2008/4~8つぎからつぎへと

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2008/04/05(土):準備は完了…してないけれど

土曜日の今日も教室に行って準備をしてきた。いすと机のサイズを調べて、前から順番に小さいいす机そして一番後ろに大きいいす机…と並べ替えた。黒板にはマグネットシートに貼り付けて作った全員の名札を出席番号順に並べてはった。そして、いつもの…しかけをした。始業式の終わった教室で、子どもたちと出会った時に…さいしょの、いい時間を作るための。

4.5.6年と、3年間も子どもたちを持ち上げる形で担任してきてしまったので、久しぶりに「知らない子」に出会うのだ。なんだかドキドキする。いい「はる」に、したいな。

今年の始業式は月曜日なので、始まったらいきなり一週間、子どもたちとばっちり過ごすことになる。国語の授業が楽しみだな。まずは大好きな詩を読もう。それから、一緒に歌を歌おう。外に行ってたくさん走り回ったりもしたいな。草花を摘んで絵を描こう。鯉のぼりも作りたいな。いっぱい遊んでみんなで仲間の楽しさを味わいたい。仲間といるから嬉しいんだって、みんなに感じてほしい。勉強の楽しさもうんと感じさせてあげたい。たくさん教材研究して、ちょびっとずつタネあかしをしていきたい。わぁっと歓声を上げる子どもたちの声をたくさん聞きたい。
今年は…いつも以上にそんな気持ち。「教師の仕事」で子どもを引きつける、そんな一年にしたいと思う。

今年の教室はどんなふうに飾っていこうかな…って、それもわくわく。脚立を持ってきて、いろんなものを季節ごとに掲示したいな。そんな余裕のある毎日になればよいのだけれど……。

まだまだ準備は完了とは言えないけれど…ひとまずは、こんなところで。さあて、月曜日が楽しみ!


2008/4/25(金): 少年少女冒険隊

この4月始まってからずっと気になっていたのは、今年のクラスの子どもたちの声があまりにも小さいことだった。音読の声は蚊が鳴くようだし、返事も挨拶もむにゃむにゃしてぱっとしない。4年生なのに。もっともっと気合いにあふれていて欲しい、というのが私のイメージなので、何度も何度も詩の群読をしたり、大きな声で返事をさせたり、と、この2週間は学習の準備期間として鍛えまくってきた。でも、成果は私が期待するほどのものではなく…。なんか全体的に小粒だし、学習習慣も身についていないし、何より集中力と好奇心に欠けるカンジだ。算数の時間、単純な発問にも反応するのは2,3人だけという有様。なんというか…ぱっとしない。4年生ってこんなものなのかなあと…。

で、この4月はずっと「少年少女冒険隊」を歌ってきたのだけれど、声を出さない子がすごく多い。こんなに無気力な4年生って私にとっては初めての経験だ。あああ、こりゃあ大変だぞと、日々手を替え品を替えしていろんな技を繰り出し続けてきたのだが。

いや、今日は歌った歌った。踊った踊った。

今年は朝の会の時間に「今日の歌」を歌うことになった。で、今日は学活の時間に、すでに配ってあったいくつかの楽譜の曲をみんなで覚えよう、とCDを使って、「私が」歌いまく ることにした。
「歌えバンバン」「未知という名の船に乗り」「ともだちはいいもんだ」「この星に生まれて」「天使の羽のマーチ」「歌よありがとう」…等々の定番学級ソングを歌いまくったところで、気がつくと一緒に口ずさんでいる子が増えてきたことに気付いた。「世界中の子どもたちが」になると、「知ってる!」とようやくエンジンがかかったかのようにほぼ全員が歌い出した。「さあ、これでだいたいの曲の感じがつかめたね?」と投げかけたら、
「先生!少年少女冒険隊も歌おうよ!」とリクエスト。
お?初めての展開だ。2週間前には、歌うのは面倒くさい、とか、高い声はのどが痛くなるからいやだとか言っていたのに。
「ふ〜ん?そう?じゃ、踊りながら歌ってみようか?この歌ね、振りがついているんだよ」
全員の歌にあわせて私が満面の笑みで(教師は常に役者だ)踊ってみせると、2番の途中から前の方の席のお調子者たちが一緒に踊り出した。3番前の間奏のところで足踏みをしながら、「みんな、まねしてごらん!」と声をかけるとクラス中の子がいすをガタっとさせて嬉しそうに踊り出した。オールスタンディング。さながら教室はバブル期の「でぃすこ」のように熱気に包まれて大合唱大興奮。
「アンコール!アンコール!」
の声に押されて3回回し。みんなすっかり覚えたようだ。汗だくで休み時間開始のチャイムも聞こえず。

ようやくちょっとだけエンジンのかかった我がクラス。この回転数をなるべく落とさないように…。がんばらにゃ。


2008/4/27(日):研究と修養って

1 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。 (教育基本法第二章第9条)

崇高な使命ってすごい言葉だなあと、初めてこの条文を読んだ大学生の頃には悪寒を覚えたものだった。私にとって「使命」を帯びて全力遂行している偉い人と言ったら「帰ってきたウルトラマン」くらいのものだった。めちゃくちゃ不謹慎だ。あ、しかも「怪獣退治に使命をかけて」の歌詞だけのすり込みで。古いなあ。
が、恐ろしいことに教育基本法の定めるところの「使命」を帯びて、こんな私が20年も過ごしてしまった。「絶えず研究と修養に励む」ことを続けながら?…う〜ん…。

教職員としての研究と修養というのは、いったいどんなことを指すんだろうか。日々の授業準備のための教材研究も研究と修養といえるのならば、これはもう、 この20年でうんざりするほど頑張ってきたつもりだ。公務の軽減化を目指す校内のICT化についても、ここ数年は自力勉強で何とかこなして提供きたつもりだ。これを「絶えず研究と修養に励み」と認めてもらえるのならありがたいが、ことおきまりの「校内研修」とかいうのは…ごめんなさい、だいっきらいな私なのだ。

そもそも私は「法則化」とか「○○方式」とか「○○のきまり」とかが大嫌い。そんなのが大好きな人間が美術教師になんかなれるはずがない、とも思う。掃除の手順は学校でこのように統一しましょう、とか、どの教員が指導しても同じ効果が出るように、同じ教材を使って、同一歩調で授業を進めましょう、とかの発想にはまったくもって上手くなじめない。教師一人一人別の人間なのだから、それぞれの良さを生かしてそれぞれの言葉で子どもたちに指導を重ねることで毎年多様な人間性を学び取ったり、子ども自身も自己の同一性をはかれるようになるんじゃあなかろうか。そもそも私が指導するんだから私流のやり方が一番子どもに上手く伝わるのに、と思うんだけれど、学校ってどんどん型にはめられてゆく。マニュアルにのっとってマニュアル化した教師がマニュアル化した子どもを育てる。工場みたいだ。おーい、人間はどこへ行ったんだ。

感性に乏しい、感動の薄い、段取り好きの大人たちが、なるべく簡略化された合理的な方法で、真っ白でふよふよした木綿ごし豆腐みたいな子どもたちを作り出そうとしている。

偏見ですか。そうかもしれない。そして、困ったことに、私は今年、校内研修主任になってしまったのだ。

はぁ…………………。


2008/4/27(日:夜に)すとるばいと

ストルバイトだって。まるで星の名前みたいにカッコイイのに。こまったもんだ。ミシェルは今日も獣医さんのお世話になった。ストルバイト結晶で尿管が詰まってしまっておしっこが全然出なくなった。今朝は何度もトイレに座っては5分も10分も動かない。ああ、もう全然おしっこが出ないんだね。困ったなあ。
ミシェル、私ね、本当にお金がないんだよぉ。一度病気になったら私の今月の生活費があっという間にすっ飛んでしまう。猫のお医者通い。……でも、放っておいたら、腎臓病になってしまって、そうなったら猫はあっという間に死んでしまうことも分かっているので…。それはいくら何でも…。

ミシェルはもうお医者さん慣れしているのか、診察台に乗せられても全然動じない。病院に行って麻酔してもらってカテーテルを入れて…(完全に尿管が詰まってたから、そこを押し広げてから)で、尿管と膀胱のストルバイトをお掃除してもらったようだ。一時入院で処置してもらったので、帰宅は夜7:00頃だったのだが、帰宅後のミシェルの歩き方はまだ完全に麻酔が切れていなく、なんだか腰がよたよたとモンローウォークだった。オスだけど。

ミシェルは私の唯一の同居人だ。めちゃめちゃ医療費が高くて参っちゃうけれど、そうも言ってられない。長生きして欲しい。けれど、もうストルバイト結晶所以のF.L.U.T.D.疾患で医者に3回もかかっている。2歳になったばかりのミシェル。早く元気になってね。お願い。


2008/5/3(土):角突!角突!!角突!!!

巷はGW真っ只中で…え?海外へ?テーマパークへ?ショッピング?………NO!私はそんなもの全然興味ない。

そう、何があってもこれだけは欠かせない!今年も小千谷の角突き初場所へ。

この一週間は、校内研修や自分自身の勉強や、学習参観の準備や学級懇談会の資料作りや、落ち着きのない子どもたちの対応や、日々の学習への仕込みや…朝は鍵開け、夜は鍵締め状態で、狂ったように働きまくっていたのだが、なんの、5月3日が来れば、また小栗山へ行けるんだって……そう思うだけでもうワクワクして、疲れなんか吹っ飛んだ。そう、小千谷の角突き!

今朝は目覚めと同時ににパジャマをほうり投げて、おきまりの角突Tシャツに着替えた。朝ご飯を食べながら、昨夜からの頭痛にしかめっ面しながら、次にはうっかりにやついてしまう。まったくもう。ヘンなヤツになっちゃう。

牛たちの戦いぶりはもちろんのこと、私の視線は6割方が勢子の表情へ、背へ動きへと釘付け。牛たちを見守る本物の男たちの目と、おおらかできりりとした背は、ここでなくては見られない。
いつもつぶさに追ってしまうのは、「南平高原」とロゴの入ったターコイズブルーのつなぎを来ている勢子の方。んー…かっこいいなあ。思わずつぶやいてしまって、隣人に突っ込みを入れられる。いやいや。眼鏡の隙間から涙を何度もぬぐいながらの凝視。瞬きも忘れてる。自分に笑っちゃう。

最高!今年も取り組みを確定する円陣にまずはレンズを向ける。小栗山の闘牛場。今日はアツイ!

そして耳は9割9分この実況へ。名物司会者監物さんの名調子。流暢で語彙が豊かで機知に富んだ語り口。柔らかくて張りのある声。この方の名調子なくしては小千谷闘牛はあり得ない。越後訛りがサイコーに粋なアナウンスに、時に頷き時にクスっと笑いを誘われながら夢中になってしまう。

さて、来た来た。今年も牛太郎が来るや、
「ぎゅーうぅたぁーろおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
の聞き馴染んだ歓声が。東山小学校の子どもたちのかわいい声。牛太郎、大きくなったなあ。もう9歳かあ。

いつもなら監物さんの
「牛太郎はやはり小学校の牛ということで、どうも喧嘩があまり好きではない…」
と、お馴染みの一言が入るところが、今日は、おお!勇ましく相手に向かっていく。この展開には思わず会場がどよめいた。ぐいぐいと突いていく!すごい!牛太郎優勢!?
ところが、ふいに身を翻してたたっと走りだし、戦いから背を向けた。で、監物さん曰く、
「やるだけやって、あとはさっさと帰ろうと…」
どよめきが一気に笑いに変わった。いいなあ、この雰囲気。牛太郎っていつ来ても愛されキャラだ。
次回にはきっとまたご祝儀を持ってこよう。東山小学校の子どもたちが作成したというパンフレットを見ながら、同じく6年生を昨年担任していた私としては、文章をついつい添削したくなるお馬鹿な職業意識に気付いて苦笑い。同時に、こんな貴重な教材とともに6年間を過ごせる子どもたちと教師に羨望の念を禁じ得ず…そしてそれ以上に、心から応援したくなる。ずっとずっと角突きとともに成長して欲しい。子どもたちも。

戦いを分ける勢子たちの一瞬の興奮と緊張の高まりには、毎回こぶしを握りしめて、肩に力が入ってしまう。後半はカメラをしまい込んで、とにかく見入っていた。素敵だ!角突き。
伝統とか、文化とか、言葉にすれば小さくまとまってしまうことだけれど、生身の、真剣勝負の生き様の尊さが人々の心を熱し続けている。そして、私がなにより羨ましく思うことは、この土地ならではの、あまりに切実で必然な、しかも努力と研鑽を伴う「道楽」として角突きが成立し続けているということだ。牛と人間との親密な間柄と、人々の真っ向勝負な喜びがずどんと伝わってきて、見るたびに胸を熱くしてしまう。だから、私はこれからもずっと足を運び続ける。小千谷の地よ小栗山の魂よ!永遠なれ。


2008/5/4(日):がんばって!キジ母さん!

我が家の駐車場用に借りている土地の草ぼうぼうな茂みに…

え?これって?草ぼうぼうに紛れてうずくまっているのはキジのお母さん。

キジは子が孵るまでの約25日ほど、ずっと巣を離れないんだって。時々キジに気づかずに、トラクターが母鳥を轢いてしまう事すらあるんだって。それほどに、どんな物音がしようとも、危険が迫ろうとも、じっと動かないキジの母性。すごいなあ。
我が家の場合は、この草むらを草刈り機で刈り取ろうとしたTanyが、それとは気づかず回転刃で巣の下の方をかすったときに、いきなりでっかい鳥が飛び立って度肝を抜かれたってことで、この巣の存在に気づいた。
巣には5,6個の卵。いったんは巣を離れた母鳥だったけれど、ほどなくここへ帰ってきて、もう一度卵を抱いている。トラクターが轢いてしまうほどに逃げないというお話の通り、私がそばまで行ってのぞき込んでも決して逃げようとしない。お母さん、偉いなあ。おなか空かない?だいじょうぶなのかなあ。

我が家の近所にはどういう訳か野生のキジがいるのだ。驚いちゃうけど。朝起きて庭先へ出たら、私のラシーンの屋根に赤いおつむのオスキジがカッコヨク仁王立ちしててびびっちゃうこともしばしば。一応、平成の合併以前からの前橋市なんだけれど。自然が残っている我が家周辺。ずっとこのままで あってほしいな。


2008/5/5(月):苺♪

今日は出がけに近所の苺やさんで「ジャム用」っていういちごを買った。どっさり2kgでたったの500円。やす〜い!

で、せっかくの新鮮苺をジャムにしちゃう前に…苺のコンポートを作ってみました。

お鍋にぎっしりの苺にグラニュー糖。ジャム用苺って事で痛みがちょっぴりあったりすこおし日が経っているのかもしれないんだけれど、へたを取りながらほおばってみたら…うわぁ。あまぁ〜い♪

これにお砂糖入れてジャムなんてもったいないカンジ。で、加熱してぐつぐつ言ってきたらすぐに火を止めてレモン汁を入れて、できた!苺のコンポート。まっかっか。おいしそ〜〜〜〜!!!!


熱々を食べてみたら、う〜ん、なんて言ったらいいんだろう、苺のスープってカンジかな。あま〜いかおりが部屋中に立ちこめて、それだけでもう幸せ気分。

アイスクリームにかけても美味しいし♪ヨーグルトにも美味しいし♪そうそう、マフィンに入れて焼いたらどうかな。明日挑戦してみよっと。連休は嬉し♪おいし♪


2008/5/25(日):いろいろと

忙しくなってきた!明日は市教委の経営訪問。私は校内研修のことで懇談会議に出なくてはならないから、子どもたちは2時間も自習になってしまう。なるべく集中して自習できるように、プリントをてんこもり作っとかなきゃあ。

明後日はバスに乗って1日校外学習。お昼はお外の公園でお弁当。いいお天気になるといいな…と思ってたら、なんかいいお天気過ぎるような…もしかして30℃ごえ?ひえぇぇ。ばてちゃいそうだ。

来週中に校内研修のブロック別計画と、NRT学力テストの分析と、勤務評定のための自己申告書をつくんなくちゃあなんない。それと、さ来週アタマに控えている校内研修推進委員会の資料作りと、来月分の学年便りも作らないと。そしてもちろんもちろん授業準備もがっちりやらなくては。あんまり学習習慣の身についていない子どもたち、授業のおもしろさで引きつけるようにしたいところ。ああ、なんか、体が5個くらい欲しい。

出勤時間の車の中では、その日にやんなきゃあならないことが頭の中をぐるぐる。帰宅途中の車中では、今合唱団で練習が始まった、林光さんのCDを可能な限りボリューム上げて聴きながら、自分のパートがほかにどう絡んでいるのかをひっしに聞き取ろうとしてる。

帰宅後は自分の制作のことでアタマいっぱい。。。。気づけばあと5時間後にはもう職員室にいるんだなあって時間になってる。

え〜と。なんかさ、めちゃくちゃ時間が欲しいんですけれど。


2008/8/6(水):聖なるかな

林光さんのCDを今日も一枚買った。「原爆小景」。CDごとに、少し、違う。いくつかの演奏を聞き比べてみている。

初めて聴いたときは、音より先に絵が浮かんで仕方がなく、(そもそも私はねっこからビジュアル型人間)言葉を読み取るよりさきに空気やにおいが肌へ鼻先へまとわりついて、軽く吐き気を催すカンジだった。別に情景や歌われた世界が気持ち悪いとかそういうんじゃあなくて、あまりにダイレクトに原爆の原野が私の中に飛び込んできてかなわないというカンジだった。

けれど今は少し違う。おぞましさとか悲惨さとか残酷さとかそういう世界をすべて包み込む聖歌のように、すべてが聞こえる。林光さんの作曲の意図がどこにあるかとかそういう評論めいたことが言いたいのではなく、私へこの音楽が高みから降りしきる光粒子の霧雨のように染み込んできたということ。

息子に聴かせたら「チャントだね。これ」と言っていた。ああそうか。

  

今日は広島に原爆が落ちた日。すごく蒸し暑い。


2008/8/10(日):高校時代

「覚えておいて欲しいのはね、今日のこの感動は、今日だけのものということなの。この先、劇団四季に入っても宝塚に入ったとしても、こんな感動は今日だけのものだと言うことなの」

ぐんま総文ミュージカル部門の青島広志先生の評。高校時代のこの感動は、確かに、もう二度と訪れない種類の感動なのかもしれない。高校時代に味わった、あのうちふるえるような感動は、確かにその時代だけのものだった気がする。

そんな感性のきらめくようなこの時期の人に
「国のために国民がいるんじゃあない。国民のために国があるんだ」
と、至極まっとうな真理を叫ばせた前橋女子高校の音楽部顧問の先生には敬意を払う。そして、確かに「ファンタジーが足りない、これはドキュメンタリー映画だろうか」と青島先生に言わしめたあの体を張った苦しみの演技には目を背けることを許さないすごみを感じた。さらに、戦争モノのだいっきらいな私が吐き気を覚えずに3時間近くも舞台を凝視できたのは、女子高校生の持つ無邪気でひとりよがりな美しさ故だったかと思う。

「灰になった街」
前橋女子高校生のまるで傲慢なほどの若さと感性に拍手を贈ります。

 

それはそうと
私も、午前の部を観たら、あまりに感動しちゃって、もう、午後の作品を見ないで帰りたくなっちゃったのは青島先生と同じ。高崎高等養護学校の「ライオンキング」…精一杯にもほどがある。あまりにピュアなものを観せられたので、うっかり理性をわしづかみに揺すぶられてしまった。高校時代ってすごいや。


2008/8/24(日):京都で

教育研究集会の全国大会に行ってきた。全国大会に参加するのは2回目の経験 。まあ、なんと言ったらよいのか、日本中にはアツイ先生たちがこんなにもいっぱいいるんだ。そして、厳しさに真向かって、その中で必死に自分の仕事をしようとしてもがき続けているんだなあと。

さてと京都は面白い。バスや電車で移動するのがもったいなくて、最終日にはひたすら歩いて街を楽しんだ。

ホテルから八坂神社を抜けて知恩院へ二年坂産寧坂を歩いて清水寺へ。

お水をいただいて坂を下りて、じょうずに漬かったキュウリをこりこりかじりながら鴨川沿いにぶらぶらと三十三間堂へ。頭の中を空っぽにしたくて。でもなかなかできない。
京都の町の伝統の重みも勿論のこと、一歩一歩歩きながらも分科会での言葉の一つ一つが頭の中にふっと浮かんでぐるぐるしてて。
想いがいっぱいでまだ整理しきれない。京都。


2008/8/30(土):「天下の義人茂左衛門」

上毛カルタだ。ことしはまあ、好むと好まざるとに関わらず上毛カルタな一年でなくてはならない。それはそれとして。

「天下の義人茂左衛門」

わたしが選んだ読み札はこれ。
義人って何だ?その昔に何があったの?

茂左衛門は寛文4年にそのころの領主であった真田伊賀野守の悪政に泣く、民衆を救おうとして、一身を犠牲にし、将軍に直訴した。そのために磔になった人。 たとえどんなに領主が悪行を働こうとも、一介の武士が将軍に訴状を届けるなど無謀なことだ。茂左衛門は、策を講じて茶屋に葵の紋所を添えた手紙を意図的に起き捨て、将軍のもとへ訴状が届くようにとの策を講じた。その思いを遂げたものの、直訴は大罪の世。決意の刑死を遂げた茂左衛門は、真の義人である。と。歴史の詳細に確証はないものの、学ぶうちにのどの奥に堅いモノがぐっとこみ上げてきてつらかった。

 

河原の刑場で磔になる杉木茂左衛門。右下に描かれている灰色の着物を着た人は、なぜ地面を見つめているんだろう。磔になっている人は対照的にじっと遠くを見据えている。
茂左衛門の覚悟の程が分かる。義人。たった二字の言葉の意味の重さに胸が詰まる。両脇に構える人が持っているのは竹。竹槍なのか?これを突き刺して処刑するのか。

こんな歴史を繰り返して今の私たちがいる。

上毛カルタに読まれた磔茂左衛門。
2学期の総合的な学習の時間に子どもたちに紹介するその予習で、今日は月夜野に来たのだった。