2005/4~8愛しい日々

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2005/4/7(木):もう一度4年2組で

正直に言うと泣いてしまいそうだった。

始業式の担任発表で、教頭が私の名を呼ぶと、新4年生が
「わー!やったー!!」
と、声をあげた。どうしてこの私を「やったー」なんて思うのかって、そりゃ勿論、去年、一緒に三コを踊った子たちだからだ。それ以外の接点なんか無いんだもの。あの、リズム構成を一緒に創った日々が、子どもたちにとって、本当にかけがえのない宝物になっていたからこそ、こんな風に私を肯定して受け入れてくれるんだろう。困ったな。私はいつもあんな風にいい人でいるわけじゃあないから。
でも、嬉しい。素直な子たち。明るくて澄んだ目をしている。

教室には仕掛けをしておいた。黒板に工藤直子さんの詩集、「のはらうた」から、へびりゅうたろうさんの「あいさつ」という詩をお借りして黒板に板書しておいた。
下の方には青いチョークでギザギザの草むらを描いて、そのすき間から黄色いチョ−クでゆるやかな山のように起伏を描いておいた。
詩の中で、ヘビの頭が尻尾に呼びかけるのだ
「おおい、げんきかあ!」
すると後ろの方で尻尾が答える。
「げんき!ぴんぴん!」
そこを、子どもたちとやりとりしてみたかったのだ。おもいっきり。大きな声で。

始業式後の教室で、さっそく群読にかかった。
「ねえ、だれにげんきかあって、きいたの?」
「しっぽだよ」
「そうか、じゃあ、こんなカンジだね」
と、黒板のはじっこの方の草むらから黄色のチョークの線をつないで、尻尾をピンと描く。
「わあ!それしっぽだったのぉ?!」
子どもたちから歓声があがった。
「しっぽはだれにこたえたの?」
「へびさんのあたま!」
そこで、さっきとは反対側の草むらの切れ間から黄色いチョ−クの線をつないで
にっこり笑って後ろを振り向くヘビの頭をかいた。
「わぁー!!あのやまはへびだったの?」「先生、すごい!じょうず!」
予想以上の大反響に、私の方がびっくりだ。ここまで喜んでくれるとは思わなかったよ。
「さて、ねえ、みんな、私が頭になってたずねたら、みんなはしっぽになって答えてくれる?」
「いいよー!!」
みんなにこにこ。
で、明るく大きな声で呼びかける
「おおおおーい!げんきかあー!!」
「げんき!!ぴんぴん!!」
すごい、37人全員が笑ってて全員が大声で答えてる。全員が嬉しそう。
体中の全部の細胞が子どもたちの声に震えた。楽しい!何度かやりとりするごとにどんどん声が膨らんで親密な熱い空気が充満していく。
「ねえ、今度は頭になってくれない?やりたい人?」
すると、初めはおずおずと照れくさそうに、そしてすぐに思い切ったように元気良く手が伸びた。数名が立ち上がって、大きな声で叫んでくれた。「おーーーーーい、げんきかああああ!!!!!!」残りの子が「げんき!!ぴんぴん!」

最後は全員が頭になって、私ひとりがしっぽになった。
「おおおおおおーーーーーーいいいい!!げんきかあああああああああああああ!!!!!!!!!」
負けずに大声でこたえた。
「げんき!!ぴん!!ぴん!!!!」

そんな最初の日。泣くのは早すぎる、だって今日が始まりなんだもの。だからガマンしたんだよ。でも、すっごく大変だった。がまんって。


2005/4/10(日):やっぱ、ナガイモノズキ

ヘビの目が好きな私。思いっきりヘビを見たくてこの世の果てまで行ってきた。

やあ、へびくん。君に会いたかったんだよ。よろしくね。
ちょっとだけ、会釈した。ガラスケースの向こうで。


2005/4/16(土):あなたたちが

今年は7月に合唱団のコンサートがある。今日もそこに向けての練習。
私の好きな歌「あなたたちが」をうたう。戦地に暮らす少女の手記を歌にしている。

あなた達がチョコレートやキャンディーを食べてるとき
私たちは草をむしって生き延びようとしています
あなた達が映画を見たり音楽を聴いたりしているとき
私たちは地下室に逃げ込んで砲弾のうなり声に脅えています…

そんな悲しい歌詞。初めて楽譜を貰ったとき、胃がぎゅっと痛くなった。
戦争の中を生きるってそういうことなんだ。

私は何より人や生き物が死ぬことが嫌い。大嫌い。
こどものころ、「八甲田山死の彷徨」とかいう映画を見たときは
戦争の狂気にふれて高熱を出し、数日間のあいだ意識不明になってしまった。
その間、私はずっとうわごとを言い、泣き叫んでいたそうな。
人が死ぬ映画はそれ以来、極力見ないようにしている。戦争映画は絶対に見ない。どんな名作でも。

人が、そこにどんな大義を掲げようとも
お互いに殺し合うことに正義を見いだすなど、あり得ない。
そこに横たわるのは狂気にみちたむき出しの欲望のみだと思う。その吐き気に満ちた精神を私は嫌悪する。

「あなたたちが」
に歌われているのは偶然にも戦地に生を受けてしまった幼い少女の祈りだ。
その切々と訴える言葉が心に重く響く。どこにもきれいごとが無くてかざりけもない。事実だけ羅列された歌詞。
歌っていると逃げ場を失った、乾いた悲しみがこみ上げてくる。

ああ、舞台で歌いたい。
私は彼女の悲しみを受けとって癒してあげることはできないけれど
でも
幸せに映画を見てチョコレートを食べふんだんに水を使ってシャワーを浴びている私が
幸せに音楽を聴きに来た幸せなこの国の人たちに
つたえたい。戦地にふるえるたくさんの命たちの思いのかけらを。


2005/4/17(日):はるのいろ

今日は赤城も榛名もねむたそうなかすみの中。ミルクにとっぷりとしずんだような、大きなカップにたっぷりと満たしたような、はるのそら。はるの景色。私の好きな芽吹きの季節。

鬼石に行きたいなと思った。三波石の巨石が静かに居並ぶ河原で、のんびりと背をあずけて空を見ていたいと思った。で、出かけたのだ。
春の芽吹きのほのかにけぶる薄緑の濃淡が朽ち葉色の枝の茂みに立ち上る。山桜がこんもりと春化粧をして産着を着た幼子のよう。柔らかな光を集めている。紅葉の季節に装う木々の彩りの見事さよりも、私はずっとずっと春の芽吹きの山の色が好き。
                                 

鬼石の桜は今日が見頃。春の光をあつめて静かにたたずんでいた。
うっとりと、まぶたを閉じてもその気配にうずもれていられる、はるのいろ。ためいきが、すこし、似合っていた。


2005/4/20(水):その世界はねじれていく

「ねえ、せんせい。私ね、きのうスイミングだったんだよ〜、そしたらねえ…」
いつものことだが、休み時間の教室で仕事をしていると独りぼっちには絶対にならない。さっさと片づけたい仕事が山のようにあったって、そんなことお構いなしでヤツらはやってくる。競うかのように、敵を討つかのようにしゃべりまくり。ねえ、せんせ、ねえ、せんせ、あのね、あたしね、オレね、きのうね、このあいだね、わあわあ。
「せんせい、スイミングってね、きのう検定があったんだよぉ、で、出かけるときにちゃんとバッグ持ってったはずなのに、スイミングに着いてお母さんの車から降りたら、ないん!バッグが!」
そのオーバーアクションを、どーでもいいことじゃん、って思っちゃあいかん。一大事だったらしい。山のノートにうずもれはなまるつけながら、ふんふん、と頷く。心にもない「へええ〜!大変だったんだねえ!」を返しつつ。
「忘れちゃったんだよぉお!バッグ!検定だったのに!」
するとすかざず別の子が、
「忘れるんだよねえぇ!私なんかさ、もう着せ替え人形の紙がなくなっちゃったんだよ」
は?
「だからさ、もう、いっそのこと、忘れてしまうの!なにもかも、!こんなものみんな捨ててしまえばいいのよ!」
えーと…。
「忘れる方がいいことだってあるのよ!ね!」
あー……そうかあ?っていうかスイミングの話と全然かみ合ってないんですけど。
「オレだって忘れてたよ。今日、朝、妹が気に入んねえから、ランドセルから筆箱引き抜いてやったんだけどさ」
得意げ。でもさ、忘れたって?なにが?なにを?「おいおい、妹に返したの?」
「うん。返そうと思ってたんだけどさ、妹が気付かないからさ、オレ、返すの忘れた。だから…」
おい!「それ、今も持ってんの?返しといで!いま、すぐに!」
ニヤニヤしながら出てく。カワイイ犬の絵のついた筆箱持って。
「ねえ、先生、わたしねえ、検定受けられなくなっちゃったから、すっごい、お母さんに怒られたん。もう!おまえはあ、いつもそうやっていいかげんなんだから、ちゃんと自分で用意して持たなきゃあ、だめでしょ!って。」
さっきのスイミングバッグの子。
「でねえ、しょうがないから家に帰ったら、玄関にもないん!で、もう一回車に戻ったら、運転席の横のお母さんのバッグの下にあったん!ひどいと思わないー!?おかあさん、ここにあるじゃーん!って言ったら、『やーだ、こんなとこにあったんだあ、わかんなかったんねー』って笑ってるんだよ!自分が悪いくせにーーーーーーーー!!!!!」
ああ、お怒りごもっともで。
「だからさ、ね、忘れてしまった方がいいのよ、ぱーっと、ね」
さっきの子。相変わらずシュールだ。
「忘れられないよお、お母さんのせいなのに!」
「あ、せんせい、ウチのお母さんもね」「そうだよね、お母さんってずるいよね」「ひどいんだよー、ねええ聞いて!」
お母さんネタは尽きることがない。ヤバイ。もうじき休み時間が終わるってのに、ノートがまだこんなにある…。

子どもの世界は渦巻きねじれて上昇していくのだ。スパイラルな学習過程なんて、もっともらしく教育学者が唱えだしたるずっと前から。やれやれ。


2005/4/22-23(金-土):さよなら

年に一度の歓送迎会。どうしてこうもお別れを繰り返さねばならないのかな。

教師をしていると毎年必ずお別れしなくちゃあならない。当然のことながら。それは毎年きっちりと訪れる。
1年間、濃密な生活を共にするのだから、日々頭の中はこどもたちのことでいっぱい。あのことどう付き合っていこうか、このこをどう生かしてあげたらいいのか、この教材はどう手渡そうか、今日の一日をどんな日にしていこうか、考えれば考えるほど、苦労すればするほど日々子どもたちが大好きになっていく。それなのに、3月が来たらきっぱりとお別れ。所詮は、期間限定の集団だったんだとようやく気付く。いやになっちゃう。毎年おんなじことを繰り返しているのに、ここのとこだけはどうにもこうにも馴染めない。この仕事は退き際がムヅカシイ。

教師集団も毎年変わっていく。教師は同一歩調で一枚岩で、なんてよく言われるけど、良くも悪くも、教師は同志でありライバルであり共同体であるのだ。1年間のチームワーク。その集団の力の中で自分の居場所が確立して来、さあ、これから、って思った頃に、大切な人がごそっと転任していってしまう。
がっちり組んだスクラムを強引に引きはがし押しつぶす。ねえ、レフェリー、笛吹いてよ、そりゃないでしょ。
だからって、また有能な仲間が4月になればちゃんと入ってくるのだから、それはそれで新たな連帯を組めばいいのだけれど。でも、時に素晴らしい人たちと出会った1年間の後には、ああ、私もついて行きたいって思う。稀に。今年はその、「稀」だった。まさに。

そこにどんなに素敵な出会いがあったとしても、お別れの悲しみが薄れるわけじゃあない。悲しい。おそらくもう二度と同じ職場で悩みあうことも語りあうことも笑いあうこともない大切な人たち。

ありがとうございました。でも、ほんとうにさみしいです。


2005/4/23(土):久しぶりにOffにした土曜日

ここのところ、土曜日といったら午前中から学校に出て行き、17時30分まで仕事してから高速に乗って高崎へ向かい、合唱練習に参加して夜21時30頃帰宅ってのがパターンだった。きのう、なんか精神的に疲れちゃったから今日は学校に行く気になれず。昼過ぎまでご飯もつくらずベッドでぐずぐずしていてそれから車に乗って買い物に出かけた。関越道の側道にある中華料理屋さんでお昼ご飯を食べて、ハナミズキ通りにあるコーヒー豆やさんで珈琲の試飲。それから箕郷へ車を走らせて食料の買い出し。今日はやわらかそうなセロリとゆでたてのタケノコ、きれいな緑のアスパラと真っ赤なトマトを買った。それと黒豚バラ肉と軍鶏のレバーと砂肝。ちょっぴりわくわく。今夜の夕食は旬の食材で攻めるぞぉ♪
ホームセンターで猫エサ缶詰と珈琲フィルターを買ってから一旦帰宅。猫のあわびに缶詰きこきこと開けてあげて、もう一度お出かけ。今度はコンビニでJAFの会員契約更新手続きの払い込みしてAUショップで料金支払い手続きの変更をして、タイヤやさんへ。久しぶりにノーマルタイヤを交換。本当は今までと同じBRIDGESTONEのタイヤが良かったんだけど、ちょうど品切れだったので、まあ、いいか、と、YOKOHAMAのデジタイヤとかゆー、お店の人のお薦めを履かせて貰った。予定してた金額よりだいぶ安かった。そのあとまたスーパーマーケットに寄ってお醤油とお豆腐と大葉と茗荷とヨーグルトとグラノーラを買った。そして帰宅したらもう18時。きゃあ。合唱団に行かなきゃあ。

今日は7月のコンサートの曲を通したり少し手を入れたり。林光さんの曲をたくさん歌う。リズムも変わるし調も変わるし、林光さんの曲って難しくて面白い。子どもの人権宣言も通して、久しぶりにソロを歌った。気持ちよかった。いつもの声楽レッスンで練習曲をひとりで歌うときは、正確に歌うことにいっぱいいっぱいで、楽しむ余裕なんかまるでないけど、合唱団で歌うソロの曲は、さすがに何度も歌い込んでいるだけあって、楽しんで歌える。高音を張り上げると体の芯でかっと紅い炎が灯るのがわかる。

帰宅して遅い夕食。セロリと茄子と豚肉をニンニクとショウガと花椒辣醤で炒める。お店でイチオシだったゆであげタケノコはスライスして山葵醤油で。アスパラは堅めに塩茹。トマトにはソルトパウダーをささっとかけた。軍鶏の内臓たちは網焼きで塩胡椒。それと家にあったサーディンに、ニンニクとレモンで風味付けして熱くしたオリーブオイルをじゅっとかけた。それと生青のりの汁物。さてと、グラスにワイン。うーん、旬の贅沢。

自分の時間を自分のペースで積み上げる休日ってすごく満ち足りている。ああ、今日はいい一日だった!
明日は何をしようかな…。


2005/4/24(日):東京するめファンクラブ落ち

春樹さんの本を数冊買い込んだまま、手を付けられずにいた。こんなことって初めてだと思う。忙しかった。心を亡くすと書いて忙しい。ああ、まさに。
昨日のタイヤ交換に続いて今日はオイルとATFの交換に行ってきて、またもぼーっと待ちの時間がたっぷりあったから、これをチャンスと読み始めた「東京するめクラブ」。春樹さんの発想と文体の癖が、哀しいほどに異次元な空間「名古屋」をまあある意味リアルに浮き彫りにする。まあ多少の偏見を味つけにしていることは否めないが、だれだって自分の岸辺からしか感想を持ち得ないんだから、それがするめクラブ的真実であることも事実だ。

読めば読むほど、肩の震えが止まらなくなる。やだなあ、そういうの。どうしてこうもツボを突いてくるんだこの人は。
普通じゃないことに価値を見いだす名古屋的商魂。どれをとっても、まあアリではあるのだがなくても一向に困らないレベルである食世界。さらに、名古屋的日常に支えられた我らにとっての非日常が物哀しく、そして痛烈に可笑しい。
以前、「辺境近境」で超ディープ讃岐うどんの旅に心揺すぶられて高知の片田舎で心躍らせながら青ネギを刻んでみた私だったが、さすがにあんこと生クリーム(うう、打ち込むだけで鳥肌が立った)の、こってりトッピングされた極甘スパや、あんこトーストやウナギバーガーを食すために彼の地へ赴く勇気はない。私はするめクラブのファンクラブにも入部できそうにないや。だってさ、その手の哀愁には結構弱いんだ。ドライに物語を再構築できる春樹さんをうらやましくも思う。

この二日は完全に仕事を離れてのんびり過ごした。明日からはまたフル回転でがんばらねば。今週は授業参観とかもあったっけなあ。さあて…。


2005/4/25(月):あわびと

ここ数日、なんだか毛並みも動きもいまいちパッとしない、猫のあわび。おなかがパンパンにふくれていて自分でおしっこできずにあっちこっちにおもらししてるし、食欲もいまいちで、やけに水を飲みたがる。んー…また調子悪いのかな。
外に出かけるたびごとにけんかして新しい傷を顔や頭にこしらえてくるあわび。本当は家の中に閉じこめておきたいんだけど、雄猫にとって、家の中でじっとガマンするよりも、自由なオモテでけんかしながら傷だらけの体を引きずって生きる方が自然で幸せなのかも知れない、なんて勝手に想像し、玄関に降りて「開けてくれよぉ〜」と鳴くあわびの声についついドアを開いてしまう。でも、近頃調子の悪い日が続くあわびを見ながら、もしもあわびが死んじゃったら私はどうなってしまうんだろう、なんて思う。だからいつも、「ねえ、ちゃんと帰ってきてね」と祈るような気持ちで送り出している。拘束していたいのが本音。ゴメンねあわび。だってさ、少しでも長くそばにいて、生きていて欲しいんだもの。
動物と一緒に暮らすと、どうしたって人間の方が命長く、必ず大好きな友の死を看取らなければならない。でも、あわびだけはなんだかずっと一緒にいてくれそうに思っちゃう。こんなに思いの通じる猫ってそうはいないと思う。散歩も一緒お風呂も一緒寝るのも一緒。鳴き声で言いたいことが何となく分かる。私の言葉もいくつかは理解してくれている。私の行く先には必ずついてくる。行く先を知ってるかのように先回りしたりする。甘えて頭を押しつけてくる。膝によじ登ってくる。喉を鳴らして眠るキミ。
乾いた表現をするならば、単にgive-and-takeの関係に過ぎない。所詮は猫と飼い主なのだから。でも、想いの通う仲間であることには変わりないと思うのだ。相手は猫なので、まあ多分に、私の片思いにはなるけれど。

人にはできない癒しのツボを、キミはよ〜く知ってるんだよね、あわび。だからさ、お願いだから元気でいておくれ。私はキミがいるから、今夜も真っ暗なこの家に帰って来たよ。


2005/4/28-29(木−金):GWの過ごし方。その1.アラバキ

職場から直行で旅に出た。佐野インターから東北道へ。仙台市を抜けて多賀城へ。荒吐RockFestivalを目指して。
正直に言うと、行こうよって誘われたときは正直、どーかなーと思った。洋楽抜きのフェスは初めてだし、10代20代の邦楽系若い子たちのノリって妙なのだ。なんか、そこに不思議なルールがあって、滅茶苦茶や自由を許してくれないの。モッシュやダイブがあっても、なんというか…いうなれば、元気な盆踊りってカンジなのだ。腕を振り上げたり声を上げたりのタイミングまでお決まりでね、キモチワルイのね。ギター付き応援団長の指示に従ってみんなで叫んで踊ってるみたいで。なんなんだろう。あれ。もっと自分らしく振る舞えないのかな、みんな。
まあ、それはそれとして。
ちゃんと砂埃にまみれてきた。あらばきロックフェスティバルなのだった。それはそれとして、ハズレナシのあなどれじ邦楽バンドってカンジだった。同行者と多賀城Stageで朝っぱらからビールなんか飲んでたら、いきなりつじあやのでスタートし、なんか魂の中のやや太めの筋を1本抜き取られたようになって、オイオイ、カンベンしてよと一人歩き出し、津軽Stage夢弦会とゆー津軽三味線のバンドをのんびり聴きながら少し気分を持ち直し、さらに聴きたいstageをてくてく歩いて移動。
初生モンパチでちょい楽しくなって、移動中のループ&ループアジカンは適当に跳ねて聴いた。知らない男の子とちょい話しをして一緒に荒吐Stage勝手にしやがれへ移動。おやつ時刻はクドカンのグループ魂に行こうか風味堂に行こうかと話していると、彼曰く、
「グループ魂はまだまだ進化すると思う。でも、風味堂は来年はもう見られないかも知れないッすよ」
ああ、なるほど。そりゃそうかも。どう見ても20代中頃のセル縁眼鏡のカワイイ彼。私を何歳と見てるのかは謎だったけれど、話しが合って面白かった。彼も、仲間と来たんだけど、流れが合わなくて一人になっちゃった、と言ってた。フェスだから、しょうがないよね。
勝手のマイクチェックは昭さん自らがドラムを叩きに出てきて、ごく一部大興奮。ちょっと驚いたけど、やっぱりまだまだ、勝手ファンは少ないんだね。というか、年齢層の問題?私はもう釘付け状態で彼の小さな仕草まで見落とさないようにそりゃもう凝―――視!はい。ふつうにミーハーです。
勝手のStageはもう、言うに及ばず最高のパフォーマンスに涙もの。貧相な語彙の引き出しの隅から隅まで探しまくったけどカッコイイと言う言葉しか見つからない。譫言のようにまた涙ながらに…カッコイイ…とつぶやき続ける私に、眼鏡君、やっぱ男はスーツですか。と。はいそうです。当然です。ふふふ。キミもね、女の子をGetしたかったらもうギター振り回してる場合じゃないです。サックスとピアノと三つ揃いですよ。と言うと、眼鏡君、え?武藤さんはドラムですよ。ふふふ。彼はそのものが音楽ですから。武藤昭平equal男の美学なのです。ってべたべたに語りまくり。この30分間だけでも、6時間以上も車走らせた意味があったってものです。ああ至福。

彼にお昼ご飯を誘われたけど、また会おうねと振り切ってスカパラ→銀杏BOYS→風味堂→KEMURI→JUDEと聴いて、ラストのHigh-Lowsで眼鏡君とそのグループたちと再会。彼はグループ魂→UAで流れてきたそうで興奮気味なお疲れmode。でもみんな最後まで踊りっぱなし歌いっぱなし。何基ものミサイルマンが屹立して埃と紅い照明の混沌の中で蠢く様はなかなかに怪奇な景観だった。いやもう。
なんかもう奥歯の奥まで砂埃まみれ。だけど、夜はもうそんなこともかまわず叫びまくり。うん。ここんとこやけに暑い。

この一ヶ月はなんやかやと連日22時過ぎ帰宅の多忙を極めてたし、最高の息抜きになったかな。はぁ。さて、明日はいずこへ。


2005/4/30(土):GWの過ごし方。その2.カモメ

塩竃から湾内観光船に乗る。松島見物の遊覧船。点在する島々は言わずもがな日本三景の一つ。波と風雨のノミが刻んだ絶景なのだった。

しかし。

そんな景勝奇勝にのんびりとなごみの時を過ごすお気楽な企画の筈が、否。
カモメである。驚いた。今、私はヤツらのたくましさに脱帽するのだ。
出航前の海面に点在する純白の可憐な容姿に微笑んでる場合じゃあなかった。遊覧船の水先案内人が脇のかごにかっぱえびせんを並べてた意味がわかった。ああ、かっぱえびせんですよ、かもめさん。
そうなのだ。

ヤツらはしぶとい。
ヤツらはかしこい。
ヤツらはあざとい。
そして
ヤツらはうつくしい。

二袋100円のかっぱえびせん。やめられないとまらないかっぱえびせんである。そしてまさにやめられない止まらない状態におちいる。
かっぱえびせんは、カモメのエサなのだ。遊覧船のデッキに群がる無数のカモメたちは、観光客の撒くえびせん目当てに空を舞い、水面に潜る。まるで映画「WATARIDORI」のワンシーンのように至近距離でカモメの旋回を目にし、羽音を聞く。その逞しい翼の白さに目を奪われ、人は次々とえびせんを放らされてしまう。テキは見事にそれを空中でキャッチする。
時に指先につかんだえびせんを、狙い澄まし滑空して来、巧みに銜えてすっと旋回していく離れ業も披露する。船はぐんぐんと進んでいくのであるが、それに負けないスピードでカモメたちは追尾して来、その勢いをコントロールして見事に指先のえびせんを銜えてゆくのだ。すっげえ。

スピーカーからは日本三景松島の名勝ぶりを解説するアナウンスがのどかに流れる。ああごめんなさい。わたしってば観光はそっちのけ。もう、君たちに夢中だったの。


2005/5/1(日):GWの過ごし方。その3.何もしない

何もしない日というのもあっていいのではないかと。
私は眠ることが嫌いで、いたいけな(?)幼児の頃より、お昼寝嫌いで保母さん泣かせだった。しまいにあんまりにも寝ないので「眠くなるまで立ってなさい」と(?多分…幼児の私にはそう解釈された。でも無茶な話しだよな)お昼寝布団を持ったまま立たされたことがある。4歳か5歳児の頃の記憶。

まあ、そんなことはどうでもよいのだが、私は寝るのが嫌い。「きのうなんか目が覚めたらもうお昼過ぎでさぁ〜」なんて話聞くと、げっ、ほんとかよ、って耳をうたがう。そんな、せっかくのオヤスミを、もったいない。
だから病気になっても寝ているのが嫌いで一応ベッドにのっていても絵を描いたり本を読んだりPCのキーを叩いてしまう。ぱたぱた。
けれど、私は決心した。せっかくのGWなのだ。一日ぐらいゼイタクに、「何もしない」をしてみようじゃあないかと。
幸いなことに、いまの私にはそれを可能にする環境が整っている。たった一人の生活なら、何もしなくったって、だれにも迷惑掛けるわけじゃああるまいし。いえい。やったろうじゃあないか。
というわけで、本日の私はナニモシナイを決行した。…いやあ、ゼイタク。
ほぼ半日、パジャマでぼーっと過ごした。外を眺めてぼーっと。壁紙を眺めてぼーっと。猫をなでながらぼーっと。

飽きた。ぼーっとは、やっぱり私の性に合わない。もういいや。ぼーっと、はオシマイ。あーあー、ぼーっとした!っというわけで、やおら立ち上げってシャワーを浴び、部屋の中をぱたぱたと動き回って手近にあった服をひっつかんで身にまとい、車のキーを持って外に出た。ああ、この世界!

もう夕刻の空に向かってのびをして、つま先とんとんとして靴を足に馴染ませ、ラシーンとドライブ。適当に。めちゃくちゃに。で、夕食材料の買い物をして帰ってきたの。うん、生きている。今日も。


2005/5/2(月):家庭訪問@

今年もツライ季節がやってきました。ん?花粉?いいえ、家庭。家庭訪問なのだった。
何がツライって、道に迷う。駐車スペースに迷う。話題選びにも迷う。話しが盛り上がっても今度は時間内に切り上げなければならない。その見極めに迷う。迷いっぱなしだ。ふう。
私はいろんな人の話を聞くことがそりゃもう大好きなので、各ご家庭のお母さんやお父さんのお話を聞くのはとても楽しい。そのご家庭毎に、子どもをどう見て育てているのかがすごくよく見える。近頃は同年齢か年下のお母さんも増えてきて、その個性がよりくっきりと見えるし、子どもになにが影響しているかも見えてくる。見栄や頭でっかちな教育論に振り回されている人や、教師への不信感をちらつかせる人もいないわけではない。一方で、全幅の信頼を持って語りかけて下さる方や、子どもを丸ごと愛する正直であからさまな人間の姿を見せてくれる人もいる。
人間なんだよなあ。各家庭毎に、ドラマがあるのだ。たいしたものなのだ。

で、
何よりツライ問題はそれを1日に7件も8件もこなさねばならないということなのである。

7件。
映画だって2本立てを見た日にはどちらかの印象が薄れてしまうのが当然ではないのか。ましてやタッタ20分間のおしゃべりをきちんと37人分蓄積できるのかということで。けれど、わざわざこのために会社に休暇を申し出て部屋を掃除し、お茶菓子を買い(しかもそれは手を付けられることがない)笑顔で迎えて下さる思いには、報いねば申し訳がない。私も息子の家庭訪問の前にはずいぶんいろいろとやりくりしたからなあ…。
そんなわけで必死に名簿にメモ。話した内容、家庭の印象、ご両親の雰囲気、ご家庭から出された問題点ナドナド。
ああ、家庭訪問。あと30件。


2005/5/3(火):GWの過ごし方。その4.下駄を作る〜あるいは脱力の午後〜

今日は図工室に行って、下駄を作った。というか、作ろうとした。が正しい。
私はけっして手先が不器用な方じゃあないと信じているのだが、どうなんだろう。実はかなりの手先操作不能症候群重症患者だったのかも知れない。何しろ、杉の一枚板から下駄の台を切り取ることが、めちゃくちゃ難しかった。
カナ尺をあてて、板に垂直な線を引く。ノコギリで切ると時間がかかりそうだったので、ジグソーで切ることに。かつては結構簡単に扱っていたはずのジグソーなのに、切りながらなんか不自由なカンジ。途中で気付いた。右手の握力だ。右手で握りしめたジグソーの震動に、腕が完全に負けている。だから真っ直ぐに進めようとしても余計な力が入ってしまい、一見すると線の通りに切断できているようなのだが、切り終わってみると断面が鮪のお刺身のように斜めスライスになっている。横から見ると僅かに平行四辺形なのだ。がーん。
確かに頚椎の手術後、握力が元のようには戻らなかったんだったなあ…と、思い出したが、えー?そのせい?イヤ、単にぶきっちょになっちゃったんじゃあないかなぁ〜。しくしく。
まあ、イイさ、ヤスリで整えよう、と、今度はしゅっしゅっしゅっとヤスリを掛ける。細かな木の粉がもうもうと舞い上がる。う〜ん。このあいだのアラバキ並だ。イヤ、それ以上かも。
無心にヤスリがけを続け、ようやく自分でも満足のいく直角切りの板ができあがった。見事に直角。どんなもんだい。
しかし。その時ふと、心にいやぁ〜な風が吹いてきたのだ。ひゅるるるるる〜。
ヤスリがけして出たこの大量のおがくずを見よ。これはかつて板の一部だったものだ。当然のことながら。ってぇことは?
慌てて、寸法を測り直した。

Oh!…5mm近くも短くなっていた下駄台なのであった。そっと右足にあててみる。身長のわりに決して大きいとはいえない私の足でさえ、ちょいとはみ出ているのだ。はぁ――――――――。脱力。

リベンジは今週土曜に。あぁ、やってやる!負けるもんか!
背を丸めて床掃除に励む私であった。うーむ…。実に有意義なGWだったともさ。ちっ。


2005/5/4(水):GWの過ごし方。その5.山古志闘牛!

待ちに待った角突きの初場所!今日は今年最初の越後闘牛の日。わくわくしながらお弁当を作って関越道を一路長岡へ。ああ、早く、逞しい牛たちに、いなせな勢子たちに会いたい!何度見ても心が震える越後の闘牛。

多くの命を奪った震災からの復興、というニュースバリューもあってか、会場には今までの闘牛では一度も目にしたことのない、マスコミの中継車両がどんと場所を取っていた。確かに、震災という悲劇に屈することなく、今年もふるさとの勇壮な角突きをとりおこなうことができたんだ、負けないぞ!っていうのはドラマだなあと思うのだけれど、なんだか、妙な哀感を味つけされるのってどうなんだろうなと思った。

私は純粋に、越後の人々がこの土地を愛し、文化を愛し、牛と仲間を愛している姿が、何ものにもかえようがなく粋で尊いから、だから好きだ。牛と牛との力比べを見守る男たちの背中が大きくて、だから好きだ。勝負にケリをつけるのでなく、闘いっぷりを味わうという懐のでっかさも好きだ。同じ闘いの舞台に立つ勢子のきりりとした姿がなかったら、この角突きの面白みは半減してしまうだろう。


いやあ、それにしても!入った入った!こんなにたくさんの見物客が来るなんて!
今日は徳之島からの応援団(?)の皆さんも応援に駆け付け、南国の太陽とつきぬける天を仰ぐようなやんややんやのお祭り騒ぎの舞い踊りと、太鼓に三線に指笛のお囃子を披露していた。土地に密着した文化の面白み。何かもう、人の血の熱さに圧倒される気分。うーん。すげえや。イエイ!

例年、越後闘牛春一番は小千谷に出かけていたのだけれど、震災後の山古志村復旧へのエールの意味合いも込めて、今年は山古志闘牛に赴いた。まだだれ一人、自分の住み慣れた村に帰れないという旧山古志村の被災者の皆さん。私は何の力にもなれないけれど、でも、この闘牛をずっと応援し続けることはできる。彼の地に息づく文化の継承に、最大限の敬意をもって拍手をおくることはできる。
否、「できる」なんておこがましい。越後の人々の豊かな命に、心から、拍手を贈らせて下さい!

Bravo!!


2005/5/5(木):GWの過ごし方。その6.こどもの日に

私の大好きな子どもの日。高く蒼い空にひるがえる鯉のぼりが好き。男の子が生まれた喜びを遠くの遠くまで町中の人に知らしめる天真爛漫な心が好き。

おだやかな一日だった。太陽の陽射しは夏の兆しの小爆発を繰り返していいカンジ。
私は家のまわりの雑草をえいやえいやと刈って過ごした。ブルーサルビアの枯れ枝の下から新しい芽が伸びていた。枇杷の実が親指の先ぐらいの大きさに実っている。あじさいの新芽もつやつやとした葉を拡げている。青柚子の若芽にはキアゲハが飛んできて卵を産み付けている。

すこし離れた田んぼに人だかり。今日はれんげまつりをしているんだな。白いテントまで立てててニギヤカ。楽しそう。
あっという間の春から、気がつけば初夏の風。なんだかあせってしまう。ねえ、そんなに早く時よ移り行かないで下さいな。もう少し、もう少し。まだおなかの底まで春の空気をすいこんでいないんだからさ。

春の日は子どもたちと一緒に、ぐんぐんと駆けてく。待って待って!わぁ、すぐ背中の後ろまで追いついてきてるの、なに?夏?


2005/5/7(土):リベンジ!

もう一度ゆっくりと時間を取って下駄の板を切り取ってみようと図工室へ。休日の学校はしーんとしている。
鋸と目の荒いヤスリとカナ尺を持ってきて、さあて、と長い板から切り出しにかかった。
今日はジグソーなんか使わないで自力でノコをひいてみる。一気にせっつだんんん〜〜〜〜〜〜っと、……すぐには切れないの。息を止めて切断作業。途中の中休みで疲れてはあはあはあはあはあはあはあはあああああはははははははは…。と、最後はもう、なんかこんちくしょーめって意地になって切り続けてたら笑いが止まらなくなっちゃったりして。
切り終えて、断面を下にそろりとテーブル上に板を置いてみる。断面が垂直にできていればびしっとそこに板が立つはず。どうかなぁ〜。そぉっと手を離す……。
おっ!いえい♪どんなもんだい☆
誰も見てないけど、まあ、ここでようやく美術科人間の面目を立て直したかな。見事に屹立する板片にふうぅっと息をかけて、敢えて、かたん、と倒してみる。ふふふ。うまくいったゼ。
そんなカンジで2枚の板を切り終えて角を丸くヤスリがけ。ようやく、子どもたちに見本としてどんなもんだいな板が切れた。ホント、けっこう難しいものなのだ。

夢中になってヤスリがけをしているともう、夕方になっていた。体中がおがくずでくすぐったい。頭からくしゃくしゃと埃を払って体中ばたばたはたきまくって片付け掃除。口笛吹きながら帰ってきた。あああタノシかった――――!


2005/5/25(水):発熱の午後またはそばがきの誘惑

ってまた熱を出してる。本当にどうしようもないな、このポンコツ体は。腎臓の故障と気道の潰瘍がまたわるさをしているらしい。朝から39℃越えの熱に震えてもう動く元気もナシ。やむを得ずトイレに起きたり薬を飲みに起きたりするんだけど、出来ることならコレも誰かに変わって貰って、私はじっとしていたい。そんなカンジだった。まあ、当然のことながら、誰も私の代わりににトイレになんか行かない。

さてそんなカンジでじいっとじいっと動けもせずにアタマを空っぽにして文字通りくたばっていたのであるが、昼過ぎに大量の汗をかいたパジャマを着替えてみたらずいぶん体が軽くなった気がしたので熱を計った。ら、ら、38.0℃。
…イエ〜イ。大分熱が下がった!イイコで寝ていた甲斐があったってものだ。ようやくちょっぴり食欲も出て、職場の方が産直販売(?)して下さっているトマトにソルトパウダーを振りかけてかぶりついた。くうう。ウマイ。大地の恵みだ。お百姓さんありがとう。

そしてまたたくさん水を飲んで薬を飲んでベッドへ。なんと言っても今年のクラスの良い子たちに明日は会いたいからはやく元気にならなきゃあって思うのだ。この間も医者に点滴に行って遅刻して出勤したら
「先生、なんで遅れて来たん?早く来れば良かったのに」
と素直な目で真っ直ぐに見つめて話してくれた。先生がいないから自習だぁ!ヤッター!って、私が子どもの頃は喜んだものだったのにな。
「先生が来ないからつまんなかった。漢字ゲームがしたかったよ」
「先生、もう1時間勉強しよう、自習で理科出来なかったじゃん」
そんなことを一生懸命真面目な顔して言ってくれる子どもたち。こりゃ早く治さなきゃあなのだ。

夕方にまたドッと汗をかいて目覚めた。またパジャマを着替えて熱を計る。37.3℃。まだまだちょい熱があるけど、もうこのくらいなら動けないこともない。おなかすいた!なんか食べよう!

一階のキッチンに降りていって冷蔵庫を覗いた。色々入ってるけど、なんか疲れた胃袋に優しいものが食べたい。お粥かなあ…と思いながら扉を閉じようとしたその時に目に入ったのはそば粉。あー…そばがき食べたいなあ。
そう思ったらもう我慢ならずさっそく小振りの片手鍋に1/3ほど水を張ってそば粉をさらさらと入れる。泡立て器でかきまぜてぽったりと角が立ったら火にかける。小さいすりこぎで延々とかき混ぜていくとだんだんそば粉に火が入ってもったりと固まってきた。すりこぎがぐんと重くなる。そば粉が焦げないようにまだまだ混ぜる混ぜる!!えーーい!ゆけえええええええーーーーー!
…って、私、絶対に安静にしていなきゃあいけないって医者にあんなに言われたのに、なにやってんでしょうね。
火から下ろして真ん中辺にモツァレラチーズミックスを餡のように入れた。ゴムべらでよく鍋肌のそばがきをこそげ取ってまあるいおまんじゅう型に整える。お皿に移して、電子レンジで自動加熱。できあがり!おおのさんのとこで美味に舌鼓を打ったあのチーズそばがきakyaバージョンの完成。
お鍋にこびりついたそばがきにお湯を入れて泡立て器でお掃除するように溶かし込んだ。その中にakyaんち常備の冷凍出汁とかえし醤油を入れて火にかけてつけ汁も完成。薬味も刻もうかと思ったけど、その辺でもうくたびれちゃったから、お椀によそってはじっこの方に下ろし山葵をのせて刻み海苔を振りかけていただきまーす♪ってことに。

う〜ん。素朴な風味と幸せなあったかさ。チーズがちょいとオツなカンジ。身体がほかほかしてきた。
おおのさんのとこのそばがきのうっとりするような風味には足元にも及ばないけれど、まあ、なかなか満足なデキでした。コレでまたお薬飲んで一晩眠れば明日は見事に復活できるでしょう!
みんなーーーー明日は学校行くからねえええええええ!!!!!!!


2005/5/28(土):春の寂寞

草津湯釜を眺めてきた。
巨きい。どこまでも私がちいさくなってゆく。その水に手を浸したら奇跡がおきるような気がした。


歩いてゆくとゆきおとこに出会ったよ。やあ。
それにしても大きな口
で、ちょっぴり笑ってる。ねえ、あなたのおなかって、空につながってるの?

 

 

夢中になって写真を撮ってきた。その時は気付かなかったんだけど…。

いつの間にか寂しさが私のからだにしみ込んでいた。
上着のボタンを堅く締めてゆくように湯釜と弓池と殺生が原とを訪ねて、湿原の石楠花にようやく温めて貰った。

下界ではまるでもう夏の蒸し暑さなのに。そんな草津白根のひるさがり。


2005/5/29(日):すぱいすの誘惑

先週の日曜日だったと思う。どんなきっかけだったのか、とにかく、カレーが食べたい、それも本格的なインド・パキスタン系のカレーが食べたい!という話になった。
で、さらに、これまたどんな拍子にか、外食ではなく、家で本格的にカレーを作ってみよう、ということになった。

で、この一週間、いろんなsiteを覗いてみて、いろんなインドカレーの作り方を読みあさった。で、結局、市販のカレールーを一切使わず、お家でも美味しくできるスタンダードなチキンカレーを作ってみよう〜!イエ〜イ!ってなカンジになったの。まあ、いつものノリ、ね。

昨夜のうちに仕込んだのは、鶏手羽元肉に塩とヨーグルトとカレーパウダーを揉み込んでおくこと。(これは今日オーブンで焼いた。オーブンから出てきたそれは、そのままがぶりと囓りつきたいほどに魅力的なヨイ色をしていた)
朝9時から調理スタート。玉葱3個をみじん切りにしてフライパンで飴色になるまで中〜弱火で30分ほど炒める。にんにくとショウガをすり下ろし、加えてさらに炒める。トマトピューレを1/2缶とヨーグルト1/2カップを加えてコンソメも加えて、カレーパウダーとガラムマサラとチリペッパーとターメリックとあとなんかかんかのすぱいすをぱっぱっと入れる。(もちろん実際はレシピを見て計量して入れたのさ、念のため)で、水を加えて煮込む煮込む煮込む………。
そこにオーブンから取り出した香り高いチキンを放り込んで更に煮込む。で、あとはとろ火で煮込み。ときどき鍋底に焦げ付かないようにざっと混ぜながら。時々味見。おっ!コレはもしかするともしかして…なんかもう体中がスパイスに染まったカンジ。午後2時頃に煮込み終了。火を止めて味が馴染むようにさましておく。
夕方になり、せっかくだからご飯もサフランライスにしよう!というわけで、サフランで色出ししたぬるま湯とバターとコンソメとでお米を炊く。

できあがり。お味はまずまちがいなくインドカレーだった。さらりとして辛みがしつこくなく爽やか。家庭で食べるカレーとは全然違う。鶏に香りと味がしみ込んでこれはかなり美味しい。でも、私的にはもうひと味キメ手が欲しいカンジ。トマトが効き過ぎて酸味が強いような気もする。私にはもうすこし辛くてもいいかな。それと、もっと油脂系のこくがあった方がいいと思う。siteによってはギーやバター、ココナッツミルクなどをかなりふんだんに使っていた。サラダオイルをカップ1入れちゃうなんていうレシピもあってビビった。私の今日作ったカレーには、最初に玉葱を炒めるときにフライパンにひいた程度のサラダオイルと鶏から出た油しか入っていない。でもあんまり脂っこいのはなぁ…。
ま、とにかく、なんかいろんなスパイス入れてアヤシい実験室みたいで楽しかった。今回、改めて見てみたら、最近は近所のお店にもへええびっくりってなカンジの種類のスパイスがおいてある。まだまだスパイスの誘惑にははまりそう。
今日のチキンカレー、まあ、これはこれで美味かったのだが、まだakyaのレシピに載せられちゃうほど私的に練れてないな。もうちょっと研究してみようと思う。

これ、御世話になった本日のスパイスさんたちなの。カレー作り、かなり、いいです。これからまだまだスパイスが増えちゃいそうなカンジ。ふっふっふっふ〜☆


2005/6/5(日):男たちの背

母に付けられたあだ名は「泣けみちゃん」だった。微かに覚えている。悲しかったり淋しかったり悔しかったり怖かったり驚いたり、また、感激したり嬉しかったりしても、足の裏から何かがびりびりとせり上がってきて、抗しがたくあーんあーんと大声で泣いた子どもの頃。
そんな涙大安売りの体質はここの所とんとご無沙汰だった筈なのだけれど、今日は久しぶりに涙が止まらなかった。止めようがなかった。どうしようもないほど堰を切って落ちてきたのだ。感動が突如腹の底からわいてきて体中をふるえさせながらいつになっても過ぎてゆかなかったのだ。
小千谷の地で。

小千谷の闘牛。今日が今年の初場所。目に飛び込む人々の笑顔と自信に満ち充ち誇りに溢れた表情。臨時闘牛場のまわりには牛たちの名を染め抜いた幟がぐるりと立ちはためいて、早速に陣取った観客席の向こう正面には、今日の日をともに喜ぶ祝儀の披露が白く風に舞っている。ああ、大好きな小千谷闘牛だ。

聞こえてきた!懐かしい、と思わずつぶやいてしまう実況のおやじさんの声。歯切れ良く、あったかく、少しの訛りがこの上なくチャーミング。そのうえ品が良く、朗々としている。この声を聞くと、ああ、やっぱり、小千谷の闘牛っていい!と思わず背を伸ばして深呼吸してしまう。しばらくはビニルシートの上に正座して聞き惚れた。そして小さく口の中で、「お元気でご無事でいらしゃったんだ。良かった…」と失礼なことをつぶやいてしまった。
震災後のこの厳冬を、どんな思いで日々過ごされたことだろう。少しずつ雲が切れ、陽が差し始めた空を仰ぎ見ながら思う。天と地と自然に生かされているとはいいながらも、抗うことを余儀なくされ必死に生活を守り抜いてきたであろう小千谷の方たちの、この数ヶ月。私には想像を絶することだ。ここへの道中も、ざくりとえぐられたように崩落した山肌を見、歪みうねる舗装路を走ってきたのだけれど。尊い命や家や田を失い、きっとまだあの震災の前のような営みにはほど遠い方々も多いのだろうに。そこで、敢えて「角突き」を行わなければ、と立ち上がった方々の心意気と情熱とに胸が熱くなる。

土俵を塩と酒で清める。その清めの一升瓶を一人が掲げ持ち、そこへ次々と勢子がやって来てそれぞれ通りざまにくいっと口に含んで土俵に入る。その仕草が粋だ!土俵にそろった勢子がぐるっと輪になって取組を読み上げ手を叩いて確定する。さあ、いよいよだ。今年も開かれる小千谷の闘牛の地に、また私が訪れることができた幸せに心から感謝した。

手綱を引かれて牛がやってきた。盆の形の土俵に踊るように走り込んでくる牛もいる。東山小学校の牛太郎は3番目の取組だった。小学校の男の子たちが牛太郎を引いてきた。わあ!大きくなったなあ、牛太郎!

いつも半分身を引いてしまうような牛太郎が、今日はしっかりと額を合わせて角を突いた。
「がんばれえー!ぎゅうたろうがんばれー!」
子どもたちの声がニギヤカに響く。角突きを総合の学習で学んでいる東山小学校の子どもたちだ。うらやましい!こんな素晴らしい教材で学べるなんて。しっかり勉強するんだぞぉ!今年は東山小学校の子どもたちへのエールを、僅かでも伝えたくてほんのちょっぴり、ご祝儀を包んだ。
私はといえば、牛太郎を見ると、久しぶりに会った甥っ子が大きく成長して闘っているのを応援しているような気分になる。よし!いいぞ!牛太郎!エライ!エライ!なんだか応援というよりも褒めてあげたくなってしまうのだ。
「そら!牛太郎にご祝儀だ!」
取組を実況するおやじさんの声。東山小学校の子どもたちの陣取っていた席の方から「おお!」と、どよめきの声が上がった。私の名が紹介された。貧乏人の出したご祝儀ゆえ、本当に僅かなのだ…。そんな風に紹介されるとなんだか、恥ずかしくなってしまった。もっとたくさんお出ししたいのだけれどほんの気持ちで…の、「気持ち」にすら届かないくらい。でも、ハズカシそうにしながら代表の子がそれを受け取る姿を見ながらやっぱり嬉しくなった。

今日の取組はどれも見応え充分だ。牛たちの気迫に満ちた鼻息と、ゴッと鈍い音を立ててぶつかり合う牛の角、そして勢子の威勢のいいかけ声とおやじさんの絶妙な実況と。見事に引き分けられていく取組が終わるたびにおもわず手が痛くなるほど拍手してしまう。闘い終えた牛の鼻に付けた手綱をさっと長く伸ばし、場内を引き回す牛持ちの誇らしげに上気した頬。その姿を満足そうに微笑み顧みつつ先に引き上げていく勢子。そのとき、突然、私の中にかっとあつい風が吹き込んできた。とどめる隙もなく一気に涙が溢れてきた。
だから、私はこの角突きが大好きだ。大好きだ。角突きの牛たちの巨体に心躍らせつつ、視線はまた勢子たちの背中に釘付けとなっていく。闘う牛たちを囲む勢子の背がこの闘牛場の屋台骨に見えてくる。ソレ、いい角突きを見せてみろ!とばかりに
「ヨシター!」
と手を広げかけ声を掛け、牛の尻をぴしりと叩いてまた後ろ手に手を組み闘いを見つめる。「男」の背だ。若木のようだ。きりりと逞しい、けれど、暖かい。

これまでに、たくさんのライブやコンサートを楽しんできた。芝居や映画に涙したこともある。ロックフェスティバルは素敵だ。舞台に立つ私自身におくられる拍手には何度でも胸を熱くする。
けれど、やっぱり、何に一番感動するかって、日常の人々の暮らしに、激しく、というよりはじりじりと、いつまでも紅く熱をもつ熾火のようにともり続けるその土地の文化が、根強く息づき続けるというこの事実。それを誇りを持ってゆったりとまた愛情を込めて支え続ける人々の逞しい腕が、おおきく真っ直ぐな背が見えるということ。そこに強く強くこころをゆさぶられた。

帰りがけ、駐車場に戻ろうと歩いてゆくと、数名の若い勢子が談笑しながら足早にこちらへ歩いてきてすれ違った。
「なあ、あいつのヨシターはさ、なんかこんなでさ、あれ、オレ、思わず笑ったよ。ある意味新しいよな、あれさ…」
その会話を聞きかじって、あ、ふつうの若者だぁ。と思った。素敵なことだな。ふつうの若者が、ふつうに自然に自分たちの土地を愛している。当たり前のように文化が伝承されている。

ああ、小千谷の角突き!全てが見事に調和して素敵だった。


2005/7/20(水):1学期終了!

ヤレヤレ。1学期終了。今年はなんだかこの1学期に何をしていたのかしっかりと思い出せない。それほど慌ただしい学期だった。
毎週水曜日午後の研究所への出張、たったそれだけのことなのに、毎日の仕事に膨大なしわ寄せが来る。ちょっと驚きだった。指導案や研究計画を練る作業を放課後に組み込もうとすればその分授業研究の時間が先送りになる。必然的に帰宅時間も遅くなってしまう。おかげで家で料理する時間ががくんと減った。10時を回って帰宅する毎日、余り物をテキトーにみつくろってささっとお腹に入れ、シャワーを浴びてまた仕事。睡眠時間は平均3〜4時間。この一年でまた寿命が縮むんじゃあないだろうか。さてさて。

まあとにかく1学期は終わった。振り返るに、2年連続の4学年担任で去年より深められたこともあると思う。
たとえば算数。4年算数学習の中で、ひとつの「山」といってよいのがかけ算の筆算だと思う。ここで得た知識が今後の計算領域の学習でずっと生かされていくわけだから、なんとしても全員に着実に身に付けたかった。ねらいは平均点97。
私の受け持ちはレディネステストの結果、ちょっぴりわり算やかけ算九九が苦手・またはとっても苦手という子たち。習熟度別学習になった。…にしても、内心(う〜む、こりゃ手強いなあ)と、久しぶりにややひるんでしまった。なにしろかけ算九九の不完全な子や、引き算の繰り下がりができていない子がかなり多いし、足し算するのに両手を出して指折り数え出す子がゴロゴロいる。いったいどうなっちゃってるんだ?4年生ってみんなこんなもの?去年も面喰らったが今年はそれに輪を掛けて…う〜む。
でも、その子たちからひしひしと感じたのは「わかりたい」「できるようになりたい」という切実な思い。だから、どの子も一生懸命学習に食らいついてきた。それに応えられないようじゃ、教師失格だよね。とにかくなるべく観念的な数の扱いにならぬよう、黒板に大きくイラストを描いてイメージを持って計算に取り組ませたり、商を立てる時には、割る数を割られる数の人数の子で分けっこしたら、何個配れて何個あまる?という具体的な状況をイメージさせたりしながら学習していった。
筆算の基本的な手順、「たてる→かける→ひく→おろす」はみんなでしつこいくらいに大合唱。確認しながら計算していく。その中で、わり算は苦手だから嫌い〜とぼやいていた子が、あ!わかった!と叫び、勢いよく答える場面が増えて行った。
問題やプリントを出すと、「イエ〜イ!」と歓声があがり、全問正解すると「ヨッシャー!!」とガッツポーズで席に戻る子どもたち。その様子を見て思わず「うーん…。わり算はスポーツだ!」となんだか気分は体育会系…。
笑っちゃったのは暗算練習の時のたかchan。まずは十の位の商を見つけて、それを頭に残しておいて、一の位の商を立てるぞぉ…とやってたら、
「あ…今どろぼうが頭ん中からみんな持ってちゃった…」
と、ぼそり。みんな大爆笑。つられて
「私も!すぐにドロボウがもってっちゃうん」
「おれもとられた」「あたしも!」
オイオイ。しゃあないな、みんな警察も連れといで。ドロボウばっかり住まわしといちゃあアカンョ。まあいいや、忘れそうな子はその数だけさっとメモしようよ。
そんなこんなでわいわいと頑張った算数。結果は…平均点97.2。まあ、よしとするか。

明日から夏休み。オーイ、子どもたち、一学期の知識をみんなドロボウに持ってかれるなよぉ…。


2005/7/29(金):コンサートの後に

よかったです!
握手していただけますか?
あの…サインを下さい。

え?え?私ですか?え〜…!?

日本作文の会全国大会の文化行事。今夜は「文化の夕べ」というイベント。私たち人権合唱団が演奏した。その幕が降りての送り出しで。
ありがとうございましたー!CDを買ってくださーい!と声を上げてたら、冒頭のお声がけをいただいて面喰らったのだった。自前の絵にならいくらでもサインを入れるけど、(何しろ、それはプロだという自覚がある。一応は)合唱団のCDには…ちょっと、それは無理です。申し訳ないのですが…。
しかしまあ、そんな風に声を掛けて頂ける程度には歌えたってことだよね。CDも私の手から10枚ほど売れていったと思う。まあ、やれやれ、かな。

舞台は何度立っても楽しい。それと、ソプラノソリって気持ちいい。おお神よ!有り難き幸せ!ってかんじ。
次は伊勢崎の合唱団の皆さんと、10月に「ぞう列車」だ。いよいよ私の人生最後の「ぞうつかいの娘」かな。
歌えるって素敵なことだ。こうやって自宅に帰ってきたときのしみじみなカンジが、だいぶ日常になってきた。ああ、一生歌い続けられたらいいな…。
まあ、何はともあれ、合唱団の皆さま、そしてなにより学先生、今回もありがとうございました。


2005/7/30(土):FUJI ROCK FESTIVAL 05!

駐車場に足を下ろして目の前にひしめき合ういちめんのテントを見やった。ああ、帰ってきた。フジロックだ!
深呼吸して見渡す風景は、1年ぶりに帰郷したふるさとのにおい。おなかの底まで吸いこんだ。こぶしを突き上げて、ぐーんとのび。
「ただいま」
苗場の山につぶやいた。
入場ゲートまでのじゃり道。
通りすがりPalace of WonderのScrap Monsterたち。
やあ!みんな元気だった?
雨もカッパも田んぼみたいな泥道もみんな、大好きだよ。だから帰ってきたんだ。
ちょっぴりスキップ。泥水とばして。だってしようがないんだよ。フジロックだからさ。
まずは会場イチ冷たくひえたHeinekenで乾杯。天国バーガーで腹ごしらえ。Board WalkをたどってOrange Courtへ。
フフ。雨だってのに、カッパ着て芝生で熟睡してるコがいる。イエイ。来いや、雨!大歓迎だよ。
だってフジロックだからさ!

夜。雷鳴は轟くしWhite Stageの照明にCats and Dogsの太い筋がいくつも照らし出されるし。舞台効果は満点を通り越してやりすぎの感。でも、知ったことか。じっと待つ。
薄手のrain coatは既に肌にはりついて離れない。それでもなお雨粒が耳元にバチバチとはじけて暴れまくる夜。

来て。早くここに来て。
流れ続けるガムランに背中がじりじりと熱くなる。
照明が落とされスクリーンがするすると引き上げられた。
くっきりと映し出されたBRAHMANのロゴ。
SEがガムランからブルガリアン・ポリフォニーにかわる。
私の中で何かが激しく、けれど音無く砕けた。
始まる。

彼らの音楽は私の到底辿り着けない場所にある。それががらんどうな哀しみを美化しているように聞こえてならないこともある。空しさを激情にすり替えて祭り上げているような…でもきっと、誰もが叫ばずにはいられないそれはあるいは出口のない理想郷なのだ。痛々しく激しくその中を渦巻きうねり続けるけれど…どこへも行かない。行けない。

BRAHMANの音と世界観。遠くに暗澹と雷雲の蹲る夜のWhite Stageに泣けるほど美しかった。
嵐よりも激しかったStageを後にしたら、背後の森には静かに夏の雪が舞っていた。
濡れたからだと、言葉にするのも惜しいくらいに満ち足りたこころと。フジロックな夜。


2005/7/31(日):PEACE!

フジロック最終日。今年は仕事の都合上2日しか滞在できなかったので、テントには1泊だけ。何となく物足らない。やっぱり前夜祭から3泊4日(または翌日までと決め込めば4泊5日!OH!)を満喫して初めてフジの醍醐味を味わえるのではないかと思う。何となく時間がないとあれもこれもと詰め込みたくなってしまって結局リラックスできない。それじゃあ、苗場に来る意味がないんじゃあないかな。フジロックは、単に音楽を楽しむイベントとは全く異なる場所だ。ロックというジャンルを中心に据えて、だだっ広い野外に、ピースとアートと祝祭と多国籍な文化とが織りなす異空間がそこにある。フジロックという世界が、1年のうち、たった数日だけここ苗場に出現し、ぽっかりと口を開けて待ちかまえているのだ。

ホラ、来テゴラン、ナンニモ考エズニサ、タダタダ楽シメバイインダヨ。

今年出現したところ天国の水車では、ヒモパン一丁(!)で水浴びしてるおっさん(兄ちゃん?)がいた。勿論、「中に入らないで下さい」の貼り紙があったがそんなものお構いなしだ。規則的にばしゃっばしゃっと瀧のごとく落ちる水を受けて、気持ち良さそうに体を洗ってる。で、ややあって彼はやおら立ち上がり、脇を流れる小川(これがまた透明に澄んでいてみごとに清らかな流れなのだ)をばしゃばしゃと縦断して川岸にまとめてある服のところへどっかと座り込んだ。「あーいい風呂だった」って感じで。まわり中でその一部始終を眺めていたロッカーたち、思わずやんやの喝采。「やーるなー」って感じ。
そんなまったり空間が当たり前に横たわるロックフェスティバルなんて、いったい日本中のどこにあるっての?むしろ、私はフジロックのメインディッシュは音楽じゃあないって気もしてしまう。最高の音楽「も」聞けるアートなバカンスだよ、いかが?って感じかな。
だから、がつがつと時間を気にして次々ステージをはしごするようなイベントとは一線を画しているのだ。イヤ、勿論、それもありだけれど、どうして私が毎年フジに行くのかって言ったら、リーズナブルにビッグアーティストの音楽を腹一杯平らげたいなんてことじゃあなく、最高の音で、開放的なステージならではの上質なアクトを楽しみつつ、その祝祭空間で存分にリラックスしたいから。そんなフジロックが、既に私の1年間のバイオリズムにおける重要なセクションを占めている。まわり中にはやたら若いヤツらがうじゃうじゃいて、おそらくは同年代の人なんか数えるほどしかいないんだろうけどね。そんなことどうでもいいの。フジの空間が好き。

今年のステージを振り返ると個人的にはグリーンを縦横に闊歩してたエゴはすごく楽しかったし、オイオイ、ホントかよ、のビーチ”ヤング”ボーイズにはあきれるほどのせられてしまった。よっ、イロオトコ!じいちゃん、あなどれじ。
スカパラやブラフは言わずもがな。ジュリエット・ルイスやあふりらんぽにはもう完全に理性のやわらかくて太い部分をわし掴みにされ引っこ抜かれた気分だった。よくやるよ、まったく。
でも、自分でも意外なことに、私が今年のフジロックで一番感動したのはTHE PEACE IN LOVE PERCUSSIONS。民族舞踊団なのだ。え?ロックフェスで民族舞踊?

セネガルからやって来たと自己紹介する彼らの楽器はタムタム、バラフォン、ジェンベ、カラバス、フルート、チャカレ等々。全部手作りの民族楽器。バラフォンは大きな木琴のような形をしていて、おじいちゃんがあぐらをかいて座り、ぼんぼんと叩く。井戸の底から響くような深い音。今でも耳の奥にこだましている。彼らは世襲制の音楽家でアフリカの歴史と共に数百年という歳月を駆けて代々演奏技術を磨いてきたのだそうだ。彼らにとって音楽とは職人の為せる技だという…

うん。まさにその通り、みごとに磨き抜かれたリズムと鍛え上げられた肉体が繰り広げるパフォーマンス。あっけにとられてしまった。跳び、回転し、逆立ちしてブリッジして踊りまくる。うわあ、でたーって感じのファイヤーショーあり、アクロバットの連続技あり。そこがオレンジコートであることをすっかり忘れて魂を抜かれたように見入ってしまう。
そしてなんつっても彼らの笑顔!この世で一番上手に笑う人たちだと思うな。ひとつの演技を終えてパッと両手を拡げると、人間の一番ピュアな部分に丸ごと飛び込んでくるような掛け値無し本物の笑顔で笑う。拍手する私たちの表情も、きっとそんな笑顔に感化されていたと思う。そしてまた彼らも笑う。天真爛漫な笑顔。うわーすげえな、どっからこんなの捕まえて来ちゃったんだよ。と思わずつぶやいた。背中がびりびりと痺れてきた。おそらくただのパフォーマンスではこんな感動は訪れない。が、なぜそんなに感動してしまうのか、その時はわからなかった。

演奏が終わり、英語であいさつをしてくれた。「日本とセネガルとが手を取り合ってパレスチナにも世界中にも平和をもたらそう」たぶんそんな内容。べつにこの言葉の尊さに心打たれたんじゃあない。ただ、その瞬間の彼らの眼差しと笑顔と褐色の肉体とがものすごくまぶしかった。涙が溢れた。止まらない。すごい。混じりっけのない純粋な文化であることの強さに打ちのめされた。フジロックに来てこんな種類の涙を流すなんて思っても見なかった。ただひたすら涙しながら、彼らの平和への思いが私のそれとは全然違う切実なものだということに静かに衝撃を受けていた。

今日、彼らを紹介するウェブサイトを開いてみた。

飽食といわれる現代社会だが、地球のいたるところで私達の同胞は、内戦、飢餓、貧困、テロなどで苦しんでいる。そして戦争こそが最大の環境破壊であり、人類の乱開発によって地球上に存在するすべての生命が危険にさらされた最悪の状態である。戦争のない平和な世界にするために、日本とセネガルが手と手を繋ぎ、音楽を通して世界中に平和のメッセージを強力に発信していくしかない。

胸が痛い。そんなメッセージを携えて世界中を音楽し、旅する彼ら。あの笑顔は苦しみを知らない者には真似できない笑顔なのだ。だから私はこんなにも打ちのめされてしまったんだ。なぜこんなにも感動してしまったのか、今はわかる。彼らこそまさにロックだ。躍動し全身でリズムを刻み魂の歌を歌う彼らの存在こそロックそのものなのだ。

ああ、フジロック!今年もありがとう。たくさんの想いを抱えて家に帰ってきたよ。


2005/8/7(日):ひばりたち

人間の体には全部でおよそ200の骨とそれを動かす400の筋肉があるそうな。そうとも。今私は全身の筋肉の存在を認めざるを得ない状態にある。指、手の甲、手首、二の腕、肩、うなじ、ノドのまわり、肩胛骨のあたり、背中、腰、おしり、内もも、外もも、足の甲、足の指…とりあえず、今、なにもしなくてもそれだけの部分の筋肉が痛い。痛みを感じないのは腹筋とふくらはぎくらい。で、体中ほとんどの筋肉がカッと熱を発して痛む。みごとに筋肉痛だ。いや天晴、筋肉たち。よくぞ活躍してくれた。

昨日と今日は藤岡市へ毎年恒例のリズム構成を創る会に行ってきたのだ。中学年の作品は齋藤隆介原作「ひばりの矢」。小さなひばりたちが巨大な黒雲親分に立ち向かい、体を張って自分たちの営みを守り抜く物語だ。何しろひばりは漢字で書くと雲雀というくらい。空高く雲に届かんとするほどに一直線に舞い上がる命の塊みたいな鳥だ。あんなちっぽけな身体のくせに、エネルギーがぎゅっとつまってる。全力で生きる鳥なんだ。そのきらめきを全身で表現したくて私も必死で踊った。
黒雲親分ってなんだろう。単純に考えるなら大自然の猛威ということなのだと思う。草むらや、刈り取られた麦畑の株のまわりにぼうぼうと茅の伸びているあたり、春先にかわいいひばりの巣がいくつもある。その大地に育まれた小さな命を脅かす巨大な春の嵐。到底太刀打ちできない敵に無垢な信念を持って矢をつがえ飛び立つひばりたち。当然敗れて次々と地に落ちた。しかし、そのひばりの矢は大地に突き刺さって風に揺らぐ青々とした麦の穂となったのだ。そんな憐れで哀しく美しい命のお話。
勿論、この黒雲って、「自然の猛威」以外の解釈もできるだろう。人には、どうにもかなわないと知りながらも立ち向かい続けなければならない大きな障壁がときに出現する。それに向かって、たとえ一人の力は非力であっても、何千、何百と絶え間ない力の結集があれば、必ずや打ち崩すことができるんだ。そんな勇気を与えてくれる話ではある。シチュエーションは決して今風ではないと思うけれど。でも、これから、何がおきるかなんて誰にも分からないじゃない?または現実の社会になぞらえなくとも、自分自身の心の問題として、同じような場面設定はいくらでもありそうに思う。

まあ、それはそれとして、闘いなのだ。このお話は。ずっと闘い。ひたすら闘い。歯を食いしばって。なんどでも立ち上がって。現実の営みではあり得ない(イヤ、あったら困る)ひたすらな闘い。子どもたちはこの踊りの中で、みんな一人残らず勇壮なひばりになれる。だれもがヒーローなのだ。
そんなリズム構成なので、私はもうヘトヘト。自分の体からあんなに沢山の汗が流れるのを久しぶりに見た。黒雲目指してねらいを定め、矢をつがえてぴしっと放つ。その瞬間の自分の左腕は土砂降りの雨に打たれたようにずぶぬれだった。実際、その刹那それは自分の腕ではなくなり嵐に濡れた弓矢にしか見えなかった。踊りのパラレルワールドに完全に捕まえられていた瞬間。そう、そんな瞬間が次々繰り出されるから、リズム構成ってやめられない。
踊り終えた後、ただ立っているだけで、足元に私の汗で小さな水たまりができた。これが誇張じゃあないからリズム構成なのだ。実際。いやはや。

待ってろよ3,4年生のカワイコちゃんたち。なつやすみ中、そりゃもうた〜んと甘ったれてろって。9月に待ってるのは、「てんこもりどしゃぶり底なしの闘いの日々」だからね。


2005/8/9-10(火-水):まっかだな。まっかだなー…。

♪つたーのはっぱがまっかだな。もみじのはっぱもまっかだな♪って、「まっかなあき」を歌っているバアイじゃあございません。
えーと、どーしよっかな、べつにここに書かなくてもいいんだけどさ、まあ、初めての体験だし、書いておいてもいいかなと。あくまでこれは私の私的な日記なんだからね。あったことを記録しておけば、いずれそのうちなんかの役に立つこともあろうかと。

9日は中之条へ出張だった。夜はいつもの練習。学さんとこ行くために、帰り道に高崎へ向かった。その時、何か変なカンジを自覚した。あー。トイレ行きたい?かな?イヤ違う。別にトイレ行きたいわけじゃあないなあ。でも、なんか出そうなカンジがする。変なの。なんだこれ?
ああ、ばっちい話で恐縮なり。そんなこんなで途中のコンビニのトイレに行くと、堰を切ったように自分の体から何かがドドッと出て行った。ん?下痢?でもおなか痛くも何ともない。へんなのー。と、まあいいやいいやとオシリ拭いてみたら。あ!れ!?
まっかだ…。
なんだ?なになに?トイレをのぞき込んでみると、あらあ、きれいなこと。みごとにまっか。カーマイン系の美しい世界がコンビニ便器の中一面に展開されていたのだった。うひゃあ。きれーないろ…。ってそうじゃないか、これ、なんかヤバイこと?
しばしぼう然としたが、いいか、いつまでもこうしているわけにもいかんし、と、念入りにトイレをきれいにして、再び高崎へ。途中もう一度同様の排泄要求にかられ、別のコンビニでも真っ赤な世界を体験。うーん。
さすがに呑気な私も、これって、なんか普通じゃないかも、って思った。でもどこも痛くないし、慌ててもしゃあないよなってことで、予定よりだいぶ遅れたけど学さんとこへ。その後は、わりとふつう。ちょっと貧血っぽい?ってかんじがしたけど立ったまま練習(?)してた。でも別に何ともなかった。

帰宅後は、何も食べない方がいいような気がして夕食を抜いた。明日は午前午後とダブルで出張なんだけど、さすがに医者に行った方がいいか。またも病休だ。ヤレヤレ。
夜半に、またトイレにゆく。もうお腹の中は空っぽだと思うのに、鮮やかに赤い血液と、どろんとしたジャムのような血の塊が出て行く。思わずトイレをじっと見た。すげー。なんだこれ。なんて言うか…キレイ。

そして、今日、学校に電話して医者に行った。もうまな板の鯉経験は慣れっこの私も、意識のある状態でお医者さんにおしりを見せるなんてのは初体験だ。ま、しょうがないけどさ。生きるってこーゆーことなのね。リアルに。
触診で、肛門や直腸付近には異常なし。大腸の様子を見るために内視鏡を入れてみましょう、との話。えー、大腸にって…。ヤレヤレ。もうどうにでもしてくれ。

大腸内視鏡ってのは、えーと、予想通りのモノだった。胃の内視鏡は何度か経験があるが、理屈は同様の筈で。例によって全く緊張はなく、リラックスして膝を抱え横たわる。で、おしりからにゅるつるるんと管が入って来て、撮影のために空気が入ってくる。強引に腸が膨らまされるのがしっかり分かる。これがまたイタタタタ…。心境としては破れかぶれどうにでもなれで抵抗する気持ちも頑張る気持ちもないのだが、体は痛みに反応して動いてしまう。だから少し歯を食いしばってこらえた。
「これはまたキレイになってるね。空っぽだね」
と、医師の声が聞こえる。そりゃそうだ。昨日の研修の前、11時頃にパンを食べてそれっきりなんだから。
「ん?ああ、あるね、これだねー。うーん。まあ、小さいけど…」
検査後、モニターに残された映像を見せてくれた。大腸の入口付近に潰瘍のようなものがあって出血している写真だった。他の所はつるんとしたピンク色なのに、そこだけ充血して赤黒く小さな凹凸様のものがあって、出血もあって赤い。へええ。

お腹がぽこぽこと張ってて、いあやまったくイタタタ。家に帰宅した今も、なんかね、ぼこんぼこんってかんじだよ。ま、薬飲めばいいそうだからさ、はあ。と、そんなこんなのひとあし早い「まっかなあき」記録。


2005/8/12(金):なつやすみのいちにち。

今日は片品村のつなちゃんとこに行ってきた。途中の椎坂峠のなんか派手やかなおみやげ屋さんのとこに停まってお馬鹿なつなグッズを買い込んで、深呼吸。しなしなとした湿気を含んだ空気がノドに気持ちいい。そいでもってこの涼やかさ。いいねえ。夏休みってかんじでさ。

つなちゃんたちと岩倉スキー場に出かける。この時期のスキー場って夏季観光収入として広いゲレンデにお花植えてるとことかあるのね。ここ岩倉スキー場は一面の百合園。

まあ、なんというか、キレイなんだ。けど、この百合は今春に地域の婦人会の皆さまの協力によって植えられたモノだとか。まあ、ボランティアじゃあないだろうが、婦人会の皆さまって言うフレーズはさ、わりとね、生々しくってさ。そういう話聞いちゃうと、ビジュアル型人間akyaとしては、あっという間に目の前に景色が広がっちゃう。まだ新芽の出そろわない林を横目に、大型機械が斜面を登る。おおきな歯車が回って逞しく地面をほじくり返していく。どこまでも。やがて、黒々とした斜面が空まで一面にせりあがっていくのだ。その麓に、一列に並んだ野良着姿の奥様方が腰をかがめている。この世の果てまで黙々と百合の球根を植える。せっせと。そりゃもうせっせと。

私は今ぼやんとこのきれいに花開いた百合を眺めながら坂道を登ってる。キレイなんだけどね、すごく。でも、ずっと、不思議さがぬぐえない。観光って、なんだ?
とはいえ、花は純粋にキレイだし、登り切ったスキー場中腹の風は気持ちよく汗を冷やしてくれたし、レストハウスのソフトクリームは美味しいし。だれかがキレイに敷き詰めてくれた観光のレールの上を、はみ出さないように気をつけて、てくてくと歩いた。べつにそれだけのことだ。小難しく考える方がオカシイ。夏休みなんだからさ。フツーに楽しめばいいのさ。妖艶な、または無垢な百合たちに挨拶しながら。

露天風呂は気持ちよかったし、御夕食の唐揚げはさくっとしていて美味しかった。お店から外に出たら、夏休みの匂いがしたよ。お囃子の太鼓も聞こえた。


2005/8/14(日):パエリアなともだち

Sappyとりょーちゃんとゆうくんが来た。なんか、見るたびにみんなちょっとずつ大人の顔になる。今回はなんと秋田からプレオで帰郷したそうな。いやはや。私がオバサンになるのもそりゃ無理ない。少年たちよ、すくすく育つがよいさ。そいでもって私だって、すくすくと憧れの不良オババになってやるさ。そう、いつかなんのしがらみもなく、へ?仕事って何?そんなもの、もうとっくに卒業したわよ〜って笑いながら、駆け抜けるO2Sの風に乗ってワガママな気分に任せてドライブ。うーん。それが私の今のとこの未来予想図であろうか。いいな、不良オババ。

ま、それはそれ。で、みんなでパエリアなのだった。私はサフランを水に浸して、イカをさばいて、魚を切って、にんにく刻んで、あと何したかな?りょーちゃんとSappyとはおしゃべりしながら楽しげにエビをムキムキ。
――背わたは2匹しかまともに取れてないから。
って、おい。
自炊できないと家訓に触れる?ゆうくんの玉葱みじん切りは慣れたモノで感心。そこに、すかさず
――こっち、切り離さない方が早く切れるんじゃん。
の兄の助言。いや、今日的課題をクリアできたご家庭で。

私のレシピをプリントアウトしたモノを眺めながら、ホットプレートでつくった。炒めたりかき混ぜたり、火加減したりは少年たちの仕事。包丁やらボールやらを洗いながら私は横でごちゃごちゃ言ってただけ。面白かったな。で、パエリアはちゃんと完成。イエイ。きれー!ごうかー!!

もくもくたべた。うまい〜。せっかくりょーちゃんがさばいてくれたブナシメジを入れ忘れたお馬鹿な私の副産物で仕上げたきのこサラダも美味しかったし、うん、満足満足。

そのあとはお決まりのスコットランドヤード。泥ボーSappy逃げ切り。そうか、りょーちゃんのTシャツのルパンも逃げ切ってたな。やられた。

次に会うのはいつかな。こんどは暖炉の季節かな。


2005/8/17(水):明日は大阪へ

教育研究集会の全国大会が今年は大阪で行われる。私は明日から足かけ4日間、大阪に。群馬県の代表提案者としていくのだ。なぜに私が?いまだに納得がいかない。まだ、一度も
「はい。分かりました。提案します」
なんて言ってないのに。なんか知らないけど、え〜、イヤなんですけど…とぐだぐだ言ってるあいだに提案者というモノになって名前も演題も中央に報告されてた。
提案する分科会は「文化創造 部会」
で、私の提案は「子どもが輝くとき―リズム構成「オンチャと三コ」のとりくみを通して―」
ま、いつまで駄々こねててもしようがないので(って、もう十二分にこねてる)明日はもういつものまな板の上のコイ気分で行ってくるのだ。が、私の実践が本当に全国から集まる教職員や保護者の皆さまに、意義のあるモノになるのかどうかはかなり不安だ。でも、私の実践は、言ってみれば群馬県中に沢山いらっしゃる、またはいらしゃった諸先輩方の実践におぶさってできあがったものだ。だから、できるだけ、群馬の意欲に燃えた教育者の先輩方がどんな思いで子どもたちに真向かってきたのかを、伝えられるようにしたいと思う。

県内の小学校教師のあいだでは、この時期になると、こんな会話が交わされる。
「ねえ、今年の運動会は何やるの?」
運動会って言ったら、何をヤルもないだろう。運動会だから運動会をするのだ。かけっことか、綱引きとか、リレーとか、玉入れとか…の話ではにのだ。運動会で何をするのか、それはすなわち、その教師が運動会をどうとらえているかが如実に語られる話題なのだ。何が指す物は「表現運動」のことだ。

表現運動というのは、一般的な小学校では余興的な存在だ。お遊戯とか、フォークダンスとか。まあ、少し気合いの入ったところでマスゲームなんかもある。子どもたちは流行りの曲に合わせて場合によってはボンボンとか、縄跳びとかを持って可愛くお尻を振って踊る。うちの息子の場合は「ちびまるこちゃん」とか、「モーニング娘。」とか、「クレヨンしんちゃん」とかの曲に合わせて踊ってた。恥ずかしそーーーうに。見ているこっちだって、可哀想で思わず目をそらしてしまう。そんな時はニヤニヤ笑いながら近所のお母さんと世間話を始めるしかない。またはプログラムを見ながら、次のリレーのベストショットポイントはどこかなんてことを検討するのにうってつけの時間だ。
それだって、子どもにしてみれば運動会に向けて貴重な時間をさいて振り付けを教え込まれ、隊形を整えさせられ、やる気を見せないと叱られして日々過ごしてきた成果なのだ。でも、恥ずかしい。男の子などは特に目を伏せていたりして気の毒に思えてしまうことすらある。

しかし、10年前に、初めて小学校に転任したとき、先生方が何をする?と話し合っていた内容は全く違った。民舞にするか、リズム構成にするか。学年の子どもたちの実態はどうなのか、この運動会で何を高めたいのか。そんなことを踏まえた上での「何をする」だったのだ。そして、「リズム構成」とは、中学校しか経験のない私には初めて聞く言葉だった。

今年もあの藤岡で過ごした二日間の充実した「リズム構成を創る会」の時間は2学期の私を支える大きな基礎になった。あんな風に自分の体でもって、本物の文化を子どもたちに伝えようと精一杯になる教師が、かつては群馬県中にどっさりといたはずだ。けれど、残念なことに、今では「子どもを育てる」運動会を目指すことが困難になりつつある。「行事の精選」「授業時数の確保」のお題目のもとに、運動会はその全てが余興的な存在に変えられようとしている。運動会のために練習時間を割くなんてもったいないのだ。そのぶん、1枚でも多くのプリントを解き、1字でも多くの漢字を覚えさせるべきなのだ。運動会を子どもを育てる貴重な取り組みとしてとらえてきた教師にとっては、衝撃的ともいえる、ここ数年の学校の変貌。でも、何とかして子どもたちにいい教材を手渡したい、と、短い練習時間をやりくりして、大切な内容を涙を呑んでそぎ落としながらも、リズム構成を子どもたちとともに作り上げ、素晴らしい成果をあげている教師が、今も、あちこちに残っているのだ。
でも、私は再び中学校へ転任し、もう、子どもを育てるなんて言う理想へ向かう闘いから離れ、学力向上と生徒指導の嵐をいかにかいくぐって美術をい楽しく教えるか、ということに躍起になっていた。
もう二度と、リズム構成は踊らないだろう。そう思いながらも、夏の創る会には参加し続けていた。自分のために。でも、チャンスはやって来たのだ。2度目の小学校勤務となった。

けれど、今度の小学校は全く雰囲気の違う学校だった。ここには書けない。批判しか書けないからだ。でも、運動会の時期が近付くと、ひょんなことで表現は全部あなたに任せるから、なんでもいいから適当にやって、という事になってしまった。すごい!なんでもいいだって!?本当に何でもいいの?じゃあ、やることは一つしかないじゃない!

そうして去年の「オンチャと三コ」は発表されたのだ。校長先生を巻き込んで。子どもたちは朝練したくてうずうずしながら。男の子も女の子も廊下を踊りながら移動し、歌いながら雑巾がけした。みんなが夢中だった。

そんな話をしてくる。明日から大阪で。


2005/8/21(日):くいだおれ記録

大阪で学んだことはあまりに多すぎて…日本中にはまだまだ呆れるような数の骨のある教員がうじゃっといるということですよ。何にも分かっていらっしゃらない方々が教育行政にしたり顔でおさまっていらっしゃる今日にあっては、教師にとって、わけのわからない劣悪な環境が次々放り出されてくるけど、だからこそみんな、守りに入っちゃダメなんだよね。相手の上を行く手腕の、そしてあくまで明るく、堂々とした、「攻め」の姿勢の実践例に唖然とするやら励まされるやら。私の報告にもたくさんの方に共感して頂いて応援して頂けて、充実した旅だった。

それはそれとして。
真面目にとらえるなら正直、へとへとなお勉強の日々だったので、意地になって別のことをここには残しておこう。大阪といえば食いだおれだもの。さ〜て、何を食べたのだっけか。おいしい物をたらふく食べて太って帰ってきたかといえば逆に体重は減っていた。沢山歩いたからかな…。まあそんなカンジで4日間のくいだおれ記録。

1日目朝&昼@新幹線;<崎陽軒>特製シウマイ <すえひろ>天むす
    夜@道頓堀;<串屋>串揚げバイキング
2日目夜@道頓堀;<店不明>すき鍋 <本家大たこ>たこ焼き
3日目夜その1@鶴橋コリアンタウン;焼き肉 キムチ
    夜その2@梅田駅ビル三番街;<活>串揚げ
4日目昼@天保山マーケットプレース;<餃々(チャオチャオ)>餃子三昧
    おやつその1@天保山マーケットプレース;<京丹波>焼きポン栗
    おやつその2@大正区;<いちゃりば>ソーキそば ワタガラス豆腐
    夜その1@新大阪駅地下食堂街;豚イカネギ焼き
    夜その2@新幹線;焼き鯖寿司弁当 

…こうして書き連ねてみると、なんというか、さすが大阪!ってカンジです。おきまりの粉モノ食の他にも、地域によっては韓国料理や沖縄料理やらのnativeなお店も集まってる。大阪のフトコロの広さ深さに感動!
さ、夏のオタノシミはバッチリってことで、ぼちぼち9月の背中が見えてきたゾ…。さてさて。


2005/8/30(月):夏のおわりの思い出と

土曜日は3万発の花火を見た。いろいろな言葉たちにくすくす笑いを誘われながら。

わぁーすごい…!きれい!……素直に感嘆符をとばすひと。
お、めずらしい色だ。柳の先の青い光り具合がいいねぇ。……いちいち評論したいお方。
おぃ、今年はあんまり盛りあがらねぇじゃねぇか。よっ、と。なぁ、そりゃっ。ん〜んだよ。なぁ。いやイマイチだなこりゃ。……ツッコミ盛り上がり野次り倒すひと。
イェ〜イ。オー!イケー!ダァ〜!……無差別お祭り人間。

職場の仲間とそのご家族と、今年は偶然が重なって花火大会見物をご一緒させて頂くことに。絶え間なく繰り出される閃光を浴びながら隣の人の顔がきらきらてかてかと光ってる。花火の心地よい爆裂の震動にすこし揺らぎながら私は何も言葉にできずに空を見つめていた。あまりに煌めきすぎるひかり。私はひとつも捕まえられない昆虫採集の帰り道のような気持ちになった。背中に肩先に、仲間のいる居心地の良さを噛みしめている。あったかいから余計に涙が滲む。
こんな時こそなんにも言えない。声に出した刹那に総てが失せて消えてしまいそうだから。

夏のお別れを惜しむには賑わしすぎるしざわざわと騒ぐこころの闇を鎮めて欲しいのだけれどその灯りでは眩しすぎて遠すぎて。

さて、しかたないから今夜はビールを飲んで、こっそりあなたの真似をしたよ。絞った声で私も叫んでみた。そんなに簡単に泣くもんか。……私は…わたしは何にもなれなかったけれど。