2009/1~3とりあえずできることはぜんぶやった。

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2009/01/01(木):あたらしいとし

初詣になんか行かない。去年も一昨年も行ったけど、良いことなんかなかったじゃあないかぁ。

と小学生並にだだこねてた一派を
「いや、行かなかったら、もっと悪かったのかもしれないよ」
と、いちおう反論してみたが、ま、根っこは無信仰な私のこと、べつに、めんどうだ(行くのが、じゃあなく、説得するのが)いいや。と、初詣をしなかったので、今年は初日の出を拝みに行こうと決めてベッドに入ったのが昨夜2時半ころ。

で、今朝は気の早いアラームに5時45分に起こされてしまった。え?まだ外真っ暗じゃん。寝ぼけたおつむには時刻の感覚というモノがない。しばらくして…あ、日の出は6時52分だったはず…と気づいて二度寝。やれやれ、新年早々…こりゃ、2009年の行く手が見えたな。うん。

で、もう一度6時30分に起床して、冷たい水で顔を洗って、ミシェルにご飯あげて、外に出た。うわあ、痛いくらい冷たい空気。でも、「新年」という言葉の魔法てきめん、すごく新鮮でいいにおいの空気を深呼吸。さて。
もう一度靴のひもを締めて、はじめはゆっくりと、そしてだんだんはや足で、最後はジョグで目的の丘へ。

あ〜らら。もう6時55分。たいへん!…でも、地平線に続く家並みに隠れて、まだ陽は見えなかった。ほお、やれやれ。富士見村の畑に覆われた丘の上には、ぽつん、ぽつん、と、わたしとおんなじような厚着の人が東の空を見つめている。みんな待ってる。うふふ。なんか面白い。

あ、顔を覗かせた。あれ、きのうは照れた顔してそそくさと去っていったお日様が、今日はまたせいせいと笑顔満面でやってきたじゃあないか。ふう、まぶしい。

おおい、おひさま。今年もよろしくお願いしますよー。


2009/1/2(金):感動っていうの、ありがとう。

正月早々熱を出して(…やけに体の節々が痛いのは、前日まで大掃除やらおせち作りやらお年賀状作りやら頑張ったから、筋肉痛なのだろうと思っていて…それにしても寒いけれど、もしや?と検温したら…発熱していた…)実家の新年会には行けず、元日の昨日は昼過ぎからあったかくしたワインを飲んで、本を読みながらベッドで読書しながらすごしてしまった。やれやれ。
今日は朝からお年賀状の返信作りをしながら、あ!と気づいた。そうだ、箱根駅伝!!

即、階下のテレビの前へダッシュ!タスキは3区を移動中だった。順大の小野選手が走る5区はまだまだ先。ああ、間に合って良かった、とため息…。テレビの音量を上げて、仕事しながらちらちらと…。

小野選手と言うより私にとっては、「小野ひろちゃん」って感じで…何しろ、私とひろちゃんとの接点と言ったら、ひろちゃんがホントにちっちゃかったころ、かわいくて泣き虫な2歳児だった保育園時代だから。大学生になってテレビで姿を見られるようになった時にはなんだか誇らしいような、懐かしいような…かなりのびっくりだった。私よりも直接に彼を担当した保母や、小中の担任などはまたさらに格別な思いで一昨年、昨年の駅伝を応援したことだろう。
特に昨年は…胸を痛め手を握りしめ…涙した人がたくさんいたことだろうな。私も。

で、今日、5区の最下位にタスキが渡った映像がほんのちらりと映し出されたとき、まだ風邪の熱がある私の足も勝手に動き出してしまった。ほんの一瞬の映像に向かって「頑張ってー!!」と叫んでしまったり。もうじっとしていられなくて、テレビのあるリビング からキッチンへ和室へ二階へ家中を走りながら応援。
「裕ちゃんがんばれ裕ちゃんがんばれひろちゃん…」
順位なんかなんの興味もなく、ただ小野君が全力で思いを遂げる走りができるようにとそればかり考えて、私の欲しい情報をちっとも伝えてくれないテレビ に向かって…地団駄踏むように飛び跳ねたり足踏みしたりが止まんない止まんない。心の内ではずっと「おのひろちゃん、がんばって!!」って叫びながら。なんだかな。知らぬ人が見たらあまりにも怖い光景だ。いや、知ってる人が見たら、もっと恐れたか。

18位ゴールの瞬間には
「やったー!ひろちゃんすごい!!すごい……!!!」
と、リアルに声が飛び出してしまって、自分で自分の声にびっくり。一緒に涙が溢れてしまった。決してテレビ報道的には大きくない18位。5位も順位を上げても区間2位の見事なタイムでも。でも、そんなこと全く関係なく、この一年間、小野君がどんな思いで今日のこのゴールを目指して来たろうかと思うだけで、胸がいっぱいになった。

たんぽぽ組の前の廊下で、細い足をゆらゆらさせる足取りで、優しい目をして飛び跳ねてたひろちゃんが何度も何度も目の前をよぎる。思いっきりどろみずにしりもちついて、ズボンずり落ちちゃいながら「マチュダァ〜…」と、なきついてきたあのちっちゃなひろちゃんの声が、何度も耳に聞こえる。こんなに素晴らしい未来が、子どもたちには開けるものなんだなあって。いろんな気持ちで一気に胸一杯になった、駅伝。

ひろちゃん、感動ありがとう。これからもずっと応援し続けます。


2009/1/5(月):さよならふゆやすみ

私の冬休みは今日でおしまいにして、明日からまたおしごと。明日一日は3学期に向けての準備などをしなくては。大嫌いな寒い季節がだんだん緩んで暖かくなって 、だんだん、「つぎのとし」が近づいてくる。3学期。いつも駆け抜けていってしまう3学期だけど…ほんの少しだけでもじっくり味わって大事にすごせたらなって思う。

さあてと、いっぱいおせちも食べたし、Yasuちょとラグビーも見に行けたし、もう十分お正月気分を堪能したか。

だいっきらいな寒ううう〜い冬本番がやって来るけれど、えい!まけないぞっっっっっっっっっだ!!


2009/1/6(火):縁起だるまの

少林山だるま市!

上毛カルタな一年の取材活動の一環として…行ってきたのだった!縁起だるまの少林山。

いやああああ、それにしてもひとひとひとひとひとひとひとひと……………・!

たっくさんの人が、山門前の道を埋め尽くして並んで待つ。

あと少し…あと少しで階段を上って行けそう…って待つ時間が長いんだなぁ。で、楽しいんだなぁ。わくわく。

 


ようやく辿り着いただるま市。ここもひとひとひとひと……だるまと人と、どっちが多いかって、きっと人だろうな。
そしてモチロン、だるま市と来ればお約束な夜店もずらああああっと!

息も凍りそうな夜に一晩中続く少林山のだるま市。ここだけは熱気で寒さを忘れる。さていい年になりますように!


2009/1/10(土):お正月明けに食べたくなるもの

カレー…どうしてだろ。お正月明けってカレーが食べたくなるんだなぁ。

で、今夜は牛すじカレーです。とろとろりん。
ん!おいしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!

3学期が始まってみて思うのは、冬休みって、ホント短いんなだなってことで。授業していると今週の火曜日までお休みしてたって事をもう完全に忘れちゃってる。あたりまえに授業して、宿題に○付けして、子どもたちとじゃれてお馬鹿なこと言って笑ってる私がいる。
子どもたちってかわいい。小学4年生って簡単に頭なでさせてくれるから好き。ちょいって抱き寄せて「こりゃこりゃぁ!」ってあたまぐりぐりしながら叱っても嬉しそうにしてる。幸せな手触り。耳に嬉しい笑い声。

3学期だ。あと3ヶ月。いい時間を過ごしたい。

で、カレーね。はらいっぱいでげんきもりもりだよぉ。


2009/1/11(日):おやつが食べたい

と思いつつも、なんだか買い物に行くのはいやで。だって年末年始ってさ、呆れるほどたくさんお買い物したから。
で、3連休まん中のノンビリな今朝は、コーヒーのおともに、おやつ作り。
うん。まあまあなデキといえましょう。チュイールです。あり合わせのナッツで。

美味しいお菓子があると、コーヒーが旨い。ぶらぼぉ☆おやすみぃ♪


2009/1/23(金):どうして

「A君は退学ですって?」
1校時が終わって、次の体育の時間に使うリズム縄跳び用の音楽CDを取りに職員室に寄った。そのとき、突然聞かれて面食らった。え!?退学って?

ブラジルやペルーからの労働者が多い伊勢崎市。日本とは慣習の異なる方々がたくさんやってくる。だから、私も今までに、出勤したら予告もなく「今朝から一人、ブラジルの子が転入しますから」とか「○○くんは夕べ転居しちゃったので転校手続きお願いね」とか、はじめのころは仰天したことも数回あった。もう慣れたし、いろいろな事情の中で頑張っている方々には応援したい気持ちの方がたくさんだけれど。

A君はペルーから一昨年の冬に編入学してきた。全くわからない日本語環境ですごく頑張っていた。去年4月にこのクラスで出会ったときの私の印象は、すごく我慢している子という印象だった。ほとんど日本語はしゃべらない。間違ったことを言うと笑われちゃうのを心配している様子。ブラジルから来たW君とは対照的で、彼はどんなに間違っていようと、わかる言葉を順番無視して機関銃のようにまくし立てる。ちょっとでも難しいことは「わかんない!」と言って、拒否してくる。なのに、Aと来たら、ぜんぜんわかんない4年生の漢字練習をすごく頑張ってる。一つも読めないし意味もわからないのに、漢字を一生懸命練習して、丸暗記で100点取っちゃう。 そして、何を聞いても「うん」と答える。わかったかな?うん。だいじょうぶ?うん。ほんとうにわかったのかな?うん。わからないよね?うん。…ぜんぶ、うん。
期待に応えなくちゃ、心配や迷惑はかけないようにしなくちゃ、言うことは聞かなくちゃ。……だから、ぜんぶ、首を縦に振ってわかったと答えて、教師に負担をかけず、自分もその場をやり過ごそうとする。
私の仕事は、まず、A君に、「わからない」と言わせることだった。正直に気兼ねなく、わからないならわからないでいい、良い子でいるだけが良いことなんじゃあない、先生には迷惑をかけても良い、周りに甘えることも大切…そんなことを、日本語の全くわからないA君に、まるごと雰囲気として伝えていきたいと思って、やってきた。
だから、だんだんやんちゃになって友だちにちょっかい出したり、一人前にケンカしだしたA君を頼もしく思った。私もいつも平等に、日本の子と同じに、遠慮なく褒めて叱ってつきあってきた。
音楽会の時にはA君のものすごい迫力のボーイソプラノに感動した。誰よりも伸びやかに高音を響かせて歌えるA君をものすごく褒めたら、本人もますます得意になって大きな声で歌うし、周りの子たちもつられて元気に歌えるようになった。 自信を持ってきたら、突然いろんな事を日本語で話すようになってきた。単語を何とかつないで、私とコミュニケーションを取ろうとするA君。気持ちが開けてきた彼の様子に、私はちょっぴりホッとしていた。

A君がここ数日休んでいたのは、カゼでもひいたのかな?くらいにしか思っていなかった。でも本当は、引っ越しのお手伝いをしていたのだって。

今日、お父さんから聞いたお話では、お父さんは仕事をクビになり、お母さんもこの土曜日で仕事が終わりになるということ。お金がないから、アパートにいられないということ。知り合いの住んでいる公営住宅に住まわせてもらうことになったが、ここからは遠くて、A君をこの学校に通わせられない。(勿論学区外になってしまうが、学区外からこの学校に来る外国籍の子は多い)私はお金がないからもう車で送ることもできない。だから、別の学校に行かせなくてはならない。…ということ。

日本人の労働者も派遣切りで職を失い、住む場所を追われる状況が続いているけれど、やはり、外国人労働者の雇用調整による解雇は、日本人よりもずっと深刻な状況にあるのじゃあないかと実感する。仕事がなくなったから給食費は払えません、と、支払いが滞っている外国籍の方の家庭がいくつかある。杓子定規に言うならば、お金を払えないなら日本の学校には子どもを入れられません、日本人ではないのだから…と言うことになるかと思うのだが…。でも、少なくとも、今この地域で、この環境に生まれた育った子どもに、日本人とか外国人の差はないはずだと思う。
お金がないから、または、両親の意識によって、子どもを学校に行かせずに、就学年齢の外国籍の子どもが公園で昼日中から誰の保護もなくただ遊んでいる放置社会…どう考えてもまっとうとは思えない。
子どもは子どもだ。どの子もみんな、日本に生活している限り、きちんと教育を受ける権利を保障してあげなくては、そこは将来的に見て健全な社会とは言えなくなってしまうと思う。

A君の家庭はすごく真面目で、お父さんもお母さんも温かな人だ。給食費だって学級の集金だって、滞ったことは一度もなかった。では、特別に生活が豊かだったのかというと、そんなことはないと思う。片言の日本語で、一生懸命に話してくれるお父さん。どこの国の人であろうと、いい人はいい人で、その人柄のすばらしさは真っ直ぐに伝わってきた。

今日で、A君は突然に去ってしまう。もう、会えないのかもしれない。クラスの子どもたちにも、A君の退学を、ただ突然の出来事として片付けさせるわけにはいかないと思った。大切なクラスの仲間が、本人の意識と関係のない大きな力によって、生活の変化を余儀なくされる。大事な仲間を準備もなく送り出さなくてはならない。今できる精一杯のお別れを体験させることもとっても大事な勉強だと思う。
3時間目の始まりに、子どもたちに話した。急に、学校をやめることになってしまったこと、もう会えないかもしれないこと。でも、大切に送り出してあげたいこと、時間はもう、わずかしかないこと。
大急ぎで、みんなで手紙を書いた。A君にわかる言葉を使おう、絵をたくさん描いてあげよう、そして、自分の名前を忘れずにきちんと書いておこうねと、子どもたちと確認した。
4校時に教室に来たA君のために黒板いっぱいにメッセージを書いた。A君、げんきでね!子どもたちが色とりどりのチョークで色を塗った。絵を描いてメッセージを書いた。そしてみんなで記念撮影をしてから、最後に何でもA君のしたいことをしよう、なにがいい?と聞いたら、
「ドッジボール」
と言う。オッケー!4時間目はドッジボールしよう、そして、給食はA君をみんなで囲むように席をつくって、食べようね。そのあとはお見送りしようね。

ドッジボールをしながら、何度子どもたちがA君の名を呼んでいたか。
「A!パス!」「A、ねらえねらえ!」「A!いくよー!」
大好きなドッジボールでどの子も夢中になりながら、笑っていた。
終えて、教室の机配置の指示を学級委員の二人に任せて、私は職員室で大急ぎ、お手紙をファイルにまとめて、さっき撮った記念撮影を光沢紙にプリントして、その表紙に飾った。
いつまでも、みんな、ともだち
とメッセージを入れた。

「寂しいです。きっと帰ってきてって、子どもたちも話していました。」
お別れの時、お父さんにそう話したら、お父さんは泣くしぐさをして「かなしい、かなしいです」と。そして、
「おかね、おかね、がんばります、たくさん。もどります。かえります。」
手で、ここへもう一度戻ってくるという身振りを入れながら話してくれた。私は泣くフリでなく、本当に泣いてしまった。A君になんにもしてあげられない自分が悔しかった。


2009/2/3(火): 感謝

先週から頸が痛くて痛くて。さむさ故の肩こりではなく、「くび」が痛む。やだなあ、またなんかホネがヘンな具合になってきたのかなあ、 と、かすかにおそれつつも、だましだましやっていたのだが、あんまりにも痛むのでネを上げて、とうとう近所の整形外科医に行ってきた。
で…レントゲン撮ったら、手術したすぐ下とその下とその下のホネが…なんかヘンな隙間で斜めっぽくつながっている…えええとぉ…これってまた、椎間板がどうにかなってるって事なのかなあ。お医者さんはMRIで見てみないとはっきりしたことは言えないけれど、この画像からは問題が起きていると判断できてしまうかなぁと。ほかの病院紹介しますけれど、それともかかりつけの手術した病院に行きますか?って。
まあ、とにかく。痛いって事だけはもうめちゃめちゃ明らかだから。それ以上のまたなんか神経症状がナントカカントカの部分は、またなんか痺れたとか麻痺したとかの自覚が起きてからでいいです。と、痛みを取ることだけをお願いした。で、とりあえず痛みを取る麻酔注射と、炎症を抑える飲み薬と痛み止めの座薬と湿布薬を戴いて学校へ。

教室に行ったら神妙な顔つきの子らが。先生大丈夫?って次々に。どうやら、自習監督にでてくれた先生が、少々大げさに私の具合を話したようで。あああ。ナイショにしといて欲しいモノです。でも、少し良い子になってて(きっと長続きはしないってわかってるが)カワイイかも。ふふ。

3校時に到着。図工の時間だった。今日からLEDライトを使ったランプシェードのような立体作品づくりに取り組む予定だった。何しろ子どもたちの大好きな体育と図工だけは自習でつぶさないように…と大急ぎで行って、間に合って良かった。始めて、すぐ、みんな夢中。
「先生が来て良かったぁ。自習なんか、つまんないもん。プリントなんか大っ嫌い。」
そんなふうに何人もの子たちが歓迎(?)の言葉を述べに来てくれる。本当に有り難いなあって思った。小学校ってね、素直な気持ちで私の存在価値を伝えてくれる子がいっぱいいて。こんな有り難い仕事ってなかなかないと思う。辛いことはまあ山ほどあるけど、こういうあったかい心に囲まれているから続けられる仕事なんだなあって思う。
ありがとう。この気持ち、お返しするよ。私にできることで。だから…授業で。


2009/2/9(月):ま、ヤルしかない日々

土曜日曜と、合唱練習。で、もう一日お休みが欲しいくらいに疲れた。学先生はちゃんとピアノを弾いてくれているし、指揮もしてくれているんだけれど、なにしろポンコツ耳なので、自分が歌い出すとほとんど聞き取れない。明らかに音が違ってれば、あ、ピアノと違うってわかるんだけれど、その時はもう手遅れだし。楽譜から目を離せないおばかな団員たちのために、学先生は指を鳴らしながら指揮してくれているのだが、とても残念なことに、私にはその乾いたぱちぱちって、これはもう全く聞き取れないので、とにかく歌い始めたら頼りにならない自分の耳より、脳に焼き付けた記憶と、眼から入ってくる情報だけが頼り。合唱部分では遠くのアルトさんの声なんか絶対聞こえないので、じっと口の動きを見る。ピアノの陰になっている学先生の体の揺れを見る。

で、練習日近くなる木曜朝あたりからは、CDの響きが消えないように、ひたすらひたすら聴いて聴いて、私の中にきっちりと曲の空気をしみこませてから土曜日の練習に参加することにしている。けれど、ほかのパートが、私の知っている曲のイメージのようには歌わないので、(あたりまえだ。ド素人集団なのだから)アルトのこうくる響きにこう答えたい、とスタンバってても、彼方はそうは来てくれない。で、絶対音感なんか勿論ない私なので、いっきに迷子になる。(んんん、こう歌いたいはずなのに、何もかも違うの。ここって知らない森の中なのね。…えーんおかーさーん)

自分の声も、プロの方の演奏の音色のように歌いたくて、試行錯誤か四苦八苦かのどの奥を開いて響かせてみんとするのだけれど、もちろん いつもそううまくはいかなくて(まあ、たまにまぐれで、あ、これイケてるかもってほんの一瞬思えたりするほどのモノか)、で、高音のF-Gくらいが続くと、耳の奥でぎゅんぎゅんとリンパ液が逆流するような音が鳴り出す。何これ。クビの手術前にはこの現象はなかったので、医師に聴いてみたい気もするが、きっと、ワタシのような症例はなかろうし。

で、そんな翌日は、布団から体を起こそうとすると例によって頸がギシギシと痛い。でも、先日アタラシイ枕を買ってもらったので、夜はかなり安眠できるようになった。通販生活の例のヤツです。うふふ。夜が来るのが楽しみになったのね。大好きなアナタと。はい。イタリアはファベ社のカレとラブラブな夜。ホント、よくできたまくらくん。

今日は学校で変なとこが筋肉痛のような。腹筋?横隔膜?なんかおなかの奥の方なんだけど。高音をppで歌わなくてはならないところがあって、そうすると、一気にお腹に緊張が走る。で、筋肉痛。いやぁ。なんだかなあ。

そんなこんなの月曜日。いよいよ、6年生を送る会や卒業式なんかの練習時期に入るので、歌やら群読やら呼びかけやらの練習続きで、ワタシのノドもフル稼働。 う〜ん、ふぁいとだ、わたしのあっちこっちよ。 もつのか。いや、もたせてみようとも。どんと来い、だな、うん。


2009/2/15(まだ生体時間は土な日):ふざけんな

あまりにも腹が立ったので、全く然して完璧な笑顔で車に乗り込んだ。本物の怒りを感じると、笑いがこみあげる。ふざけんな。 わかったようなセリフはいてんじゃないよ。指導力のないヤツほど理由を他人に求めたがる。

最近の子どもは集中力がないとか、親がだめだから指導が大変なんだとか、夜に愚痴を吐く分には全然アリだけれど、子どもの姿は教師を写すの鏡なのであって、声を出さない、口を開かない子どもにしたのは誰なのか、まずは自分に問うてみるべきだ。子どもの集中力なんかないのがあたりまえ。それをひきつける指導をするのが「ウデ」のある「プロ」の仕事だ。ボランティアじゃないだろ。
図工指導では「よく見て描きなさい」がダメ教師の定番発問だ。「よく」とは何か。「見る」とは何か。「描く」とは何か。それを指導するのが仕事なのに。生徒たちが「よく見て描ける」のなら、すでに教師はいらない。
「どこを」「どの位置から」「どんな角度で」「どんな眼の開き方で」「何を基準に」「何と比べて」見るのか。それを指導して、初めて子どもは「よく見る」って何のことかがわかる。
「わからないことは想像して描きなさい」も愚問の上位か。見たこともないものは決して見えないのだ。すべての想像は経験の上に構築される。「見ようとしなくては見えない。見えないと言わずきちんと見なさい」と盲人に言う滑稽を想像してみる。見えない人に見せたいなら触らせるか。感じさせるか。次々と手だてを探るのが指導者の仕事だ。生徒に伝えたいことがあるなら精神論でなく具体性で迫るのがプロというものだ。「違うでしょ、ちゃんと見て」と一万回繰り返したって、描けるわけがない。見たことのないモノは見えない。それじゃ、筆を止めるしかないだろ。

ま、別にいいや。ワタシの仕事じゃあないから。関わるのはもうよそう。そう思っても腹が立った。だから笑ってしまった。そして口をつぐんでしまった。私は絶対に「わからない」ことを子どもたちのせいにしない教師でいたいと痛感した。そう再認識できたことを収穫とするしかないか。

今、国語の授業で学習している「ごんぎつね」では、「いつもは小川であるはずの流れに、雨上がりのどっと増した黄色い水が流れ、ススキやハギのかぶがもまれている」…そんな大人なら自然に漠然とした想像を持って読み下すような場面にも子どもたちは疑問だらけなのだ。日本語がペラペラでもペルー籍の子は「すすき」は知らないと言う。ハギは勿論どの子も知らない。「かぶ」ときたら、「蕪」なのか「下部」なのか「株」なのかもわからない。第一「もまれる」ってどういうことか。自然からかけ離れた社会に住むお街のお子ちゃまたち。そんな様子は見たことも聞いたこともないのだ。最近は洗濯機だってフタを開けたら止まっちゃうし。子どもたちのアタマのテレビ画面にスイッチを入れてやり、その子たちなりのきちんとした絵として、本物の「黄色い水」をどっと流せるように、くっきりと映し出してやること、それが、国語の「読み取り」の授業だ。

あああああ。あんまりにもむかついたしがっかりしちゃったのでレイトショーの「少年メリケンサック」が異常に楽しかった!クドカンサイコー!! アナタの言いたいことってすっごくよくわかる!!!イヤってほどよく聞こえる。

ウルセ−んだよ、ヤらなきゃあおさまんねえだろ!!

その通りだとも。パンク最高。ふざけんな。


2009/2/18(水):Always on the side of the egg
"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

立ち去ることよりも訪れることを、目を背けることよりより見つめることを選び、口をつぐむことより語ることを選ぶ。
自分の目で見、手でふれたことのみを信じる。「小説家」であること。
高く強い壁と、それに立ち向かい壊れていく卵とであれば、常に卵の側に立つということ。

村上春樹ってすばらしいひとだって、今さらながら痛感した。すごい。
私の心の壁にもきちんと刻みつけておきたい。そう思う。心から。

 →http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html


2009/2/21(土):この一週間は本当に最悪だったのかをふりかえる

月曜の朝は眩暈から始まった。せっかく早起きして元気に着替えもしたってのに。階段を下りてもう一度階段を上って部屋についたら、もうその日一日が終わってしまった。勿論終わっていなくてそこが始まりだったんだけれど。
のどのおくからぎゅううとぞうきんを絞る音がして、同時に世界がぐにゃんとねじ曲がって降ってきた。だめだこれ。今日は休みだな。でもあんまりにももつれていて、今日の自習課題は何にするかとかの思考が働かない。まずはトイレだと思う方へ這っていき、吐けるモノは吐いて洗面台にしがみついてよじのぼり、水を流して口の周りをばしゃばしゃすすいだ。それからフトンフトンフトン…とそれだけ繰り返しながらベッドへ戻ってのびた。電話もしたけれど何をしゃべったのか覚えてないし、時間が過ぎたのか止まってるのかもわからなくなった。

昼頃なのか、やけにまぶしさが眼にずきずきして意識が帰ってきた。体がふるえていることに気づいた。ひじと肩とクビと腰と膝と足首が痛い。え〜っと、土曜日とか日曜日とかに何か筋肉痛になるようなことした?してないよなぁ…。ぼんやり考えながらまた意識が遠のき…激しい頭痛でふたたび気づく。そうか、熱があるのかな。でもめまいで?

今頃インフルエンザってみっともないな。つばを飲み込んでみる。のども痛くないし咳も出ない。これ、きっと、体温計がイイカゲンなんだな。体温計の表示が変だから体調がおかしくなったんだ。。。ん?そうじゃない?
木曜日は今年度最後の授業参観日だし、学級懇談会もあるし。来週金曜日の6年生を送る会に向けての学年合同の群読練習も6回しかできないのに。 休んでる場合じゃあないんだから。
体は震え続けて拍動する頭痛で枕がかさこそ言っている。熱は39℃を超えた。もう、なにがなんだかよくわかんないや、と壁の時計を見た。しばらくして焦点が合った。午後2時40分過ぎだった。
医者に行くべきなんだろうか。…ようやくまともな結論に至った。

で、復活までに血液検査エコー尿検査レントゲンCTカラダたぷんたぷんな点滴などで3日。白血球は13000/CRPは6+/そけい部リンパ節が1cm〜1.5cmに腫れてるって結果は聞いたけど、熱の原因は結局わからなかった。頭痛はどんどん強くなった し、熱は上がりっぱなしで40℃に届いた。検査代やら薬代やら何やらで2万近く消えた。でも、抗生剤が効いたのか、水曜日の昼過ぎには37.6℃まで熱も下がったし、木曜日にはなんとか学校に行って参観と懇談会もやっつけた。はあ。たにーが学校休んで送迎バスだった。子どもたちが頑張って偉かった。
皆さんありがとう。

頭痛が薄れてきたら、今度は胃痛が激しくなった。食事を取るときりきり痛む。職員室でお茶を飲んだら一気に逆流してきてあわててトイレにダッシュした。でももう医者に行くのはイヤだ。おカネもないし。

きのうの金曜日は、生徒指導が重なった。あんなことやそんなことやこんなとやあんなことやこんなことを指導した。でも、基本的に小学生はまだまだ話を聞く耳を持っている。理解したかどうかは別として。困ったのは、指導した結果を家庭に報告したら、お父ちゃんが
「ワタシがだめなんで、子どもがだめなのはまあしょうがないんですよ。まあ、やられたらやりかえす、これがうちの家風なんでね、先生にはわるいけど。ろくでもないやつがのさばってる世の中だから、やられっぱなしじゃ生きていけませんから」
こういうの逆ギレって言うの?開き直り?または見栄っ張りなんだか女なんかにゃなめられたくねえっていう、男目線なんだか。お父ちゃん。あなたがカッコつけたいのはわかるけど、それじゃ物事は解決しないのよ。自分が言いたいことを言って見栄はってせいせいしても、子どもはよい子にはならないんです。でも、こっちまでキレても仕方ないので、
「頼もしいお父さんがいてくれて有り難いことです。これからもお願いしますね」
と応援しておいたが。
みんな、それぞれの人生の「ひとかどなところ」が譲れないまま小さな世界を生きている。その世界を小さい背中に背負った子どもたちが、教室という 少しだけ広がった世界の中でうまく協調できるようにと、少しずつ後押ししながら過ぎていく私の小さな世界暦。ときに煩わしくなるけれど、これが私の仕事だから。

つらつらふりかえるに、まあ、最悪ってのはもっと下の方にあるのかなと。ざっと、こんな一週間だったのだけれど、文字にしてみたら、まあ、まだ中の下、ぐらいかもしれないと思った。


2009/2/27(金):おまつりだ!!

ああ、楽しかった!今日はようやくすっきりとした気分。
6年生を送る会で、ド迫力な群読「祭り―北原白秋―」を4年生の子どもらが表現してくれた。最後のグラデーションで音量が増し、「わっしょいわっしょいわっしょいわっしょい おまつりだ!!」と、終えると、体育館がびいいん、と共鳴してぴりっと静まりかえり、そしておお!と言うどよめきとともにものすごい拍手が起こった。

1年の締めくくりとなる「6年生を送る会」。主役は6年生だし、あくまで6年生へのプレゼントとしての演し物ではあるのだけれど、でも、やっぱり、1年間の学習の成果を発表できる、その一年間を総決算する表現の場なのだと私はとらえている。でも、5年前にこの学校に来たときは、どの学年もにわか作りの台本をもとにした内容で、使い古されたTVのお笑い受け売りがオチの定番だった。ウケればOKみたいな扱いだから、当然のことながら子どもたちも、「○年のが一番うけた」とか、「○年のはチョーしらけたよな〜」とか、そんな見方しかできない。呆れてしまった。こんなことのために、小学生の貴重な授業時間を使っているのかと、びっくりだった。けれど、私自身は、舞台では本当に子どもたちが学んだ真実の姿で勝負したいと思った。取り立てて、あれは良くない、これは良くないなどという意見は一度も言わなかったけれど、私が指導してきた子どもたちには、大切な学習時間を子ども版宴会芸の練習みたいなことには使いたくなかった。しっかりとした歌や群読やマーチング演奏などで、その時々の子どもたちの学びを精一杯に表現して、子どもたちの本物の賢さがきらめくような取り組みをと願って続けてきた。そうして、「いいものはいい」と、きちんと評価してくれる職場の仲間がいて、少しずつ素敵な時間に変化してきたのだと思う。今年はとうとう、安っぽいお笑いはなくなった。本物の感動と子どもたちなりの賢さが見る人たちの笑顔を誘っていた。どの学年の発表も子どもたちが本当に子どもらしくかわいくて、素敵な時間だったなと思った。

私は、4月の頃から、詩の群読と、上毛カルタの暗唱と、毎朝歌い続ける歌とを発表につなげようと決めていた。6年生を送る会のためにとってつけたような内容でなく、この一年間の子どもたちの学習の成果が舞台の上で輝くような、そんな取り組みにしたいと思って一年間を過ごしてきた。

今日の歌「地球の子ども」と群読「上毛カルタ知ってるかい?」と「祭り」…最っ高にイキのよい、キトキトの4年生だったなあって思った。子どもたちの良いところが全部出て、迫力と明るさと自信とに充ち満ちていて。
終わったら、全力で拍手しちゃった。ああ、楽しかった!

さて、お次は、卒業式だ。私の大好きな、あの子どもたちらしい、 ぴりっとスパイスの利いた「よびかけ」と「歌」で、この一年間を閉じられると良いな。


2009/3/7(土):おっにくぅ☆

ってハマケン@サケロックか。 まあ、良いです。

韓国の言葉で「幸せの青い鳥」と言う名のお店に伺いました。 あり得ないほどココロアタタマルお値段で、お昼間からシアワセにゾーモツ系らぶりい☆でしたの。


2009/3/8(日):なんだかほんとに。。。な日曜日

ええと、こんなことってあるのだろうか。 今日は、お昼前からコンサートだっ!てことで、日曜日のぐだぐたを振り捨てて、朝からシャワーしてていねいに発声練習もして合唱団Tシャツ着てお出掛けしようとしたのに。

のに。

 

 

なんだこのぽろりんは!!

車前面も背面も、ライトがぽろん。。。なぜだあああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!
しばし呆然・・・。なんだっていったいこんなマンガみたいな事態?びっくりして思わず叫んでしまった。
「はぁ?!マジで??」
しかし、一人暮らしの私のこと、勿論答える人もなく、問いは風が彼方へ運んでいった…ひゅるる〜。

―― ほかにも写真を撮ったが、当局の差し止めにより(!)掲載はここまで。うわぁ。あり得ん!!――

すぐ警察に連絡すべきだったのだと思うが(っていうか、自分で直さず連絡してくれないとダメですと後ほど注意されたが)、何より、のんびりしてたらリハはおろか本番に間に合わないだろう !と言うことで、家に駆け戻りデジカメとケータイで写真を撮り、学先生に遅刻の連絡メールをし、工具箱と工具類引き出しをひっぱりだして、家中のストックネジ・ネジ・ネジを合わせてみた。けっこうな長さが必要で、径はおそらくどんぴしゃかとおぼしき様子がいまいちピタリと来ない。ええええええええ!と焦る中で、5本だけ、結構な長さのが。どうだあああと入れてみたら、これが良い具合にはまった。あと少し長さ が必要なのかなというカンジだったが、今はそんなこと言ってる場合か!な状況だったので、とにかく証拠写真とって応急処置して、もしもの場合に備えて野外掲示用の 強力両面テープとガムテープをトランクに放り込んで出発。ああ、リハーサル終了前に到着できるかどうか…。

まあ、気づいたのが早かったからか、必死こいて作業したのが効奏したからかはわからないけれど、とにかくリハーサル途中の会場に着いて皆さんに合流し、まあ、本番はつつがなく終了しましたが。

 

何かさ、なんか…もう〜!!どうしてわたしっていつもこう。。。
っていうか、わたしってすごーーーーーーーーーーくたくさんネジ持ってた!!!………って、結論はそこか。


2009/3/14(土):学年末だぞ、自分…

まあ、どんなに忙しい学期末も学年末も不思議と最後は終わるって知っているけれど、でもやっぱり焦ってしまう。
ああ、学年末なのに、帰省のYasutyoたちと一日遊び呆けていた本日。

だけど!

 

Kの国屋さんへ行ったツイデに、気になってたこのアルバムを試聴…でもって
ピアノサウンド渇望症のあなたに!?おお!!正に♪っと、ヘッドフォンから脊髄へ駆け抜ける打楽器ピアノなカレのサウンドに打ちのめされて
即買い。

BEN FOLDS最高!もう、ナミダナミダ。。。。

懐かしのBF5時代から現在に至るまでのベスト版CD+DVD。カネヲカエセ=♪はGIVE ME MY MONEY BACKの字幕が入る日本びいきに大笑い。伝説落下事件HIROSHIMAのOH−O−OH−♪では思わず合唱してしまった。 去年フジのグリーンで、雨と感涙にどしゃぶり状態で踊りまくり歌いまくりだった感動もよみがえりツツの至福・・・。

え?学年末??それがどうした、今日は休日だゼ、知らないのかい?!

ま、明日からはきっと地獄だけれど・・・・・・・・・。


2009/3/24(火):イチローーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

卒業式後の職員室。。。大騒ぎ。すごい! 胃が痛かった…!!
そして…イチロー!カッコイイ!!!!!!!!さいこ======!!!!!!


2009/3/27(金):ああ、おわった…

昨日、ようやく終了式も終え、今日は来年度の校内人事を話し合った。 もう来年度のことで頭の中はいっぱい。まだ今年の教室も片付いていないのに。

毎年この時期は昨日も明日も明後日もなく、曜日の感覚も消え、ひたすら教室を撤収して次年度の準備をして、へとへとになったところへヤケクソなカラ元気状態で一気に新学期を迎えるというドタバタになっている。なんだかな。1年間をリセットして一息つくヒマが欲しい。しかしもちろんそんな余裕もなく、子どもたちは春休みの第1日目の今日も、私は22時帰宅。やれやれ。

今年はスッゴクがんばったなあ。。。。私。

うーん。疲れた。疲れすぎて食欲がない。はあ。

冷蔵庫の扉を開くと、中にはいろいろ食材が入っているのだけれど…そうそう、魔法…魔法…なんかぱぱっと食べれるモノでてこーい…。。。

うなだれて閉じる。いいや、夕飯なんか。寝よ。


2009/3/28(土):Sappy&Ryo_chan♪

と、ランチして、ふらふら。 二人とも、どんどん立派に大人になってく。でも、子どもの頃の二人と、根っこの部分は全然変わってないから嬉しい。で、その二人の上にオトナな経験値が積み上がってるのがなんか眼に眩しいカンジ 。

Ryoちゃんは、介護福祉士の資格を取りながらお年寄りのケアをお仕事にしてる。すごくRyoちゃんらしい仕事を選んだなあって思う。5年生の頃から、優しくて、さりげなく世話好きだった。ちょっとのことですぐにけらけら笑ってた 。(笑いの沸点の低い子だなあと感心したものだった)あのマシュマロみたいな顔が懐かしいな。時々夢に出てくる、前から2番目の席、北から2列目の席のRyoちゃん。いつも笑ってる。

Sappyは、相変わらず、お茶目な突っ込み満載だった。そう、子どもの頃から、真面目なクセして、「変なモノ」好きだったよねえ。そこはまあわたしもそうかも、だけれど。
「石焼きのゴジラみたいのと、かちゃ。下さい」
って。お姉さん完全スルーだったけど。

みんなどんどん成長していく。あのころのみんな、シアワセにオトナになってるといいな。。。


2009/3/29(日):うたうたうたうたうた

夕べも今日も。うたうた。歌が好き。本当にねぇ。いつからこんなにうたがすき? おもいきり高い声を響かせるのが好き。しゃれこうべびりびりじんじんするのさ。だい好きぃ。

子どもの頃から人前で歌うことが好きだった。3歳くらいのおちびのころは、どっかのヘルスセンターとか言うところ(ソノ昔、老人会の旅行かなんかで、おじいちゃんやおばあちゃんが集まって宴会みたいのする日帰り温泉かな、いうなれば)に連れてってもらって、ステージでマイクにぎらされて山本リンダの「こまっちゃうナ」を歌ったとか。大喝采でおひねりやらお菓子やらが段ボールいっぱいだったとか。んんん…ぼんやりとした記憶しかないのだけれど…。

小学校時代はたった16人しかいないクラスで3部合唱していた。アルトからソプラノまでどんな音域も歌えたから、その時々で違うパートで歌ってた。モルダウとか流浪の民とか狩人の合唱とか、全パート覚えてるなぁ。ピアノひいてくれた先生のことが大好きだった。私のピアノサウンド中毒はこの頃からのすりこみだな、きっと。

中学時代は音楽の授業でいつもほめられまくってたし、高校時代は美術部員のくせに音楽部の合唱コンクールに助っ人参加したりして。

ジャズバンドでボーカルだったりカラオケではた迷惑な絶叫したりも楽しいけれど、合唱の舞台で歌うのが一番気持ちイイ。お客さんの数が違います。なんと言ってもね。ホールの広さも違います。最後部の席まで自分の声をまっすぐに届ける気分って、もう!そして、なんと言っても仲間の数が違います。みんなとうたを作るのって最高♪

8月8日が本番です。イヤイヤ。そうとうがんばりましょうな私たちです。はい。

で、朝もはよから学校で仕事して、今日は2時過ぎに切り上げて合唱団に直行。5時まで練習。つかれたあ。今夜もへとへとなんだな。お夕飯はユウリンチイ作ったよ。お腹いっぱい。おやすみぃ。
明日も仕事だし。ふあいと、自分。