結局、エリアは同盟に関する明確な答えを出さなかった。しばらく考えさせてください、と言って、ユーナにはしばらくこの地に留まることを勧めた。
 ――で、
「もうあれから一週間なのだけれど?」
 執務室で、ユーナがエリアに詰め寄っている。さっさと答え出さんかい、と。これ以上引き延ばされて、なにも収穫なしでは、ミツネに合わせる顔がない。あの女は怖い。外見はどうということはない。髪の長い、普通に妙齢の女性。まあまあ美人と言えなくもない。遠目で見たのならば、フィリア・エーリンスとそう印象は変わらない。が、近くで見ると、まるで違う。彼女の前に立てば、大抵の人間は蛇に睨まれた蛙状態だろう。器が大きいというか。エリアも傑物には違いないと思うが、アレだけはどうやっても自由に扱うことはできないと思う。
「もう一週間ですか。時の流れというのは、早いものですねえ」
 いけしゃあしゃあと、そんなことを言う。にこにこと、上機嫌のエリアである。気勢を削がれる。この顔で、相天の娘もたらし込んだに違いない。私は、あんな奴とは違う。惑わされてはいけないと、ユーナは気持ちを引き締める。そんなユーナに、エリアは尋ねる。
「どうですか、ここの暮らしは?」
「豊か。辺境とは思えない。――西部の灌漑設備(カナート)、あれは地下に水を溜めているの?」
 満足そうに、エリアが頷いた。学生の頃から、ずっと研究してたんですよ、と。
 子供みたいな顔で、にっこりと彼女は笑った。
「幸い、この街の周辺部だけは、降水量もそれなりにあって川も干上がることはありません。けれど、多くの人を養うには、より多くの食糧が必要です。ですから、雨水を地下に潜らせて、水路によって西の耕作地へと流します。地表に近すぎると蒸発してしまいますので注意して。それから、所々に堰を設けて、送水量を調節します。常に、一定の水量を保つこと。これが重要」
 ピンと、エリアが人差し指を立てる。
「生産性を上げたいのなら、相談に乗りますよ。例えば、南東郡のような亜寒帯なら…」
「い、いえ――それは、また、の機会に」
 わたわたと両手を振って、ユーナはエリアの饒舌を塞ぎ込んだ。そんなことを聞きに来たんじゃない。そんな悠長なことはしていられない。そういうのは、平和になってからでいいとユーナは思う。今は、戦争の時代なのだ。どんなに美しい景観を造り、どんなに文化的な街並みを造ったとしても、そんなのは戦争とともに崩れ去ってしまう。たまたま、先の戦で大勝できたからといって、それで安心してはいけないのだ。またいつ何時、帝国が攻めてくるのかわからないのだから。だから、同盟を――、
「この平和で美しい街を守るためにも、帝国の矛先が南方に釘付けになればと」
「彼等を犠牲にして、我々だけが幸せになれと?」
 エリアは、悲しげに微笑む。
「だ、だからね。たとえば、強ければ、負けないし、死なないし、強いしっ!」
 だめだ。完全に相手のペースだ。ユーナは焦る。完全に大人と子供だ。相手の方が格が上だ。だめだ。失敗したら、ミツネが怒る。そしたら目的も果たせない。あいつを――、あの男を、殺せない。
「だからっ、――同盟の、返事を…」
 声が上ずった。最悪。今まで、大人っぽく大人っぽくって、頑張ってきたのに…
「大丈夫よ」
 エリアは、今度は優しく微笑む。ユーナは、泣きたいのを我慢している。いつだってそうだ。自分の無力が、情けなくて、強がって――いつだって、びくびくしている。いつ誰が、自分を殺すかわからない。パパを殺したのは、パパの弟で。伯父さんは、私にも優しくて。どうして? って思った。怖かった。人間なんて、信用できないと。私は悟った。人間なんて、醜い。
「油断してると、みんな殺されちゃうんだからっ」
 子供みたいな声で、今にも泣きだしそうなユーナが言う。
「貴族は、人前では泣かないものよ」
 ママの声が聞こえた。――そんな気がした。エリアの声だったかもしれない。ユーナの頬を、雫がつたう。ほんの、ひとしずく。違う。これは汗。もう止まった。私は、泣いたりしない。他人の前で涙を流すなんて、そんな恥ずかしいことは、もう絶対にしない。ママと約束した。パパとママの、お墓の前で誓った。私は、もう泣かないって。だから、
「熱、吸収しすぎて困るの、この服」
「そうね。少し、暑いわよね、この部屋は」
 エリア・カレティアが微笑んでいる。フンと、ユーナは鼻を鳴らす。
「噴水でも見て涼んでくるわ」
 癪だから、ここの技術をできるだけ盗んでいく。建物の配置とか。道路の引き方とか。街の周りにあったりなかったりする壁――郊外の、高台になった丘などから砲撃をすると、それに当たる。たぶん。曲がり角が多いのも、市街戦まで想定してるんだろう。やる、やらないは別として、敵を誘い込んで迎撃をしやすいような構造。遮蔽物が多く、隠れるのに適している。他にも、人が暮らしやすいような様々な工夫。一週間も暮らしてみれば、エリア・カレティアの有能さが、イヤというほど見えてくる都市。
「そうだ」
 扉を開けようとした手を止めて、ユーナが振り向く。
「この街の、一番の名産品って、なに?」
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