結局、敵の本拠――街の中央にある教団本部にまで辿りつけたのは、彼女一人であった。彼女の盾となり、死んでいった兵たち。その為にも。
 周囲を警戒しつつ、建物正面の大仰な扉をそっと開いて転がり込む。ここまで存在が明らかな以上、どこから侵入しても大差はないだろう。後は、いかにエリアの居場所を突きとめて、殺すか。玄関ホールに侵入した彼女は、急いで近くの物陰に身を隠す。
 正面に、人の気配があった。天使を象った石膏像の向こうに、人が隠れている。
「遅かったじゃないか、黒騎士。また会えるとは思わなかったぜ」
 まだ若い男の声だ。そっとその顔を覗き見る。思い出すのに、時間が掛かった。
「弐礼で、会ったことがあったか?」
 男は答えず、別のことを言った。
「何人殺した?」
「十人失った。夜まで待つべきだったと、後悔しているよ」
「そうか――、なら、上出来だ」
 キンと鯉口をきる音がして、彼は刀を抜く。石を磨いて造られた床の上に布かれた真っ赤な絨毯は、貴族の館であった頃の名残であろうか。濃緑色の軍服を身に纏った矢作基早(やはぎもとはや)の前に、黒騎士魔山美冥(まやまみめい)が立った。いつぞやの、再現――。
「相天の騎士も、変わったな」
「主君がフォーウッドかぶれでね。困ったものだ」
「そうか。我が方の大将閣下も似たようなものだ。気が合うな、若造」
「まったくだ。どいつもこいつも、フォーウッドの方ばかり、嫌になるな」
「私と――」
 共に来ないか。そう言いかけて、美冥はやめた。相手は相天の騎士だ。なによりも義を重んじる者たち。一度仕えた主君を、違える真似を潔しとはしない、頭の固い奴等。
「ここで決着をつけようというのか貴公、名を名乗られよ」
 倒すべき相手の名を聞くことは、礼儀である。古くは、どんな騎士もそうであった。
「侯爵相天弐礼衿奈が配下、矢作城主基常(もとつね)が子、男爵矢作基早である。いざ」
 矢作基常(やはぎもとつね)は、フォーウッド軍との戦いで戦死していた。勇敢な戦いぶりであったと言われる。基早の言うような爵位は、既に効を失っているが、見えを切るとはそういうものである。
「帝国近衛軍、西方(にしかた)探題、鎮西将軍、弐礼城代、贈子爵魔山美冥――」
 西方とは、旧相天領。探題は、その統括者。鎮西将軍は、相天の言葉で侯爵と同義でもある。彼等はむしろ、その言葉を好んで使っていた。将軍を名乗るのは、武門の誉である。そもそも大将軍というのも、本来は有事における臨時の役職に過ぎず、その役割も、皇帝の軍事面での全権代行――つまるところが、近衛軍司令に過ぎない。諸侯に対しては、命令権もない。軍事行動の要請、それだけである。これまでは、そうであった。帝国北東部を治める伯爵家出身のカユウは、それに加えて自軍のフォーウッド軍まで麾下に収め、さらにその版図を広げようとしている。レイムルなどは簒奪者に過ぎないと、そう考える貴族や皇族も多い。帝国東南部の海岸線沿いの街を陥としながら破竹の勢いで駆け上ってくるミツネの軍勢と歩調を合わせて、決戦を挑もうという腹だろう。その為にも、帝国の最北部にあたるこの街を陥落させ、奴等の後方を扼すことは、戦略上で優位に立つことになる。弐礼の民は素直なものであったが、ここはどうか? いざとなれば、恐怖政治を布くことも辞さない。それが魔山美冥である。恨めばいいさ、そう思う。魔山美冥は、恐怖の象徴となる。戦争が終われば、そうだな…
「我が漆黒の刃に、斃れよ!」
 黒塗りの『星鴉(ほしからす)』を手に、走る。考えるのはこれまで。後は、斃す! 殺す!
「させるかよ!」
 キィィン、と金属音。矢作の刀が、振り下ろした星鴉とぶつかる音。
 至近で睨み合う。やるな――、お互いにそう思う。にやりと笑う。
 飛びすさって間合いを確保した。
 片手持ちで両手を大きく広げた魔山と、青眼に構え、じりじりと歩を進める矢作。
「せぇい!」
 矢作の突き。がら空きの胸元へ。後ろへ、身体を反らせながら、魔山が跳ぶ。
 矢作は右足をつき,勢いのまま左足を前へ一歩。力を込めて、跳躍。右肩を巻き込むように前へ。ほとんど倒れ込むような大勢から、左手を離し、さらに片手一本突き。
 咽喉っ!
「ちぃっ」
 魔山は空中で首を右へ振って切っ先をかわす。黒髪が、何本か舞った。
「んぬっ!?」
 倒れ込みながら、さらに矢作の腕が右から左へ振り払われる。
 ――間に合わんっ!
 矢作の腕が、銀色の刃が、彼女の左から右へ、横薙ぎの
 キィィン――
 再び、金属音。刀を持った右腕を下から振り上げて、魔山の刀が矢作の刀の背を、巻き込むように打つ。顔と顔とがぶつかりそうなほど、至近、それも空中での――
 着地は、完全に失敗した。双方とも、受身すら取れていない。
 二人、もんどりうつように、絨毯の上に倒れ込んだ。
「ぐうっ…」
 口から息が漏れる。転がって起き上がり、バッと跳びすさり、再び間合いを取る両者。
「神様に、感謝する気になったかい?」
 やや息を荒げながら、矢作基早が、にやりと笑う。
 下が石の床であれば、この程度の痛みではなかっただろう。
「お前達の神は、敵には優しいのだな」
 魔山美冥も、にやりと笑う。ここで二人ともども痛手を負わせてしまえば、お前たちが勝つ公算も大きくなっただろうにな。こいつらは、ここで私一人を、殺せばよいのだから。
「生命を惜しんでいるわけではあるまい、矢作!」
「エリアの為に死ぬ気はないがな。衿奈の為なら、喜んで死ねるぞ、俺は!」
「――いいだろう。その言葉、後でそっくり当人に伝えておいてやろう。慈悲だ」
「それだけは勘弁してくれ。後生だ――」
 眉根を寄せて、矢作が唸った。そんな恥ずかしい言葉は、伝えなくてもいい。
 くくく、と愉しそうに魔山は笑い、そして、再び表情を引き締める。
「遊びは終わりだ」
 魔山が床を蹴る。迅い。今までのが、本気ではなかったというような、
 正面。大上段に振り被った黒き刃が――
 消えた? 残像か!?
 眼で捉えることなど不可能。勘で、
「右――」
 いや違う。妙に冴える日だ。今の自分は、なによりも正しい。そう思える、不思議。
「左かぁ!」
 黒い影。姿を現した魔山の刃が振り下ろされる。刀を立てて、それを
「そっちだぁ!」
 そのまま、真後ろに振り下ろす。
 ガッ、
 鈍い音。屈み込むようにして、魔山が刀の柄頭でそれを受けとめていた。
「――よくぞ、見抜いた」
「今度こそ、神に感謝する気になったか、黒騎士!」
 魔山は、これ以上ないというほど、不気味な笑顔を浮かべて言った。
「ああ。嬉しいよ。自分から、会いに来てくれるなんて…」
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