2003/~12・頸椎手術〜職場に復帰

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2003/9/1(月):手術に向けて…

実はいきなり相当なへこみっぷり。入院前に色々調べておこう、と軽い気持ちで(あるいは前向きな気持ちで)ネットにつないだのがそもそもの始まり。
「フィラデルフィア装具」って何だろう?…手術後、首に付けるコルセットになぜ「フィラデルフィア」とつくのか、それが知りたくてちょちょいとGoogle検索。そしたら…
突然現れたのは頸椎の手術跡生々しく、傷を縫い合わせた後ろ姿の男性の写真。凄い。吐き気がした。こんなむごい手術跡になるのか。私の首も…?

たまたま風呂上がりのタンクトップ一枚で検索していた。そばにある鏡台に自分の背中を映してみた。別に美人でもなければスタイルも良くない、決して色白でもないごく普通の私。普通につるんとした、少しあせもの跡のある背中。急にその肌が愛おしくなった。ここに、あの写真と同じ、大きな傷跡がしるされるんだ。一生。もう二度とこのするするとしたあたりまえの背中を見ることが出来ないんだと思ったら、涙が止まらなくなった。手術なんかしたくない。したくない。

首を動かしてみる。少し痛む。でもこれくらい平気なんじゃあないのか。腕を振ってみる。足踏みして飛び跳ねて、少しぎこちない右足に喝を入れる。大丈夫、手術なんかしなくったって、やっていけるよね?自分に尋ねながら一層泣けてきた。排尿障害?本当に治らないのだろうか?

けれど、今日はその、「フィラデルフィア装具」の型どりに行く日。どうしても切る決心ができない。でも時間が来ると、断る勇気も出てこない。結局、行ってきた。

上半身は下着だけになりパイプ椅子に座って後ろ手に両手を握る。「高崎義肢」と会社名の名札を着けた男の人が指示をしてくれる。優しく穏やかな声の人。伸縮性のある太めのタイツのような筒状の物の途中にハサミで切り込みを入れ、そこから顔を出すようにしてすっぽりと銀行強盗みたいにかぶり、首と頭を覆う。顔は眉から口までが丸い穴から出ている感じ。
筒の裾の方に4カ所ほど縦に切り込みを入れて、肩に沿わせる。それから、腕ごと体中にラップを、ぺたり、ぐるぐると巻き付ける。背中から肩を越えて胸へ。また背中と胸を横断するようにぐるっと。
それだけで、カーテンで仕切られた部屋の中で、技師さんは額に汗していた。丁寧にしっかりと巻き付けるのは結構大変なようだ。
そして、いよいよ石膏を付ける。包帯状の布に、石膏がたっぷりと含まれたテープを巻く。右肩のあたりから始まって胸へ左肩へ背中へそして首へあごへ後頭部へと、ぴったりとぐるっぐるっとテープが巻かれていく。私も覚えがあるけれど石膏は思いの外固まりが早いものだ。技師さんの手さばきは素早い。きゅきゅと巻き付けては私の体に馴染ませるように表面からなでつけて塗り込めるような動き。石膏はみるみる固まり始めて、熱を出す。私の体は蒸しタオルを当てられたみたいに暖かくなる。それを素手でならし固めていく技師さんはもう汗まみれ。体にぴったりとした装具を作るために力が入るし、熱いし、その上、時間との勝負だ。
石膏がほぼ固まって、首と頭とが、がっちりと包み込まれているような感じ。不思議な感動を覚えた。すごく安心感があるのだ。しっかりと守られている感じ。
最後に、最初にかぶった布の筒ごと背中側を頭の方から下に向かって型をごりごりと切り、ぱっくりと体からはがして終了。ふうッと、息を吐きながら
「はい、これで終わりですからね。大丈夫でしたか?」
とやさしく声をかけて戴いた。本当に、お世話になりました、と、心から頭を下げた。大変な仕事だ…。

帰り道、ずっと暗かった気持ちが少し変化していることに気付いた。不思議なことに、あの型どりの仕事を体験しながら、私の中に肯定型一分子の一味が生まれていたのだ。
「手術したくないよ。しなくてもいいじゃない?」
「手術したくないよ。でも、してもいいじゃない?」
「手術しようよ。したほうがいいんだから」

ことによると手術しなくてもいいかもしれない。でも、ことによると手術しなくちゃあ大変なことになるかもしれない。その時、まわりへの迷惑は今以上に大きいと思う。自己愛に嘆いているようなちっぽけな自分でどうする?

で、明日は手術に向けて、髪を刈り上げてきます。


2003/9/2(火):かりあげくん

髪を切ってきた。美容師さんに
「手術で後ろを縦に切るんです。で、髪がジャマにならないように刈り上げなくてはならなくて」
と説明すると、一瞬驚いた表情。
「え!?そうなんですか。あ〜刈り上げですかぁ。ちょっと待って下さいね」
手にヘアカタログを持ってきて説明してくれた。
「退院後、今度は傷口を隠したいでしょうから上から髪をかぶせる感じにした方がいいと思うんです。だから全体をあまりにも短くするのではなく、こう、上の方は残す感じでどうでしょう?」
さすが美容師さん、ちゃんと先の見通しまで立ててくれる。なるほどお。
「一ヶ月も経てばつるつるに剃っちゃってもかなり伸びますから、そしたら今度はこんな感じにしませんか」
そこまで考えてくれるってありがたいなあ。で、お任せすることに。

シャンプー台が首の負担にならないよう、バスタオルを入れてくれたり、倒す角度を調節してくれたり、どの美容師さんも気を遣ってくれたので、多少の痛みは覚悟して行ったんだけど思ったよりも楽だった。

「こういうときは思い切ってイメチェンってのもいいじゃないですか。さっぱりして明るい気分になれますよお」
「今日からシャンプーが楽しいですよお。すっごい楽ですからね」
そう言って励まして下さる美容師さん達。プロだなあ。ありがとうございます。

帰り際には
「退院したらまたすぐ来て下さいね。お直ししますよ」
と送り出して頂いた。何だか強力な味方を得た気分で心が軽くなった♪

おまけ…
昼食時の息子との会話。
「あ〜あ、首にでっかい手術跡が残っちゃうんだよなあ、やだなぁ。めげるなぁ」
と私が泣き言を言うと
「え!?なんで?カッコいいじゃん!!おれ、タトゥーなんかより、傷あとが欲しいや。ちょぉカッコいいじゃん!背中とかさあ!いいなあ〜♪うらやましいなぁ〜♪」
ああ…、この価値観。さすが我が息子だ。


2003/9/3(水):引き継ぎ

今日は午前中に医者に行っていくつかの検査を受けた後、一旦帰宅してから学校へ。
今年としては貴重な肌にはりつく暑さの午前中だったけど、昼過ぎから雷雲にすっぽりと覆われて、3時過ぎには稲光と雷の轟音。そしてどしゃぶり。お祭り好きの私、実は雷好き!(…災害さえなければ…)なんか気分がスキッとする。雷ってやることが派手で思い切りがいい!
ここ上州の3大名物「雷・空っ風・かかあ天下」。どれもみんな威勢がいいのだ♪

今日学校に行ったのは来週から私の病休代替で美術を指導して下さる方と会って、仕事の引き継ぎをするのが目的。
「どうもー…」っと職員室に入っていくと「おわぁ〜」と不思議な声がかかった。大丈夫?とか、頑張ってね、とか、いろんな励ましやねぎらいの声を戴いて職場の仲間ってありがたいなあと思う。
机の上を片づけて、後任の方と授業内容の確認や生徒の様子などを話す。
「大丈夫です、みんな美術が大好きで意欲的ないい子が多い学年ですから」
と言いながら、心のはじっこの方に2学期というおいしい(?)学期を子どもたちと過ごせないことにやっぱり悔しさがよぎる。
後任の方はとても綺麗な細身の女性だった。私より3歳年下だと言うことだが、新卒ですといっても通るくらいかわいらしい人。こりゃあ主任が大喜びだろう!って、ん?
教職経験はないと言うことなので大変なこともあるだろうけど、心から、「どうか頑張って下さい!よろしくお願いします!」と引き継いだ。

用事が済んで時計を見るともう19:40過ぎ。職員室が名残惜しい。20:00をまわった頃、ようやく教頭先生にあいさつして帰宅。
これから約2ヶ月後にまたここに来るときはもう、やる気全開体調全快理性全壊(?)で、そりゃもうバリバリ働くぞぉ!じゃ、それまでakyaはメンテナンス中って事で。


2003/9/4(木):明日にそなえて

明日は入院予定の榛名荘病院で入院前の血液検査などをするそうだ。手術時輸血用の自己血もとる。
献血好きのakyaにとって血を抜くのは何でもないことだが、ここんとこ貧血気味でもあり、増血剤を飲んでいる。鉄分を多く摂れるような食事をするようにといわれているんだけど、ここのとこ食欲がないので昼間は漬け物とか野菜の塩もみでお茶漬けみたいなものしか食べないでいた。今夜はレバーでも沢山食べとこうかな。んー?テスト前の一夜漬?

榛名荘病院への道のりも確認した。地図を見ながら、看護師さんから聞いた箕郷町経由の道のりがベストかなと思った。でも、予想以上に遠いぞ〜。
そんなことをしながらふと、妹から聞いた話を思い出した。それは…「箕郷町にはおいしいお蕎麦やさんがある」!!!そうかあ!明日のお昼ご飯はこれだあああああ!
…ああ、自分でもつくづくおめでたい人間だと思う。入院準備の気の重さなんかもうどこへやら、心はおいしいお蕎麦でしあわせ一杯。まだ食べてもいないのにねえ。

さあさあ検索検索ぅ♪Googleで「箕郷町 蕎麦」と入れると2軒のお店を探り当てることが出来た。「せきざわ」というお店と「おおの」というお店。同じ町のほとんど同じ通り沿いにある希有な存在。どちらも蕎麦好きの勧めるお店らしく、色々なサイトでの評判が高い!こりゃあもう行くしかないでしょう!
今は季節的にお蕎麦の時期にはちょっと早いから本当の蕎麦の味を楽しむにはもう少し待たなくてはならないのだろうけど、でもこんなことでもないとわざわざ箕郷町までお蕎麦食べに行かないもんね。
「せきざわ」は金曜日が定休ということなので明日は「そば処おおの」へ。お店の場所を確認したら、なんだ、何度か通っている道だぁ。このお店なら記憶にある。オススメメニューも営業時間もチェック。榛名荘病院からの道のりも完璧に暗記。もうばっちりだ!

それにしても、一体私は明日の何に備えているのやら?


2003/9/5(金):榛名荘病院へ

今日は初めて入院予定の病院へ行ってきた。遠い〜!!!こんな遠いとこに入院しなきゃあいけないの?びっくりだぁ。
今通っている脊椎専門の病院は榛名にある病院のいわば分院で、高崎市にある。手術と入院はその本家である「榛名荘病院」というところへ行かなくてはならないらしい。
で、今朝はまずは高崎市の上豊岡にある脊椎病院へ。先日、受付のお兄さんから帰り際に保険証を渡し忘れたと連絡があったので、それをとりに寄らなくてはならなかったから。
7:45に家を出て片道50分で到着。病院を出たのが8:50。今度は目指す本家「榛名荘病院」へ、国道406号を北西にGO。
道ばたには梨や桃やプラムの産直販売店が立ち並んでいる。梨棚に袋をかぶった実が夜店の電灯のようだ。それを横目で見ながらふとルームミラーを見ればにんまりと笑っているワタシのオメデタイ眼差しと出会った。
ん〜と、今日は手術の時に使う自己血を採血するのと手術前の検査をしに行く日。しかし、根っからお天気あたまの私はドライブの楽しさの方にすっかり心を奪われちゃってる。いいな〜榛名町。春先にここを通ったら梨や桃やプラムの花盛りだろうなあ…なんて、もうその情景が眼前にふんわりと浮かんでうっとり。うむむ運転中なのだが。我ながら危険だ★

室田の信号が見えた。道路標識の示す直進矢印の先には「榛名山」とある。ここから緩急のある坂を登って右手にある榛名荘病院に到着。9:15。遠い道のりではあるけど道が空いていたので予想よりは早くついちゃったかな。朝っぱらから結構な時間のドライブでやや首から背中が痛む。まあ、もう慣れっこだけどね。
駐車場でクルマから空を見上げたら深いセルリアンブルーの空に真っ白く光る積乱雲が山あいの切れ目から沸き立っていた。すごーい!すぐそこにひょいと背伸びしたらすっぽりと雲の懐に顔をうずめられそう。気持ちいいだろうなあ…。

病院は古くのんびりした感じのところだった。私がこれまでにかかった市内のいくつかの病院で感じたことのあるかりかりした感じがまるでなく、看護師さんの声も緩やかで暖かい。通路をあるっていると必ず
「こんにちは。どちらへ?」
と声をかけて下さる。検査表などを手にしていると、さっと受けとってくれ、
「届けておきますよ、座っていて下さいね」
と自然に手助けしてくれる。何かアットホームでいいなあ。
売店には産直コーナーがあった。じゃがいもやインゲン、ミョウガなど、その地域で取れたての旬の野菜が並んでて、患者さんやその家族の方が買っていく。奥には座敷があってテレビとちゃぶ台があった。きっとそこで売店で買ったものを食べながらおしゃべりなんかするコーナーなんだろうな。お年寄りの患者さんが多い病院ならではの配慮なんだと思う。

検査の後に採血。献血と要領はまったく一緒。わりと献血好きの私は今までに何度も経験があるのだが、いつも「あなたはとても採血時間が短い」と言われる。今回もほんの3,4分で必要量の採血が終了。
「あら、もう採れちゃったわねえ。ずいぶん早いわぁ」
と看護師さん。…早いのかなあ?

そのあとで茶褐色の点滴を40分ほどして(鉄分の補給?)今日は終了。次にここに来るのは入院の日だ。


2003/9/6(土)その1:すーふる

入院・手術ってことでホントいろんな経験が出来るもんだと驚くのだけれど、これにも驚いた。
「スーフル」って器具で今特訓中。スーフル…変な名前。

ラッパみたいな道具。吹き口にはマウスピースがついていてそこから思いっきり吹く。底にリードの役割をするうすっぺらで透明な塩ビ板のような円盤がついていて、穴から空気が抜けるたびにぶ〜っと震えて音が出る。これを1日200回を目標に頑張りましょうって。

ぶううううう〜〜〜〜ぶうううううう〜〜〜〜…と気の抜けたラッパを吹くような感じで吹き続ける。看護師さんの言葉によれば
「全身麻酔のあとは気管に管が入るから異物に反応して痰が絡んで苦しくなっちゃいがちなんですよね。でも手術後って痛みもあるから思い切り息を吐きづらくなっちゃうんです。で、これで鍛えると、肺に深呼吸を覚え込ませとくことができるんです」
肺に覚えさせる…不思議な説明だったがでもまあ苦しいのはヤダし、少しでも病院の方々に迷惑をかけない患者になりたいので、昨日からブーブーやってる。鏡の前でやってみた。自分の姿に大爆笑。猫のくーすけに向かって吹いてみた。予想通りの大パニック☆彡飼い主の異常な行動に、彼は正気を失ったように床をすべり、ネズミ花火みたいに飛び跳ねて逃げる逃げる!これまた大爆笑!ああ、なんてひどいことを…。
でも、とてもじゃないけど200回はキツイ。第一ホントに効果あるのかな?肺って物覚えるの?

が!今日、合唱に行って驚いたことが!それはいつもなら続くことのない長ぁ〜いフレーズが(曲によってはブレス無しで歌い続けるところが結構ある。藤村作品が歌い手を酸欠にする趣味があるわけではないと思うが)ブレス無しで自然に歌い切れてしまったのだ。こんなことは初めて。これってもしかしてスーフル効果?あらまあ、私の肺ってば、たった2日で深い呼吸を覚えちゃったの?エライじゃない!?
…ホントにそうなのか?

とにかく、今日もぶ〜〜〜〜ッと頑張るしかない。手術後の苦しみの中にもささやかなおかしみを見出せるように、頑張ろう自分♪

あ、ところでスーフルってネーミング、もしかして「吸うFULL」?…ああ、べたべたのオヤジ系。誰かほんとのところ知ってたら教えて下さい。


2003/9/6(土)その2:西関東大会

昼過ぎから県民会館に吹奏楽のコンクールに行ってきた。Sappyの所属するK高校吹奏楽委員会が群馬県代表として出場しているので。この夏に、定期演奏会を聞かせてもらって以来、私は彼らの大ファンになってしまった。別に身贔屓するつもりはなく、本当にいい。とても気持ちの良い演奏をする人たちだ。

おそらく詰め込み駐車になるであろう会場を避けて、近くにある市営の駐車場に車を入れた。まあ、5,6分も歩けば良い距離なのだから、途中退場するにはそれがいいだろうとかるうく考えていた私のおバカさん。そうだよ、この足!まったくもう、この右足がいうこときかないったら!のろりのろりと歩いて歩いて、会場までやっとたどり着いたらもうへとへとだった。

県民会館の入口に行くと、夏の終わりの陽がそこだけやけに濃いような感じがした。高校生の持つ傍若無人唯我独尊侃々諤々出力全開呵々大笑縦横無尽のPowerが喧噪の中に炸裂し弾け合ってあちこちから火花が散るようだ。んんん…平たく言おう。すっげえやかましかった。

チケットもぎりのさわやかな女の子の声が頭に響きクラクラしながら1階席中央の扉へ。ドア番の高校生に聞くと今8番目の学校が演奏中で、K高は12番目ですと教えてくれた。良かった。間にあった。
演奏はさすが各県の代表として選ばれてくるだけあって、どこの学校も聞き応えのある内容だった。
11番目に演奏したのは確かおとなりの県の高校だとアナウンスしていたようだったけど、指揮者が非常に線の細い若い男の人で背中から見ても正面から見ても中・高生の風情。指揮は何か脇の開きが不思議に一定で見ていてくすぐったくなっちゃう。そして演奏の方は妙にカワイクまとまっていてスタッカートがアイドル風…う〜ん。そこまで聴いた中では一番楽器の音が豊かに聞こえたが、全員女子の学校で、後半に入るscatが一番美しく感じられた。でもこれは好みの問題だから。別に批判してるワケじゃあありませんのでね、お許し召され。

12分間の休憩を挟み、Sappy達の出番となった。見慣れた顔が舞台に並ぶ。みんな気持ち緊張した面持ちで黒のブレザーがきりっと締まって見える。
指揮者のMegumi先生が腕を上げ、音楽が滑り出した。さっと全身に鳥肌が立った。音がいい。どうしてこの子達の音はこんなに澄んでいるんだろう。管の演奏にはつぶれた音や平たく無機質な音も時に魅力となる事があるけれど、彼らのじりじりするくらいに毅然として正確な演奏には背中が寒くなった。終幕に向かって高まる和太鼓のリズムとともに鼓動が早くなる。
pのきりっと抑えの効いた表現からcrescendoして山を緩やかに登るようにせり上がってくる音の昂揚。どかんと迫力で押しまくる猥雑な音の集積ではなく、薄い絹を二重八重とのせて包み込む粛々とした響き。品格が高い。ふつふつと足下に迫ってくる、そして突如胸元にせり上げてくる音の浪のうねり。とてもcleverだ。音だけでなく、演奏者一人一人の身のこなしや視線も。私は彼らのそこが好き。舞台の上の全てが音楽となって私たちの胸に迫る。身動き一つ出来ずに聴き終えた。
気になるところが全くないわけではなかったけれど、これは一つの到達点として正当に評価されるべき物だなあと思った。コンクールという批評の目と耳にきちんとさらすべき価値のあるものだ。ここまで高校生の可能性を引き出し高めた指導者に敬意を表するとともに、みごとにやり遂げた高校生達に心から拍手を送った。

このあとの約束もあり、すぐに帰らねばならなかったのだけれど、すぐには立てなかった。ようやく歩き出してロビーに出ると、階段のところで丁度Sappy達が記念撮影の真っ最中。おきまりのよそ行き顔の後はみんな好きなポーズで。今日が最後の努めとなったInspector君は、えいやっと弦バスを担いでいた。わお!

声をかけようかとも思ったけど、そのまま階段の隅っこをまたてくらてくらと歩って帰った。
Sappy、ありがと。そして、お疲れ様。んーと、それと、銀賞おめでとう。


2003/9/7(日):箕郷町のお蕎麦やさん

5日に榛名荘病院に行ったとき、帰りに寄ったお蕎麦やさんは箕郷町の「おおの」というお店。予想より早く病院での検査や採血が済んでしまったのでお店には11:25に着いてしまった。確か開店は11:30だったような…。早過ぎちゃったなあと、駐車場でぐずぐず。私の時計で11:30を確認して即、車から降りた。てくてく歩いていくと白い仕事着を羽織ったご主人が、丁度のれんを掛けるところだった。
金茶ののれん。篠竹を組んで壁を作った和風の落ち着いた門構え。きれいに掃き清められた庭園。入口は葡萄茶の小さな引き戸。何だか私には品が良すぎるようで気が引けたけれど、この風雅にあつらえた店舗から、ご主人の感性の豊かさをしんみりと感じさせられた。

そこへまた今日出かけていった。あの日、食事の後にご主人と奥様と親しくおしゃべりをしていただいて、「近いうちにまた寄らせて下さい」と約束したから。…いや、約束するまでもなく、すっごくいいお蕎麦だったから、もうすぐにでも食べたかったので、中1日(!)の再訪。今日はo-taniと二人。

今日も11:50くらいに到着してしまった。きれいなお庭を眺めるよりも早くご主人にお会いしたくて、ただ今のんびり病(?)の右足をひっぱたくようにお店へ。
お店の中には大きなつやつやした1枚板のテーブルが。そのまわりには腰にしっくり馴染む曲線の、木製の椅子が10脚ほど。

「あ、先日はありがとうございます」
すぐに奥様が声をかけて下さった。調理場の方からも、
「こんにちは。ああ、この間はどうも」
とにこやかにご主人が声をかけて下さった。ちゃんと覚えていて下さるんだなぁ…。

前回来たときは、「セイロ(盛り蕎麦)」と「蕎麦掻き・ハーフサイズ」を頼んだ。蕎麦掻きはとにかくそのなめらかさと柔らかな甘みの虜になってしまった。
ご主人から、
「うちに始めて来て、いきなり蕎麦掻きを注文するお客さんは滅多にいません。きっとどなたかの紹介で見えたのかと思いましたよ」
と言われた。私はそんな通人ではないけれど、お蕎麦のあの香りと甘みが好き。つるっとした蕎麦は勿論のこと、蕎麦掻きの何とも言えない素朴であったかい風味が大好き。
「変わり蕎麦掻きといってね、チーズ入りとか梅とかみそ風味とかもあるんです。これもおいしいですよ。ぜひ試してみて下さい」
ご主人の言葉に驚いた。そんな蕎麦掻き食べたことない。
だから今日は「セイロ」と「チーズ蕎麦掻き」をお願いした。

おおのさんの作る蕎麦掻きはとにかくふんわりとしてなめらか。赤ちゃんのほっぺみたい。今まで食べたどの蕎麦掻きとも違う。その中にチーズがまあるく餡のようにとろけている。箸でやんわりとちぎって小皿に入れてお醤油をかけて食べる。んんんんんん〜〜〜〜〜幸せな気分♪
蕎麦掻きの薬味は山葵と葱と花鰹だったが、今日は山葵の変わりに3cm四方くらいの海苔がついてきた。これで蕎麦掻きをゆるく巻いて食べると…これはもうお約束通りの出会いの妙!ふう。

セイロは蕎麦のエッジが立ってさわやかに舌に躍り込む。噛みしめるとささやかに歯を押し返し一時してぶつりと切れる。ほのかな甘み。でも、すぐ飲み込んでしまいたくなる喉ごしのよさ。
世の蕎麦好きの方々の足元にも及ばないけど、何しろ「長くて細いもの好き」の私たち。讃岐うどんを食べに香川まで、へぎ蕎麦を食べに小千谷まで、パスタを食べに沼田まで、つけ麺を食べに池袋へ本庄へそして地元伊勢崎へ。もうそれこそあっちこっちへ馳せ参じてしまうB級麺グルメ…否、グルマン。製麺協会から表彰されてもいいんじゃあないかと思うことがある。
一緒に行ったo-taniは1人前170gのセイロを大盛りでさらに蕎麦掻きまで食べ涼しい顔で、「蕎麦ぜんざいも頼んだら?」って、…私には無理です。

食後、ご主人から変わり蕎麦掻きのアイディアや季節の変わり蕎麦作りの話などをお聞きすることが出来た。それはもう目を細めて楽しそうに話される。本当にお蕎麦作りが大好きで仕方ないという様子。素晴らしい方に出会えて嬉しい!

今度おじゃまするのは退院後かな。きっと新蕎麦がでているのでは…楽しみ!


2003/10/14(火):帰ってきた

約一ヶ月の入院生活に終止符を打ち、昨日、帰宅した。
思っていたより入院生活は楽しく(苦しく辛いことも数多くあったのは言うまでもないが)、医療に携わる方々にはつくづく頭が下がる。特に私がお世話になった榛名荘病院の方々は、誰もが心を込めて仕事をなさっているなあ…と実感させられた。みんなプロだ。お見事。

私と言う人間は自慢じゃあないが結構いろんなところで自分の精一杯を尽くしてきたという自負みたいな物があって、いつでも胸を張って「やれるだけのことはやって来ました」と言い切れる自信と言うか確信と言うか…があった。でも、今回入院してみて、それにプラスアルファの、「ゆとり」と言うか「あそび」と言うか、「余裕」と言うか…
そういった部分が私にはまだまだ足りないなあと思った。

それは、結局、いつも私が思う、「人間らしさって何か」と言うことなんだけど、病院で出会ったお医者さんにしても看護師さんにしても、リハビリの先生にしても、ワーカーさんにしても、魅力的な人はみんな誠心誠意仕事をしていらっしゃるのにすっごく自然体だ。かりかりしてない。すごく忙しくったって、どこかゆったりと構えてる。私はそういう人になりたいなって思った。

なんつったって、榛名荘の名物医師、清水センター長は10時間以上の長い手術を終えて、即、別のお歳を召した患者さんのとこに来て
「どう?調子は?あ、そんだけ口が達者なら、ま、後1年くらいは大丈夫だな」なんて軽口叩いちゃう。いつも清水先生が来ると病室は笑いの渦。
その上、
「みんなが言ってくんねえから自分で言うんだけどもさ、こう見えてもオレは腕がいいんで有名なんだよ。知ってる?」
「だってオレは世界の清水なんだよ!」
本当に世界的に有名な方なのだそうだがそれを敢えて自分で言いふらしてギャグにしちゃうとこがおかしい。実力のない人間が言ったら興醒めだもの。

手術後の背中と肩の筋肉の痛みはなかなかしつこく、今日も根性出して台所仕事なんかしてみたものの、すごく時間がかかってしまう。肩も腕もだるくてだるくてもちろん痛くてキッツ〜イ!
でも、思った。だからこそゆったりと構えて自分の自然体を大切にして生きたいな、と。
それって、決して手を抜くことや甘えることではなくて、やっぱり基本は一生懸命全力で生きることなんだと思う。けれど、ぎちぎちにならないで、大きく構えて日々を生きたいなって思った。自分が辛いからって、それをあからさまに顔に出したり、人に当たったり、イライラしたり、すぐにいっぱいいっぱいになっちゃうようなだっさい生き方はもう何があってもしないよ!


2003/10/19(日):はしごした

10/15(水)朝、やすちょを前橋駅に車で送り、帰宅後に前夜作ったカレーライスで朝ご飯にした。食べ終えたら8時。
まだ退院したばかりなのだからあまり沢山のことは出来ないけれど、かといって何もしないのでは体も衰えてしまう。第一、2ヶ月後に職場復帰できなくては困る。だからゆっくりと体のごわつきを日常の空気に溶かし出すように動き始めた次第。今日は何しようかな、1階のトイレ掃除とかしてみようかな…。でも何となくからだが重く、結局ベッドに潜り込んだ。まあいいや、1日は長いんだから。お仕事は午後からでもいいんだから…。
うとうとして11時40頃。ヘッドホンをして無音を聞いているような「シャー……」という金属音の耳鳴りで目覚めた。すごく気分が悪い。朝からカレーなんか食べたせい?胃が喉の奥までせり上がってきているような苦しさを感じた。あれ…?これはちょっとやなカンジだぁ…。
時刻を確認しようとして窓際の時計に焦点を合わせようとした。見たいのはカーテンに半分隠れたあの赤い目覚まし時計…なのに…一瞬文字盤を捉えたと思ったら視線はぐにゃりと窓枠下の壁紙の方へと落ちていく。必死に視線を上げようとするがどうしても落ちてしまう。
??????…ワタシ寝ぼけているのかな。それにしてもキモチワルイ…。
次の瞬間、激しく胃が痙攣するような感覚に襲われた。わ!ヤバイ!!とっさにベッドサイドを左手が探り、ビニール袋のような物を掴んだ。それを口元に運ぶやいなや全身がくの字になるような激しい嘔吐が始まった。2回3回…5回、6回と内臓がえぐれるような痛みと吐き気とが続いた。世界はもうグルグル回っている。体全体に重くて透明なゼリーがのっかている様な感じ。どっちが上なのか下なのかもうわからない。とにかく吐く。首が痺れる様に痛い。そして手足がどんどん冷たくなってきた。とうとう来ちゃった…メニエール病の発作だ…。

そもそも耳に水が入って塞がりっぱなしになっているような変な耳鳴りが始まったのは、まだ榛名荘病院に入院中の9月29日頃から。2週間以上も変な耳鳴りが続いていたのだから、本当はもっと早く耳鼻科に行かなくてはならなかったのだと思う。ああ、馬鹿だなあ私、何やってんだよ…。
「なにやってんだよ」
と、声に出してみた。でも喉が絞られているような感じで声にならない。そのまま1時間以上ベッドで苦しさをこらえていたけれど発作はおさまる気配もない。目をつぶっていても世界は歪み回り続ける。もう胃袋はカラになったと見えて何にも出てこない。でも吐く。

13時頃、とうとう観念して119に携帯から助けを求めた。自分でも何を喋っているのか良く聞き取れないが、とりあえず住所や氏名や症状を伝えた。2階の寝室から玄関まで這って降りた。途中何回か吐きながら何とかして玄関のカギを開けた。気がつくと両手にはしっかり携帯電話と保険証などの入った小さなバッグが握られていた。なんだ、ちゃんと出来るんじゃん、と、不思議に自分の行動を眺めているもう一人の私がいた。やれやれ。
「やれやれ」
とつぶやいてみた。ビックリするほどの大声が頭中に響いた。水中で怒鳴っているときのような声だ。遠くからは救急車の音が近づいてきた。やれやれ。

てなワケで、中1日でまたもや入院生活に逆戻りしてしまったakyaでした。しかし、今回は激しく痛かった点滴責め(血管痛だと思って我慢してたら長時間にわたり漏れてた。まだ腕がパンパン)と、四六時中の安静の甲斐あって4日で退院できた。めでたし。
父からは
「今度退院したらうち(実家)に来て1週間くらいオトナシく寝てろ」
と自宅軟禁宣言が出されてしまったが、迷惑と心配をかけた謝罪とともに辞退し、今日は晴れて青空の下、猫トイレの掃除も無事終わりました。

やれやれ。はしごしちゃったのよん。人生最後の大型連休(?)序盤のイベントなり。


2003/10/20(月):自主トレまにゅあるは短かすぎる

今日は午前中のんびりとぱそを覗いて過ごし、午後からリハビリした。
まずは首のストレッチと筋肉強化メニューをこなして、次に肩のストレッチ。そのあと両腕に0.5kgのおもりを着けて、肩の筋肉を鍛える腕の上下動と横からの引き上げと肘を曲げて下腕を上げ下げなどをそれぞれ30回ずつ。それから足のスクワット40回とつま先&かかと立ち各20回ずつ。しあげに横になっての足上げメニューいくつかを合計で60回。
音楽聴きながら丁寧にのんびりのんびりやっていても、40分もすれば終わってしまう。本当はその他にも足指先の機能回復のためのメニューもあるんだけど、それは夕食後にテレビでも見ながらぼーっとやることにして…。

一人黙々とリハビリしててもひじょおおおにつまんないのだが、仕事もないし(否出来ないし)、これが現在のところ唯一私に与えられたノルマなので、つい心を込めてやってしまっている自分に45cmくらい離れたところにいるもう一人の自分が
「はっ」
となりすばやく目を背けていた。
同時に脳みその裏っかわに特に上手にということもなく忘れ去られたところのすきまみたいなひだひだがちょっびっとくすぐったいような、むむむ。
ついこの間までは「体のためになる何かをする」なんて事とは全く縁遠い私だったのになんてことかしらぁぁ。

家にいるとヒマでヒマで、しかもそのヒマを有効に使いたくても体が言うことを聞かないとあってはヒマはとにかく文字通りのヒマなのだ。不毛にヒマ。虚ろにヒマ。がらんどうにヒマ。まっしろけにヒマ。ぺったんこにヒマ。つるつるののっぺらぼうのぴかぴかのかさかさにヒマ。
あああああああひまひまひまひまひまひまひまあああああ。

崩壊。

これが単なる休日ならばドライブしようか庭をいじろうか映画を見に行こうか、ぁ、その前に洗濯だ掃除機もかけとかにゃぁううううう〜んオヤスミって時間が過ぎるのはやすぎいいいいい!…なんて喜んでたはずだ。しかし!
今は時間だけが広大な砂漠のように広がっているのだ。嗚呼風が吹く。さらさらさらさら…。

すてきぃ。なんて優雅なんでしょう。


2003/10/31(金):今日の出来事

朝ご飯を食べて、燃えるゴミを出して、パン屋さんに行ってお昼に食べるパンを買った。
台所を片づけて、掃除機をかけて、本を読んで、髪を切りに行った。
パンを食べて、コーヒーを飲んで、実家の父に会いに行った。ちょっぴりドライブ。
本屋さんでパズルとマンガとエッセイを買い、銀行でお金をおろし、郵便局で送金した。
生協で野菜とオリーブオイルと鶏肉とビールを買った。
猫にえさをあげて、野菜を片づけ、パズルを1問解いた。

そして今、日記書いてるの。うん、まあまあな1日だよね。


2003/11/2(日):エンドレスソングの呪縛

眠れない夜や、ふと頭が空っぽになる時間の間隙にエンドレスで流れる曲って誰にもあると思う。意識の外に追い払いたくてもヤツらはするすると右耳から入り込んできて、思考伝達回路をステップ踏みながらるるるるるるるる…と手を繋ぎ弧を描き回り続ける。
時にそれはくだらないCMソングだったり、昔流行ったポップスのサビだったり小学校で習った文部省唱歌だったりする。
で、この1ヶ月の間、私はエンドレスソングに悩まされていた。眠りを妨げられ、読書を中断され、入浴を早々に切り上げさせられるなど重症のエンドレスソングシンドローム(そんなのあるのか?)に悩まされてきた。
その曲はなんと知る人ぞ知る…否、ごく一部の知る人しか知らない「合唱劇カネト」の「帰れるぞ故郷へ」だった。

津軽の海を渡って5年近く もろい花崗岩に悩まされ目の眩む崖をよじ登り ついに成し遂げた測量を やっと終わった測量が 大雪山の峰の輝きが目に浮かぶ 帰れるぞ胸を張って大雪山の懐へ 帰れるぞ胸を張ってふるさとキンクシベツへ

歌詞はこれだけ。この曲を愛してやまない方も居られるとは思うが、私は正直に言ってこの曲が苦手だ。あのイントロから「じゃじゃじゃじゃぁぁん♪…つぅうがぁるのぉぉぉ〜うみをぉぉ…(実際はそんな風にネバネバ歌わない…のだが)」と聞いただけで、
どっっっっっっっばぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!
と岩に砕ける浪しぶきが眼前に広がってしまう。(実際の津軽の海がどんなものかは全然知らないくせに)まるで演歌だ。そしてこの浪しぶきが曲と共に大挙して訪れる。繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し…。うあああああん、いやだいやだ〜。
入院中は特に眠りたいのに眠れない深夜2時頃から3時頃にかけて、この歌が延々響き渡り気分が悪くなるほどだった。そこで対応策として枕元にCDプレイヤーを置き、ヤバイッと思った瞬間にさっとイヤホンをして静かなピアノやストリングスの音楽に助けを乞うことにしていた。

この曲に罪はない。全然ない。合唱劇カネトは感動的な作品だと思うし、実在のカネト氏は真の偉人だ。だから問題が私の方にあるということは間違いない。
おそらく、「入院のブランクによって私の合唱練習にたいそう遅れが出るだろう。せめて歌詞だけでも暗記しよう」と、毎日毎日練習用CDを聞きまくっていたのが原因だろうと思う。でも、何故その曲だけがエンドレスソングとして顕れるのかは謎…。いい曲いっぱいあるのにぃ。

昨日は1ヶ月半ぶりに合唱練習に行ってきた。そして、学先生のピアノや腕の動きや表情を感じ取るように歌うのはなんて気持ちがいいのだろうと思った。アルト・バス・テナー・ソプラノの音の響き合いの中に身をゆだねるようにして歌うのは、晴れた日の麦畑にそよぐ穂の中に立つような気分だ。まだまだ未完成な部分ばかりではあったにせよ。

そして、昨夜は久し振りにぐっすり眠った。何にも考えず一つも夢を見ず、真っ暗な海の海草のように眠った。一晩中、ただただ眠りこけるって本当にいい気持ちだ。
そして、すっかり今回のエンドレスソングの呪縛からは解き放たれたことに気付いた。
ああ、合唱団の皆さん、ありがとうございました。
…っていうか私ってオメデタイ人間なんだなあ。


2003/11/5(水):暖炉の季節

11月1日から3日までの3連休に少しはしゃぎすぎたようで、昨日は猛烈な肩と背中の痛みに悲鳴を上げながらほぼ1日中のびていた…。
3連休と言っても私にとっては毎日が大型連休なのだけれど、世間の皆さまの連休には家族や友だちもお休みなワケで、そうすると一人の休日じゃあなくなるだけで無性に嬉しい。いくらお休みでも一人で家にいるだけじゃあホントの休みじゃあないのよね。ここ数ヶ月でそれを実感…。

それはそれとして、今日は少しだけ痛みが回復したので、部屋の片づけやタオルの洗濯などしてたらピンポーンとチャイムが鳴った。
「妙義もみじ学園です」
あ!薪が届いたんだ!

私の家には小さな暖炉がある。単なるインテリアとしてではなくちゃんと煙突もある。我が家では大切な暖房器具のひとつ。実際、たいして立派な家ではないのだけど、そこだけはちょっと気に入ってるかな。

我が家に初めてもみじ学園の方がお見えになったのは、この家を建てて1年ほどした秋口のこと。もみじ学園というのは知的障害者の厚生施設なのだそうだ。その活動の一つとして、学園近くの山から切り出した広葉樹の雑木を割って薪の販売をしている。その販路を広げるために、はるばる妙義の方から煙突のある家を探して、我が家にたどり着いたのだと、その時お出でになった男の人がおっしゃっていた。
それ以来、我が家の薪は主にそちらにお願いしている。

「さ、百束あるからね、どんどんおくよぉ!」
「ほい!もひとつぅ!」
「まだまだ、どんどん来いぃ〜!」
今日来てくれた男の人は3人。施設の指導員さん1名と入所している方2名。トラックからの薪降ろしの様子は、見ているこちらまで楽しくなる明るさだった。一つ、また一つと積み上げる薪の束がどんどん小山を築いていく。お兄さんが威勢のいい掛け声を掛けながら。

もみじ学園のみなさんに感謝しながら、夕闇の中、暖炉に薪をくべてみた。パチパチ弾ける広葉樹。赤く揺れる焔…実際の温度以上に、燃え上がるほのおの色と、この音が心の底まで暖めてくれた。…今年も火の恋しい季節です。


2003/11/9(日):不眠症?の日々

ここんとこ、夕闇が迫って来ると無性に不安になる。緊張したときのように胃がきゅっと痛む。心臓がドキドキする。
…なんだろこれ?
そして眠れない。日によってはカンテツ。平均して2〜3時間くらいしか眠れない。あるこおるの助けを借りても、ほとんど30分から1時間おきには目覚めている。これって不眠症?
ワタシはここ一番ってとこで緊張したりあがったりしたことのない、ぶっとい神経の持ち主(?)なのだが、一面、実は結構神経質だったのかも。ん?

ま、1日中、家でぼんやりしているだけなのだから、眠れなくても特に他人へ迷惑かけることもないと思う。しかし!それにしてもだ。経験しないとわからない事なのかもしれないけど、「不眠」って誰に相談してもあんまり親身になってもらえないのよね。
「いいねえ!一晩中起きてられるなんて。いろんな事出来るじゃない?」
「じゃあ、夜は起きてて、昼間寝てればいいじゃん」
そう言うけどね、これってけっこう辛いんだけど。
まあ、大抵の人は起きていてやらなければならない仕事に追われてても夜、眠ってしまう…ああ、あのとき寝ちまったからだあ!…と後悔するのが常だ。眠れないなんて贅沢な悩みなのかも。
さいてーなのは
「大丈夫、あなたは誰にも頼らなくても自分で解決できる人ですよ」
などと言われ…ああ、最高にそして久し振りに腹が立った。ふざけんなぁ。
でも、そういう時って情けなさ過ぎて真面目に怒る気にもなれないのよね。

それにしても…何しててもぼ‐‐‐‐‐っとしてしまう日中のキモチワルサを何とかしたいのだけれど。姉は医者に行った方がいいよと言うのだが、もうこれ以上医療費にお金かけたくないよぉ。沢山休んじゃったからボーナスも出ないし。しかも家のボーナス分のローン返済はしなくちゃあならないし…。生活していくだけで精一杯の我が家の家計。貧乏人は病気になるもんじゃあないですね。ほんと。

ああ、愚痴ばかりの日記だああ。ナサケナイ。


2003/11/12(水):弁解と少しの記録で今日はおしまい

下に書いた不眠症ネタで、なんかまた各方面から心配されてしまったので弁解。
1.私はおそらく身体的及び精神的に、多少病気(?)です。でもたいしたことありません。
2.ここ2日ほどは平均3時間睡眠ですが体調はいいです。
3.吐き出すことで癒される効果があるようです。WEBは公の物ですがこれは私的日記帳ということでご勘弁を。
もしかしたら今は体力的にこのくらいの睡眠時間がBestなのかもしれません。人はどうも90分単位の眠りを深くとれれば、なんか良いらしいですね。深く眠っているかどうかは不明ですが、体力が落ちている実感もないのでよしとしましょう。眠れないときは、トレーニングすることにしました。全然歩いていない足。少しは締まるかな?なぁんて。
弁解終わり。

今日は入院中にお世話になった患者仲間の方々に葉書や手紙を出した。ほとんどの方がそろそろ退院してもう家に帰られたはず。どの方も素敵な、人生の大先輩達。入院中に撮った写真も同封した。皆さん、退院されて今、どんな毎日を送っていらっしゃるのかなあ…。


2003/11/18(火):WEBの力にどきっ★

退院後2回目の外来受信。今朝は、家を出るときにちょっとしたアクシデントがあり、ようやく車のエンジンをかけたのが8:45。センターに到着してみると予約時間の9:00を30分も過ぎていた。ああ、本当に申し訳ない…。
MRIで手術後の脊髄の様子を撮影。白くて大きなMRIのトンネルの中にすすーっと入っていくと、ガンガンガンガン…という工事現場のような音。時々ゴゴゴゴゴゴゴゴっと分厚い鉄板を連打するように鳴るのはいったい何をしちゃってるところなのかしらん?初めての時は結構ワクワクドキドキものだったのだけれど、今回の通院でMRI撮影も3回目。もうあの音も耳慣れた物で妙に親しみを感じる。で、つい、のんびりうとうとと居眠りしてしまいそうになった。ん?そうか、家でもこういうトンネルの中に閉じこめられて寝てみたらどうかな?案外すぐ眠れたりして。…んなことないか。

笛木先生のお顔を見たら何だかすごく懐かしいような気がした。お世話になった担任の先生に久し振りに会いに行った時のような。(同い年なのに)
MRIの写真を見たら、それまで椎間板の飛び出しに押され、ちょっと窮屈な部屋に閉じこめられてたみたいだった私の脊髄くんは、少し広くしてもらったお部屋で気持ちよく寝ころんでいるみたいに映し出されていた。じっと見ていたら広いプールに「けのび」でぷかぷか浮かんでいる小学生を思い出した。とにかく、手術して戴いたおかげで、もうなんの心配もないようだ。本当に有り難いなあと思うし、お医者さんてすごいなあ…と思った。

のんきに診察してもらいながら、ああよかったよかった、と思っていたら、笛木先生から突然の発言。
「そういえば、ウチの看護婦さんたちの間で話題になってましたよ、HPが…」
え゛…!?
一瞬なんの事やら、と頭の中が空洞になって返答につまった。あ、そうか、「榛名荘病院の思い出」のページ…。正直なところ、読んで戴けて光栄なのだが、一方で冷や汗もの…。ごく私的なあの文章に失礼はなかっただろうか!?頭の中を急速回転で自分の文章の断片がよぎっていった。第一、目の前にいらっしゃる笛木先生との会話をけっこうたくさん記録していたような…。きゃあ〜。笛木先生、なんか私、まずいこと書いてなかった?だいじょーぶ?榛名荘病院関係者の皆さま、この日記も読んでたら、どうか広ぉ〜い心で許して下さいネ。(あ、クレームはこちらまで)……………ああ…ほんとにもう。

その後の診察の受け答えは面接会場の受験生状態。なんかもう穴掘って自分から入り込みたいような気分だった。やれやれ。WEBの威力おそるべし。

追加…笛木先生が「ヤフーの検索でも榛名荘病院のキーワードで調べるとあなたのHP載ってますよ」って…。さっき確認してみたら、Yahoo!もGoogleもTop3に私のページがピックアップされてる…。きゃあぁ検索ロボットよ、カンベンしてくれえ〜。


2003/11/22(土):はみんぐはむずかしぃ〜

合唱劇「カネト」の練習。ハミングの時、音が下がると学先生が…
ハミングって苦手なんだなあ…。喉を開けて鼻の奥に響かせるように、って言われてもね、低音域ならきれいに響くんだけど、高音域をハミングすると、まるで蚊が飛んでいるみたいなんだよなえ。Uu〜…Uu〜…uuu…nって。で、続けてやってるともう頭のすみっこがむずカユいようなカンジで、イライライライラ…。でも、そんなヘタクソなハミングを聴かされてた学先生はもっとイライラしたことでしょう。ごめんねぇ★
最後にはもう、ピアノを連打して、
「これ!これ!この音!低いの低いの!」
と学先生がめずらしく声を荒くした。あ゛〜。でも、口を閉じているとそれだけ自分の声が内側から自分の耳に響いてきて、ややもすると自分の声しか聞こえなくなる。それでも一生懸命ピアノを感じようと耳に集中してはいるのだが。自分ではかなり正確にピアノの音をなぞってるつもりだったんだけど、だんだんもうイヤんなっちゃって、最後の方は、もういいかげんふてくされて音出してた。あれ、「声」じゃあないよね。「音」だ。そして挙げ句の果てに
「ヒドイ!!キモチワルイよ!どうしてそんなに下がっちゃうの!」
と…学先生のうんざりした顔…もう私もげんなり。え〜〜〜ん、はみんぐってはみんぐってぇ。

ジバエードフさんみたいな響きのいいハミングを、高い音でも美しく響かせるにはどうやって発声したらいいんだろう?ん〜〜〜〜(この日記書きながら何度も発声してる。一人で。端から見たら相当不気味だ)
ん゛〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!ム゙ズガジイ゙〜〜〜〜〜〜!!!


2003/11/23(日):チャレンジウィークの報告集

先週の金曜日におおかたあがってはいたのだが、明日の午前中にとりに来たいからと言われたので、職場の方から頼まれてた中学生のチャレンジウィーク報告集表紙原画をIllustratorで仕上げてプリントアウト。DataもCD-ROMに焼き、お渡しできるように仕上げた。こんなカンジ。

作りながら、中学生が一生懸命仕事してる表情っていいなあっと、つくづく思った。みんな素直でひたむきで、ちょっと緊張気味のよそ行き顔。実にいい顔してるんだなあ。
慣れない仕事だから?知らない人のところで過ごしたから?
それとも
夢中になってるから?やりがいを感じてるから?
全部少しずつ正解で少しずつ違うんだろうな。14歳のバーチャル職業人。

実施期間は病休中で子どもたちの様子を見に行くことが出来なかったから、見せて頂いた写真でしか様子をうかがうことは出来ないけれど、まあ、みんないい体験ができたんだろうなということはその数枚の写真からもよくわかる。その一生懸命なカンジが伝わる表紙にできたかなあ…?

それにしても、久しぶりにしっかり長時間にわたってコンピュータと向かい合ったら、痛む痛む…肩と背中。昼となく夜となく痛みが続く。前屈みになる頭を支えるっていうのは首にとってなかなか大変な仕事なんだね。退院後だいぶ体力には自信がついてきたんだけど、ここに来て痛み止めを塗ったり湿布を貼ったり鎮痛薬を飲んだりと、日々痛み対策…。最近気温も低いので余計に痛みが続くのだろうか。職場復帰が真冬時期と重なるのがちょっぴりコワイ。ま、慣れるしかないのかなって気もするのだけれど…。  


2003/11/26(水):せいてんなりぃ

今日はすごく穏やかないい天気。朝のうちに部屋の掃除をして洗濯物を干した。そしてリハビリ。最近はWindows Media Playerにいれてある曲をランダムにかけながら動いてる。今日はレッチリとアンダーワールドとハイロウズがたて続けにかかり、曲に合わせて動いたら40分間で汗びっしょり。シャワーを浴び、どうせなら…と、お風呂掃除も。最近よく動くようになってきたせいか、身体が軽く感じる。体重はほとんど変わんないけど。びみょーに痩せつつあるけどね〜。鍛えまくってるためなのか、ふくらはぎはふたたびぶっとく逞しくなってきた!ああん。

首が結構回るようになってきて、車の運転にもだいぶ自信がついてきたので、来週アタリちょっと遠出をしたいなあ…なんて思ったので、今日はガソリン入れついでにエンジンルームを色々点検してもらったら…。なんとATFもブレーキオイルもエンジンオイルもみーんなかなりばっちくなってたことが判明。
ATFは前回交換したのは去年の今頃。20000Kmごとに交換した方がいいと以前聞いたけど、もうすでにあれから20000Km以上走ってた。結構頑張ってくれてるんだよね、ドライブ好きの私のらし〜ん君。で、それらオイルをぜぇんぶ交換することに。
で、ガソリンスタンドを出た瞬間、驚いた!まあ、走りがなめらかなこと!ごめんよぉ〜。ほんと、今までぞんざいに扱ってたんだなぁ。次回のオイル系交換はもっと早くするからね、働かせてばかりでゴメン…と我が愛車にぺこり。

昼過ぎからは学先生の家に遊びに行った。午前中に珈琲屋さんで買ったハワイコナがお土産。学先生にはいつも美味しい珈琲を出してもらってばかりだから、たまにはお返しせねばと。
色々おしゃべりしていっぱい笑った!学先生ってほんと、オールマイティに話題の尽きない人だな。面白かったぁ。

ああ、今日はすごくいい気持ち。外へ出かけるのって楽しい♪お天気のいい日のakyaはたいてい上機嫌なのだ☆


2003/11/27(木):…はまってしまった…

私はここ20年ほどテレビドラマという物をほとんど見ずに過ごしてきた。いや、厳密に言えば自分からは見ようとせずに過ごしてきた、って事かな。ニュース番組やスポーツ番組は多少見る、かな?でもそれも、世間の平均的視聴時間と比べたら、私とテレビ君との関係はかなりCoolなものだった。
けれど、今回の入院&病休生活で、私とテレビ君との関係は今までになく友好的になりつつある。Hotに、とまではまだ行かないけれど、まあまあ暖まりつつあるってカンジかなぁ。少なくとも1日の内、たぶん40分くらい(?)は、自分からテレビのスイッチを入れて眺めたりしていると思う。これは私にとってかなり画期的な歩み寄りだ。まあ、それでも見るのはほとんどが夜の情報番組系…。ドラマってどうも苦手なのね。

ところが、ここのとこ、しっかりとはまってしまった。てれびどらま!それは今日、木曜10時からの番組♪ああ、はやく10時よやって来い〜☆彡
とにかく私好みに変なオハナシ。急ピッチに展開するハイテンションドラマ。伏線張りまくり小ネタばらまきまくり。そしてとびっきり馬鹿馬鹿しっ。キャストの個性120%まきちらしてその上かわいーvv…あっけにとられて笑いまくって気がつくと終わってる。いったいコレ誰が作ったのさ。この脚本家、才能の固まりみたいなヤツなんだろうなぁ…。そしてこのドラマのスタッフって、一体どんな人たちなんだろ?と思って、即Net検索。そして5週間が過ぎた。

…天才クドカン素敵すぎ☆


2003/11/30(日):醍醐堪能

「美の神アフロディーテがゼウスの娘へレナをチーズとワインと甘い蜜で育て上げたため、ヘレナは輝くばかりの美しさと知性を与えられた」とホメロスの叙情詩オデュッセイアに。そんな大昔からチーズにはワインだったのかぁ!そりゃもう、いただくしかないでしょう♪「チーズとワインと甘い蜜」…耳にもうっとりするような組み合わせ。
そう、先日来、とり憑かれてたのだ。
それは今をさかのぼること約6000年前より人類と牛とのもちつもたれつはじまれりメソポタミアはシュメール人の酪農の神の手による魔術…醍醐の魅惑。Yes!Cheeeeeeeeeeeeeee*se !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この時期、ボジョレーの新酒が入荷するためか、どこの酒販店も一時的にワイン一押しムードになる。それにやっぱり12月といったら無信仰心に篤い日本人にはパーティー先行型クリスマスのシーズン。パーティーにはやはりスパークリングワインですね。で、やっぱりチーズ!

2週間ほど前に、北橘村にあるB工房という生産者が代官山レストラン御用達の超美味モッツァレラチーズとリコッタチーズを世に送り出してるという情報を得た。もう、そんなこと聞いたらB級gourmetのakyaのこと、ぜひにっ!ぜひに!それを食してみたいぃ!!と食探検modeに突入。あっちこっち入手ルートを探ったのだが、結局県内では購入不可能という結論に達した(なんでかなあ?県内の生産者なのに東京にだけ売るって、それ何?)のだった。それならばせめて、と、過去に高崎市内で見つけたチーズ専門店へ行ってみよう!と訪ねてみたものの…。あまりに遠い過去のこと、記憶していた界隈には店舗発見できず。で、そういえばウメちゃんが以前、高崎市内にあるチーズ屋さんのこと話してたなあ!と思いだし、助けを乞うたのが昨日のこと。で、今日はウメちゃん情報のmailを片手に、ラシーン君に乗って高崎市にあるMonte DORAGOというお店へれっつごー。ようやく美味にありつける!すぺしゃるThanksウメちゃん&ムッシュ山本withちーず!ちーず!

こぢんまりとしたおしゃれなお店のショーケースに並ぶのは、見たこともないようなさまざまなチーズたち。輸入先と原料乳が小さく記入されたカードに商品名と小売価格が表示されている。一つずつ眺めては見るものの、どれがどんなお味なのやら全くわからない。
人柄のよいご主人が、
「少しずつ食べながらお気に入りを探すのが一番ですよ」
と、試食させて下さった。ドイツの青カビチーズ「カンボゾーラ」と、フランスのセミハードチーズ「ミモレット」。ほんの少しだけスライスして頂き、口に含んでびっくり。
「わぁ!味が濃ーい!!」
ついつい、どっちの料理ショーばりのセリフが口をついて出る。だって本当に驚くほどミルクの風味が濃く、ナッツのように香ばしい。こんなちょっとでもこんなに味わいが深いんだなあ!早く帰ってワインと一緒に味わいたぁ〜い!

結局お味見させて頂いた2品を少しずつ購入。お店でカットして頂いたそれぞれの包みを開けるとふわっと香ばしい。わあ〜!もうこれはやっぱりワイン−!時刻はまだ16:00を回ったところだというのに、いいじゃん、今日はおやすみなんだからさっ☆のノリで早速酒盛り準備開始。
二つのチーズと堅めに塩茹でしたブロッコリー、甘エビの唐揚げをテーブルに。TVの競馬中継なんか眺めながら、さっぱりとした辛口の白をあける。美味しいものをいただく気分の昂揚を敏感に察知して、すぐに2階から駆け下りてきた猫のawabiも私たちのお相伴に加わった。
ワイン飲みながら、合間に台所に行って魚屋さんで買ってきたブリの頭(結構なサイズなのにたったの200円ナリ♪)を霜降りにして水洗い。お酒とショウガと葱の葉で臭みを抜きつつことこと煮込んでブリ大根もできあがり。骨まで柔らか!つやっつや。ミモレットとニンニクとオリーブオイルでマリネソースを作ってレタスをさっとあえる。余った大根を千切りにしてみじん切りの葉と一緒にひと塩。きゅっと絞って柚の皮と土佐醤油と酢とあえる。午後の酒盛りから夕食の準備になだれこみ〜。手を休めて合間にまたちょこっとチーズをつまみ食い。ビールもあけてごくり。う〜ん、醍醐味とはこのことなりぃ。ああ今日はしあわせなよっぱらい。


2003/12/1(月):ださ字等幅

ださ字をいんすとーるした。おもしろぉーーい!

なんかすごくおばかになったきぶん。漢字とか使いたくなくなるね。カンジ…あーすてき。
(以上、ダサ字等幅フォントをお持ちの方には、「フッ。今頃オモシロがってんのかよ。おせーよ」とかつぶやいて頂きながらダサ字でご覧いただきました。)


2003/12/7(日):うどんの中からは何が出てくるか?

昨夜の合唱練習で、いみじくも学先生ののたまふた、名(?)セリフ…
「(暖房用エアコンの送風音の騒音を耳元で聞きながら)みなさんの歌を聴くとね、なんか、うどんだと思って食ってたら、うどんじゃなくて中からミミズが出てきたみたいなキモチワルサなんだよね
…を検証せん、と24父さんの手による通し稽古録音CDを聴いてみた。

で……………………。

とりあえず、ものすごく気持ち悪くなった「フクロウ」は最後まで聴けずに次の曲へ。「勉強」はセリフが始まるとホッとするが、「灯りを吹き消されてもー…」で慌ててPCのボリュームを下げる。「帰れるぞ!故郷へ」のソロが入るところはミミズ?否、ムカデが出てきたくらい気持ち悪くなり、いったんCDを取り出し、気を取り直すために珈琲を飲みに行く。
結局その後のどの曲も、あまりに聴くに堪えない唄ばかりでかなりへこみまくって、最後の「生命のコスモスは」終わりまで聴くまでもないと思い、CDを取り出し元のケースにおさめた。やれやれ。24父さんが睡眠時間を削って焼いてくれたCDだ、と言う認識がなければ捨ててしまっただろう。

あ゛ーーーーーーーー!!!!!!ヘタねぇぇぇぇ〜〜〜〜私たちって!

練習しなくちゃ。とりあえず、ソロのとこはミミズでもムカデでもゲジゲジでもこのCD聞きながら練習する。それと他のところは…でもこれって、どこからどうすりゃいいっていうの?だって、ソプラノの声なんか、もう全然ダメダメじゃん!!


2003/12/8(月):完結

榛名荘病院の思い出のページを仕上げた。職場復帰の前に必ずやり遂げたくて、毎日少しずつ書きためていたページだった。もう一度もう一度と読み返すと、自分の稚拙な文章に嫌になったりもするが、2ヶ月前のあの頃を思い出して、胃がきゅっとなる思いもする。懐かしい、有り難い、貴重な思い出。
来週の職場復帰の前に、自分を戒める気持ちで再びよく思い返しておこうと思う。学んだことをきちんと自分の糧とするように生きたい。


2003/12/10(水):ふくすいぼんにかえらず。ときはかねなり。

朝目覚めて窓からのぞく冬晴れの青空に上機嫌。パジャマを脱いでベッドから飛び降り、資源ゴミを分別して出し、帰宅後朝食を作り食べた。食器を片づけて寝室のベッドを整えて昨日の残りのPC仕事を片づける。郵便局に行き年賀状の葉書を300枚買って来た。父親に頼まれていた年賀状の印刷はLaVieちゃんとPrinter君に任しておいて、洗濯モノは洗濯機に任しておいて、家中に掃除機をかけ、珈琲を飲みながら猫のケンカを見物。戦い終えて散らばった毛を掃いて、洗濯物を干す。猫トイレの掃除をしてから1階のトイレの拭き掃除をした。お風呂場のカビをやっつけた。びしょぬれになって着替え。昼食を作って食べて食器を片づける。プールに行って1km泳いだ。実家に出来上がった年賀状を届けに行く。学校に仕事の打ち合わせに行った。帰宅して洗濯物をたたみ、夕食の準備そして夕食。

まずまずな1日かなとやや満足の笑みを浮かべ珈琲をすすりつつ、ソファーにもたれた…その時、ふっと背中を嫌な感じがよぎった。あ。…昨日寝る前にはしっかりと今日の予定を立てていたのに…。すっかり忘れてた。今日は映画を見に行こうと思ってたんだ…。
お休みはあと5日。


2003/12/16(火):ただいま。

久しぶりの職場。自分の椅子があって、当たり前にそこに腰を下ろして仕事が出来るということがこんなに心躍ることだったとは。みんなにお茶を入れて配ったり、あいさつするだけで楽しくなってくる。人と人の間に自分がいることが嬉しくてたまらない。

教室に行くのは何だか照れくさかった。入口から
「ひさしぶりぃ〜…」
と顔をのぞかせるようにそろっと入っていったら、まわり中から波のように大きなどよめきやら叫び声やら色々…。
「先生、お帰りなさい!」
黒板には大きなカワイイ文字とそのまわり中に「またよろしく!まってたゼ!!無理しないでね!やっぱり担任はあんただけ!6組最高!…」などなどと歓迎の言葉がぎっしりと寄せ書きしてあった…。

どの顔も懐かしくて嬉しくて、そして、ほんの少し教室が窮屈になったような気がした。みんな成長して一回りも二回りも大きく見える。男の子の中には話しかけられても一瞬誰だかわからない子もいる。声変わり!?うわああ。

学級委員のToshi君が
「せぇ〜の!」
と言ったら、みんながにたあっと笑いながら
「おかえり!!」
と一斉に。

ああ、嬉しい!またたくさんの子どもたちの息づかいとともに悩んだり笑ったり出来るんだ。


2003/12/20(土):***White Christmas eve×4***

昼過ぎから灰の羽毛に煙り
陽は滲んで消えた
絣の帷子をまとい
張りつめた肌
赤城の峰はかき消えあたりは白く煙る街

風は強まり、樹の幹は片頬白く化粧した

夕闇はくろぐろと墨染めの帳を忘れ
銀の粉を蒔くベールを用意した
街は仄かに熱を帯びる

もうじき橇の鈴が空を駈ける夜をもう待ちきれずに誰の屋根にも真っ白な雪の夜。


2003/12/29(月):白い侵略者

作者に似た?…のかなあ………。


2003/12/31(水):しめくくり

大晦日っていう言葉自体が何となく焦燥感をあおるなあ。
だからというわけではないのだろうけど、お店にも道にも何だか必死なカンジの空気が漂ってる。けむりみたいに。
それをひょい、ひょい、と避けてくぐって歩くような気分で朝からお買い物。…実はなんて事ない、私自身が焦っていたのかもしれないね。たった1日、日付が変わるだけなのに、「今年中にこれをしとかなきゃあ」「こんなことで年越しになっちゃあまずいなあ」…って帳尻合わせをしようと焦る気持ち、実はこういう人間のサガみたいの、けっこうすき。いいよね、なんか、いとおしい滑稽さ。

で、朝は9時前に家を出て、大晦日恒例の朝市をやってる最寄りの生協へお買い物に。駐車場は満車で、入口付近に設置された仮設テントにはずらりと行列ができている。何であろうとのぞいてみたら、ズワイガニの大安売り中。ふううん、大晦日のごちそうかなあ?それともおせちにのるのかな?…と思ったらすぐに目の前に家族団らんのテーブルが映し出されるワタシ。みんなでなんやかんや言いながら一生懸命カニほじって食べるお父さんや子どもたち。そんな想像だけで嬉しくなっちゃう。
さて、っと私はのんびり、自分のmemoに沿ってお買い物。年越し蕎麦とお雑煮の材料と…。おせちの大方の材料はもう買ってあったから、当日買わないと鮮度の落ちる生ものや野菜だけを今日回しにしていた。だからちょっと買ってすぐに店を出られるはずが、ああ、どの売り場もレジも大混雑。思わず時計を見る。え〜!?まだ朝の10時前だよ!みんなどうしちゃってるの?元気ねえ。
ふと気付いた。年配の男性の姿がわりと多い。そっか、さすがに大晦日ともなればお仕事もオヤスミで、家のお掃除も一段落したから奥様の荷物持ちということなのかな。今年最後の妻孝行?いいなあ、あんなご夫婦になりたいものです。…しかし、若い夫はあんまりいないぞ?ん?

続いていつもお世話になってる今井鮮魚店さんへ。今夜食べるお刺身を買いに。
今井さんは大学生の頃、「日本一の魚屋になる」と決意したカッコいい方。実際、控えめに評価しても前橋一のおいしいお刺身やさんだと思うし、群馬県一のdandyな魚屋さんだと思う。奥様はまたとっても素敵で才能のある美術の先生。akyaの大好きなお店の一つ。
開店3分前についたはずなのに、え?店の前に人が並んでる!!驚きだあ。続いて私も並ぶと即お店が開き、絶品のお刺身を買って満足。海無し県の群馬にあって、最高に鮮度のよいおいしいお刺身を提供してくれる今井さん、今年も1年間、お世話になりました。

一旦帰宅し生ものを冷蔵庫におさめ再び出発。今度はガソリンスタンドで今年最後の給油と点検と洗車。そのあと南蛮屋さんというコーヒー豆やさんでお気に入りを購入して、仲良しの花屋さん「森の樹」で大好きなBillyを聴きながら店主の森平さんとおしゃべりしながら百合を買って、ハンバーガーやさんに寄って、帰宅。なんと、時刻は13時なり。

…ガソリンスタンドで点検結果を聞いて帰るとき、チェックしてくれたお兄さんが
「これで全部OKです。どうぞ、安心してお乗り下さい」
と言ってくれた。今年最後の日に素敵な言葉を聞いたなあ。「安心して」という言葉の暖かみが今年最後の収穫。