報告された帝国軍の陣容は、あらかじめミーネの得ていた情報と、あまり変わらなかった。魔山美冥(まやまみめい)――黒騎士が、参陣するということ以外には。相天ふうの名前を名乗ってはいるが、出自はよくわからない。マヤマというのは、真夜魔から転じた――つまり夜魔族であるという説もあるが、真夜間――真夜中に行動するところから付けられたという話もある。黒騎士などという通り名も、彼女が常に黒ずくめの格好をしていることから付いた。夜の闇に紛れて、人を殺す。そういう暗殺者上がりだと言われる。レイムルと同じように、ルシフォルが集めた素性の知れぬ怪しげな一団の一人であった。エリアは彼女の参戦を、藤樹から聞かされていた。彼女もまた、独自の諜報機関――忍部(しのびべ)を使い、敵の情報を調べていたのだ。俗に言う、忍者である。美冥もまた、そうした忍部の一員であったのかもしれない。内瀬藤樹(ないせふじき)は、その恐ろしさを身をもって感じたことのある一人だった。彼女の仕える相天衿奈(そうてんえりな)の居城、弐礼城。カユウの命でそこを攻撃したのが、美冥だった。魔山隊は、中隊規模の小さな部隊だった。小城と思い舐めた真似を――そう感じた衿奈は、野戦での敵部隊殲滅を命じた。軍師の藤樹にも、異存はなかった。相天族は、野戦を最も得意としていたからだ。大隊規模の弐礼隊と、魔山隊は、平坦な土地で対峙した。
 結局、戦闘は弐礼隊に優位なまま進み、――魔山は、少しだけ本陣を後方へと退いた。騎馬の扱いで、弐礼の兵は敵のそれを圧倒していたのである。
「どうということはない。この城は、落ちない。この街だけはな」
 衿奈がつぶやく。しかし、戦局全体から見れば、彼等相天軍の劣勢は明らかであった。彼等のもとには、続々と、味方の敗報が届けられているのだった。
 その夜、弐礼隊の本陣に夜襲を掛けた。まったくの静寂の中に、鉄砲の音が響き渡る。慌てて馬に飛び乗り、防御体勢を整えようとした藤樹の、後ろに、
 ――魔山美冥が立った。
 まったくの幸運であった。馬上で声を張り上げる藤樹は、まったく気付いていなかったのだから。流れ弾が馬の足許で跳ねた。馬がいなないて前脚を跳ね上げた。同時に、馬の首が、消えた。血飛沫が上がる。転がり落ちた藤樹は、なにが起きたのか理解できずに、
 ――にたり。
 不気味な笑い顔を見た。闇の中に浮かぶ、その、白い、顔を。よく見れば、そいつは、真っ黒な服を着た人間で、さらによく見れば、篝火に照らし出されたその手に、黒光りする刀身の刀を持っている。真っ黒な刀身から、ぽたぽたとなにかが滴り落ちていく。
「て、――」
 声が出なかった。こんなに怖かったのは、初めてだ。相天家に、生まれ育った村を焼かれた時も怖かったが、問題にもならない。義姉を奪った相天の殿は、こんなに――
「軍師ッ!」
 徒歩の騎士が藤樹と黒い騎士の間に割って入り、「撤退を!」と叫ぶ。ようやく我に返った藤樹は、立ち上がろうとして、腰が抜けているのに気付いた。這うようにして、逃げる。
「巴、鉦鳴らせっ! 撤退だ! 軍師殿をッ、…青木はどうしたァ!?」
 刀を構えて前方を見据えたまま、騎士が怒鳴る。
 やや太めの体躯をした若い男が、「失礼」と言って藤樹の身体を抱き上げながら、
「青木春長(あおきはるなが)は、衿奈様をお護りして、既に城へ!」
 そう叫ぶ。部下に命じて、全軍撤退を知らせる鉦を叩かせた。
「賢しいぞ、春長ァ!」
 黒の騎士に対峙する矢作基早(やはぎもとはや)が、刀を振り上げる。
 ――ニヤリ。
 黒装束の騎士は再び不気味に笑うと、影のように消えた。弐礼隊は、その夜襲で大打撃を受けていた。兵が逃げたのだ。味方が危ういという情報も効いていた。それも、魔山の策であったのか。もはや戦にならないと判断した藤樹は、生き残った矢作たちに、
「姫を護りて城を落ち、しかるべきところへ隠れよ。再起を図れ」
 そう命じて、自らもその姿を、いずこかへと隠した。
 弐礼城は、大した損傷もないままに、帝国皇帝の手に渡ったのである。城と城下町は、今も魔山の統治下にあるという。ただ救いなのは、彼女が暴君の類ではなかったということである。街の人間にも危害を加えず、投降した将兵にも寛容であったという。
 ともかくそれが、藤樹が魔山を見た唯一の時。二度と会いたくは、なかったが。夜襲と暗殺には注意するようにと、藤樹は、この街の太守であるエリアに告げていた。
 その他、先回の雪辱を期すエドワード・アーヴァインや、アゼリエル・クラム、リアレイア・レンと言った騎士が、紫川の麾下に入っているという話。「これといった大物はいませんよ」と、ミーネは言う。帝国も、人材不足なのだ。夜魔族との戦いで、多くの騎士を失ったのが大きい。年若いクラム家の後継ぎや、レン家の小娘などを引っ張ってこなければならないのも、彼等の親たちが戦死なり重傷を負ったりで戦に出られないからだ。近年とみに女性将校の活躍が目立つのも、本来戦場に出るべき男の騎士の多くが、戦争で死んでいるからなのに他ならない。いずれ、彼女たちも死んでいくならば、そうなれば、いよいよ我々は幼い子供たちまでも、戦場に出してゆかねば、ならないのだろうか。考えたくないことだ、そうエリアは思う。
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