2008/1~3ゆくてをてらす

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2008/1/1(火):あたらしいひ

毎年思いを強くしているのだけれど、年々、私はお正月が来ることに感動を覚えなくなってきている。それってちょっといけないんじゃあないのかしら、とも思ってみるんだけれど、でも、別にだからといっていろんな事をないがしろにするというのではないので、まあ、いいや、とほうっておいている。このきぶんを。

大晦日が近づくと、ちょっと焦ってお掃除したり、お正月飾りをしたりして、なんだかどきどきしていた頃も確かにあったのに、近頃は、なんだかそんなわさわさした様子はすっかりと薄まってしまっている。だから、せっせとお掃除もするし、お年賀状もたくさん投函し、おせち料理もちゃんと作っているけれど、まあ、それもよいかも、くらいの、のんびりとした味わいかもしれない。おそらくは。

なので、12月は28日までお仕事もして、でもやっぱり毎日のごとく目標の7合目くらいまでしか終わらず、最後は学校の鍵締めをして、普通に金曜日の夜気分で帰宅した。はき慣れた運動靴の靴の紐をしばるように淡々と。夜は年末の家事をした。

そう、考えてみれば、毎日がアタラシイ日なのだし。

ここぞとばかり、時間に追われてカウントダウンしなくても、ちゃんと時間はいつもおんなじはやさで流れるし、私はやることを順序よくやり仰せればそれでいいんだから。と、そう思って、今年はのんびりと年末を過ごした。もちろんせっせと、のんびり。じっと、ではないところがたいせつ。
なんだか、お掃除やお料理や年末のテレビや初詣なんかも、気分がのんびりしていたのでかえってじんわりと味わった気がしてよかった。

今朝、目を覚まして、いつもと同じ朝の光に深呼吸した。あたらしいひだ。今日も。

なんだかね、それがとってもうれしい、お正月。


2008/01/23(水):誕生日は昨日

まあ、誕生日は昨日だったんだけど、ありがとう。
ブルーのチョークでHow old are you?と…。小学校6年生にしては正しいスペルでよくできました。
It's secret.


2008/02/03(日):blanco!

あしたは無事に学校に行けるのかしら。
すべらない話はいらない。絶対すべらないタイヤぷりーず。


2008/2/8(金):おとうといっしょにいたかったから

国語の授業はもう最後の単元に入ってしまった。立松和平「海の命」。私のもっとも好きな読み取り教材だ。あまりに好きなので、途中でぐっと胸に詰まってしまうこともある。授業しながら泣いててどうするってカンジなのだが、まあ、子どもたちに悟られないようにぐっとこらえてごまかして、何とかやり過ごしてはいるのだけれど。

立松和平さんの文体は、さらりずばりとしていて静かだ。奇をてらった表現や大げさな比喩はほとんどない。必要なことばを、端的に記述している。でも、その事実をきちんと読み取ると、すごく、じん、とくる。想いの深さに圧倒される。たとえば、「太一は海のどんな表情も好きだった。」という一文がある。この一文で、主人公がどれほど海と関わり合い、海が彼の身にしっくりと馴染んでいることかが一気にわかる。海なし県にすむ、そして女の、私には得られようもない、海の男として育った、そして希望に満ちた「少年」太一の想いだ。

今日は、中学を卒業した太一が、与吉じいさに弟子入りを無理矢理に頼むところの読み取り。太一の目標はおとうのようなもぐり漁師になることだった。太一の父は「瀬の主」と戦って死んだ。もぐり漁師はほかにもいただろう、なのに、太一が一本釣りの漁師である与吉じいさを師にえらんだのはなぜか。子どもたちはすぐに、与吉じいさは、「おとうと同じ瀬で漁をしていた」という記述に気づいた。「太一はおとうと同じ瀬に行きたいんだ」口々に子どもたちが発言した。では、なぜ、そこの瀬に行かなくてはならないの?海は広いのに。漁をするのに、そこだけにこだわらなくったっていいんじゃあないかな。と発問した。そうしたら、いつもは授業中、手悪さばかりしているHaji君がこそっと
「おとうといっしょに漁がしたい」
とつぶやいた。ん?と聞き返したら、
「おとうと一緒の瀬で、いっしょにいたかったから。太一はそこに死んだおとうがいると思っている」
と、Hajiが顔を上げて、前をしっかりと見つめて発言した。わたしはhajiのまっすぐな瞳にやられてしまった。
私の想定した読みでは、太一の、おとうを殺した瀬の主への復讐の決意が静かに燃えている事を、子どもたちに確認させたいと思っていた。何人かの子は「リベンジだ」とか「敵討ちをしたいから」と言っていた。このずっと後に、太一が瀬の主と出会った場面での太一の行動につながる読みだ。そこから、瀬の主を殺さないことを決意した太一の心の大きな変化を読み取らせるためには、まずはその程度の感じ取り方でいいのかなとも思っていた。
でも、hajiの読みはもっと深いし、もっと彼の生活と等身大の感情に裏打ちされて尊いと思った。「大きくなったらおとうのような漁師になる」と言ってはばからない少年。その太一が単純に仇討ちもののような発想で漁師を目指すはずがない。hajiはhajiのお父さんが大好きなんだな、とその瞬間に思った。そう思ったら、とたんに涙があふれてきた。

読み取り学習教材がどんどん減らされて、本来ならこの「海の命」も、今までの学習経験から自分たちで読みの課題を設定して学習しましょう、という単元なのだ。指導書には、今まで読んだ読み物と比較分析して発表会をしよう、とか、心に残った一文から読書レポートを書きましょう、とか、そんな扱い。なんだかな。みんなで読むから、みんなで感動して、みんなで追体験して、みんなの 想いがずっと深まって、楽しいのにね。

ああ、読み取りの授業って楽しい。ここだけは、小学校教師の醍醐味だからね。だれがなんて言ったって譲ってやらない。


2008/2/9(土):藤村先生のレッスン

とっても久しぶりに私たちの合唱団に藤村先生がきてくださった。愛知から。

私たちの合唱団で歌う歌はほとんどが藤村記一郎先生の作品。それに次いで多いのが林光先生の作品かな。今回のコンサートは、 日本のうたごえ運動(?っていうのかな)の60周年記念のコンサートで、さらに、藤村先生の作品集コンサートでもある。素晴らしいことに藤村先生ご自身が指揮をしてくださる。いろいろな事情があってこう決まったことだけれど、この間の紆余曲折はまあそれとして、私は作曲者の藤村先生が指揮してくださるのがすごく嬉しい。純粋に、嬉しい。
今日の練習はとっても楽しかった。 藤村先生の指揮はわかりやすい。なんか私は最近、「ええと、踊ってますか?」な指揮をされる方にお会いすることが多くて、まあそれはそれでメッセージが強くてよいのかもしれないのだけれど(時には)ね。けれど、藤村先生の指揮って、余計な感情の高ぶりみたいなのとかなくて、私はそこが、いい。でも、きちんと、じわっと表情つけなくてはならないアツイトコや、さらりとふわりと流さなくてはならないトコやなんか、しぐさや表情からすごくよく伝わってくるから嬉しい。こう歌えばいいんだって言う、言葉じゃあない想いの部分が空気感染するカンジ。指揮者の方がいる合唱って嬉しいことだ。
そして…今回ピアノを弾いてくださる川名先生のピアノも私は好き。川名先生の演奏…私だけの感想なのだろうけれど……お転婆な女の子みたい。すごく軽やかでお茶目な感じがする。 学先生のパワフルな演奏とはまた違った…けれどやっぱり熱っぽい感性を感じる。回数を重ねるごとに私は川名先生のピアノが好きになっていく。本番が楽しみ。

藤村先生は、何しろ作曲した本人なのだから、だれよりも曲を理解しているわけで、こういう解釈で作られた歌なんだなって事が、藤村先生の指揮の動きから伝わってくる。 楽譜にはかかれていない指示もあったりして、ここのリタルダンドはこんなカンジなのか、ふうん、ドラマチックなんだな、とか、ここでア・テンポかあ、今までよりぐんと動きが出ておもしろいな、とか…。男声だけで「カッコヨク」歌うとこも増えたりして。なんだか…そう、ぐんと「楽しく」なってきた。藤村先生のイメージはたくましい。そして明るい。また、ある意味わかりやすい。だからかな、同じ曲なのに、ちょっぴり藤村先生の味付けが加わったら歌の「楽しさ」が一気にふくらんだ。藤村先生の作品を歌う時は毎回藤村先生が来てくれたらいいのになって思う。愛知のひとたち、うらやましいなあ。

でもね、それでもね、…やっぱり学先生のピアノで歌いたい。


2008/03/23(日):嬉しくもあり、哀しくもあり

合唱団のコンサートが終わった。この長かった練習期間にいろんな事を考えた。この世の中の大部分のことは私の力ではどうにもできないことなのだ。謙虚にその事実を受け止めるに充分な年齢を、私は、勿論、とっくに通り越した。なのに、この秋には涙が止まらなくて眠れない日が何日かあった。困ったことに。西の空から差し込む雲間の光にじっと語りかけた日もあった。光の粒子が重なり合って揺らめくだけの偶然の陽光の中に、某かの奇跡が訪れないかと、漠然と願いながら。もちろん何も変わりはしないのだけれど。

私の人生はきっとすごく恵まれているというわけではないと思うのだけれど、でも、なぜか、何というか、何となく…私はラッキーを信じている。きっといつか、深い思いは叶うものだと信じてしまっている。経験的に、いくらかの願いは叶ってしまったからかもしれない。それはもしかすると私の無意識な努力がもたらした必然だったのかもしれないし、単なる巡り合わせというヤツだったのかもしれないのに、きちんと願いが叶ってしまったことがあったもので……ラッキーの存在を信じてしまっている。辛抱強く。
……学先生がこともなげに左手の黒い手袋を外して、当たり前にピアノを弾き出す時がもうじきやってくるんだと、私は相変わらず信じている。そのときにきびきびと歌える自分でいたいと思っている。だから今日も歌い続けている。ラッキーの存在を、信じている。

さてと。
今日のコンサートは何度か涙がにじんだ。悔しくて。だんだん、自分自身が臆病になってきていることに気づき始めて。学校のためにぼくらがいるんじゃない。ぼくらのために学校はあるはず。でも、その学校の中で、ほんとうに子どもを育てるにふさわしい教育を、いま、私はしているのだろうか。「ぼくらの声」を、ちゃんと聞いているんだろうか。学力を落とさないように、自己申告書の目標から外れないように、指導書の文言ばかりを暗記しながら無難な生き方を選び始めてはいないだろうか。くだらない研修に時間を取られて、本当に子どもたちに伝えなければならない真理を見極める目をきちんと研ぎ澄ますことを、ついつい怠けてしまってるんじゃあないか。悔しくて、涙が出た。こんな教師になりたかったんじゃあないように思う。もっと、子どもたちのために、本当に大切なことを伝えるために。自己満足ではなく、評価なんか微塵も気にせず。歌いながら、今の自分は体制や現実に対して、なにか臆病になっているように思えてならなかった。
そんな気持ちで。歌いながらもう一人の私が冷静に自分を批判していることが分かって怖かった。そしてけれど、だんだん、悔しがっている自分が愚かしく思えてきた。だから、明日が見えてきた気もしたのだった。歌いながら。

もっとがむしゃらに生きたい。上手に生きるのではなく、後でせいせいと胸を張っていられるように。悔しがっている場合じゃあない。少しだけ、いやもっと、自分に正直な仕事がしたい。今年は、そんな一年にしよう。

そんな決意を持って「命かがやけ」を歌った。なんだか気分が晴れた。

さて、たくさんの拍手の中で、歌が終わった。明日は卒業式だ。3年間続いた仕事にようやくひと区切りをつけなくては。明日が楽しみだし、嬉しいけれど。でも本当は終わりにしたくない。


2008/03/24(月):卒業式

不思議な開放感に酔いしれています。はい。やっぱりね、3年間って言うのはあまりに長かったので。中学校と違って、一日中びっちり同じ子どもたちと過ごすのだから。その3年間はやっぱり長く濃厚だった。子どもたちもね、ほんと、お疲れ。でもしつこく、別れたくない気持ちもちょこっと残っているんだなぁ。

子どもたちが、みんなとってもいい笑顔で学校を去って行ったのが、すごく嬉しかった。小学校の卒業式に涙は似合わないと思う。まだまだ過去を振り返って涙するより、未来に向かって胸高鳴らせる子ども時代であってほしい。小学校のことなんか忘れちゃっていい。この先まだまだわくわくすることは山のように訪れるんだから。
ただ、小学校時代は、子どもたちにとって暖かに柔らかく耕された土になっていたらいいなと思う。この土から真っ直ぐに子どもたちが伸びていけるように。そんな豊かな水と肥料をこの3年間で子どもたちに手渡せていただろうか。かなり頑張ったつもりではあるけれど。うーん。

さて、私も気持ちをすっきりと切り替えて、4月を見据えて頑張ろう。いくつになっても、「いま」と「未来」にドキドキしていられる私でいたい。

さ、きっぱりと。今日はこの3年間に卒業。


2008/03/29(土):初めて見た。

さっき、とびとびにコンサートのDVDを見てみた。
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。

正直な感想は………………私ってヘンな顔。

それくらいか。

あとは……そうねえ。
やっぱ、そんなに上手くないよね。音、下がってるし、声、微妙にそろわないし。でも、見に来てくれた人が感動してくれたそうなので、生では何か違うオーラのようなものが存在したと言うことか。

精進します。それしか思えないや。


2008/03/30(日):チベット

いくら資料を読みふけっても、複雑すぎて深すぎて、私は政治や歴史を理解しきれない。ただ、人間として、誇りを持って生きる権利 だけは侵されることがあってはならないと、なんどもなんども思いを新たにする。

すべての人が尊厳をもって生きること。そんなあたりまえのことが蔑ろにされ続ける世界。

が痛む。どうして、いつになっても人は互いを尊んで生きられないのか。心の自由を踏みにじり奪い取ることまでを求める愚かさに、吐き気がする。