エテルテアの街は、静かである。恐らく、住民は大聖堂にでも避難しているのであろう。
 彼方に響く砲声や銃声、勇敢な戦士たちのあげる喚声を聞きながら、魔山美冥(まやまみめい)――黒騎士は、城壁の陰から街の様子を窺っている。城壁といっても、街路の突端部分は大きく開けているし、壕のようなものも、吊り橋もない。入ってくれというようなものである。円形の街の周囲を、ぐるっと舗装された道路が巡る。彼等は今、バラバラにその上にいる。総勢十名ほどの、いわゆる『忍装束』と呼ばれる、相天では割とポピュラーな諜報部隊用のだぼっとした衣装を着用した兵たち。魔山隊の斥候部隊も務める彼等は今、指揮官魔山の直下で動いている。この様子なら、潜入工作も容易いだろうと思われた。
 少々時間が掛かってしまったのは、パルナス隊の目につかないように、彼等の布陣した丘を迂回していたからだ。目立たないように、人数も厳選した精鋭部隊。この位置からでは戦況は掴めないが、それはもはや関係ない。今は、命令を実行するだけだ。
「見張りすらいないというのは、総出であるということか…」
 弐礼と比べれば大きな街だが、それでも都市一つで動員できる兵など知れている。帝国軍が全力を挙げられる――十万の兵を動員できる情勢なら。あるいは、レイムルが帝都を空けられる――そうでないからこそ、彼等も抵抗しようという気にもなるか。敵が多すぎるぞ、リデール。思わず愚痴の一つも言いたくなる。家柄や血筋などに縛られた愚かな貴族どもに、本当の力というものを見せてやる。それが、――夜魔族のミツネ。清戸などに義理立てなど…
「この腐った国を、正しく導く役割を…それを忘れたわけではあるまい」
 片手を挙げて、前に小さく振る。突入の合図。
 その時、――なにかが光った。なんだ? そう思うより早く、叫んでいた。勘だ。
「退避!」
 チュゥゥン――
「ちぃぃ!」
 彼女の恐ろしいまでの動態視力は、目の前を過ぎ去ったその丸いモノを、あたかも静止画を見るように、凝視していた。銃弾。回転しながら飛ぶ、鉄砲の弾だ。狙撃銃というものか。さすがに見張りぐらいは、残していたということだ。
「総員、壁を盾に!」
 光ったと見えたのは、街の中央に高くそびえる大聖堂の尖塔の先。とはいえ、そこから撃ったというのはありえない。遠すぎる。角度も違う。近くにいる。それも複数。あの塔が、見張り台になっていると言う訳だ。あの光は、攻撃開始の合図。どこだ?
 顔だけを出して、中を覗き見る。人の姿は見え――
「民家を、銃郭にするのか、エリアという女?」
 前方の民家と思しき建物の壁から、黒い銃身が突き出していた。四本。遠い。壁に射撃用の穴が開けられているようだ。そこから、こちらに狙いを定めているとわかる。
「狙撃銃は、ミツネが実験的に使ったという話は聞いたが…」
 従来の滑腔銃より射程の長いそれは、旋条銃と呼ばれる。ユーナが手にしていたものである。キリモミ状に回転しながら飛んでいく銃弾が、命中精度を高めているという話だ。専門家ではない魔山に技術的なことは解らないが、厄介な相手であることは間違いない。
 退くか?
 それも手である。すべての街路に、同じように狙撃兵が潜んでいると見た方がよい。しかし、それでは目的は達せない。こんな命令をするリデールもそうだが、紫川もまた、別の理由で兵に損害を出したくないようだ。甘いのだ、あの男。エリアなどよりも、よほど――いや、今は、そういうことを考えている時ではない。先刻の一斉射の後、敵に動きはない。周囲に気を配ってはいるが、回り込まれた様子もない。やはり、守備兵は恐ろしく少ない。ここを突破さえすれば、教団の首脳、エリア・カレティアを殺すことは容易い。それも早くしなければ、意味はない。時間を食えば、戦闘が本格的に――アーヴァインやクラムのような前衛の貴族が死のうが構わないが、自分の、大木に任せた部隊が損耗するのは困る。若くて融通のきかない男だが、腕は確かだ。下手をすれば、自分を超えるような騎士になる。弐礼を手に入れて、一番の収穫。あれだけの素材を野に埋もれさせておくとは、相天衿奈(にれえりな)も大した人物ではない。いや、若いのだろうな、彼女も――。
 苦笑した。若い時には、失敗はするものだ。甘やかされた貴族どもの、不甲斐無さを思えば。まだ二十代も後半の、雪のように白い顔をした魔山美冥は、どこか達観したところのある将であった。あるいは、精神の一部に、問題でもあるのかもしれない。でなければ、
「血路を開け。ちゃんと遺体は埋葬してやる。やれるな?」
 最初の銃弾で負傷した、足手纏いの兵に、そんな命令はできない、か。
「私とお前が正面。残りは左右よりあの民家を挟撃。二人一組だ。一人が盾になって死ね」
 にやり、と笑う。先ほどの苦笑とは異なる、悪魔のような笑み。
「いけっ!」
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