2009/9~12・ユルんで消えてときどき笑って

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2009/9/19-20(土-日):おわっったああぁぁ

疲れた とかだるいとかねむいとか、そういうのがもう完全にわかんなくなるこの1ヶ月間。疲れたかどうかと言われれば、もう体中が完全に悲鳴を上げているし、イイカゲン熟睡しないと、もうじき壊れそうだなって、そこはまあそれなりに自覚してるんだけど。でも、ここで手を抜いたら私の存在価値はなくなると自分に言い聞かせて。誰も私にそこまで求めていないことはわかっているけれど、私が私を赦してくれないこともさらによくわかっている。
毎年の、2学期開始からの大怒濤が、今年は1週間早くやってきて、今日、終わった。
はあああああああああ。おわったあ。運動会。えーい、つかれたよお。

知らない人は、どうして運動会なんかでそこまで?って思うんだろうな。でも、私や私たち、運動会「で」やり遂げることを目指す教師にとっては譲れないこの時間と手間暇なのだ。ここで子どもたちを育ててこその1年間。

今年はリズム構成「モチモチの木」に取り組んだ。去年も夢中になって「ひばりの矢」を表現した今年の4年生は、本当に毎日笑顔で走り抜いていた。いつもなら叱られてばかりのあの子も、自己表現が苦手で声の小さいこの子も。全身を解放してどんどん自分の表現の世界に浸っていくのがわかるし、それを見つめながら15日間を共にできたことは幸せだった。

子どもたちをびしっと仕上げたくて、時に校庭でがんがん叱っている先生もいるけど…私はいつも、このときとばかりに子どもたちを褒め続ける。良いところをさがすのが私の仕事になる。子どもの中に、きれいな世界を作り上げることが私の仕事だから。それにね、そもそも、このときだけで整列感覚を繕えるだろうなんてのが間違いなんですよ、そもそもね。1学期の最初の体育の時間から1学期の最初の国語の時間から、または、1学期に出会ったその日から、子どもたちの中に「ここちよさ」のタネを蒔いて、一緒に育てていかないと。前へならえ!って怒鳴らなくても、眼と心で、隣の人とのまっすぐ感覚をここちよいものとして育てておくこと、てらいもなく自分の世界に浸りきれるここちよい感動を共有しあっておくこと…。そんな積み重ねのできた、今年の我がクラスの子どもたち。素敵だった。
もっと手を伸ばせ、腰を落とせ、なんて言わない。子どもたちの内側に物語の世界をつくってあげること。
ほら、豆太が笑ってるよ、顔見てごらん(「じさまの願い」で。豆太を抱く手が急に柔らかく、傾げるクビが優しくなる)
きれいなトンボだね、羽が透きとおっているよ(子どもたちは一斉に手のひらを見つめて踊り出した)
がけの下まで真っ暗かな、見つめて、転ばないように(上体がぐっと低くなった。坂下へ走り抜く豆太)
足は冷たい?いたい?しびれてる?(子どもたちは、もうわからない、麻痺してるって言った。それより速く医者様に着かないと…って)
モチモチの灯が蒼いよ、お、あっちは透き通った金色だねぇ…(腕の上がり方がしなやかになった。視線がくいっと上がる。瞬きもできない)
声を掛けていくと、子どもたちの手先や背中のすっと延びた線がもっとしなやかになって、視線がついっとあがってくる。手渡した踊りが、子どもの手足によってどんどん弾けるように変わっていく。子ども自身の表現になっていく。そこに辿り着いたときの歓びは何物にも代え難い。
もっと踊りたい、もっと踊りたい、もっと、もっと…、そう言って伸びていった子たち。

今年も大切な宝物をもらったから、残りの半年間をもっと輝かせよう。そう思いながら今年も終えたことに、心からありがとう。ありがとう、子どもたち。

ああ、楽しかった!!!そして、ほんっっっっっっっとうに
んんんんん〜〜〜〜……あーーーーー!つぅーかぁーれぇーたぁああーーーーーーーーー!!


今年は3,4年生みんなで、各教室の窓に「自分を応援する旗」を作って掲げてたのね。たのしかったぁ。


2009/9/20(日):ワイルドナイツ!

ご褒美休日の始まり。足利へ。大好きなラグビーを見に。
それにしてもラグビー場の芝生ってあったかいなぁ。さいこー!試合もワンサイドで眠く…なっちゃったりして。でも、ぜんぜん退屈なのではなくて。すごくリラックスして観戦。イ・ケ・イ・ケ・サンヨー!


2009/9/21(月):那珂湊襲撃

那珂湊の夏はもう終わり。すべり込みの岩牡蠣。ご褒美連休のふつかめ。
そして、お馴染み森田水産の回転寿司では…そりゃぁ〜っと、ボタン海老さんが大行列。絶景なりぃ。

 

 

 

那珂湊の海…今日はびりびりと耳を突くように鳴っていた。

遠い南のソラに台風がいるからって。波は高くて風も少し強くあって。

で、お客さんも少ないし、

 

 

akyaは派手にヨロコブし、
 

で、かき氷やさんも大ふんぱつ☆

 

えええ〜こんなやまもりぃ!?きゃぁ持って歩くの大変ですぅ。。。ウレシ☆

 


2009/9/22(火):我々はどこから来たのか

サマセット・モームを読んだのは中学一年生になったばかりの頃。大好きだった美術の先生が、一番好きな画家はゴーギャンだって言うのを聞いて、学校帰りの電車待ちに、本屋さんに寄った。文庫本の棚をはじから探して、見つけた、あのドキドキ。「月と六ペンス」…薄緑色の表紙。
友だちと比較しても圧倒的に少なかった毎月のお小遣い。月に一冊だけ、文庫本に遣うと決めていた。文庫本なら、なんとか手が届く。一冊の本をひと月のあいだ、繰り返し読んでいたあの頃。

株式仲買人の仕事ってのが全く見当も付かなかったけど、その定収入を捨てて、家族を捨てて、タヒチへ向かった画家。誰からも認められずに。たった12歳の私にも、芸術の神に囚われた心の放浪がずきずきと響いてきたのを覚えている。ましてや今、家を持ち、かけがえのない家族を持ち、人生のよりどころとなる仕事を持つ私としては……。

今日ゴーギャンの絵を見た。たくさんの人にぶつかるようにしながら。大勢の息を飲み大きな人の肩越しに見つめた作品は、彼の思い詰めた視線になめつくされた筆致だった。自らの信念にのみ忠実だった人。彼は幸せだったのかなあ、不幸せだったのかなあ。そんなこと、どうだって良かったのかなあ。己を描きぬくために。
ゴーギャンの絵を見るたびに思う。信念を持って人生を生き抜くってことは、これほどにしんどいことなのかと。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
命って何なのだろう。100%消えていく命なのだけれど、その続く限りに何者であるかを探し続けて生きていく我々。


2009/9/24(木):振り替え休日のひとりごと

と いうわけで 。
今日は一人で朝からそわそわ。明日は谷間の一日で子どもたちは落ち着かないことだろう。今日は仕事のことを考えないようにのんびりくつろごうか…と思うこと自体がもう仕事に囚われている証拠なんだろうな。いっそのこと普通に仕事しちゃおうかと。その方が気楽だったりする私は、立派にWorkaholicでしょうか。まあ、よいです。それでも。さて、なにからはじめようか。


2009/9/25(金):谷間の日

そりゃあヤル気にもならんでしょうともさ。5連休のあとの今日。そして明日明後日は土日でおやすみだし。今日もおやすみで良いような気がするんですけれど。でも、そうはいかず。休日の谷間に今日がある。そして、私自身もお仕事満載で。まあね、そんな日もあるさ、な金曜日。

運動会練習の日々はすっごくイキイキと頑張っていたyu-が、始業チャイムもなったのに教卓足許に寝そべっている。クラスでも後ろから三番目におっきいyu-はまるで浜辺に打ち上げられちゃったマグロみたいにでれえんと。まったくもう。おやすみ中、何してた?と聞いたら「ヤキュウ…あとゲーム…あと……しらない。ねてた」
ああ〜ん、と甘ったれた声を発しながら横たわってるこの生物をどうしたもんかと思ったけれど、まあ、5連休も留守の家に放っておかれたのだろうし、あんなに頑張って一番輝いていた運動会のリズム構成も、お仕事で忙しかったお母さんには見てもらえなかったyu-なので、ちょっとはイジッテやっても良いかなって。そういうところを、ワタシはよく「甘やかし」と言われるけれど、でもね、基本、可愛いんだな、そういう甘ったれ坊主が。

こりゃこりゃ、こんなよいところに踏み心地のよいクッションがあったわ、ううん、気持ちよいふみごこちぃ♪
クラス中に聞こえる大きなふざけ声とともに、靴を脱いでyu-のお尻をふみふみふみふみ……。yu-は「きゃあああああああ」なんていいながら、踏まれて喜んでる。クラスの子たちも、yu-の気持ちはわかるからあまり批難めいたことは言わない。けらけら笑ってる。甘えたいのに、上手に甘えられない子。かまってほしくてわざと注意を受けるようなことをしている。ひとしきりふんずけて、最後にこちょこちょと脇腹をくすぐってあげたら、yu-は、「やめてー!」と言いながら席に逃げ戻った。教室中大爆笑。まあね、谷間の日ですから。


2009/10/31(土):めまぐるしいめぐまるしいめしいまぐるめ…

こんなにも どかどかと日々が過ぎていくと、自分が何をやっているのかもわからないし、生きているのか死んでいるのか起きているのか寝ているのか考えているのか放心しているのかあんまりにも境目が無くなってくる。

どうしたんだへへいべいべーなかんじだ。いやしかしばってりーは枯渇しそうだ。ああ。

だいたいにおいて仕事が多い。なんなんだこの日々は。給料はどんどん減るのに手のかかる子どもと手のかかる親と手のかかる研修と。そして最も手のかかるこの私自身のこだわりと。やれやれ。手を抜け。手を。

 

 

まあ、それができりゃあ、苦労はないな。


2009/11/3(火・祝):ユルむ。その1

いよいよ冬眠だ。今年こそ冬眠だ。ああ冬眠してやるぅ。
と、やけっぱちになりながらクビを縮めて過ごす日々がやってくる。

今日は赤城山も榛名山も浅間山も初冠雪。群馬県民にはお馴染みの上毛三山のうち、赤城榛名の二つに冠雪。妙義よ、キミだけがたよりだ。ってなんのたよりか。

せっかく群馬県に生まれながらスキーもスノボもしない私にとって、冬のオタノシミって何か。何か……
うーん。
……ラグビーを見に行くことくらいかなあ。

クリスマスのディナーを作ることは(食べることよりも)好きだが、そんなのは別にクリスマスじゃあ無くったって何かのパーティーがあればいくらでも豪華に作れるのだし。年末の大掃除も手術後遺症の肩がめちゃめちゃ痛くなるから嫌いだし、大好きなランニングに行くものさむさでめげちゃうし。第一、寒いってだけで肩の筋肉が緊張して、このクビは吐き気を伴う頭痛を引き起こすくらいに痛むのだ。きりきりきり。ばふぁりんさんもせですさんもなろんええすさんも効きません。あああ。ナツオンナakyaのぼやきの季節到来。冬なんかきらいだ。

しかもここんとこどうも、私の身辺が変なのだ。なにか、こう、とことんユルい。ユルんでいる。いや、ハズれている。

先日、故あって市役所に行ったのだった。用事が済んでラシーンに乗り込もうとした私のふところがすうすうする。
ん?
比喩的な意味で懐が寒いのは、いくつになってもすねかじりな息子のいるうちはまあ、仕方のないこととあきらめているのだが、これはかなり現実的に体感的に、「ふところがさむい」。
ん?
みれば私の着ていたシャツのボタンがない。無いのだ。縦に5コならんだボタンホールが4個、空いている。下から2個目のウエスト部分を残して、すべてのボタンが、ない。え。無いって何?

さっきまで市役所にいたのだった。すかすかのタンクトップのボトムを晒していたのか。まあ、別に、鏡で確認したがそんなに違和感はなかったんだけどね、そんなファッションも、アリかなってカンジで。
でも、家でこのシャツを着たときは、確かに全部のボタンは揃っていた。ぜったいに、あった。それがほんの1,2時間のあいだに4つキレイに消えるって何だ。あの市役所のお姉さんが、絶対に怪しい。優しそうに微笑んで善良な(?)市民を油断させておいて、実のところ指先で華麗に人を欺く、テーブルマジシャンだったのか。

残った一つのボタンを引っ張って見た。するするすると糸がユルみほつれて、ボタンは私から離れてゆく。。。。。
はい。5個目もとれました。

ち。だからアジアンのシャツはあなどれないぜ。まあね。私はアジア衣料のこういうあさはかなとこが好きなんだけどね。わりとね。やれやれ。でも、一気にせーので外れるかなあ。
…やれやれ。インドシャツに仕組まれた時限爆弾テロに、してやられたのか。


2009/11/3(火・祝):ユルむ。その2

仕事上がりはその夜、23時だったのだ。ばかみたいだ。 何が悲しゅうてそんな時間まで職員室に一人残ってぱそこんぱたぱたたたいてるかな。

まあ、しかたない。それが私の性分なのだし。忙しくても手抜きして授業に向かえば、子どもがノらなかったりワカラなかったりして、結局イライラは私に跳ね返ってくるのだ。そんなこともう十分にわかっているが。

そんなことをぶつぶつつぶやきながら帰宅した。

翌日は休日だったのだ。だから頑張ってみたのだが。
寝坊を決め込んだ朝はみしぇるのごはんごはんごはんごはんごはんの声とかみつき攻撃に苛まれ、渋々階下へ降りた。その瞬間、みしぇるが全力ダッシュで2階へ駆け戻ったのだ。なんだ?みしぇる、ごはんは?

と、その直後
ピーンポーーーン、とドアの向こうに宅急便やさんの登場。みしぇるは知らない人が大の苦手。宅配やさんの足音を敏感にキャッチして駆け上がっていったのね。

で、宅急便やさんの受け取りにサインせんと半開きのドアに伝票を押し当ててボールペンを突き立てたのだが、そのとたん、ずるっ、ばちんっ、がちゃっ。てなカンジで、何かが手からはじけて落ちた。ん?

玄関のタイルに目を落とすと、ネジとノックボタンとプラスチックの筒がふたつ、足許にはじけて散らばってる。私の手に残ったのは、ボールペンのペン先の金具と、インクの詰まったほそーいリフィルが3色分。
えー…………。

なに、これ。全部ユルんでたってことね。ネジからみいんな外れてばらけましたよって。
でも、でも、一気にせーのでばらけるなんてさ。しかも私が宅配便やさんにサインする時を狙ってはじけ飛ぼうなんてどういうこと。 手に残ったその残骸を見つめて、妙に情けない気分に陥った。なんかすっごく、みっともないなあ。
しかし宅配便やさん、表情一つ替えずに、
「あー、落ちましたよ。だいじょうぶですか。あ、これつかいますか」
って別のボールペン渡してくれて。
まあね、別にね、そりゃ、だいじょうぶですけども。でもそんなにユルみ続けなくってもってカンジじゃない?


2009/11/3(火・祝):ユルむ。その3

その晩も仕事上がりは22時を回ってしまった。ほんと、良い加減にできないのか。

そんな時間になると、普段はすいすい走っているはずの道が工事をしていたりする。夜間工事だ。こんな時間に道路工事のお仕事している人、えらいなあ。これからの季節は寒くて大変だろうなあ。
ぼおっと、片側交互通行の車両規制に大人しく従って停まっていた。私の前にも結構な数の車がある。赤いテールランプがずらり。そして、なんかヤケに対向車が続く。アイドリング、もったいないかな。ちょっとエンジン止めとこ。
シフトレバーをパーキングに入れて、キーを戻した。カーステレオのキースジャレットも演奏をやめて、静かな車内に工事のガガガって重低音が響いた。

しばしして、数台前の赤いランプが消えた。あ、動き出すのかな。それじゃ、っと、右手でエンジンをかけた。左手でシフトレバーをゆっくりとドライブに入れて、手を離した。その時。
ばばばんっと何かが私の左手を叩きながら逃げ散っていった。ええっ!!!
いや、実際、声に出して叫んでいた。ええっ!?って。
私の左手が離れるか離れないかの瞬間、シフトレバーのグリップ部分がはじけ飛んだのだ。一番大きいグリップ部分は助手席にごろんと転がり、足元の暗がりになにやら小さいものがはじける音がびしびしと聞こえたような気がした。同時に運転席のドア内側に何かが跳ねて私の膝に飛び降りた。
え?なに?なに?ねえ、なに?これ??????

思わずブレーキを強く踏み直したのだが、もう前方の車両は走り出してしまった。暗闇の中でアタマは思いっきり混乱している。でも、とりあえずここは走っとけ、みたいな命令が下されて右足はアクセルを踏んだらしい。おいおい。なんなんだこれは。この状況は。

赤信号で停まった。おそるおそる、膝の上のモノを触ってみた。冷たくてぬるんとしている。うぁ。なんだよこれ。バネじゃん。グリースでべとべとだし。ああ、シフトレバーを解除するボタンの部分ね、これ。 このバネで、はじけ飛んだわけね。なんなんだかなあもう。
信号待ちの商店街に照らされた、剥き出しのホネのようなシフトレバーを見つめる。いくつかの突起と窪みが、ひどく残酷な仕打ちを受けたかのように、恨めしそうに私を見上げている。でも 、でも、でも、一気にせーのでばらけるかなぁ。なんだってのさ、私は悪くないぞ。ほんと、全然、何にもしてないんだから。

走りながらキースのバラードにため息をつく。ね、あなたすごくかっこいいけどさ、でも、こんな状況下で聞かれているNo Lonely Nightsってどうよ。ね、こんなシチュエーションで聞かれるって思ってなかったよね?そうとも。
私だって思うモノか。

走りながらようやく平静を取り戻してきた。これ 、今はきちんと走ってくれているけれど、一旦家に帰って、エンジン切ったとして、シフトレバー壊れてたら、明日、どうやって起動したら良いんだろう。それに、クルマが走ってくれないとなると、どうやって学校に行ったらいいのかな。教育実習生も来ていて、めちゃめちゃ忙しいときなのに。休むのだけはマズイぞ。でも、だからって、エンジンかけられなかったら、ディーラーに持って行けないし。ディーラーって何時から仕事してくれるんだろう。あああ、遅刻かなあ。イヤだなあ。

車が壊れたということよりも、仕事に穴を空けるのが心底イヤだ。ため息が出た。信号で停車するたびごとにしげしげとシフトレバーの残骸を見つめる。ああ、何だかな、ここんとこいろんなモノがユルんでハズレてたけど、よりによってこんなとこまでハズレまくりって、何?何?私が何をしたっていうの さ。

帰宅後、エンジンを切って、部品らしきモノはとりあえず2個だけ助手席に並べておいた。車から降りたらなんだかすごく悲しくなった。でも同時に妙なおかしみもこみ上げてきた。私ってホント、変な星の下に生まれている。一体どんな守護神が私で遊んでいるのやら。満点の星空を見上げた。もう。

こんなにいろんなモノがユルみまくりだってのに、寒さだけはこれからキツくなるばかり。私のまわりだけはもういっそのことみんなユルんでおいてほしい。

まあ、そのシフトレバーだけどね、翌朝、ナントカカントカ組み上げて、車内を総点検して拾ったネジ2本をきっちり締め付けたら、直っちゃったんだけどね。一応。遅刻もしなかったし、修理代もかからなかったし。まあ実害はゼロなわけで。ごめんね、ネジたち……みんなけっこう頑張ってくれて、みんなちょこっとずつユルんできてたんだね。私、気づかなかったんだ。ああぁ。


2009/11/14(土):まっかな秋

 

どうしたんだああああああああ!!!!!!!!

 

信じられない。全く声が出ない。しゃべろうにも、どうノドに力を入れても、私の声帯からはかすれた空気しか出てこない。本当に「空気」しか出ないのだ。「かすれ声」ではなくて「空気だけ」。本当の本当に、「音」がいっこも出てこないのだ。こんなことってあるのだろうか!?信じられないが現実なのだ。

耳鼻科に行って診察してもらったら、声帯から肺へと向かう気管が、ずううううっと見事に炎症を起こしているって。熱が相当出た筈ですよ、体、つらいでしょう?と聞かれたけど…どうなんだろう。熱………そう言えば先週はだるかったような。でもそんなにあったとは思わないし。いつものことだが、相当ぶっ壊れないとぴんと来ないのだ。

まあ、そんなわけで、声帯から奥が思いっきりまっかっかな秋。まあ、季節柄、ね。

 

…ってノンキに言ってる場合じゃあない。
月曜までに直さないと、仕事にならない…非常に焦っているのだが………どうにもこうにも、でないものはどうやってもでないので。。。。。。。。


2009/11/15(日)秋をさがしに

空が抜けるように蒼い。秋空だ。

今日は沼田のりんご園へりんごを買いに。それからその先川場村の道の駅かわば田園プラザへ。

赤いほっぺたちに囲まれて空を見上げたよ。まぶしいな。

で、お次はここね。すっごい混みようでびっくり!!いつものことだけれど…。で、ねらい目はこのパキッとチョウじゅーシィな山盛り山賊焼きと、「かわばんち」のおにぎり!山椒とかぐら南蛮味噌と唐辛子の葉が新米のほくほくおにぎりと最高のマッチング。

どっちもほっぺを押さえて食べないとキケン!落っこちますよぉ〜!!! ほんとに!

展望台から見上げた空。ブルーベリーの葉っぱもまっか。秋だなぁ。

 

 

声が相変わらず全く出なくて、こんなことって初めてなんだけれど。どうしよう。
明日授業できるのかなぁ。


2009/12/22(火):Is there a Santa Claus?

2学期最後の日。

数日前から、子どもたちが何かにつけて
「サンタなんかいないし!あれはお父さんだから!」
「いるから!オレのとこには毎年来るもん」
「は?なに言っちゃってる〜ん!あれは親がプレゼント置いてるだけだから!」
「ちがうしぃ!ちゃんといるからぁ!」
…大激論。共通しているのは、毎年ちゃあんとクリスマスプレゼントはいただいている模様…ということかな。

「だって、うちのお母さんが言ってたもん。サンタなんかいないって。プレゼントは親が買ってくるんだよ」
「は?4年にもなって、ばかじゃねぇん!今時信じてるヤツなんかいないし!」
という、否定派多数と
「ちがう、うちには来る。だってお母さんが言ってたもん」
「サンタさんがいないって言うんなら、世界中にウソつきがいまくることになるじゃん。ありえねえ」
と、譲らない肯定派少数。あげくに、
「サンタさんはいるよ。だってオレ、見たもん!」
…え!?…それはどうだろう…な意見まで飛び出して。

私はリアルな意味でサンタがいようがいまいが、そんなことよりも、あまりに現実主義な親たちの子どもへの対応が寂しいなと思う。それに、サンタクロースがまるでどっかの運送屋さんみたいなプレゼント宅配人に成り下がっちゃってるところもどうかな、と。

で、終業式の今日は、ひととおり連絡やら冬休みの生活についてなんかを確認し合ったあとで、
「ところで、サンタクロースの件だけど…」と切り出してみた。
え!?と意外な表情の子どもたち。私は、1897年に、アメリカで8歳のバージニア・オハンロンちゃんが新聞社のSUN紙に宛てた手紙に対して記者が返信した社説を引っ張り出して、話してみた。私がはじめてこの文を目にしたのは、中学校の英語の教科書だったんだけれどね、って。
黒板にいつものマグネットスクリーンを広げて、プロジェクターで英文を拡大投影して。

私の英語朗読を一生懸命に聞いていた子どもたち。終えたとたんに、
「え!!ねえ、先生、つまり、どういうこと!?」
と大声で質問した最強の現実主義者・否定派くん。いつもあんなに声高に、サンタさんを信じてる子たちを嘲っていた彼の、この真剣さ。

う〜ん、そうだね、つまりさ、目に見える物だけが本当のことってわけじゃあないってことだよね。目に見えるものしか信じないなんて悲しいし、目に見えないものにも確かな物はたくさんあるってことだよ。そしてそれを信じることは、すっごく素晴らしいってことだよね。たとえば、神様はいると思う?(いる!いない!の声多数)幽霊はいると思う?(いる!いる!いない!オレ見たことあるよ!)家族がみんなを思う気持ちって目に見える?(ん〜……急に押し黙る)先生が本当は宿題なんかだいっ嫌いって知ってる?(え〜〜〜〜〜じゃあ、出さなければいいのにい!…大騒ぎ。本当だってば!)
…目には見えない真実はいっぱいあるし、目に見えないからそんなの嘘だって決めつける人はやっぱりちょっと寂しい心の人だと思う。感動って目に見える?キセキって絶対に起こらない?
私は、この新聞記者の人がいうように、サンタクロースは必ずいるって信じています。でもそれは、みんなが言うようなプレゼント配達便のおじさんみたいな人じゃあないと思うな。(少しだけくすくす)そんなのは確かに、お父さんに任せておこうよ。そうじゃあなくて、クリスマスにはサンタさんがもっと素敵なわくわくをみんなに届けているはず。毎年ね。

う〜ん、この話をどう解釈した物か、と困っている子。急に目をきらきらさせはじめた子。それぞれで私は可笑しくなった。笑いをこらえながら、最後に
どうしても、目で見たいっていう人は、noradのサンタ追跡っていうサイトもあるんだよ。これもアメリカの北米航空宇宙防衛司令部っていう、本当はちょっとコワイお仕事しているところなんだけど…と、例の有名なサンタ追跡も紹介。
「え〜、ウチ、インターネットつながってない〜!」
と悔しがる子や
「noradって、キーワード検索で良いの?先生、スペル、間違いない?」
とメモを必死にとる子。さて、みんなどんなクリスマスを迎えるのやら。

どちらにしてもね、こ〜〜〜〜んなに2学期に頑張ったみんななんだから、絶対にみんなのところにはサンタさんが来るはず!私は信じてる!
と、さあ、楽しみだね、と話をしめくくったら、やったあああああ!!!!おおおおおおーーーーー!!!と子どもたち歓声を上げた。可愛い子たち。

さて、今日で2学期は終わり。大好きなみんなに、Merry Christmas!!


2009/12/25(金):クリスマス

さあ、我が家にもクリスマス。こんなに素敵な日がこの世にあるなんて!それが本当の意味でのクリスマスの姿かどうかなんて、気にしないのです。私にとっての最高のクリスマスは、1年間の仕事を精一杯に終えて、私と私の大切な人たちと一緒に、のびのびした気持ちでディナーを食べて、今年も 楽しかったなあって、その充実感をかみしめること。

で、今日はクリスマスディナーづくり。定番ばかりだけれど、楽しかった♪
お腹いっぱい。心もいっぱい。
年末だなあ。もうじき今年も終わっちゃうんだなあ。ふしぎだなあ。


2009/12/30(水):幸ちゃん。どうかやすらかに。

27日の朝、胸の痛む事件があって 。小学校の5,6年生の時をともにした子が、火事でなくなった。私が知ったのは夕刻のテレビニュース。何気なく飛び込んできたアナウンサーの声に、耳を疑った。気が動転して胸が苦しくなった。息子と一緒にアルバムや文集を見た。幸ちゃん…。

交わしたいくつかの会話が一気に頭の中にあふれてきた。はにかむ表情の、目を細めたときの、恥ずかしそうなときの…いろんな時の幸ちゃん。

どうか、どうか、どうか、安らかに。私はずっと忘れない。大切な仲間だから。


2009/12/31-2010/1/1(木-金):さよならとはじめまして

お年賀状も なんとか出し終えたし、お部屋もきれいになったし、台所ではお正月のお料理があったかく出来上がっていて、今朝は朝から年越しそばやらお正月のお料理やらの材料を買い物して、すっごくたっくさんお金を使って、今年が終わる。髪も切ったし、切れた蛍光ランプも買い足したし。

こんなふうに、毎日をあたりまえに過ごせるって、それはもうとてつもなく幸せなことなんだなって思う。
満月の月明かりの道を走りながら、そう思った。

あついシャワーを浴びて、みんなで紅白を見て、暖炉の火をくべて、初詣に行って、おみくじひいて、猫を抱いてベッドに入って。そうやって何かの区切りをつけながら、とぎれなく生きている。この一瞬一瞬を、ふしぎだなって思いながら。今年も、さよなら。そして、初めまして。

新しいときに向かって、また一歩を踏み出す。自分を見つめながら、仲間を信じながら、希望を持って、新しい一歩。
さてと。