――どうなのだろう?
 最近、ユーナは、自信を失っている気がする。自分自身に。
 本当に救いようのないのは、実は自分だけではないのか――と。
 自分は――私は、本当は、なにを望んでいるのだろうか。
 ヴォルクを殺すことが。彼の死が、本当に、望み?
 彼は父の生命を奪った存在。だから、仇を討つ。それは、正義だと思う。
 本当に?
 本当に、彼が父を殺したの? 誰が、それを見た? 誰が、そう言った?
 本当だったとして、それが、事故だったとしたら?
 ――戦場で流れ弾に当たるってのは、有り得ることよね――
 それでなくても、人間なんて簡単に死ぬものだ。見てきたじゃない、私は。
 あなたは、何人殺したの、ユーナ?
「ねえ、」
 小さく微笑んで、サナリとシェルジェンナの顔を、交互に見た。
「レイムル・ロフトは。今の皇帝は、悪しき存在かな…?」
 自分よりも年下の、その二人の答えを聞きたい。
 レイムルが悪なら、それと戦うカユウは、正義なのだろうか。彼女に仕える伯父は――。
「人間の世界を、善悪で考えない方がいいわよ」
 出来の悪い娘を見守る、母親のような優しい瞳の、シェルジェンナが言う。
「私には私の正義があって、あなたにはあなたの、他人には他人の正義がある」
 魔女の強い視線が、ユーナに注がれている。
「強いて言うなれば、自分以外の存在が、悪なのでしょう」
 そう言って、サナリも微笑んだ。
「それじゃ、私は、悪にはなれないのかしら」
 そのユーナのつぶやきに、サナリは、
「あなたが、あなた以外の存在になることよ。――魔女とか、ね」
 眼を細めて、邪悪な笑みを浮かべた。それが彼女の演技なのは、誰にでもわかる。
「魔女だって貴方(サナリ)じゃない。なら、それは悪じゃないわ」
 と、ユーナ。それじゃあ、とシェルが言う。
「戦場では、どうかしら。自分を殺そうとする敵が、悪というのでは?」
 ああ、それはいいかもねと、ユーナは思う。でもね――と、サナリ。
「自分が死んで当然と思っている人間にとっては、それは悪ではないと思う。ほら、死に場所を求めて戦場に出る人って、やっぱりいるわけで。そういう人にとっては、」
 それは、善い存在で、あるのだろうか。
「つまり、こういうことか」
 と、シェルの目尻の下がった眠そうな瞳が、ユーナの利発そうな銀の瞳を見つめる。
「ここで、私があなたを殺しても、私は悪ではないし、誰に咎められることもないわけね」
「私を――なぜ?」
「あなたが、ドレイスンだから」
「私以外にも残っているわ」
「なら、それも、私が殺してあげる――」
「あなたは悪には、なりたくないのでしょう?」
「大丈夫。そいつらが自ら死を望むように、仕向けてあげるわ」
「悪い人ね、あなた」
「死にたくなくなった?」
「――そうね。まだ早い」
 ユーナは、キッとシェルを睨みつけた。
「私を殺すというのなら、次の戦に勝ちなさい。そうすれば、カユウ・フォーウッドが動く。夜魔族も動く。そこで決着をつけましょう。私と彼の。そして、――貴方と私の」
「残念だけど、」
 ため息とともに、シェルはつぶやく。
「エリアは、外に兵は出せないでしょ」
「――どうかしら。カユウは、自らアリシナリアの名を背負うつもりよ」
 彼女には、帝位簒奪の野心ありと、ユーナはそう見ている。
「怖いわね。あなた、ミツネに天下を獲らせる気?」
「帝国が一つでなければ、ならない理由があって?」
 レイムルとカユウ。勝った方と、あるいは引き分けならば両方を。――教団と夜魔族とで討つ。ユーナがしているのは、そういう話だ。どちらにしてもカユウを裏切る腹なのである。その後で、天下を二分――紫川がその気なら、三分でもいい。そうユーナは言う。
「フォーウッドの出方次第ね。あの女、なに考えてるか解らないわ。あなた以上に」
「それはどうも。でも、あなたほどでもないと思うわ」
「あら、私ほど正直な人間は、そうはいないわ。ま、サナリには負けそうだけどね」
 そう言って、ユーナは微笑んだ。
「だから、これはここだけの話。お友達どうしの、なんでもないただのヨタ話よ」
 結局のところ、事態はユーナの思い通りには進まなかった。夜魔族も教団も、レイムルを打ちのめしたカユウの下に取り込まれていくことになる。そして、紫川綾世(しかわあやせ)もまた…
 それはさておき、
「本当に、死んでるんじゃないの?」
 一向に目を覚まさない青年を見下ろしながら、ユーナが言った。彼は、話が長くなって動くに動けなくなったサナリに、膝枕をされている。死んだように、ぴくりとも動かない。
「そうね。あんなふうにサナリに殺されたのなら、彼も本望でしょ」
 と、シェル。打ち所が悪かったのね――と、そっと手を組んで弔いの言葉を唱える。
「死んでないもんっ!」
「気にしなくていいわ。彼が望んで死を迎え入れたのなら、それは貴方の罪ではないもの」
 ユーナは、寂しげな瞳で、サナリを見つめた。ついついニヤケてしまいそうな口許と目許に、意識を集中している。さすがに、この若さで外交を任されるだけはある。その憂いの表情から、彼女の思考を読み取ることは、なかなかに難しい。
「でもね――」
 ユーナは、脇に銃床を挟むような格好で銃を構えた。銃口を、サナリに向ける。腕が震えている。「重いわね」と、彼女はつぶやいた。女性が扱うには、その銃は少々重量がありすぎるようだった。戦場で実際に銃や剣を使って戦う女性の兵士など、この国には滅多にいない。誰もが、光武神アリシナリアのようになれるわけではないのだ。
「これ、完成しなかったら、あなたのせい。どうしてくれるのよ?」
 眼を細めて、睨む。
「せっかく持ってきた『プロト試作型ライラック』――彼がいなければ、意味がないじゃない」
 ヴァスト・シエンバーは、銃器にかけてはエテルテアいちの技師である。たゆまぬ研究心と好奇心とによって、その地位をローレンから奪い取った。期待の若手というやつだ。
「わ、わたしだって!」
 僅かに腰を浮かせながら、顔を真っ赤にしたサナリが、
「ハダカ、見られたモン…」
 消え入りそうな声で、そう言った。眉根を寄せて、口をぎゅっとつぐむ。
 くるん、とシェルが後ろを向いて、両拳を強く握り締めて俯いた。
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