が芽生えた。ミーネと彼の間にである。彼、ローレン・クラッテオには一人の娘がいて、妻は既に他界。最初は、ミーネの一方的な恋心であったのが、次第に、という話である。その一人娘は、後でとんでもない有名人になるのだが、今はまだ、ただの子供である。ある意味、ミーネの影響を受けて成長した彼女こそ、後の、 「まあ、それはまた後の話として」 藤樹が、じいっとミーネの瞳を覗き込んで言う。 「空気読め」 「はい?」 きょとんとした顔で立ち尽くすミーネと、机に伏したままのエリアを置き去りにして、藤樹は執務室を後にした。新式銃の効果的な運用法を、考えないといけなかった。 ――クラッテオという奴、気の弱そうな奴だし、少し問い詰めてみるか。 そこまで計算ずくなんだろうな。そう藤樹は思う。衿奈が、この教団に来てからやけに大人しくしている理由が、藤樹にもやっと解った気がした。、まったく、とんだ食わせ者だ。 その時、エリアは机に突っ伏して必死に笑いを噛み殺していた。少なくとも、内瀬藤樹の頭の中では、そうである。本当にそうであったのかは、当のエリアだけしか知らない… |
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