「で、エリア言うところの、ここがお花畑なワケね。見てもいいのよね?」
「――いい、と思う」
 やはり、やる気なさげにシェルが答えた。道を間違えたというのも、たぶんウソ。始めからここへ連れてくるつもりだった。或いは、エリアにそう命じられていたのだろう。
「仕方ないな。ヴァスト、見せてやれ」
 娘の髪と同じ色の、ピンと横に伸ばしたヒゲを軽く引っ張りながら、ローレンは言う。髪型なども貴族ふうで、ユーナには、エリアあたりよりよほど気が許せる存在に思える。人が良いというのもある。だからこそ、こんな女ばかりの教団で上手くやっていけるのか。信者レベルではともかく、幹部となれば女の方が多い。もともと、武の女神アリシナリアを信仰する国なので、指導者に女性が就くことには抵抗もないし、長子ならば家名や爵位の相続もする。それでも、ここは少し異常だとユーナは思う。
「クラッテオ卿」
 彼の名を呼んだ。
「なにか?」
「ここを出ようという気はないのか?」
 ここは暮らしやすい、と彼は答える。
「宗教とか儀式とか、平和的な雰囲気が肌に合わんと言って出ていった者も多いがな。私は、そういうのが好きだ。最初の妻は、賢い女性でね。戦術に才があったと思う。一緒に戦場にも出た。小さな所領から兵を集めて、ドレイスン残党狩りなんてものに出たのだが、」
 真剣な顔で、ユーナを見つめた。彼女は、あ、そう――という顔をしている。
「若さゆえの過ちか、ただ馬鹿であったのか。三公が消えて、貴族の領地――報償も獲り直し。ならば、それを少しでも多く奪ってやろうと、世間知らずの地方貴族のボンボンは思うわけだ」
「それで?」
「名の知れた奴を狙った。『赤機軍(ローテパンツァー)』の――」
 赤機軍――その言葉に反応して、ユーナがぎゅっと手を握り締めていたことにローレンは気付いていない。気付いたからどうというものでもない。これは、ユーナの問題だから。
「赤機軍は、ドレイスンの主力だった。ゴタゴタで分裂状態だったが、って、ドレイスン家の娘に言うことではないな。ともかく、地方のうだつの上がらない、身のほど知らずの貧弱な軍隊は、」
 赤機軍の大将は、ヴォルク・ドレイスン。人呼んで「炎のヴォルク(ヴォルク・デ・フラム)」――豪傑でありながら、礼を知る、英雄気質の騎士。ユーナの父の弟で、事実上のドレイスン諸侯軍司令。当時の軍隊は主に、皇帝直属の近衛軍と、三公がそれぞれの派閥の諸侯を集めた軍勢の二種類が存在した。近衛には、皇族直轄の兵も含まれていたが、総数は三公のそれに遠く及ばない。彼等は、自領内の治安維持を主な任務とし、時に反抗勢力の討伐も行う。例えば、フォーウッド伯爵の優漣(ゆうれん)討伐や、ドレイスン公爵の夜魔(やま)族討伐。その夜魔族討伐の総指揮をとったのがヴォルクであり、赤機軍も当然、主力として働いた。彼等が敗れたのは、敵のゲリラ戦と、長く伸びた兵站線の分断によるものであった。その結果、ドレイスン家の求心力は著しく低下し、弘兼雄飛(ひろかねゆうひ)の内部工作が功を奏し、次期当主のユプト・ドレイスン――ユーナの父が謀殺されるに至って、ドレイスン家は、完全にその勢威を失う。赤機軍もまた、指揮官級の騎士がそれぞれの隊を率いて、独自の道を歩んでいた。ドレイスンの手を離れて独立する者。皇族たちになびく者。いまだドレイスンの旗を守って、戦い続けている者――。それら残党には、高額な報奨金も掛けられていた。
 そして、それに目が眩んだ、もとドレイスン派辺境領主クラッテオ家の若き当主は――、
「負けて逃げた、のね」
 ユーナが言う。そうなんだがなあ、とローレンは頭をかいた。
「隣で話してた人間の頭が、突然銃弾で吹き飛んだのよね?」
 シェルジェンナが、少し不機嫌そうな顔で言った。ローレンは、意外そうな顔をしつつ、
「そうだ。目の前で、な」
 その場面を思い出したのか、彼は眉根を寄せて、思いつめたような表情になる。
 ヴァストと呼ばれた若造は、うげ、ひでえ――と渋い顔。
「腰が抜けた。赤い鎧を着けた馬に引かれた戦車が突っ込んできて、やっぱり赤い鎧の図体のデカイ騎士が降りてきた。そいつは片腕がなかった。左手にデカイ剣を持っていた。愚かにも、隻腕イゼルークの部隊に仕掛けたのだ。噂に聞く精兵も、蛮族に負けるようじゃ、どうせ名前だけで大したことはなかったのだと、タカをくくっていたんだ。私は、その戦いにも参加していなかったし、ドレイスンのお偉様にも会ったことがなかった。要は田舎者だよ。本当の戦争というのも、知らなかった。戦争とは、ああいう人間がするものだと、痛感したものさ」
 うんうん、と自身に納得するように、頷く。
「――ああエミリアよ。その名を呼んでは泣き叫び、吹き飛んだ妻の身体を抱き寄せて、飛び出した灰色の脳に、男は怖れてその身体を放り投げ、ああ、恐ろしきは赤き巨人よ! 卑小なる男は、倒すべき敵を前にして、情けなくも土下座までして、助けて下さいお願いします――」
 芝居がかった唄うような調子で、シェルジェンナが突然なにかを語り始めた。
 さあーっと、蒼ざめていく、立派な口ヒゲの、もと田舎貴族の男の顔色。
「お願いです、私には、まだ幼い娘がひとり――」
「シェシェシェシェルジェンナ! そ、それは誰に聞いたっ!?」
 うわぁ、と頭を抱えながら、彼は――その物語の主人公は、自分の娘に食ってかかる。
「――ミーネ」
「…ウソ、だ。誰にも話してない、秘密を、あぁ…もう終わりだ。私の威厳も…」
「これでおあいこだって。騙した罰だそうよ」
 もう、これで、この世が終わってしまったかのような表情の、ローレン・クラッテオ。
 ユーナは、ばかばかしい、と思いながらも、少しだけ、心を癒された気がした。
「――そういう、情けない男が好きなのだから、いいのでしょう」
 つまらないな、という顔でシェル。これはこれで、愉しんでいるのだろうか。
 家族かぁ――、とユーナは思う。そうして大きく首を横に振る。
 そんなものは、もう忘れた。そんなものは、もういない。そうじゃない、と。
 そうじゃない、私は、大義のため、正義のために、あの男を――殺すのだ、と。
 ローレンは想像する。
 内瀬藤樹(ないせふじき)と仕組んだ狂言拷問。一方的にやらされたのだが。藤樹の迫真の演技はもう、経験豊富なのが見て取れて、恐ろしいことといったら。痛くはなくても怖い。決して芝居気のない自分がミーネを騙せたのも、そのお陰だろう。泣き叫ぶ彼女の姿は、あの時の自分と重なった。無力で、情けなくて。自分とは違い、彼女は小便は漏らしていなかったけれど。私は、彼女の細い身体を抱きしめた。愛情とは違う、憐れみの瞳で、その姿を見た。その後、彼女の方から猛烈なアタックが繰り返された。たぶん、きっと、彼女は騙されたのが悔しくて、涙目になりながら必死に私の過去を調べ上げたのだ。この私の、決して誰にも語らない、情けない過去を。
 ――かわいい。
 その姿を想像したら、さらに自分の、四つ年下の妻が愛しく思えてきた。
「――のろけに付き合ってられない」
 そう言って、彼の娘は、唖然とする少年と少女を引き連れて、工廠の奥――地下へ進む。後には、頬を赤らめて、なにごとか呟いている口ヒゲの男だけが、残されたのだった。
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