「ねずみを一匹、捕まえたんだけど…」
 エリアの執務室の扉をノックしながら、弐礼(にれ)隊参謀の内瀬藤樹(ないせふじき)が言う。初めは相天(そうてん)隊という名であったのだが、やはり相天の名は周囲に与える影響が大きすぎた。巡察隊の別名である。彼等の仕事は治安維持。帝国や他の諸侯――例えば南東方面で領土の接しているフォーウッドなどの送り込んだ密偵の監視や、場合によっては逮捕処分というのも仕事のうちなのだ。今、彼女が引っ張っている縄の先に両手首を縛りつけられた女性も、その類なのだろう。基本的に、うろちょろ何かを嗅ぎ回っているくらいなら密偵といえども逮捕はされない。やりすぎた時に――例えば誰かを殺した、大きな怪我をさせた、見てはならないものを見た――そういう時に、彼等は相応の処理をされる。捕まった彼女は、重大なミスを犯したのに違いない。
 相天族というのは、もともとこの国が誕生した時に、初代皇帝に協力したとされる周辺諸民族の一つである。彼等が差し出した娘と皇帝の間に生まれた子を皇族と称し、彼等自身は諸侯として領国統治を任された。その相天族の首領が、衿奈の相天家である。帝国は、そんな寄せ集めの国家であり、統一国家と呼ぶには少々脆い構造をしていた。文化的にも地方地方でバラバラで、言語も異なり、下層階級レベル――庶民の交流など殆どなかった。やがて帝室の正統が絶えると、諸侯は皇族たちを後見し、中央での覇権争いに明け暮れるようになる。民族間での戦争が殆ど起こらなかったのも、彼等の眼が常に中央を――帝都での覇権を向いていたからである。そして、この時代に勝者として残ったのがドレイスン公爵、相天侯爵、フォーウッド伯爵の三大諸侯、いわゆる三公であった。
 その平和も、皇帝ルシフォルの代で終わりを告げる。
 それまでも、諸侯の叛乱というのはあったが、ごく小規模なものであった。しかしその帝国南東部の寒冷地帯に住む『夜魔族(ヤーマ)』によって起こされた騒乱は、周辺諸侯を巻き込み、叛乱軍は帝都に迫る勢いを見せた。同時期に勃発した『帝国東方領(エストテリトワル)』における『優漣王国の叛乱(レベリオン・ユーレーン)』は、フォーウッド伯の遠征軍によって鎮圧されたが、ドレイスン公は叛乱軍に敗れ、皇帝の親征という有ってはならない事態を招く。皇帝は、飾りでなければならなかったのだ。ルシフォルは、意外にも優秀な皇帝であった。なんとか叛乱軍を撃退すると、講和を結び、三公の排除を目論んだが、無念にも病に斃れた。一説には、毒殺であるともいう。彼の死の後に三公が新たに立てた皇帝ソブルは、まさしく傀儡であったが、ドレイスンの失態は皇族たちの野心に火をつけ、頭脳明晰と謳われた弘兼雄飛(ひろかねゆうひ)が、彼等の排除に成功。宮廷において彼等を斬殺し、自らは宰相として辣腕を振るう。ドレイスンを策略で後継争いの泥沼に引き込み。相天を討伐する。討伐軍の主将には、『大将軍(ジェネラル)』の位を贈って懐柔した、フォーウッド家の娘を宛てた。後に、天才軍略家と称えられる、カユウ・フォーウッドである。この時、優漣討伐軍の殆どは未だ戦後処理に当たっており、カユウには弘兼に逆らうだけの兵力がなかったと言われている。それゆえ彼女は対相天の戦いでは少数の直轄軍と各地の諸侯を動員し、総指揮官として実に見事に効率的な勝利を収めた。これで、カユウの名は軍人たちの間にも高く鳴り響くことになり、後の皇帝レイムルとの戦争を有利に進める遠因ともなった。また、優漣討伐軍の主将であったカユウの姉アマネは、その地に留まり、後に独立して現在の『有蓮(ゆうれん)国』の礎を築いたとされる。
 相天安親(そうてんやすちか)――衿奈の父は、その精鋭揃いの騎馬兵団をもって『夜魔族の乱(レベリオン・ヤーマ)』後の混乱に割り込もうと企図していたとも言われるが、定かではない。相天の敗因は、当主の突然の死による指揮系統の混乱と、カユウによる分断された戦力の各個撃破作戦。一歩も二歩も進んだ中央の装備品――特に小銃や大砲といった銃火器類の差にあったのは明白であり、決して彼等が将兵として劣っていたわけではない。装備を整え、作戦をしっかりと立てて組織だった戦いを行えば、必ず帝国には勝てると衿奈も藤樹も考えている。遠い昔、彼等相天族が任(レン)という国の辺境で遊牧生活を営んでいた頃からの相棒である馬たち。その高い機動力による戦闘域の構築。
 ――それは、有用であるはずなのだ。
 内瀬藤樹は、帝国とどう戦うか、ずっとそればかりを考えてきたのだ。
「どうぞ――」
 中から、エリアの声が聞こえた。扉(ドア)を開く。相天や帝都には、あまり見られない様式である。最初は少し戸惑ったりもしたが、今ではこの街も彼女の庭のようなものだ。順応性が高い。彼女はもともと衿奈の母と同族の出身である。一緒に、安親に拾われたと言うべきか。義理がある。絶対に、自分が衿奈を帝国のトップに据えてみせる。そう意気込んできた。その気持ちは、今も変わらない。
「邪魔するよ。ほら、キリキリ歩く!」
 縄を引っ張られて、捕虜の女は顔をしかめた。憶えてろよ、と思いつつも大人しく従う。
「内瀬殿ですか。その方は?」
 エリアは、縄に繋がれた女性を見た。
「ウチの巡察隊が、怪しい奴を捕まえたって言うんでね。こっちで始末つけてもよかったんだけど、変な女でさ。自分は貴族だなんたらと。で、御大将閣下に御報告をね」
 ぐい、再び縄を引く。
「イタッ! ちょっとちょっと、蛮族の年増女は、レディの扱い方も知らないわけッ!?」
 ぴくん、藤樹の顔が引きつる。年増はないわよねえ、とか思いながら、様子見のエリア。
「――今ここで死ぬかい?」
 藤樹は、腰の刀に手を掛けた。人を斬るのに最適と言われる、相天の『刀』である。
「ほ、捕虜の扱いは、条約で…保しょ、う、」
 さぁーっと、彼女の顔が蒼ざめていくのがわかる。藤樹の眼が怖い。マジだ。
「あいにく、蛮族なもので。条約なんていう高尚なものは、存じ上げませんもので」
「わ、悪かった、若かった! 年増なんてとんでもないです、美貌の軍師様っ!」
 ふん、と藤樹が鼻を鳴らす。
 実際の話、この部屋にいる三人の女性、エリア、藤樹、そしてこの捕虜の年齢は大して変わらない。エリアは不相応に若いし、藤樹は厚化粧のせいで、この教団の一般的な同世代よりは少しだけ老けて見えるだけで。捕虜は、その一般的な二十代半ばの顔立ちである。実際には、もう少しくらい若いだろうか。顔立ちからドレイスン系の出身のように見える。エリアは、フォーウッド系だろうか。少し違うような気もする。他の少数民族か、混血のせいなのか。
 しょうがないなあ、という顔で、子供のような笑顔をエリアは浮かべている。髪が短い為に、余計に若く見えてしまう。藤樹も髪は割りと長めだが、頭の上に結い上げている為、実際にどのくらい長いかは判らない。捕虜の方は本当に長い。ポニーテールにしてなお、腰まで届く。服装は、一般庶民の着る質素なワンピース状のものだが、変装用かもしれない。藤樹の、派手な赤やら黄色やらの『着物』とは違い、地味な色合いである。エリアのそれは、普通に祭司たちの着る白い長衣(ローブ)で、大きな肩掛け(ケープ)に位を示す金糸の刺繍が施されている。身長だけは並みの成人女性レベルだったのが、エリアの救いというか。それでも、目の前の二人は、彼女よりも背が高いわけだが…
「私は、御大将ではなく、大祭司です」
 ふぅっと、エリアがため息をつく。何度言っても改めないのは困ったことだが、藤樹はどうやらエリアのその態度を見て愉しんでいるようなのだ。性質が悪いというか。
「それで、貴方の方は?」
 少し、真剣な顔をして、エリアが捕虜の女性を見た。
「ミーネ・アルリナウ」
 どうだ参ったか、とでもいいたげな様子で、捕虜は答えた。
 といっても、別に有名な家というわけでもない。貴族の端くれではあろうが。
「そうですか。それで、彼女がなにをやらかしたのですか?」
 エリアにあっさりと流されて、ミーネはちょっとがっくりときた。ウチの田舎の方じゃ、立派な御先祖様がいて、「あのアルリナウ様の――」と、もてはやされている家なのに。
 周りを見る。質素な部屋だ。貧乏くさい。自分の実家の方が豪華に見える。石を磨いて造った壁や床、建物自体はそう悪くない。事務用の机が酷い。四角い金属の箱みたいなんだもん。飾りの一つも付いてないし、椅子も座り心地悪そう。本棚とかテーブルとかも、なんだかなあ。壁にヘンな旗が飾られている。水色の地の真ん中に、オレンジの丸。太陽だろうか。その脇に、二つの鳥の翼のようなマーク。ウチの旗の方が格好いいわよね、とミーネがそう思ったそれは、幼い頃にセルーシアがデザインした教団旗である。
「覗き、だってさ」
 きょろきょろと落ちつかない捕虜に呆れながら、藤樹。エリアが訊く、
「覗き? なにを?」
「若い女の子の家でさ、最近おかしな視線を感じるってんで、調べたら、――こいつ」
 ぐいと、縄を引っ張る、いたいいたい、とミーネがわめいた。
「なによ、いいじゃない。若い女の子カワイイし〜」
 ね? と同意を求めるように、ミーネはエリアを――
 見ると、彼女は――エリアは自分の肩を抱いて。身を堅くしていた。
 いや、あんた若くないし。そうミーネは思ったが、あえて言わずにおいた。
 代わりに、別のことを言う。
「で、その悪い覗き魔を退治したのが、わたしなのですよ」
「ハァ?」
 藤樹が眉をひそめた。なに言ってんだ、こいつ。
「だって、問題起こさないと、いつまでたっても捕まえてくれなさそうだったしね」
 すっ、とエリアが為政者の顔になる。あ、面白い――とミーネは思う。
 話を続ける。
「これはここだけの、極秘情報ですよ。近々、新皇帝陛下レイムル様ばんざーいってんで、大規模な軍事演習が行われるらしいです。ここから、すこーし南に行った辺りですかねー」
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