帝国軍は、先年フィリアが陣を布いた地より、わずかに南方の平野部に本営を置いた。本隊は、紫川栄泉(しかわえいせん)の近衛歩兵二個連隊、つまり旅団である。数にして四千程度。もとから彼の直轄下にあった部隊に、不足分を加えた編成になっている。彼等皇族の持てる兵員など、たかが知れていた。代々の皇帝が、彼等の叛乱を怖れたが故に、その領地を徐々に削っていった為である。故に続いた三公による諸侯の分割統治体制も、今は崩れた。とはいえ、より小さく分かれたというだけであるが。本隊の右に、レン准子爵の軽装歩兵中隊がいる。准子爵とは、貴族の子の内の、女子が受ける爵位(のオマケのようなもの)である。男ならば、准男爵。公・侯・伯という文字通り三人の三公を除けば、爵位による上下関係はこの国にはない。平等に、男が男爵、女が子爵――それだけであった。彼女の右前方には、アーヴァイン男爵の重装騎兵大隊が布陣。本隊のやや左斜め前方にあるのが、クラム男爵の重装歩兵大隊。これが最も前衛の部隊である。魔山美冥(まやまみめい)子爵(弐礼城攻略の功による貴族階級の付与)の部隊は、本隊の左――街道を挟んだ西側の、軍勢全体で見れば、アーヴァインと対になるような位置にいた。軽装騎兵中隊である。黒毛の馬に跨り、漆黒の甲冑(帝国で、騎士が一般的に使う板金鎧)に、鴉の羽根で織ったと思しき黒いマントを纏った背の高い騎士が、指揮杖を持って隊列を整えている。それより西はエリアが開いた農地であり、さらに西へ行けば、採石場や、衿奈が越えてきたアドリアドの乾燥地帯が広がっている。魔山隊の着陣地から北方へ少し離れたところに、小さな丘がある。そこに、ファン・パルナスの重装騎兵中隊が陣取っているという。当面の敵は、この部隊になるであろうか。どのようにも動けるように、やや散開した陣を布いて、黒騎士は、厳しい表情で前を見据えた。帝国軍にとっても、この戦が、正念場であることは間違いない。
 ――勝ってみせねば、ならないのだ。われわれ帝国軍は、強いのだということを。
 ファン・パルナスは、純白の戦袍に、銀の胸甲という出で立ちで、白毛の駿馬『白百合姫(リスプランセ)』に跨っている。藍色に近い長髪が、これも純白のマントに掛かる。手には、名槍『小夜鳴鳥(ロシーニヨル)』――剣先の鋭利な矛である。彼女は、白という色が好きだった。穢れのない、白。穢れた黒などに負けるものかと、そう思っている。白と黒ならば、白が勝たなければおかしい。
 パルナス隊の後方、街道に接した平地に、ミーネ・アルリナウの砲兵小隊が展開している。街道を挟んで東に、エテルテアの主力であるフィリア・エーリンスの軽装歩兵一個連隊が横隊を組んで、前方のクラム隊、紫川隊を睨んでいる。その左の、アルリナウ隊と対になる位置に内瀬藤樹(ないせふじき)の騎兵砲小隊。車輪付きの台座に小型の砲塔を載せて、それを馬によって引かせる。これによって砲兵隊の移動がスムーズになり、戦場の幅広い範囲で活躍できると期待された。その左前方、大きく翼を広げた鳥のような陣形の最左翼が弐礼衿奈(にれえりな)の軽装騎兵大隊で、先の弐礼隊と異なる点は、騎兵二個中隊を中核としながら、歩兵一個中隊(銃兵と槍兵を半数づつ)、砲兵一個小隊を併せ持つ、この部隊自体がミニ軍隊とでも呼べるような存在であった。フォーウッド軍のように工兵、療兵、輜重兵までも併せ持つまでには至らないが、防衛戦の上、規模の小さな大隊であれば問題はない。おそらく長期戦にはならないし、させるつもりも衿奈にはない。帝国軍は、ドレイスン公の夜魔族討伐の失敗を教訓にして、兵站線の維持には気を遣っているという話である。もう少し部隊に余裕があれば、別働隊を組んで輜重隊を襲わせるという手もあるが、たかだか六百人ほどの大隊が兵を分けたところで、どう考えたって数が少ない。現状ですら、推定で一千人前後のアーヴァイン大隊の脅威があるのに。場合によっては、レン中隊がそれと歩調を合わせてくるかもしれない。リアレイアは戦は素人だが、良い官僚であるという。頭は良いのだろう。そうなれば、一人で六個中隊を相手にするようなものである。考えたら嫌になった。藤樹の砲兵と、右隣のローレン・クラッテオの率いる銃兵大隊の援護に期待するしかない。ローレンは、地面に横長の穴を掘らせて、小銃を手にした兵たちをそこに隠すように配置している。いわゆる塹壕である。敵の射撃や砲撃から将兵の身を守る為のもので、彼等が入れ替わり立ち代わりで銃撃を行って、敵の足を止める作戦は以前と変わらない。
 風のない、乾いた天候の日であった。大地を覆う背の低い草花も、心なしか元気がないように見える。それはそうだろう。彼等にこれから訪れる、残酷な運命を思えば。人の足や馬の蹄に踏み潰され、蹂躙される、儚い生命たち。セルーシア・エテルテアは、戦場には出ていない。大聖堂に篭り、失われるだろう多くの生命の、せめて星の一部となる、この世界と同化する、その未来の、再びこの大地に芽生え、生まれてくる、その時の幸せ。それを、祈り続けている。いつか生まれ変わった時に、彼等の生きるこの世界が、幸せでありますように――と。
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