2010/1~3・冬眠したい例の季節に

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2010/1/1(金):あさがきた


ほおがぴりぴりになる。きりっと冷たい朝。
おはようございます。2010年のおひさまがやってきました。


2010/1/4(月):しぶんぎ座

今朝はしぶんぎ座流星群のピークだって
一年の始まりになんかね、それってイキじゃない?

それであさ、4時半
いつもの支度を調えたらストレッチして走り出した。じっと見つめてるとぶるぶるしちゃう夜明け前でも、走りながらなら全然平気です。あったまい〜い。と自画自賛しながら。

17日夜の月明かりはまだまだ元気にそこら一面をてらしてて、私の影がアスファルトにくっきりと映る。こんなにぎやかな空なのに、しばらくすると、すうっすうっと薄い細いすじが斜めに走る。おおお。やってますね。星の子たち。
もう5時をまわった頃か、ちょうど東に進路をかえて走っているところで
北斗七星のひしゃくから、つっつつっっと…こぼれ落ちるのをためらうように大きくきらめいて星が流れた。ちょうど、お願い事を思い描いていたときだったのです。すごおい。

夜空のすべり台を歓声上げる声が聞こえるように、赤城山の頂へ、榛名山の裾野へとするっ…すいっ…と滑り落ちる星たち。いいなあ。楽しそう。

40分ばかり走った頃、東の空のふちがだんだん紅くざわめくように色づいてきた。さてと、と曲がり角をかえて家へむかった。Yasutyoたちも電車に乗って帰っちゃったし、今日は一人だけのお休み。朝からのんびりお風呂に入っちゃおうかなぁ。

 


2010/1/22(金):○○th

BIRTHDAYなのでした。メールやら、子どもたちからの サプライズやら(オイオイ!なカンジだったけど)、いろいろあってまあ、いくつになってもお誕生日は嬉しいかな。

Yasutyoから「プレゼント送ったんだけど…」ってメールをもらったが、なにぶんにもいい加減に居住している私はなかなか宅配便やさんとの相性が悪く、なにかな♪なにかなぁ〜。今頃どっかの倉庫の棚で私へのプレゼントが眠っているはずだけれど…今日明日は取りに行けないぞ。ううむ。

明日は朝から研究集会のオープニングにて合唱団で歌うらしい。中学校の体育館?まあなんにせよ、カウントダウンは続いているので、今を精一杯こなして次への目標をもって行こうかと。

それはよいのだけれど。

私はそのあとリズム構成のことで発表して(ちょっと踊るらしい。ホント?)、それから分科会でまた今年度のリズム構成のことも発表して、さらに図工美術の方にも作品もって顔を出してみようかともくろんでいて。

さらにそのあとは高崎駅に直行して新幹線でライブ会場に向かい、GREENDAYスタンディングです。どうせ前に立つでかいお兄ちゃんがじゃまでなんにも見えないに決まってるが、生音生アクトはやっぱサイコーですからね。もらったチケットはずいぶん前のブロックだし、行けるとこまで行っちゃうゾォ♪

と、相変わらず詰め込みすぎな感の否めない今日この頃。また一つオバハンになっちまったが、気にするもんか、自分の歩幅で歩き続けるakyaなのであった。

 


2010/1/24(日):Thank you☆my dear☆☆

にゃあああ。なんでニンゲンはいろんな美味しいモノをぉ。

Yasutyoとchiemiちゃんからのバースデープレゼントをいただきました。カッツのネコボトル。きゃぁー♪
で、添えられていたバースデーカードが…

 

こんなだった。おおおおお。chiemiちゃんの感性に脱帽♪
 
みしぇるでなみのりするYasutyo仮面と水平線にのぼるYasutyo坊主。はああ…。笑った。

 


2010/1/26(火):あまえんぼうずたちと

今年は 26人しかいない我がクラスなので、いろんなトコで子どもたちを甘やかしちゃってるのかもしれない。だってさ、なんかね、一人一人がよく見えると、みんな、より一層カワイイ。それに今年の子たちは4年生にしてはあまりにもあんまりなほどに素直で幼くてあばれん坊で。まさにakya学級におあつらえむきなイイ子ばっかり揃っているので、校内一歌声も音読の声も大きく、授業中は毎時間笑い声が巻き起こり、給食はいつもからっぽ。何をやってもおもしろ〜い!と大喜び。だから苦手なこともどんどんクリアしてしまう。最近なかなか出会えない子どもたち。
今日も、音楽を指導して下さっているI先生が
「1組の子は、芸術的な心が十分に耕されているから、感性ですべてを消化して力にしてしまう。こうなったら何でもできるよね。おばかちゃんは多いけれどね〜…」
と…う〜む、おばかちゃん…。まあ、そこがカワイイトコじゃあないですか…って、それでも、今日までの全教科の単元テストの平均点は9割を超えているのだから、4月にやった学力テスト結果を見て無言になったあの日々を思えば、まずまずかなあと思うんだけど……。まあ、さらに精進しなければ。

今日は6年生を送る会に向けて学年体育で南中ソーランの練習。運動会のリズム構成で、表現することが大好きになった子たちなので、なんにも言わなくったって腰は落ちるし動きは大きいし覚えは早いし。たいしたもんです。私も久しぶりに思いきり踊って汗だく。終わったら、今日は膝が痛くてつまんなそうに見学してたyu-kiが
いいなあ。せんせい、顔がトマトみたいだよ。
って言うので、
そうだよだってめちゃめちゃ熱いんだもん。ほら。
って、yu-kiをぎゅ〜〜〜〜って声に出しながら抱きしめてやったら
おおおおお!ホントだ!40度くらいある!
え!ホント?オレにもぎゅってして!オレにも!オレにも!!
あ、ずるい!私にも!ぎゅってして!!
ふつーに抱きしめてほしがる男の子たち女の子たち。えー……4年生?う〜ん。貴重だ。

先週も体育でマット運動したら髪がぐしゃぐしゃになっちゃった女の子がいたので、更衣室からブラシを持ってきて髪を結ってあげてたら、次々に髪の長い女の子が、
あ!せんせい、わたしにもして〜。私はポニーテールがいい!
あ、次わたし〜!せんせい、二つしばりして〜
甘えてくるので、まあ、たまにはイイか、と、給食準備中にヘアメイクさんを開業。髪をすいたり頭をなでたりして、ほら、かわいくなったよぉ〜ってやってたら、それを見ていた男子が

いいなあ〜!オンナは。オレにだってしてほしい!

と。え?

いくらなんでもキミの髪って5センチもないじゃん。しばってあげるの無理だから。
でも、いいなあいいなあを連発するオトコどもがやたら多いので、え〜、そうなの?って、じゃあせめてとかしてあげるかぁ、と、短くて全然手応えのない男の子の髪をブラシですいてあげた。そしたら、
あ!いいな、じゃあ次オレね
ズルイ!次オレ!
ええ〜〜。俺たち給食当番でソンしたぁ。
と、男の子たち。まったく甘えん坊揃いなんだから。
じゃあね、と、ほとんどが4センチもないようなぐりぐり君たちの髪をおまけ程度にすいて、仕上げにするん、と頭をなでてあげると、みんな「うふふ」とか「やったあ」とか…にんまりして嬉しそう。なんだかなぁ。お家でどんな扱いされてる子たちなのか。

今年はどうやら私は26人のお母さん的存在なのだろう。教室のお母さん。甘えん坊兄弟姉妹が26人。ま、カワイイから良いんだけど。ふふふ。いつまでこんなふうに触らせてくれるんだろうな。この子たち。

 


2010/1/31(日):1月は行く

1月は行く 2月は逃げる 3月は去る

先週の月曜日の朝の会で、子どもたちに話したのだった。
この一週間でもう1月がおしまい。はやいよね。あと少しでみんなは5年生。みんなを立派な5年生にして送り出すのが私の仕事だから、先生はこの3学期ってすごく真剣なんだよ。
でも、3学期ってね、あっという間に無くなっちゃう。昔からね、たぶん、かなりたくさんの人が、この3ヶ月間ってすぐ過ぎちゃうなあって思ってたんだろうね、だから、1がつはいく、2がつはにげる、3がつはさるって言って…

そこまで話したら、我がクラスのフシギ君Rくんが

じゃあ、せんせい、4月は?あ!しか?あ!そうか、しぬ?

え………?

素の質問。。。子どもの前では純粋に言葉を失うことが時々ある。
えーと、(あなたに話した私が馬鹿だった)そうだよね、子どもにはそんなことどうだっていいことだもんね。まあ、とにかく、3学期はあっという間だから、元気に毎日を大切に過ごしてほしいってことが言いたかっただけなんだけど。(だから、4月って関係ないんだけど……ま、いいや。説明するのめんどくさくなった)

………しかし、「しか」って鹿?…3月はお猿じゃあなくて、「去る」だから、もう。しかも、「死ぬ」ってさ、あのねえ。
まあ、4月の多忙はたしかに殺人的ではあるが。

そんなこんなで、今日で1月も行く。ああ、こんなに楽しい1年間があと2ヶ月で終わっちゃうなんて。

 


2010/2/13(土):It's snowin' * * * * *

 
 

帰宅はたいてい22時過ぎ、夜明け前からから出勤する。いちばん気温の低い時刻に雪。雪続き。道はばりばり言ってるけど、もうどうしようもないし。

雪道では誰でもすべるんです。氷の道ならなおさらです。ノーマルタイヤにグリップ力が少ないのは仕方ないとしても、いくらスタッドレスにしたところで、やっぱりすべるんです。それはもう、シューマッハだってすべります。あなたが悪いんじゃあない。それが雪道なんです。

ピストンさんありがとう。そうか。そうだよね。

寒さのせいか、手術跡の肩こりは半端なく、さらに首や肩から上腕も肘も手首も腰も膝も足首も足の甲も…からだの右側関節付近が、もうとにかく痛い。握力が落ちて、どんどんモノを落とす。痛みにはもう慣れた、と豪語しながらも、ちょっと困っている。はるよこい。

 


2010/2/20(土):1990Amandla!-2010Invictus

あの日、本物の強さとその歌声と躍動に見入りながら たぶん私は震えっぱなしだったのだ。どうして人はこんなにも愚かになれるのか。どうして人はこんなにも貴くなれるのか。

ネルソン・マンデラ氏は、あの頃まだ大統領ではなく、長い収監生活から解放されたばかりだった。アパルトヘイトの終結。歓びの歌声。躍動の舞台。
1990年Amandla日本公演。はじまりから終わりまでが衝撃だった。現実の差別と蛮行の歴史をあからさまに見せつけられたことと、それでも人が人として貴くあろうとする姿と。これほどまでに虐げられてなお、赦しの心でほほえむことができる人たちがいる。大きさ、とか、強さ、とか、そんなものをはるかに越えて、あまりにたくましく美しく響くリズムと声に、打ちのめされていた。私にはとうてい、理解できた、なんて言えない現実なのに。

そして、20年たった今日、再び同じ涙を流した。今日はクリント・イーストウッド監督の映画「インビクタス/負けざる者たち」を観た。
中でも心に焼き付いて離れないのはロベン島の独房のシーン。1964年から82年までマンデラ氏が過ごした牢獄の一室。マット・デイモンが演ずるフランソワ・ピナールが、ここを訪れて自ら鉄格子の内側に立ち、その狭く閉ざされた日々を思う場面がある。両手を広げたら壁に手が届くほどの小さな独房。小さな窓から見えるのは蒼い空と、ただ石を砕くだけの労役を強要される真っ白な広場。胃がぎゅっと締め付けられる。その中でいったい彼らはどれだけの怒りと悲しみを昇華させていったのか。
そしてさらに、モーガン・フリーマン演じるマンデラ大統領の笑顔。1995ラグビーワールドカップ南アフリカ大会の決勝戦のスタジアムに、グリーンのキャップを高く掲げて登場する。大観衆の「マンデラ!マンデラ!」のコール。大統領が身につけているのは、南ア代表ラグビーチーム「スプリングボクス」のユニフォーム。かつては、教会で慈善の施しの行列に立つ黒人の少年からも「いらない」と嫌われたジャージだ。アパルトヘイト象徴のチーム。国民の恥と言われた代表チームをこそ、国民の心を一つにする象徴と見いだす、マンデラの識見。過労で倒れるほどの多忙の寸暇にも選手の名前を暗記して語りかける大統領の熱意と心の大きさ。そして、彼の生き様に共鳴し、チームを率いて導き、南アフリカの国民の誇りと歓喜の声を自らの戦いによって勝ち取っていく、ボクスのキャプテン、ピナール。マンデラのユニフォームはその背番号「6」だ。

我が運命を決めるのは我なり 我が魂を制するのは我なり

崇高な思いがマンデラ氏を導き、世界を劇的に動かした。人間だからこそ繰りかえす歴史の中で、人間だからこそ見いだすことができる真理の気高さ。「負けざる魂」に心が震えた。

 


2010/2/26(金):またひとつ

毎年毎年、同じように日々がやってきて、同じように行事をこなす。でも、同じ4学年を担任しても、まったく同じ1年間ってない。今年のこのクラスとこの子どもたちとの出会いは、もう一生ないんだな、と、しみじみと感じてしまう。

毎年、思う。そして今年は、なんだかいつも以上に、そう思う。

2年生からずっと教室に来ることが苦手だった子。1学期のある日、正門からやっと入ってきたきり一歩も動けなくなってしまったその子のために、クラスみんなが集まって正門前のロータリーで朝の会をしてレクをして、勢いで教室に連れてっちゃった。そんなこともあったなって、今では嘘のように、その子は元気になった。
運動会のモチモチの木が大好きで、今でもまだ踊りたいと言い続ける男の子たち。歌ったり、踊ったり、すぐにその気になれちゃうやわらかな心の子たち。失敗をして めそめそしてた子がいたら、すかさず、挿入歌の「かわいい豆太〜♪」の「豆太」のところをその子の名にして歌って慰めていたっけ。
授業中にお腹が空いたというので、熱々のおにぎりを握るふりをしてそっと手渡したら満足げにほおばって見せた子。おれも!おれも!とリクエストがやまず、次々握ってあげては食べさせ、とうとう本当の給食の時間に突入してしまって、みんなで大笑いしたり。

そんな暖かさに満ちた教室から、またみんな巣立っていく。あとひと月だなあ。

今日は6年生を送る会で、「南中ソーラン」を踊った。運動会練習の3分の1の練習期間であっという間に踊りを覚えてしまった子たち。表現するのが大好きな子たちだから、腰を落とせとか大きく踊れなんて一言も言わないのに、3回目の練習でもう全力で踊りきっていた。とびきりイキの良い我がクラスはかけ声も可愛くて、私は練習の時から感激して涙が止まらなかった。本番の今日はもう、精一杯、踊りつくしたんだろうな。どの子もみんな、すごく切れの良い動きで、大きな声で、緊張しつつも表情が輝いていて。
終えて、給食開始…5分経過…だれもしゃべらない。みんな黙々と食べている。たぶん、この沈黙にも気づいていない。完全燃焼って、こういうことを言うのだろう。

いい一日だったな。もったいないくらいに。

 


2010/2/28(日):逃げていくものたち

きのうの合唱練習の時、同じく小学校教師仲間の清水さんと話した。そしたら
「あと19日ですよねぇ」って。え!?19日!?たったそれしかないの?ひゃああ。
相変わらず認識の甘い私。そうかあと19日。19日で今年度の子どもたちとの日々も終了…。えええ。短すぎるよぉ。

2月は逃げる…もう逃げてっちゃうのか。なんだかなあ。
小学校って毎月何かしらのイベントが待ちかまえていて、そこに向かってえっちらおっちらあたふたと日々をがんばっていく内に、さくさくと月日は流れて、気がつくとカウントダウンなカンジになっちゃう。楽しいけれど……さみしいな。

これが私の仕事なので、いつも1年間で手渡せる精一杯を渡して、修了式を終えたらすっきりと、じゃあ、元気でねって手を振って、なんの心おきなく明日の仕事を見つめては来たのだけれど…。
あと19日か。年度末だからといって、なにも特別なことはない、今まで通り毎日を毎時間を味わっていくしかないのだけれどね。ふう。そうだね、大好きな「ごんぎつね」の授業ももうじき終わりになるし。

昨夜Sappyと夕食を食べながら、そしていろんなおしゃべりしながら不思議な気持ちになった。そこにいるのは、もうすっかり大人びたSappyの姿なのだけれど、私にはもう網膜レベルで、5・6年生頃のSappyのちょっと照れ屋なまなざしや、少しぶきっちょな仕草や、ちょっと生意気な言葉の言い回しや、かわいらしい笑い声などが焼き付いている。 ずっとあの頃のままに。
…何しろ週に30時間以上も君たちを見つめ続けるのが私の仕事なので、私のところへやってくるすべての子どもたちの目覚めて活動している時間の半分近くをじっとみまもりながら(又は一緒にはしゃぎながら)間近で生活して きた。場合によっては、我が子以上に濃密な時を過ごすことになる。子どもたちにとってはきっと流れていく日々なのだけれど(また、そうでなくては困るけれど)、担任の私にとっては…決して簡単に消え去ったりはしないのだ。一人一人との出会いが、私を叱りつけ育ててくれるものなので、私自身そのものの中に、すべての出会いと時間が滲みこんでいる。
その上に、クラス編成もなく持ち上げて2年間担任したあのクラス。特別なんだ、と今でも思う。

解散を控えた合唱団で、今は毎週一緒に歌っているSappyは、変わらず賢くて優しくて頼りになるSappyなんだけれど、明らかにあの頃よりも強い光を帯びたまなざしをしてい るから。ずっと見つめていたら、自分が小さくなっていくような気がした。

時は逃げていく。そう思うのも、私がとどまっているからなのだろうか。そんなぐしゃぐしゃした思いを引きずりながら帰ってきた。それをすっきりとほどきたくて、探りたくて、わざと、遠回りして帰ってきた。
 多分、この手からこぼれ落ち逃げていってしまう、のではなく、私が時をおしやるように、明日へと目を向けて生きていけたらいいのだろう。

合唱団で歌うことだって…もう何日もない。今まで通り、サヨナラの手を振ったらもうすっきりと、明日を思って生きていきたい。だから…私にできる精一杯の歌を歌って終わりにしたい。逃げていってしまった、終わってしまった、と失う日々を振りかえるのでなく、何かをやり抜いた、私がそこを乗り越えてきた、そんな実感がほしいと思った。

 

でも、でもね、帰宅してベッドサイドで鞄を覗いたら、またお財布が逃げ出しててね。えええええ!?って車にもどったら、また同じところに、ゴロン、と転がってたよ。くうううううううううう。 えーん、Sappy、やっぱり逃げてくよぉ。コレ何とかしてよぉ。

 


2010/3/6(土):とうひぃとうひぃとうひぃぃ♪

本当は相当忙しいのに、逃避してる。

朝ご飯食べたら4時間ぶっとおしで持ち帰り仕事をやっつけた。そしたらみしぇるが存在感を主張し始めたので
お仕事用バスケットにマル乗りみしぇる。はみでてるし。

ま、いいか、ちょこっとみしぇるとのんびりしますか…と、ひざに抱えて、ごろごろごろごろを聞いていたらねこノドの魔術にやられて…気づけば30分も以上うたたね。
やば!とPCに向かってまた仕事をはじめたものの、集中力の限界が2時間半で訪れた。無我の境地が得意技の私なのにぃ。ああ。

明日は真面目に仕事しよ。って書いて思い出した。明日は合唱団のコンサートだよね…あらぁ〜♪

 


2010/3/7(日):いつか

あれから何年経ったのだろう。
あの日は朗読劇の「この子たちの夏」を練習してた。練習場所の保育園を出ようとしたときのことだった。

学さん、事故でね…。と。横田先生の声の響きで、一瞬にして眼前に残酷な情景がいくつもよぎった。詳しく聞く前から、バイクに違いない、と悟ってしまった自分が恨めしかった。

そうだ。思い出した。777の日だったんだ、その日。2007年7月7日。家に帰る車の中で、まったくもう、馬鹿なんだから…とつぶやいてしまったらもう涙が止まらなくって、運転できずにしばらく路肩に車を停めていたっけ。あの日。生きていてよかった、と思うと同時に、生きていても、またピアノを弾けるんだろうか、いや、もし二度と弾けなくなってしまったら、それって、学先生にとってどんな人生なんだろう…と、私が考えても何にもならないことをぐるぐる思いながら数日を過ごしていた。

そもそも私が人権宣言合唱団で歌おうと決めたのは、大先輩として最も信頼してる樋口先生からの「すごいいい歌を歌ってるんだよ。子どもの歌声がよくってね、それに、ピアノがすごいんだよ…」の誘いにぐらぐらと心動かされたからだった。そして初めて中川公民館に訪れた、あの日の感動といったら!全身マッサージしてくれるような過激にパワフルだった子どもたちの声と、それを強烈に引っ張るピアノのアグレッシブなこと!なんて気分のよろしい世界がこの世にはまたあったことかと、そこに身をおけた自分の幸運ににやにやしながら帰宅したのだった。

学先生が、おそらくもうピアノが弾けないんじゃあないかって話を聞いたときに、いろんなシーンがまた一気にフラッシュバックしてきて息が詰まりそうだった。でも、自分に言い聞かせた。信じること。いつかきっとって信じること。たとえ現実がどうであれ、私は最後まで信じ切る。その日はきっと来る。それが奇跡だとしても、私は信じている。そう思い続けてきた。もちろんいまでも。

今日は、何年ぶりかで、学先生のピアノで「合唱組曲 子どもの人権宣言」を全曲歌った。
小学校のPTA主催の、小さなコンサートだけど、ぜったいにいい歌にしたい、そう思ったから朝から1時間、いつものコンサート以上に丁寧に発声練習をして出かけた。リハーサルの「夢育つように」から、やっぱり、これが、私たちの合唱団の歌なんだ、と思った。学先生の企業秘密の左手が一体どんな裏技を繰り出していたのかは知らないけれど。

コンサートが始まって、すごく胸が高鳴った。なにが、どこが、なんてわからない。たぶん細胞のレベルで、私にとって、そしておそらくは他のみんなにも学先生のピアノであることが何より大切なんだって思った。もう涙が止まらなかった。でも涙声になんかしないぞ、わたしはどんな舞台だって、興奮に支配されたりしない、今まで練習しながら確認してきたすべてのことを、一つ一つふり返るようになぞるように歌おうって、そればかり意識していた。涙で全然お客さんの顔なんか見えなくても、でも思いっきりの笑顔で、歌ってみせる、演じてみせるって思いながら歌っていた。

幸せな時間だったなぁ。
やっぱり、私は信じ続けようと思った。いつかきっと…って。私の信じることはきっと実現する。いままでだって、ずっとそうだったもの。こういうところだけ、私はすごくポジティブなんだ。悪魔よりも天使よりも悪霊よりも精霊よりも生霊よりも、根拠のない自信ってね、断然しぶといから。わたしそういうの得意なんだ。



2010/3/11(木):銀世界ぃ

また雪 ぃ…9日夜から降り続いた雪で、昨日はがりがりに凍った国道を朝は5:20出勤。ふえ〜ん。こわいよぉ。とろとろと、2時間弱で職場に着きました。
しっかし、どうしてああもみんな飛ばすかなぁ。道行くクルマたちが異様に速いんですけれど。で、信号待ちしてたら数台はノーマルはいてるし。なんで?その自信はどこから来ちゃうの?

っと、こと雪道に関しては何者をも信じられない私はガリガリ氷の道をそろりとゆく。

 

と…さっきすっとんでいった軽自動車が、反対車線であり得ない方向向いて停車中。ええとこれは、新手の路上パフォーマンスでしょうか…やめてよね。心臓に悪いったら。あ〜あ。
上州の冬には空っ風でしょう?土埃でしょう?ねえねえ。なんかさ、前橋市ってさ、こういう冬ってあんまりないはずだよね、あんまりね。それにもう3月だし。ねー…。

 

で、一夜明けて今朝。
 

まだ雪解けの気配もない朝焼けの朝6:00。我が家からの景色。まあ、絶景ではありますよね。えーん…。

 


2010/3/11(木):しごとがぁ

---好きな人が気になって、仕事も手につかなくなるかも。切ない思いを同性の友達に聞いてもらえば、スッキリして運気アップ---

IEを立ち上げたらigoogleのトップページに占いが出てくるのね。

---好きな人が気になって…?

 

 

あなた?

いよいよ年度末のカウントダウンにてしゃかりきに仕事してるってのに、さっきから膝に載ってくるしテストのマルつけしてれば採点ペンのしゅるっしゅるって音に反応してじゃれついてくるし、床に降ろせばどこからともなくボールをくわえてきて、私の足元に置き、お座りして「みゃあ」…と。みしぇるう。あのねえ。
…じっと私の目を見あげるみしぇる。

………根負け。
はいはい、投げますよ。あなたは犬か?

 

 

ううううう。

確かに仕事は手につきませんとも。別に切なくはないけれど。

いつの間にか静かになったなと思ったら…こんなだし。

 


2010/3/13(土):給食らあめん

私が子どもの頃は 絶対お目にかからなかった給食のラーメン。今回のは「郷土料理シリーズ:長崎県」ってことで、チャンポン風スープに入ったラーメンでしたの。家で食べたら絶対においしいとは思わないであろう、コシも風味もさっぱりな給食のラーメン。ポリエチレンの袋に入っています。黄色くてちょっと固まってて。これを袋から引きずり出して、給食の樹脂製のお椀の底に具がそよそよと浮かぶ程度に注がれた、ちょっとぬるくなったスープにひたしていただきますの。でも、これが給食マジック。教室で食べると美味しいんだなぁ。すっごく。教室中に響くずるずるっっっっ…ぞぞぞっっ…子どもたちが夢中になって、麺をすする音。思わず笑っちゃうほど、その瞬間だけ無口。さらに、この日は一人、欠席の子がいたので、一つ残ったこの麺を半分こして、大勢の子どもたちが争奪じゃんけんに盛り上がった。

が。

過日、さて帰宅せんと、例によって定時をとうに過ぎた職員室を出ようとすると、お茶道具のセットが置いてある棚にその給食ラーメンの袋がぽつん、と。職員室用の給食の麺が、なぜか一つ余っていたらしい。でも、麺だけもらってもねえ。(だってこれ、家庭水準では全然美味しくないし)職員の皆様全員に見殺しにされて放置された麺が、妙に気の毒になった。

で、デキゴコロで、ついもらってきちゃったのだが。

本日帰宅して冷蔵庫を開け、あ、そうか、この前もらっちゃったのよねぇ、と。 職員室の棚で放置されていたのをもらってきて、家の冷蔵庫で放置。なんなんだか。。。でもこんなのを一体どうやって美味しくいただいたものか。そのままラーメンとして食べたってサミシイに決まってる。

で、思いついた。

広島風お好み焼き。 ふにゃふにゃの麺だって小麦粉なんだから、オイルでかりっと焼けばそれなりに歯触りもよろしいでしょう。思いついたらなんだかうきうきしてきた。よし、やっちゃるぅ。


こんがり♪


トッピングのチーズもこんがり♪


でっきあがり〜♪

もぐもぐ。。。。。おいしー。これ、予想以上にかりかりほくほくです。うふふ。きゅうしょくらあめんばんざぁい。

 


2010/3/26(金):さようなら


とうとうさようならの日になっちゃった。1年前にみんなで作ったこいのぼりを、お別れの記念に持ってぱちり。

4月に、4年生3クラスの廊下にこいのぼりを泳がせようと決めた。布のウロコを一枚一枚配って、中に子どもたちが絵を描いて、それをはって作った、こいのぼり。ずっと教室や廊下に飾っていた。4年生の応援旗のような作品だった。
3月のある日、そろそろ解散だし…と
ねえ、このこいのぼりのウロコね、みんなに一枚一枚はがして持って帰ってもらおうと思うんだけど…
と、切り出すと、子どもたちが一斉に
え!?だめ!!かわいそう!!!
と叫んだのだった。
でもみんなの作品なのに、このまま捨てちゃうわけにも行かないでしょう?誰かがもらって家に持ってったとしても、こんなにおっきなもの、もってったらお母さんに叱られちゃうでしょう?
と話したら、じゃあ、ずっとこの廊下に飾っておけばいいじゃない?とか、5年生の教室の廊下に持って行こうよ、とか、先生の家に飾っておいて、とか…。とにかく捨てちゃあ、ダメ、ウロコをはがすのもダメ、だめーーーーーー!!!
の大合唱。困ったなあ。

じゃあ、ということで、とりあえず記念写真を撮って、それをみんなには配るね、こいのぼりは…う〜ん、とりあえず、図工室に飾らせてもらおうか…。と話したら、
うん!!!それがいい!やったあ!!!よかったあ!!!
と。そうかあ。

そんなわけで、昨日はお別れレクをしたあと、みんなで撮影会。ポーズを変えて、おすましバージョンやヘンな顔バージョンや、色々撮ってプリントしてあげた。みんな満足そう。

ああ、可愛い子たちだったなあ。今日はほんとうにさようなら。

一年間ありがとう。貴重な、貴重な、宝物の一年間だったよ。