200/~8・ああ、怒濤の小学校!

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2004/5/1(土):はたらく場所があるだけらっきーだぜ

ふっ。ようやく、というというか、いつのまに、というか、5月じゃないか。
3月中頃にどうやら私は転任するらしい、という噂を聞きつけ、身辺整理をし、22日に正式に内示を受け、なかばヤサグレつつも、小学校での国語やら算数やらの授業への魅力もまた捨てがたい期待へとつながってた。ま、そこに子どもがいて学校があれば、ぶっちゃけ、どこだって馳せ参ずるのが教師の仕事。小学校だろうが、中学校だろうが、高校だろうが、免許持ってる以上、どこだって行ってやるさ、というのがまあ、本当のところでもある。

でも、1年2年と担任し、美術の授業だって3年間を見通して計画していたというのに、ここで、ほい、他へ行けって言われるのはやはりむなしいものだ。校長は、「体を第一に考えたら小学校の方がいいだろう、良く治してからまたすぐ中学校に戻れ。あんたは中学教師に向いてるよ」と、慰めてくれたが、いや、何に向いてるかなんて問題ではない。人間の心の結びつきを、コンセントからプラグを引き抜くみたいに簡単にぶちりとやられちゃあ、たまらないよ。ってのが実際の所だった。

ま、そんなこんなで同じ市内のベテラン先生がぅじゃっといる小学校に転任した。

気になることが一つ。新学期準備の春休み中、一緒に女性教員の皆さまと食事に行ったのだが、
「4年生って、どんな雰囲気なんでしょうね?」
と、たずねたとき、一瞬、シーンとなり、
「ゴメンねー…」
と…。ん?

学校全体の雰囲気はすごく落ち着いている。否、私のクラスをのぞいては。…っていうか、おまえら、今まで何勉強してきたのさ?って言いたいくらい天衣無縫だ。なにしろ、授業中、ふと思いついたら席を立って、とことこ教師の所へ来てしまう。
「ねえ、せんせい、今日の宿題ね、漢字のノートおいて行っちゃったから国語のノートにしたけどいい?」
…あのー…。いま、算数の授業中なんだけど。
一人立ち上がると、続けて何人も「思いついて」しまうのだ。
「ねえ、せんせい、今日の体育ってなにするん?なんかね、わたし、あたま痛いからできないみたい」
「ねえ、せんせい、オレの給食当番のエプロンねえ、ボタンがはずれてて留められないんだよ」
「ねえ、せんせい、こんどオレのうちのお父ちゃん仕事かわるんだって」
…………………ああ、そうそりゃ大変だね、わかったからさ、算数の時間は算数だよ!ね!いい!?
「ねえ、せんせい、こんどの日曜、ディズニーランド行くからおみやげ買ってきてあげるね」
「いらない!いいからキミたち、算数しよう!」

気がつけば、私の周りには子どもたちがぼこぼこと6.7人は集まってる。おい!散れ!戻れ席に!3年間も学校に通ってて、授業中のルールってモンをおまえら身につけてこなかったのかぁぁぁ!

2年生や3年生なら許す。しかし、こいつらは委員会だのクラブだのって、高学年の仲間入りをしていいはずの4年だ。あきれるやら途方に暮れるやら。しかも、算数は少人数クラスといって、2クラスを3教室に分けて実施している授業だ。指導案もみんな3クラス同じ。私だけ極端に遅れるわけにもいかないし、この展開じゃあつまらないからといって私だけ独自の授業を展開するわけにもいかないのだ。たのむよ、おい。

…というわけで、あの五里霧中状態のお嬢ちゃんお坊ちゃんを1時間椅子に縛り付けておくために、寸暇なく課題をくりだしてガンガン勉強させている私であった。パワーが有り余ってるのだ。とにかく、悠長なペースで生きている子たちじゃあないのだ。ぐいぐい引っ張ればその分ずんずん伸びる。見方を変えれば、非常に面白い子どもたちをもらった。
「ゴメンねー…」
と、色んな先生がおっしゃる意味がわかった。ああ、受けて立とうじゃあないの。


2004/5/3(月):越後闘牛!

今年も、牛太郎に会いに越後闘牛を見に行ってきた。小千谷の闘牛場で見る「角突き」。今年も勢子たちの勇姿と牛たちの闘志に感動して帰ってきた。
去年、偶然に出会った越後の角突きにすっかり心を奪われてしまった。
「ソラ!ヨシタアァァ!!」
男たちがかけ声を掛け、牛の鼻から綱を外し、空高く放り投げる。と、1000kg近い巨体を踊らせて牛たちが角をつき合わせる。ズン!ゴキッ!と、鈍い音が轟く。すり鉢状の闘牛場の中央には20人近い勢子たちの輪ができる。それぞれいなせにはっぴやつなぎを身にまとって、頭にはタオルのねじりはちまき。足下は地下足袋。手を叩き、声をあげて、牛たちに威勢をつける。砂を巻き上げ熱い鼻息とともに牛たちの格闘が始まる。大きな体は地を揺らすかのように砂をけり、頭をすりつけ、幾度も相手に角を突きつけて鈍い音を響かせる。目は真っ赤。
昨年の5月3日、こんなすごい文化を知らずにいたなんてと、仰天して帰ってきたのだった。そして今年、再び小千谷闘牛場を訪れた。

たくさんののぼり旗。牛たちに勢子たちに出されたご祝儀を紹介する条幅の垂れ幕がたなびく。初夏の暑さに加えて観客の熱気につつまれて昨年以上に大盛況の小千谷闘牛場。初日の今日はまた見事に晴れた。甘くて香りの良い樽酒も振る舞われて、akyaも上機嫌。
たまたまお隣に偶然座った初老のおじさんが、またかつての闘牛関係者だったようで、どう見てもにわか闘牛見物客の私に、話しかけてきた。
「ありゃね、横綱級の牛だよ。ああ、いい牛さあ。去年は組んでるときに角が折れたんだよ」
取り組み前に顔見せのため場内に連れてこられる牛たちを見ただけで、おじさんは名前も、去年の取り組みもすらすらと解説してしまう。すごぉおおい!おじさんおくわしいんですねえ!と、また調子の良いワタシにおじさん気をよくしたらしく、いっそう親身に次々と対戦する牛たちの解説をしてくれた。
「こりゃあね、いいケンカになるよ。コイツはいい牛だから。あの角がね、かけ方が上手いんだよ」
私がはるばる前橋から来たというと
「おねえちゃん、群馬から?この闘牛が見たくてかい?」
目を丸くして驚いていた。

時に血を見る真剣勝負なのだけれど、その中にそこはかとなく漂う牛たちへの愛情を感じる。勢子と牛主と観客とが一つところを見つめながら手に汗して本物の戦いの美しさに酔いしれている。この戦いは一方が力尽きるまでの決着をつけない。ほぼ存分に戦ったと見たところで、勢子長の合図によって、勢子が一斉に動き出し、牛の足に綱をかけ、両雄を引き離して素早く牛の鼻を掴む。血気盛んな牛によって地に倒される勢子もいる。牛同志の戦いのみならず、ここに割って入る勢子の勇ましく手際の良い様が、また一つの見どころだ。

ああ!堪能したゾオ!

牛太郎は可愛い顔して、今年も東山小学校の子どもたちに引かれて登場。今日1番目の取り組みだった。始め、戦うのなんかコワイよおというカンジで逃げまわってたりしてご愛嬌もありだったけれど、最後にはしっかりと額を会わせて組み合った姿はさすが越後の赤牛。来年はどんな姿を見せてくれるのかな。今からもう楽しみ。
あ、あのおじさんにも、また会えるといいな。


2004/5/8(土):COUNTDOWN

さていよいよ29日が本番だ。合唱劇「カネト」。練習も大詰め。前日のゲネプロも含め、芝居稽古も全部出かけていったとしてあと7回。合唱だけの練習は後たったの2回しかない。いよいよだなあ。

私は今でもこの合唱劇には多くの疑問を残している。学先生には叱られてしまうかもしれないけれど、私が演出するわけではないのだから、納得が行かなくて当然だと思う。私の理解と思いと、演出家や音楽監督の思いがそれぞれ違うのは当然のことだ。歌いながら指導者の意図を感じとり、台本を読んで自己の思いを膨らまし、また歌いながら全体とのすりあわせをしていく。やはり、どうしても疑問は残る。でも、私たちにはそれを合議しながら創るような機会は与えられない。私たちは歌い手だから、
「他のことを気にする前に、自分たちが今目の前にした課題を追求すべきだ。」
と一蹴される。満足に歌えもしないくせに、何を言うか。余計なこと考えてるヒマがあるならちゃんと歌え。…まあ、それは道理なのだ。歌い手はまずとにかく歌うのだ。それが第一。
でも、私たちは人間だ。プログラムどおりのことしかやらない賢く大人しいマシンではない。さらにそもそも私ら美術の人間は納得せずに指示に従うような従順な生き物ですらない。そこが集団の中で表現活動をしていない私らの欠点なのだと自覚はしている。もともとコロスには不向きなのだ。

でも、合唱は面白い。たまらなく面白い、と思う瞬間に常に出会う。響きあうという行為そのものが何とも言えない心地よさだし、一人では創り得ない大きなうねりが生まれる。そこに自己を溶かし込んでいくことの快感を知ったら、なかなか抜け出せない魔法を見てしまった。だから、やっぱりまだまだ追求したいと思う。歌い続けながら根幹につながる巨きな求心力を持ってのぼりつめていきたい。その極みに立って自ら心から感動する瞬間を求め続けている。
そして、だから、いつまでも悩み続けている。それは完成を見ないのだと思う。簡単に、「完成させたい」「いい物に仕上げたい」等と言ってのけるようなたやすい取り組みではないと思っている。

きっと疑問を残したまま私は舞台に立つ。舞台の上でも表現しつつ追求を続ける。それはもう間違いのないことだ。精一杯、舞台に立とう。学先生の思いや演出さんの思い、役者たちと、私たち合唱隊一人一人の思いが一つの歌になり、舞台空間を創り、観客をとり込んでいくのが楽しみだ。

29日。うん。もうじきだ。


2004/5/28-29(金−土のあいだに):さあ歌おう

昨夜は会場でゲネプロがあった。朝から仕込まれた舞台装置にのって、全ての音響効果と本番どおりの照明を味わった。私はなんと言ってもこの瞬間が好き。まだからっぽの客席に光の渦が踊る。非常口の緑のLampがやけにまぶしい。幕が上がってピアノがうたい出し、それから会場の空気が私たちの音楽で染まっていく。隅まで。ずうっとはじっこまで。空気の匂いが変わる。照明がわたしたちひとりひとりの体をくるりと包み込むと、大きくのびをするようにお腹の底から足の裏から、嬉しさがいっぱいに駆け上がってくる。…それが声となって私から飛び立っていくんだ。
ああ、この感じ。いよいよ完成に向かって最後の崖を登り詰めていくような、気のはやる仕上げの作業。誰もが表情を輝かせ、あたためてきた自己の思いを奔流に投げ出す。本番はもちろん楽しいけれど、私はその「いよいよ」なゲネプロの時の空気感がいちばん好き。

いよいよ、今日、たくさんの人とまた想いをわかちあう時が来た。
また、あの照明の下に立てるんだ。さあ、歌おう!


2004/5/31(月):振り返る…

一昨日、あのひかりにつつまれていたのは、本当に私たちだったのかな。
幕の下りる刹那に、頬を熱いモノがあふれかえって流れていったのは
ステージの板裏から体を突き抜けてほとばしり出たあのエネルギーは
夢だったとしても現実だったとしても、今のわたしにはとんと見分けがつかない。

もちろん本当にあったことだけれど。

舞台を見に来てくれたたくさんの友人や知らない人たちが、素敵だったって。
昼の部が終わって、その言葉に、できることなら私も客席からみてみたいと思ったけれど、
その必要なかった。
だって、歌うと、私の眼前にはくっきりと見えたから。
北海道の平原をかすめて吹きすぎる風
どこまでも高く突き抜ける空
天竜のそそり立つ岩壁
ホコリと油とセメントにまみれたあなぐらの匂いまで
哀しい男たちと光にあふれた子ども時代の夢も叫び声も
冷たい雨も雲間から差す陽も
小さな心の震えも
大きな掌に掴みそこねたしあわせも

人間に生まれて良かったなあ…っておもった。だってなんでも見えるんだよ、見えないものまで。


2004/6/1(火):合唱劇「カネト」を振り返って…思いがけずに時間をもてあましてるから

なんてことない、間違いなくあのときから高熱を出していたのだ。たしかに、歌っているとき、嫌に汗が流れた。でも、照明が熱いせいか、衣装の通気性が悪いせいだと思っていた。そして、変な話だが、すごく寒かったのだが、舞台端の私のところだけ風が吹き上げてきているせいだと解釈していた。5月29日。合唱劇カネトの本番の日だった。
昼近く、どうも体がかくかくと震えてきた。でも私自身は、
(ん?珍しく緊張してるのか?なんか震えるぞ?)
とか
(やっぱ本番は体のシンが熱いゼ☆ふっふっふ)
とか
(うーん、汗が流れるなあ…舞台って体育会系なんだなあ)
とか
(やっぱ、今日はいつもより体使ってるんだなあ、だるううう。もう立てそうもないや。へとへとだぁ…)
とか思ってた。ああ、かんちがい。
でも、実際、具合悪いなって思ったとしても、本番の最中に具合が悪いなんて、仲間に心配かけるようなへまはしたくない。だから、ま、舞台では何事もなかったんだからよしとしよう。うん。
で、翌日、だるくてだるくてずっと寝てたのだが、相変わらず、のーてんきな私は、舞台で全力を尽くしたせいだと勝手に自己満足していた。さらに、妙に寒いような熱いような、変なカンジはお天気のせいにしていた。夜中には体の節々まで痛くなり、特に頭と腰が痛くて痛くて何度も目が覚めてしまったが、ああ、トシねえ私も…なんて思ってたのが、あらおばかさん。翌朝ようやく、(やっぱ、なんかこりゃ変だ!)と思い、熱を計れば38.2℃。ああ、この熱、一体いつから出てたのかしらん?

で、結果として医師の診断は腎盂腎炎だということだ。排尿の良くない状態が引き起こした感染症?それはやっぱし首からの神経と関係してるんだろか。もおおおおおお、また病気い〜?いい加減にしてくれといいたい。熱は38℃〜39℃越えを繰り返している。やれやれ。

で、下の日記は、また学校休んじゃったから、昨日ノンキにも書いてみた。そして今日も書いている。本当はいちいち振り返るなんて私の性分では無いのだけれど。でもさ、ただ休むのってシャクじゃないか!


2004/6/2(水):あわびも病気

いま、猫のあわびは寝たきり。ずっと元気だったのにな。
あわびにはしっぽがない。もう4年くらい前、交通事故で腰椎と尾椎を打った。その後遺症でおしっこが出なくなっちゃったからしっぽを切った。脊髄の神経が排尿と関係してるんだよね、それ、私といっしょ。あわびもそれで苦しんでる。
症状は良いときも悪いときもあって、元気いっぱいなときと、膀胱がパンパンになってぐったりしちゃうときとある。今はその中でも悪い時みたいだ。

ぎゅっとお腹を掴んでおしっこを絞ってやる。あわびは苦しそう。でも放っておくと危険な病気になってしまうらしい。
ごめんよ、あわびぃ。
あわびには自分が病気だって事はわかっているんだろうな。
今日はお腹をぎゅっと掴んでも嫌そうに前足を突っ張るけれど鳴きもしない。
ごめんよお。痛かった?
目をのぞき込んでそう言ったら、「にゃあ」と言った。
ん――――−−−…。
ごめん。早く良くなろうな、お互いにさ。


2004/6/3(木):ちょっとヨイ日

学校休んどいて良い日だなんて、そんなこと言ったら叱られるかもしれないけど、ね。

いいことその1:榛名荘の職員の方が掲示板に書き込みしてくれた。もんちゃんありがとう♪
いいことその2:あわびが少し元気になってご飯を食べたがるようになった。
いいことその3:私の熱も少し下がって、37℃台を行ったり来たり。もうガタガタ状態は脱した。ふう。
いいことその4:ネット上でキヨちゃんのフリーター・ソング発見。購入してDL。ふふふ。
        ♪たとぉえばぁ〜なぁつのぉ〜ふじろっくふぇすてぃばぁる〜♪
いいことその5:お洗濯した毛布が、いい匂い☆

小さなヨイことがつながって、よい気分。ああ、早く学校行きたいなあ。


2004/8/16(月):とりあえず

日記をまた書くことにした。ここ数ヶ月を振り返ってみりゃ、日記も書けないほど忙しかったわけじゃあなかったし、それなりに楽しいことも感動したこともあったのだけれど、「…のだけれど」付きだったのね。つまり。

とりあえず、人の悪口なんかここに書きたくない。だけど、あんまりにもあんまりな奴らが多すぎる。おとなも。こどもも。どうしたの?みんな?自分大好きな人間しか生きていけない世の中がもうすぐそこまでやって来ているみたい。

けど、とりあえず、転がり続けるしかないんだ。結局のところ。私は私のペースでしかやっていけないのだから。子どもたちの荒みっぷりに心いためてはみたけれど、結局のところ、私は私のやり方を根気強く貫くしかないなと思う。自尊心に盲目になった保護者の中傷めいた台詞になんかびくりともせずに、正しいことは正しい、違うことは違う、と、そう静かに繰り返すことを今年は続けるしかないと思い知らされた1学期だった。ああ、やっかいな時代になりました。

まあ、がきんちょたちは夏休みなので、私も少しばかりの夏季休暇をもらった今週。相変わらず朝は洗濯機をONしてのんきにランニング。シャワーを浴びて朝ご飯食べてちょこっと部屋の掃除してごろん。掃き立ての畳の上にあわびといっしょ。いいきもち♪
田んぼの稲はうっすらと淡い黄みがかった色に変わってきた。出穂したのです。風の匂いがふんわりと甘くなる。
日陰のカサコソはコオロギの後ろ足。ぷちんぷちん、と、まだちいちゃなイナゴがはねる。秋の顔が見えてきた。


2004/8/18(水):散歩道

いつもの散歩道。稲穂が花をつけてさやさやゆれる。
「あ〜わ〜び」
と呼ぶと
「んにゃあぁぁぁ」
とこたえ、とっとっとっと…とついて来るあわびと。畦道へ。

ん?あれ?田んぼの真ん中でじいっとしているあの人は?

近くへ行ってぎっくり。
「う…うわあぁ…ハイカラな弥次郎兵衛さんだあ…」
なにげにヘアスタイルが今風で。アップで見るとさらにシュール…。
(←click please)
「あわびぃ〜コワイよお。早くさよならしようね」

ところがあわびったら。
「よ。どうだい。ここんとこ」
「ん…まあぼちぼちさあ」
「オレもさあ、散歩付き合ってんだけど、人間ってさ、ま、勝手だよな」
「ご苦労。まあ、お互いうまいとこやってこうや」
「ん。じゃ、な、がんばれよ」
「ああ、そっちもな」
しばしのあいだ目と目を合わせて会話しているふたり。
(←click please)
へええ。あわびとコイツ、そんな関係だったのかあ。

「じゃ、な、おれは飼い主の散歩に付き合わなきゃならんからさ、な」
「にゃ」っと短く鳴いて
あっけにとられている私の方へとすたすたやって来たあわび。
「にゃああにゃあにゃにゃにゃにゃああああ」
鳴きながら。
きっと
「オイオイ、少しくらい待っててくれよ、全く人間はせっかちだよな、ちょっとさ、知り合いと会っちゃったからさ、悪かったな、な、」
てなカンジか。

あわびの知られざる交友関係。……なんか感動した。


2004/8/24(火):夏休みの終わり

今日で、私の夏休みはオシマイ。今年は土日を入れて15日くらいは休んだかな。やろうと思っていたことはまた今年も半分くらいしかできなかったけど、まあまあなお休みだったと思う。
先週の金土日と3日間のうちの18時間ほどを、リズム構成を作る会で過ごした。久々に懐かしい仲間に出会えたり、今年初めての顔に出会えたり、楽しかったし、しこたま疲れた。もう体中筋肉という筋肉がみんな悲鳴を上げている。けれどこれがまたカンドー。体が痛いって面白いことです。わざとヒーヒー言いながらぎくしゃくと階段下りたり、しゃがむのがイヤだから前屈して床のものを拾い上げたり。この痛みが懐かしくて嬉しい。さあて、2学期、運動会漬けになってやるぅ!
明日はプール当番であさってはマーチング指導。その次は1日出張。着々と8月は過ぎていく。
けさ、ランニングのコースには草陰で途切れることなくコオロギが鳴いてた。秋だなあ。夏休みは大好きだけれど、なぜか今年は終わっていくのが哀しくない。だって、また仕事ができるんだもの!去年の夏とは大違い!!
真っ黒に日焼けして、走ったり歌ったり泳いだり…こんなに元気に過ごせる日が来るなんて、去年の今頃は夢にも思わなかった。手術した日からもうじき1年になるんだな。


2004/8/30(月):この想いをまとめておかないと明日への一歩を踏み出せそうにないから

先日来、胃がぎゅっと痛む。強い不安に襲われている。何がどうしたっていうのでもないのだけれど。
私は時々自分でもはっきりとわかる情緒不安定になる。それはもうずっとまえから。夕食後、言いようのない不安に突然泣き出した自分に驚いた。子どもの頃。けれど、今はもうそんなに真っ直ぐに表現するには大人になりすぎた。むしろ、はしゃいで笑ってごまかしてしまう。楽しくなんかないけれど、そうしてしまうのだ。自分を奮い立たせようとしているのかもしれないし、この不安に罪悪感を感じているのかもしれない。だって、こんなに幸せに過ごしているくせに、悩むなんてけしからん……。哀しい人生を送っている人はたくさんいる―――愛するものを失う人も、死に脅える人も、理不尽な権力に屈さねばならない人も―――なのに訳のわからない不安に怯えているなんて、おい、おまえね、そんなナルシストになんかなってんじゃないよ。って。

けれど、困ったことに、それは突然やって来て私をしくしくと蝕んでいる。どうしたっていうのか、やけに上手に私を支配してしまった。きっかけはなんだ?

私はずっと一人のこびとを心の中に住まわせている。それは紅い服を着て鼻歌を歌っている。彼はある日突然私を抱きすくめて私の体を通り抜け、それから突然去っていった。多分、私という殻を脱ぎ捨てて、彼は羽化したはずだ。私自身を抜け殻にして。けれど、私は生身の人間なので、抜け殻となっても生きていかねばならないのだ。だから自分で彼を、こびとを心の中に作り上げて住まわせた。レプリカだ。それ。

共生できないことなんか知っている。頼るべきは他の腕なのだということも。なのに、なぜ、あの感触がそんなにも愛おしいのか、それって一体どんな意味を持つのか。知っているけれど認めたくはない。それは自己愛だ、ただの。こびとの幻影に振り回されて胃を痛めてる場合じゃあない。自分で私をコントロールすることができるはずだったのに。
けれど、まだ追い求めている。無い物ねだりだろうか。

ふっきることはできそうにないけれど、台風が近づいてくると体がとても重いから、一層むきになって走ってしまう。自分は大丈夫なんだって自覚したい一心。それが空回りの原因をつくっていると気付いているのに。
本当は素直に泣き出したらいいんだ。大人だろうがいいじゃあないか。なのに、きっと次のリアクションも見えるからできない。さて、このまま笑顔を纏っていればかさかさの抜け殻が身に馴染んでくれるのだろうか。いずれそれが本物の表情になってゆくのだろうか。

今夜は思い切ってあまあまの自分に溺れてみることに。情けなく安っぽくだらしなく自分を慰めていたら、やっぱりいつものように、まあ、いいや、淡々と時が気分を風化させていくだろうという気がしてきた。そうなんだ、いつだって、哀しいことにそして有り難いことに、目の前には宿題が山積してるし、明日登るべき山は累々と続いている。この日常が私の調教師だ。今は素直に従う。紅いこびとが退屈してあくびをしてくれたらいいな。イヤ、本当は心からひょいと取り出してもう一度手をつなぐことができたらいいのに。


2004/8/31(火):それはそれとして

さて、夏の終わり。
もういい。じゅうぶん手足を伸ばしたから。あの言葉の響かない喧噪の中で、平常心を保ちつつ仕事ができるかどうかは別として、これだけ無口になれば、そろそろ口を開いてもいいだろうと思う。
子どもたちの夏休みは今日で終わり。さあ、いいかい、明日からはね、ワガママだらけではいられないよ。Ice CreamもPotato Chipsもないし、お母さんがさっき掃除機かけた絨毯の上で好きな時に寝転がったり、じいっとテレビの前でお利口なゲーム機にお守りされてるわけにもいかない。
そのかわり、自分で雑巾がけした教室で机に向かってたくさんの問題をといたり、友だちに悪口言われて筆箱を隠されたり、全部食べないとお代わりできない給食をお腹に詰め込むことになる。暑くてもエアコンはないし、喉が渇いてもJuiceはない。
だけど、仲間がいるし、表現するチャンスはある。自分のひと言にきちんとリアクションしてくる世界が再会するわけだ。それは断じて楽しい。

私は仕事が好きなんだと思う。うまくいくこともいかないこともあるし、嫌なヤツもかなりいる。なのに、子どもたちの中にいたい。あの、あきれるくらい自分勝手で不潔な足をした嘘つきでワガママな生き物がすごく好き。こりゃ、病気かもしれないね。

さて、8月は今日でオシマイ。大好きな夏よ、来年、また会おうね。さあ、9がつ9がつ。ガキドモ、ザマアミロ。明日からまた、日常ってヤツを楽しんでやる!