200/~3・中学校での3学期

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2004/1/1(木):駅伝!

せっかく群馬県に住んでいながらニューイヤー駅伝を生で見たことは一度もなかった。かつて尼崎市にいて、元日のTVで中継を見ながら、「あ!群馬県庁前の広場だ!」「境町の商店街だぁ!なつかしぃ〜!」「あ、登利平!う〜ん、ぐんまだあ〜」「尾島町役場のとんがり屋根だぁ…」と、身近なそしてローカルな風景がTVに大写しされているという不思議さを味わったことがあった。

で、今年はふと、生を見てみたいと思い立ち、早速出かけた。場所は丁度各チームのエースが走るという二区の交差点付近。ちょっぴり寒い北風に足踏みしながら待つと、やがて遠くの上空に銀色に光る物体が浮上。中継のヘリだ。ピーっと笛の音が響いて交差点に5,6人の警官が走り出ると走路を確保するために右左折車の交通規制が始まった。ほおぉ〜雰囲気が高まってきたぞっ…。沿道にはそれぞれに防寒具を身につけた応援の人たちがずらっと並んでカラフルな小旗を何本も握っている。
やがて広報車や先導車や白バイなんかに続いてランナーが姿を見せた。うわっ!速い!!
先頭集団は五人ほどが混戦状態。美しい足の筋肉とその躍動に私は声も出ない。
「よし!いけっ!」
「がんばれ!」
と声があっちこっちに起こる。
ランナーはそれこそ風のように走り抜ける。全選手が去るまでほんの2分ほどだったろうか。あっけにとられている内に初生駅伝応援は終了。
私のようなにわか応援団でも名前だけは知ってる油谷、坪田といった名選手があの中にいたことは帰宅後のTV中継で知った。中国電力のアンカーが突き抜ける青空のような笑顔で群馬県庁のゴールに帰ってくるところを見ながら。

ああ、素敵だなあ。やっぱり人間っていいぞ、ってカンジですね。
ちなみに50歳までに一度フルマラソンを走ってみたいという無謀(?)な夢を持っている私。膝はいかれてるし去年は頸椎を手術しちゃったりなんかしてて、さて、夢は叶うのだろうか?


2004/1/16(金):まちがいながら

今週はいろんな事があった。いや、正確に言うと普通の一週間だった。教材を準備し予習しプリント類をいくつか作った。美術と国語と道徳の授業した。採点した。成績原簿をつけた。週案を立てた。生活の記録にコメントを入れた。学級通信を書いた。生徒指導した。家庭訪問に行った。部活に行った。総合的な学習の時間の3学期計画を立てて修学旅行のガイダンスをした。何回か叱った。何回か爆笑した。廊下で数え切れないほど「こんにちは」と言った。

3学期が始まって一週間。中学校の日常は結構いろんな事件にあふれている。先生や友だちや先輩後輩との人間関係に疲れた子が学校に来られなくなっちゃったり。家庭生活の荒んでしまった子がちょっと粋がって暴れてみたり。冬休みの宿題がいまだに出せなくて放課後残り勉強してたり。私たちも、こうやって大人になって来たのかな。

学校って、私自身はあんまり好きじゃあなかった。できることならズルをしてでも休みたかった。できなかったけど。
だから、「学校に行きたくない」子達の思いはわかる。本当は気持ちよく学校に行きたくて仕方ないんだってことも。家庭訪問に行って、話を聞いた。その子が言った。
「私に悪いところがあるんだってことはわかってる。だから、反省はしてる。だけど、悪いことしようとしてやった事じゃあないのに、なんで怒られるだけなの?私は一生懸命やったのに。納得がいかなくて納得がいかなくて、考えただけで胸が苦しくなる。何だか、私の全てが否定されたみたいで。私ってそんなに悪い子?」
私はいつも思う。学校は間違うところだ。大人だって間違ってばかりいる世の中なのに、子どもがまちがって何が悪い、あたりまえだ。

まきたしんじの詩「教室はまちがうところだ」の一節

神様でさえまちがう世の中
ましてこれから人間になろうと
しているぼくらがまちがったって
なにがおかしいあたりまえじゃないか

私はいつもそう思う。間違いながらみんなのびていくんだ。それを保証しなくては窮屈で息詰まる社会になってしまう。私なんかいまだに間違いだらけだ。だからさ、そんなに自分ばっかり責めないで。私でよければさ、いっくらでも話は聞くよ。ため込まないでさ、何でも吐き出してみるといいんだよ。それが勉強なんだからさ。でなきゃあ学校なんかいらないよ。誰も間違わないなら、私たち教師は商売あがったり!
そんな風に話してあげられたので何だかホッとした。その子、次の日から学校に来た。


2004/1/26(月):伝書鳩のお仕事

「私、嫌われてるんです。…仲がいいって思ってたから、友だちに自分の言いたいことばかり好き勝手に言い過ぎちゃったんです。だからうざいって思われちゃって…私が悪いんです」
「前みたいに仲良くなれなくっていいんです。私が悪いんだから…だけど…せめて普通に話せたらいいのに…」

先週、そんな風に自分を責める女の子の話を聞いた。そんなたった一度の失敗で、もう自分は嫌われてるから仕方ないって思っちゃう彼女。でも、本当は仲のいい友だちが欲しい、心を許せる友だちが欲しいって、誰より思ってることはその話しぶりからも、時々震える口元からも痛いほど伝わって来て、聞いているこちらが切なくなった。

「ねえ、本当はどうしたい?」
そうたずねたらポロッとおっきな涙がこぼれ落ちた。
「普通でいいんです。普通にAさんと話したい…」
それ、自分で話せたらいいのにね、でも、うまく話せないんだね、じゃ、私が伝書鳩してみようか?ぱたぱたって。

今日、Aさんにそのことを話してみた。
「あのね、一度、そんな風にうざいって思われるような話し方しちゃったから、嫌われちゃったんだって、全部自分が悪いんだからって、Yちゃんはそう言ってるんだけど…でもね、本当はAさんと前みたいに仲良く話したいんだって思う。だからね、私が伝書鳩になって、ぱたぱたぱたって、Aさんにそのこと伝えるね、ってYちゃんに言ったの。ね、Aさんはどう思ってた?私、そのこと、Yちゃんにまたぱたぱたぱたぱた伝えに行くから」

そう話しているうちに、なんだか私の目頭が熱くなってきた。あれ?何で私こんな気持ちになってるんだろ?中学生の友人関係の修復にすこおし力を貸してみたいと思っただけだったのに。
そのうち、気付いた。私はAさんの表情に感化されちゃってたんだ。Aさんはじわっと頬を赤らめていた。目頭がなんだか潤んでいる。
「ん?どうしたの?あ、私何か悪いこと言っちゃった?どうしたの?ね、泣かなくていいんだよ、Aさんは全然悪くないんだよ?」
そう話したらAさんは首を横に振りながら、「ちがう」っと声にならずにくちびるだけ動かしていった。

しばらくして
「私、そんな気持ち、全然わかってなくて…わかってあげてなくて…」
泣きながら一生懸命掌で涙を拭きながら手の甲で目をこすりながら、Aさんは言った。
「私の方が嫌われてるんだと思ってた」

なあんだ。二人とも寂しい思いしてたんだ。二人とも傷ついてて、二人ともこんなにやさしい心の子なんだ。

放送でYちゃんを呼んで、Aさんと話していた部屋へ案内した。Yちゃんは恥ずかしそうに首をすくめながらそっと椅子に座った。
「もうさ、私、伝書鳩しなくていいよね?」
Aさんにそう言ったら小さく、うん、ってうなずいた。だから、二人で後は話したら?って、私は職員室に戻った。

そんな二人の中学2年生の女の子。二人とも涙こぼしながら、それから何話したのかな?
しばらくして職員室に戻ってきた二人、目は真っ赤だったけど、笑ってた。


2004/2/8(日):ああ、休日…

いやあ、休みなしの日々だ。よーし、今日はさぼるぞぉ〜♪ああ、さぼってやるとも!

そんなこと毎日思いながら重い身体をベッドから引きはがし、毎日毎日毎日毎日車のキーを手に取り、重たいノートパソコン(以前は全くそう感じなかったのだが、手術してからこの重さがキツイ)を持っておでかけ。ホントに、毎日いろんな事があるもんだね、学校って。

いい仕事をしたいという、その情熱が失せたら、もう私たちの仕事はオシマイなんだろうなと最近つくづく思う。惰性でやることだってできるけど、それじゃあ、私の価値って何だ?って事になってしまう。そもそも、一軒の家を持って子どもと奥さんを養うことができないほどの教員の安月給。仕事に行ったって、中学生の大半は教師なんかクソ食らえと思ってる。態度の悪いヤツなんかごろごろしてる教室に出かけていって、うるさい注意したり、つまんない授業したりなんかして日々を送ったのでは、こんな人生最悪だあって思っても無理はない。心の病で病休中の教員・自殺する教員が急増しているそうな。…当然の結果だよね。
そんな仕事になぜこだわるのか、正直、まだ答えは出ていない。けど、一人でも、少しでも、私の言葉によって笑顔になったり、目を輝かせる瞬間を持ってくれたらいいな、という漠然とした思いはある。その思い、それだけで、今、私の人生の一部である時間を、この仕事に大量につぎ込んでいる。
だから、この情熱(大げさな言葉だけどそう言うしかないね、もはや)が失せたら、もう、やっていけないな。
あと何年くらい、もつのかな。う〜む…10年くらいが限界?

今朝、起きて、合唱団の掲示板を読んだ。
なんか気が滅入ることだが…みんな、それぞれの思惑の中でそれぞれのしがらみの中でそれぞれの時間を生きている。理想を追えば際限なく、妥協に甘んずれば身も蓋もない。
みんな、がんばれ。ってことだよね。


2004/3/5(金):卒業

今日、三年生の授業が全部終わった。今年は選択国語2クラスと選択美術1クラス、必修美術3クラスを担当していたので、教材研究の点では担当学年の2年生とのつきあいとほとんど変わらないくらい3年生に関わった。昨年度、正直に言うと、私はあの学年が好きじゃあなかった。利己的で下品なジョークの行き交う教室。掃除は基本的にほとんどの生徒がしない。美術室を去るとき、足下に紙ゴミが落ちていればクラスの全員が踏みつけて素通りする。成績に響くと聞けば突然態度を変える。…なんだこいつら。と思っていた。一体どんな風に育てたら、こんな薄っぺらなクラスが出来上がるんだろう?

それはそれとして、今年、去年の様な嫌な空気を感じることは少なくなった。少しだけ、クラスの雰囲気に暖かみを感じた。しばらく授業していて思った。あ、担任の先生のせいか、と。

生徒指導の際に、ただただ画一的な論法で向かおうとする人は、やはり、指導力がないのだろうな。
「そういう決まりなんだから、やるのが当たり前でしょ、ほら、その態度がおかしいの!」
と、いつも叫びまくってた担任のクラスの子達は、悲しいかな救いようなく荒んでた。ちょっと考えてみたらすぐわかることだ。どんな教師が欲しいのかどんな大人を見たいのか。
なのに、なぜ彼女はあんなにいつもヒステリックに叫んでいたのだろうか…。

今年、私は何人かの3年生と少し深く関わり、少し好きになった。
「オレさあ、こんな不細工だから、とうていモテないしぃ」
というヤツに
「そうかなあ、カッコいいばかりの男なんて、逆に傍にいるこっちが居心地悪く感じちゃったりするかもしれないよ。Kなら、その点、女の子に安心感与えられるかも」
「あ!そうか!!オレは彼女の引き立て役になれるってか?そうだよなぁ〜」
「え、先生、Kに変な自信もたしちゃあだめっスよ!」
作品にちょこっと手を入れながらそんな会話をしたりして。そんな話、自然に出来ちゃうとこが中学3年生のいい所。

その子達、もうじき卒業。いい大人と出会ってくれるように。


2004/3/6(土):涙

学区内の老人ホームに、ギターマンドリン部の生徒を連れて行き、ミニコンサートを行った。
施設内のやや広いホールに50人以上のお年寄りが集まった。半分以上の人が車いすに乗って。みんな静か。生徒が楽器を準備する様を黙ってじっと見つめている。なんだか、その視線が気恥ずかしかった。

1曲目は「津軽海峡冬景色」。演歌嫌いの私だが、ギタマンの演奏によるこの曲は見事にはまっていると思う。弦楽器の切ない響きと演歌は妙になじみがいい。
ソデで私は演奏する部員達と客席を両方見ている。不意に、一人のお年寄りに釘付けになった。腰をわずかに浮かすような前のめりで、食い入るように演奏を見つめる男の方。目の縁が真っ赤。なみだ?

1曲目が終わると一生懸命に拍手してくれるお年寄り達。嬉しそうだ。いや、本当に嬉しいんだ。自分の孫のような年頃の子どもたちの精一杯の演奏だから、ただそれを聴くだけでも愛おしくありがたいのだろう。

気がつくと、私の目頭が熱い。え?涙?

最近、強く感動することが無くなった。泣くことも少なくなった。でも、今日思った。逆らいがたい心の震えの中に忍び込む透明な掌のように、そっと静かに置かれる感動もあるんだなって。涙、熱くてなかなか止まらなかった。


2004/3/14(日):なぜカネトを「やっちまえ」なかったのか

この日記は私の疑問を整理するために。

「聞いてくれ聞いてくれ
俺は北海道にいるときも天竜峡に来てからも
測量の仕事にアイヌであることに誇りを持って生きてきた」

と、カネトは荒くれ達にコンクリート詰めにされそうになりながら、丸太で打ち据えられながらも訴える。普通なら気を失って死んでしまうだろうに。私はドラマが嫌い。どうもウソっぽさが鼻を突く。だいたいがあんまりにもStereotypeだ。
いいヤツと悪いヤツ。悪人と善人。え?どうしてそんなに模範的なの?うっそぉ。人間、そんなにくっきりと線引きできるわけないじゃん。そもそも、「つくりごと」のドラマが苦手な私。リアリティに欠ける情景にはかなりひいてしまう。
やだなあこういうの。道徳の教科書みたいで。…いや、私、どうもひねくれてる。
しかし、歌い込むうちに感じ取ったこと。それは、「荒くれ」って言うのはそもそもなんだ?ってこと。土木作業に従事する人々はどこから来てどうしてこんな危険な仕事に就いているんだろうか。もしかしたら、彼らは少年カネトと同じなんじゃあないか。そして実は私たち一人一人はみんな少年カネトのような悲しみと孤独と、夢と憧れをどこかに持っているんじゃあないかと思った。

「生きると言うことは
少年の日の夢と希望を人間の誇りを
命の中に生かすことだ」

その説得に、荒くれどもの琴線がゆれたかどうかと言ったら、やはり、そんなきれいごとに、人間、簡単にはなびきゃあせんよ、というのがひねくれakyaの意見だ。ましてや、今まさに人一人ぶっ殺そうとしているさなか、そんな悠長なお説教に耳なんか貸すもんか。
けれど、「少年期」の夢と希望という言葉にのみ、わずかながらも可能性は感じる。子どもの頃は、自分はなんにだってなれると信じている。将来に不安なんか微塵もない。自信と誇りに満ちあふれている。子ども時代を満喫し、今をのびやかに謳歌していればお腹が空いて夕飯がおいしいものなのだ。ごく普通の子どもたちならば。
カネトのように逆境に育つ子どもには、さらなる不屈の思いが宿るかもしれない。夢は果てしなく広がるだろう。荒くれたちには、どんな少年期の夢があったのだろうか。いつ、挫折したのだろうか。

その悔やんでも悔やみきれない過去を、カネトの言葉が掘り起こしたかもしれない。こんな人生じゃなかったはずだ、あの頃の自分はあふれる光の中に住んでいたのに。

その想いが激しいほどに突き上げてきたら、丸太を持つ手のその力は失われてしまうのかもしれない。

そんなドラマに、仕立てたいモノだ。歌で?

う―――――――ん・・・・・・・。