「あなた、皇族よね」
 当然である。視線を動かさず、そうだよ、と旭妃は答える。
「皇族は、皇帝になる資格があるのよね?」
「貴族の人たちが、選んでくれないとなれないんだよ」
 視線は、じっとそのなにかを見ている。
「レイムルは、そのどちらでもないわね」
 くるり。旭妃の首が回る。シェルジェンナを見た。
「ソブルを殺し、父上を追い出した悪い奴だ。でも、カユウが倒してくれる」
「フォーウッドは、皇族ではないのでしょ」
「でも、いい人だよっ♪」
「お父さんを、追い出したのに?」
「う…」
 旭妃は、しまった! という顔をした。、また同じ方法で負けた。
「で、でも、それはきっと事情があって。父上が、ひどいことしたから、とか…」
「――まあいいわ。でも、皇帝と戦うのは、悪いことよね」
「うん。でも、悪いのは、皇帝だし」
「皇帝を悪く言うのも、帝国では、してはいけないことだわ」
「ち、違うもんっ。悪い奴が、皇帝になったから、そう、だからあれはニセモノだもんっ」
「じゃあ、本物は、どこにいるのかしら」
「紫川綾世(しかわあやせ)が、本物だって言ってる…」
「でも、多くの貴族は認めてない。違う?」
「それは、レイムルが怖いからで」
「あなたは、怖い? レイムル・ロフトが、怖い?」
「怖くないよ、あんな奴」
「それなら、あなたが彼を倒して皇帝になる。…というのはどう?」
 この危なっかしい、それでいてすごい――例えるなら、転んでも宙返りで回避するような、そんな見ているこっちがハラハラドキドキするような弘兼旭妃(ひろかねあさひ)が皇帝になったら。この私が、この子を皇帝にすることができたら、それは――すごいことなのではないか。シェルジェンナはそう思う。すごく、大変なことだろうと。それこそ、教団の儀式を仕切る程度の仕事なんて余裕でこなせるくらいに、自分もならなければならないと思う。少なくとも、内瀬藤樹(ないせふじき)以上の軍師にならなければいけないと。弐礼衿奈(にれえりな)以上の騎士に、この子を育て上げなければ…
「あたしが、皇帝に?」
「弘兼雄飛も、それを望んでいるはずよ?」
「でも…」
「私も、エリアも、セルーシアもそれを望むでしょう。あなたが、良い皇帝となることを」
「よい、皇帝…」
 それしかないと、シェルは考えている。教団が、帝国に「勝つ」方法。教団で育った人間を皇帝にする。それも、誰にも文句を言えないくらいの力を見せつけて、だ。剣の腕ならば帝国最強とも言われるレイムルの打倒は、この上ないインパクトを帝国全土に与える。皇族ならば、守旧派貴族も黙る。即位さえしてしまえば、どうとでもなる。ルシフォルのように。暗殺さえ――身辺警護にさえ気を配り、ミーネのように情報を集め、藤樹のように、先手を打ってその芽を摘んでいく。綺麗事などは言わない。エリアのように、セルーシアだけはなにがあっても汚さない。――弘兼旭妃だけを正義にする。そういうやり方を、私も見習おう。
 ――絵に描いた餅、っていうのかなこういうの。
 けれど、シェルジェンナは確信している。弘兼旭妃は、それだけの器であると。
「あたし、強くなる。強くなって、悪い奴を倒す。…弱い者いじめもしないっ」
 じっと、シェルの瞳を睨みつけるような強い視線とともに、旭妃が答える。
 シェルは、なにを考えているのかわからない、愉しそうな眼で、それを見返す。
 そして、言う。
「悪い奴が、弱かったらどうするの?」
「あ、うーえ、えっとそれは…、そんなの、そんなのあたしより弱いシェルが倒すっ!」
「はいはい…。そうね。ゴミ掃除は私の仕事ね」
「い、いやなら、別に、その、あたしが――」
 おろおろあたふた、こういう旭妃の優しいところが、シェルは好きだ。育った環境からか、この子は周囲にどこか遠慮しているところがある。常に、周囲に気を遣っている。怒らせないように傷つけないように。逆に、気の許せる人間には横柄になる。皇族としての、父親の模倣であるのだと思う。今は、まだ虚勢に近いそれが、本物の威厳になれば、それが、良い皇帝と側近の関係なのだとシェルは思う。いや、良い国家とでもいうか。その畏敬されるべき旭妃の背後に、敬愛されるべきセルーシアを立たせる。それがベストであろうと、彼女は考え始めている。戦の女神アリシナリアの名を背後に背負った、この国の、初代皇帝のように――。
「鶏を裂くに、どうして牛刀を用いる必要があろうか」
 やれやれ、というようにシェルはつぶやく。面倒くさそうな仕事だなあ、と。
 母さんも変なもの押し付けてくれたなあ、と。
「天賦の才に、地勢の利、人材は…放っておいても集まってきそうね、この子なら」
「え…? えっと…」
 シェルのつぶやきに、目をぱちくりさせて、なんだそりゃ状態の旭妃。
「にわとりを、さく?」
「任(レン)王国の古い格言よ。――どうやら知識不足ね。今から部屋に帰って勉強しましょう」
「べ、勉強ッ!?」
 旭妃の声が引っくり返った。勘弁してよー。勉強は、好きではない。頭はいい。帝都時代の教師もそう言っていた。でも、
「そんなもうない国の話なんて、知っても意味ないと思うなっ」
「あなたの祖先が滅ぼした国よ。どうして、どうやって滅んだか、知る必要はあるでしょう。戦争で人が死ぬのは当然だけど、殺してしまった人のことを、考えないといけない。どうして、彼等は死ななければならなかったのか。どうして、その国は、滅びなければならなかったのか。生き物を殺すのは悪いことだけど、殺さないと生きていけないのならば――それが人間の定めならば、せめて、殺してしまった彼等の分まで、私達は良い行いをしましょう」
「うん…」
「――なんて。教団の受け売りなのだけど」
 偽善だな、とシェルは思う。けれど、その偽善がなければ、人は人で有り得ない存在なのだとも思う。それを悪魔と呼ぶのだとすれば、大義を掲げて虐殺を行うような人類は、やはり、人でしかなくて。それならば、人の価値は、最後になにを為したか。何千もの人間を殺そうと、何万もの人間を救うことができたならば、それは、その人間は、良い人であるのに違いない。そう信じていなければ、人は、戦争なんてできない。「良い」教義だなあ、とシェルは思う。
「それでは、今日は歴史の勉強をしましょう」
「え〜? 歴史きらーい」
「――立派な皇帝になるのでしょう?」
「う〜」
 シェルジェンナ・クラッテオが弘兼旭妃に連れられて帝国各地(主に辺境)を歩き回ることになるのは、それから三年後のことである。愉しい旅であったのは、言うまでもない。
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