慌てて、矢作は彼女の視線を追う。馬鹿な――そう思った。
 セルーシア・エテルテアが、そこに立っている。
 ありえない。彼女は、大聖堂に、この街の、民とともに――
「ホワィ ドゥユゥヒア ホワィ(なぜ、こんなところにいる。なぜ、)」
 この地方の、フォーウッド語に近い言語で、そう矢作は訊いた。
 通じなかったのか、彼女の答えはない。いや、言葉は通じては、いたのだが。
 セルーシアは、一歩、前へ踏み出す。その隣には、魔女を従えて。
「無意味な戦いは、これまでにいたしましょう」
「降伏する気になったのか。今さら、」
 魔山は彼女を見る。真剣な、それでいて優しい表情の、この世のものとも見えぬ美しい少女。彼女には、そう見える。なるほど天使と称されるのも、解らなくはない――、が。
「なにもかもが、遅い。矢は、既に放たれたのだ」
「矢は、風に流されましょう。なにを傷つけることもなく、優しい大気に抱かれながら、地に戻されましょう。闇は、いつしか光を纏い、人々の心を暖めてくれるでしょう」
「坊主の、世迷い言を――。私にそんな説法が、」
「説法ではなく、予言というのです、魔山美冥(まやまみめい)。私は、確信しています」
「なにを――?」
 言いかけて、彼女は気付いた。天使の後ろに、隠れるように立つ、まだ幼い少女。
「子供を戦場に引き摺り出すのが、お前たちの流儀か?」
 この期に及んで、いまだ姿も現さないエリア・カレティアといい…
「エリアはどうした。奴が出てこねば、話にもならん」
「エリアは、出てきません。私が、このエテルテア教団の導主です」
 魔山は、心の底から、エリア・カレティアを軽蔑した。
 同時に少しだけ、この年若い指導者に、興味を覚えている。
「降伏の条件は、エリアの首だ。私自らあの下郎をギロチンにかけてやる。皇帝陛下には、教団の存続を上奏して差し上げよう。もっとも、教義の一つ二つは、変えてもらわねばならんかもしれんがな…」
 独特の、やや訛りのある帝国平準語(貴族の言葉)で、魔山が彼女に告げる。
「条件が、違います。貴方の幸福の条件は、帝国軍の即時撤退――それだけです」
 不意にセルーシアは、魔山や矢作がしていたのと同じ、綺麗な相天語を使って言った。優しげな微笑みのままで。地方者らしからぬ高い教養だと、魔山は感心する。それに、
 ――エリアなどよりも、よほど骨がある。面白い。
「私がお前に、頭を垂れよと?」
「神に」
 セルーシアは、眼を細める。憐れむような瞳で、魔山を見つめた。
「ハッ、人の分際で、神を騙るとは…おこがましいにも程がある!」
「その言葉、帰って皇帝陛下に上奏してください、魔山子爵」
 そう言って、再び微笑む。慈悲の心に満ちた、優しい天使の瞳。
「馬鹿にするな、貴様! 私が、誰からも必要とされぬ衆民上がりだと――」
「私が、貴方を必要としましょう。同じ、衆民として」
「…神を名乗るような者がっ」
 その瞳で見るなと、魔山の瞳が訴えている。憐れみなど、必要ないっ!
「神と衆民と、なにが違いますか。レイムル・ロフトは、衆民でありながら皇帝となった。帝国は変わるのです。すべての人が幸せになれる、そんな国に。変えていきましょう」
「世迷い言だ!」
 今という時代に、人は、平等などという概念を抱くことはできない。
 魔山にはそれが解る。魔女の力ではなく、その血のみを引いた、彼女にならば――。
 迷いは、絶ち切る。魔山は、刀の切っ先を、彼女に向ける。
「どうやら、エリアとともに、お前も斬らねばならぬようだな」
 一歩、二歩、セルーシアが歩を進める。両手を胸の前で組んで、眼を閉じた。
 そうして、
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