2002/9~12 中学校2学期

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9/2(月)2学期始業式

久しぶりに子どもたちと顔を合わせた。教室に並ぶ子たちの顔、みんな何となくたくましい。2学期が始まってゲンナリ、という表情はあまり感じられず、何となくみんな嬉しそうな目をしていることが印象的だった。中学校は部活動が夏休みの生活の中心だから、毎日そうそうだらだら生活にもならないわけだし、結構みんな充実していたって事かな?むしろ、部活以外の友だちに久しぶりに会って、わいわいと話す事が楽しくってしょうがないという様子。

おきまりの大掃除。教室の中を例によって私も電車バージョンの雑巾がけ。仕上げは廊下の雑巾レース。こんな事にきゃあきゃあいいながら、まだつきあってくれる中一の女の子、いいな。それにしてもめちゃくちゃ暑くて、汗びっしょりになった。
「先生、顔真っ赤だよぉ!」
「ああ、わたしもみんなみたいな体操着が欲しいよぉ…でも、ぶっとい足が恥ずかしいな」
「え、大丈夫だよお、先生、これ貸してあげようか?」
なんて話をしながら掃除終了。

学活では例によって、通知票の家庭からの通信欄をいくつか読んで紹介する。
「上の二人の子の受験に気をとられて、目が行き届かなくなることがあるかもしれません。その時は先生、きちんと叱ってやってくださいね」
「たくましく成長した我が子に感動しています」
「勉強が進まなくてもノンキで気がかりです。そこがまた良いところなのだと思いますが。」
などなど、我が子への愛情に満ちた保護者の方の一言には毎度感心させられるし、今学期も頑張らねば、と身の引き締まる思いもある。こどもたちも、
「あ、、それうちのお母さんが書いた文かな」「あ、それ、家でも言われたぁ〜」
とさざめきながら、ときにシンとなりながら聞いている。
「いつでも前に向かって取り組め」
と一言、書いてくださった家庭もあった。我が子へのエールなのだろうな。う〜ん、いいな、こういう厳しくてあったかい言葉を表現できる家庭。多分、お父さんから息子への言葉なのだと思う。

2学期が始まった。私なりに中学生の今と格闘できる、悔いのない日々にしたい。


9/5(木)座席に罪アリ?

 中学生ってどうしてこんなにしらけた表情が上手なんだろうとつくづく悲しくなってしまうことがある。反抗しているのではなく、単に無気力な表情。無表情というのともちょっと違う、何だろう…心の底に小さな苛立ちがあるような、でもあきらめているような、そんな顔。いろいろな原因が、彼らの表情を作っているのだとは思うのだけれど、一つには、そんな顔をしなくてはしようがないような現実が、中学校のどこかにあるのだろう。
 幸いなことに4組の子どもたちにはその表情はまだ見られない。少なくとも私の前では一人一人が個性のきらめきに満ちた目を見せてくれる。いつ、どんなときに子どもたちの表情はくすんでいくのだろうか…?

 少なくとも小学校から中学校へと「進学」してきた彼らなのだから、小学生以上に様々な能力をたたえているはずだと思う。力は、人を生き生きと輝かせるはず。なのに中学生からその輝きを奪っていく学校って、一体なんだろう?その能力を縛る一因には、不思議な「規則」や「管理主義」が挙げられると私は思う。そいつらにここ数ヶ月でうんざりの私。担任として、子どもの力が押さえ込まれる方向に力が働いた時は、上手にフィルターとしての役割を演じられるといいなと思っている。上から下ろされる規則を真面目に守り続けたら…きっと子どもたちはみんな死んだような顔になっていくだろう。そんな教室…まっぴらだ。

 まあ、愚痴を書いたらきりがない。不毛なことはやめよっと。

 2学期は、体育祭に合唱コンクールにマラソン大会…クラスの団結と集団の豊かさを鍛える学期だと思う。我が4組が1学期に築いてきた自治力を信じてさらに強化してあげたいと思った。で、手始めに、2学期の座席を決めるというので、子どもたちに決め方を尋ねた。
「1学期はずっとくじ引きで来たけど、2学期、どうする?どんな座席にしてみたい?」
 男子の多くは「そのままくじ引きで」と答えたが女子は圧倒的に「好きな子同士で着席したい」という。
 好きな子同士っていうのは別になんでもないことだけど、授業中、意志の弱い子はおしゃべりに興じてしまうかもしれない。だから私自身は、こどもたちにお互い注意し会える関係が出来ていれば、それもいいだろうと思った。何しろ、私だって、講演会や会議の時、気の合う職員であったり、仲間であったり…の隣にすわりたい。あの人、苦手だなあ…という人の横に無理矢理座らされて、1日授業を受けろと言われたらまっぴらゴメンだ。子どもたちに、それくらいの自由をあげてもいいように思った。誰とだって仲良くするって言うのはそりゃあ、大前提だが、1日中、勉強しなくてはならない座席を子どもに選ぶ権利ぐらいあったっていいだろう。何しろ規則だらけの学校なんだからさ。

“教室が一番落ち着くところ”

 それが私の目指す学級だ。1日の内、一番長く過ごす教室くらい、自然体で楽しくやれた方がいいに決まってる。 「好きな子同士の座席」それも、ありだ。全然OKでしょう。でも、ルールを守れることが条件。

「授業中、おしゃべりを楽しむための座席じゃあないよ。分かっているよね。それと、意志の弱い人にはきちんとお互いに注意できるかな?みんなが信用できる仲間になってくれないと、好きな子同士の座席はムリかなあ」

反応様々。
「絶対、IとTのところがうるさくなるよ」「AとNのとこだっていつもしゃべってるよ」「注意してもゆうことなんかきかねえやついるよな」
わいわい意見が出る中、
「大丈夫、やってみようよ」
とひときわ大きい声が出た。「おお〜」と言う低い歓声があがったけど、「やろう」「おれ、今度からちゃんとやる」
と、本音は自由な席決めに賛成したいココロが口を滑らせる。
 そこで、好きな子同士の座席。私の使う時間に関してはわりとNO問題だ。だまって子どもの方を見ていれば自然におしゃべりも止んでこちらに注目する。
 でも、教科によってはそうも行かないようだ。結果として一番過敏に反応したのはK先生だった。ほんの少しでも子どもたちに私語を許したくないのだろう。毎日のように「この席はやめてもらいたい」と繰り返しているそうだ。私に直接は言ってこないけれど…。

 申し訳ないけど、教師なら、授業の質で子どもたちの意欲をそそってみて欲しい。教えることのプロなんだから。小学校ではどの教師もしている努力だ。中学校の教師は受験を楯にとって、子どもの興味をひく学習の工夫を怠っているのじゃあないかと、疑問に思うことがある。小学校だったら、どの子も意欲を持って取り組む授業を作るために、教師が教材研究をするのは当たり前だ。そうでないと、面白くないからやりたくない。だからやらない。と、子どもたちはそっぽ向いてしまう。中学校では、皆さんが頑張らないから成績が悪いんですよ、ちゃんと勉強しないから良い点が取れないんです。いい学校に行けなくても皆さんが悪いんですよ、と…?だから塾が儲かるんだよね。きっと。

さてさて、この座席問題、これからどんな展開を見せるか…。楽しみだな♪


9/7(土)通し稽古A

 ハードな1日だった。昨夜のお楽しみの後、寝不足の朝は7:00ちょい前に家を出て、楽器の積み込み作業、部活のファミリーコンサートへ。終了後部室に戻って楽器の積み下ろし。移動してお店に行き、14:30まで昼食会。またもや職場に戻り、15:00からは、明日の全校あげての奉仕作業のための準備作業。
 そして夜は合唱練習。いつもの練習場に到着したのはもう19:30になっていた。大遅刻。ああ、もったいない。

 「浜辺の歌」をうたっているところだった。男声パートがまた女声のものになる。仕方ないのかな。来年は男の人、集まるのかなあ。
 「ぞう列車」の通し稽古。ナレーションを、名古屋東山動物園の園長さんの語りで、という演出になっていた。台詞が入ると物語の骨子が明確になってきてやっぱり楽しい。

 今日のソロ『象を売らないで』は自主練で暗譜したから少しは気持ちを入れて歌えたかな?でも、
「あの喜びは、もう、なくなるのですか」
と、売られていく象とのサーカスの思い出を、象つかいの娘が惜しむ歌詞の部分、高音部のところでmpがついているのが難しい。自分の子どものように、親友のように、そしてかけがえのない仕事仲間として、象を想ってきた娘が、楽しかった日々を回想する内に、とうとうこらえきれず泣き出す部分なのだろう。
 その後はもう、ひたすら
「象を売らないで何処にもやらないで」
と訴える。その切羽詰まった想いを歌声で表現するのって…?あんまり芝居がかって感情移入しすぎた歌い方は性に合わないし、なんか押しつけがましくて嫌だ。でも、タダ歌うだけでは、やはりもったいないところだろう。きちんと歌って伝えて、聴く人の心に悲しさが広がるように歌いたいんだけど…。うーん。一生懸命歌ってる自分には、人にどう聞こえてるかは分からない。どうなんだろう?

 子どもたちの歌声は相変わらずカワイイ♪で、学先生はいつも「歌詞をはっきりと伝えること」「音を正確に歌うこと」「文章のまとまりを伝える強弱を意識すること」を繰り返す。それが基本なんだろうな。

 練習はあと5回。大切にしなくては。


9/14(土):通し稽古B

この日記、気が付けば教室日記ではなく合唱団員akyaの練習日記とあらためなくちゃあと言う風情になっている。何というか、平日は殺人的に忙しい。本当に身体が3つくらい欲しいこの一週間だった。授業と生徒指導と教育実習と。う〜ん、今年は多方面から鍛えられるなぁ。色んな事がありすぎて、経験値がばんばん上がっちゃうよ。うん。

さて合唱だ。しかし、眠い眠い。この一週間のハードでタイトな日々が、私の感性をかさかさにしてくれたカンジ。いやいやこんな事で音を上げたら、中学教師の名が廃る!まけるもんかぁ!ってなわけで、瞼閉じそうになる自分に「おりゃおりゃ」っっと心の中で檄飛ばしつつの通し稽古。今日は子どもたちの台詞が入った。

なあんとなく、初めての台詞合わせはいつもみんな嬉しハズカシのたどたどしさ。男の子で、すっごくいい味出してる子がいて、個人的に私の興味はその子に釘付け。くるりん坊主君。いい声出すんだけど、微妙に天然のズレがある。ああ、やってくれる。いいなあ。

同じ「ズレ」でも、大人の合唱のそれは何というか哀しくも情けなく、体調悪い学先生は明らかに困惑気味。病をおして練習に来てくれたというのに、それを労るどころか、気苦労のパンチをお見舞いしてしまったかも。もう本番まで数回しかないのにこんな事でいいのか…。
かくいう私も今日はかなり足を引っ張ってしまった。ここのところ毎度痛感するのは、楽譜をきちんと読まない(もしくは読みこなせない)人間が、あっちこっちで歌い慣れてしまった歌には、ずいぶんといい加減な味つけがされてきてるんだなあと言うこと。私は既に伊勢崎・名古屋・大胡と3カ所の公演で歌い、もう完璧に覚えたと思っていた今回の「ゾウ列車」の合唱組曲だったのだが、あまりにもいい加減に身につけたところが多すぎて、それを修正すべき箇所の多さにとまどい気味。ううう…自己嫌悪。

合唱練習中、頭がぐらぐらしていたが、帰りの車の中で必死にまた練習用CDで歌いまくり。ああ、ここも違ってる、ここも違ってた。ここはつないで歌うのか。ここは切るんだな。いやあ今頃知ってどうするんだって!
練習用CDで毎日歌ってはいても、一人だと誰にも間違いを指摘されないからそのまんまノンキに間違って練習していたというところも多いと気付く。うーん、悔しい。頭痛い。

本気で音楽の勉強しようかなあと思ってみたりする今日この頃。部活指導にも活かせるし…。少なくとも楽譜をスイスイと読めるくらいになるにはどうしたらいいの?ピアノも弾けない私。う〜ん…。悩みは尽きない。


9/15(日):さぼり続けた報いの草刈り

やった!ようやく家周辺の伸び放題の草を刈った。庭の草なんだけど、「草むしり」なんて言う生易しい段階はとうに越え、完全に「草刈り」の状態まで放置していた報い。そりゃあもう、スゴかったですぅ★

まずは鎌を研ぐ(!)事から始める。なんとも情けないほど錆びた鎌で、私の愛情と勤勉さの欠如を如実に物語ってる。だがまあ、刃物を研ぐことは仕事柄慣れたもんだから、やがて赤さびた鋼に
「ああ〜ん?そうなのぉ?しょうがないねえ、やってやろうかあ?」
てなカンジのヤル気が蘇ってくる。さあ、刈ったるぜ!

まずは物干し台周辺から。ハンガーピンチに絡んだ葡萄のツタをぶっちぎり、アメリカセンダングサの堅い茎を薙ぎ倒し、イラクサの棘に悪態をつき、ムラサキツユクサの華奢な根本をずんずんざくざく刈っていく。世間では10月中旬の低気温という話しだったが、あっという間に流れる汗汗汗汗汗汗汗汗…
すぐに軽トラ一杯分ぐらいの(ああ、ハズカシイ!一体どのくらいサボってたのさ!)草の山が出来た。これを隣のこれまた草ぼうぼうの空き地に(ゴメンナサイ!でも、誰も手入れしてないんだからさ)放り投げる。左手に軍手。右手に鎌。鎌を持つ手首のスナップを利かせて、サイドスローで、おりゃあ!と投げると気持ちいいくらい遠くまで飛んだ。イェ〜イ♪楽しくなってきちゃったもんね♪
続いてウッドデッキに絡みついたツタと木イチゴをざくざくばりばり引きはがし刈りまくり、最後に排水溝のある裏庭周辺の草ムラを刈って、葛のツタを切り払って終了。うん、すっきりした!かなり虎刈りだけど…。
昨日から刈り払い機を操って頑張ってくれてたO氏の仕事量には遠く及ばないけれど、肉体労働もたまにはいいもんです。シャワーを浴びたら日頃にたまってたストレスまで、一緒に流れていくようだった。
お昼ご飯にはたっぷりのオリーブオイルとベーコンと鷹の爪とニンニクと、あり合わせの野菜と青シソでパスタを作った。こんなやっつけMenuでもうまいことうまいと。空腹は最良の調味料。うん。名言なり。

ああ、この秩序をまたいつまで維持できることやら。他の誰の物でもない、私の家なんだから、きちんと管理しなきゃあ…しかし、自信はないよぉ〜。


9/29(日):小学校の運動会で

ワクワクしながら目が覚めた。雨は・・・OK。降ってないぞ!今日は小学校の運動会を見に行ける。

 この日は前任の小学校の運動会を見に出かけた。
去年の5年生たち、もう立派な最上級生としての仕事を果たせているかな・・・?
リズム構成は?終わりの歌は?きりりとした美しい笑顔に会えることを楽しみに出かけて行った。

 行ってみると丁度南中ソーランの真っ最中。遠くから聞こえてくる太鼓の音と、南中ソーランのRock調のリズムに誘われるように、私の足も自然に速くなる。胸一杯に懐かしさがこみ上げてくる。
 そういやあ、数年前、運動会間近の校庭から、
「どっこいしょ〜どっこいしょ〜!!」
が聞こえてくると高学年の教室ではもう全然授業にならなくて、あのかけ声の魔力に脱帽したことがあったっけな。

 でも、いざ目の前に子どもたちの民舞を見てみて、…思ったほど感動がない。
 自分でも不思議なんだけれど…。小学校の現場から、たとえ半年でも外に出てしまうと感性が鈍ってしまうのかな?あれ?なんでかなあ。なんだか期待していたほど、子どもたちの動きがきれいに見えない。

 その想いはリズム構成を見ながらだんだんふくらんでいく。
「ううん…なんだろう。あんまりよさが見えてこない…」

 その原因の一つは、やはり私自身がさび付いてしまったのだと思う。毎日小学生の今と関わっている者には確かに響くもの…強く響く子どもの命の魅力への関心が常にある。その関心が、私自身の中で薄れてしまっているのかもしれない。でも、それにしても…頑張っている子どもたちや先生方には申し訳ないけど…。
 もう一つの原因を探りながら、8年間、この学校に勤務しながら、私が常に抱いていた不安が蘇って膨らんできた。それは、私はこの学校ならではの「良さ」を引き継いで行くことができるんだろうか、という恐れに似た思いだった。

 南小に勤務した1年目、昔ながらの教育にひたすらで馬鹿正直な職員がどっさりいたことに驚いた。校内研修で指導案を検討するときは誰もが皆、指導主事よりおそろしかった。飲み会の席でさえ、話題は常に学級のこと、授業のこと、仕事のこと。しかもうやむやに笑い話にするのではなく、まるで学級会の討論みたいに
「はい!意見」
「はい!その意見に付け足し!」
丁々発止と交わされるそのやりとりにタジタジとしている惨めに未熟な自分がいた。でも、それは、素晴らしく魅力的な時間だった。
 一方で、それに批判的な先生もいた。「何で飲み会の席まで仕事してるんだ、純粋に飲んで馬鹿騒ぎできるのが飲み会じゃあねえのか、こんなのやってられるかよ…」と。
 人事によって職員構成が変わるごとに、雰囲気が変わっていき、私のいた8年間の間に、職場は普通の学校になっていった。つまり、私にはずいぶんな責任があったのだと思う。それを果たせなかった。荷が重いように思えて。

 あの頃は、運動会の日に一人一人の一番の姿を見せようと、遊競技もせず、器械体操を発表してたっけ。まさに、お祭り騒ぎではなく真剣勝負、見事に「授業」の一部分だったのだ。表現種目は、まるで身体を使った芸術の発表会だった。運動会は美しく豊かで賢い子どもを育てるための、年間にいくつか用意されていた山の一つとして存在していた。

 そもそも、子どもたちに本当の「子どもらしさ」が輝く時、そこに向かうためには、多くの一見ムダに見えるゆったりとした時間と、それを存分に活かそうと夢中になる教師の根気と情熱が必要なのだと思う。けれど、今、形ばかりを整えようと躍起になっている不思議な臭いが感じられる。うすっぺらなくせに体裁の良い見かけ。一見すれば立派なシステム。きちんと枠組みされた上に乗っかった形通りの計画。
 ほんとうに子どもと教師とが顔つきあわせて、ああだねこうだねと悩んで考え考えしながら、時にようやく乗り越えるほどの大山を越えたとき感動に涙した、あの、真に学ぶこと成長することに夢中だった時間は?子どもの必死な頑張りをこちらも必死に受け止めようと躍起になっていた時間は?
 単なる競争主義による安易な感動ではなく、個々の成長による喜びや、悩みや、頑張りや、悔しさや、そんなきらきらした尊い想いをぱんぱんに抱え込んでいた、そんな時間は、綺麗に掃除されて、古い倉庫の隅っこに片づけられちゃったみたいだな。 

 楽しみにしていたリズム構成は、短い練習時間の中で、指導者が悪戦苦闘してきたもどかしさがとても伝わってきた。そして、作品としては、未完成だったと思う。完成した表現には、振り付けがどうだとかいう事ではなくて、子どもの表情から素直に伝わってくる「気」みたいな物の強さが存在するように思う。この日の発表は、子どもの中に本当に創造したいと思い詰めるような気迫がほとんど感じられなかった。動きに必然性が感じられず、だから形としての面白さや美しさも伝わってこない。
 どんな練習をしてきたのか、ただお人形のように形通り動いている、という感じの子が目立つ。自分から「こう、表現したい」と切実に動くときのような説得力がないのだ。
 時間がなかったのだからやむを得ない?そうかもしれない。ほんのわずか、砂場に散らばったいくつかのガラスのかけらのようにチカっと光る姿も見られたことは確かなのだから。
 ただ、一つ明らかに言えることは、学級経営のシンがきちんと通っていれば、子どもはあんなに甘ったれた動きにならないはず。どちらかというと5年生の方が輝いていた。リズム構成の恐ろしさ…毎日の学級の顔が正直に現れてしまうのだ。特に一部の6年生の表現からしばしば浮き出されて見えた無表情にはがっかりさせられた。
 ただ、誤解のないよう付け加えておくけれど、これは、指導された先生方を全面的に非難しているのでもないし、勿論子どもに責任があるわけでもない。ある意味、この姿はこの8年間の流れの当然の帰結なのであり、それは私にも大いに責任があったのだということ。

 小学校…なぜかすごく遠い存在のように思えた1日だった。


10/13(土):声・声・声・・・

声が出ない。声が出ない。声が出ない。合唱に行かなくてはと思う土曜の朝は起き抜けの喉の調子に毎度ため息をつく。ああ、また、どうしてこう喉が痛むんだろう。

医者に行って、吸入して、薬をどっさりもらった。声帯の腫れは相変わらず、今はその奥の気道にも炎症が広がってるとか。熱も高い。ヤレヤレ。
「黙って、マスクして、安静にしていること」
医師はそう言うけど、それじゃあ仕事はできない。

それでも午前中よりは声の出が良くなってきたので合唱練習に出かけた。最後の通し稽古。ソロを歌う。うむむ…喉の奥で何かが引っかかっているような声。必死に声を作って汗が出てくる。傍目には熱唱(?)に見えたそうだけどさあ…えええ〜〜ちがうのよぉ。

いろいろあるけど、ま、やるしかないよね。今週は幸いにも火曜水曜、金曜が授業日。木曜日は中間テストだから黙って試験監督していれば事足りるわけだし。

ひたすら薬頼み。治してくださあ〜い!お願いですぅ…。


10/19(土):コンサートツアー初日

今日は今期合唱団の企画、県内無料コンサートツアーの初日だった。
開演前の子どもたちが
「音楽センターみたいな照明はないしぃ、体育館じゃあつまんないよね」
「たったこれしか客入ってないの?なあんだ」
なんて会話してるのが耳に入った。うふふ。全くもう、キミ達はいっぱしの芸人みたいだね。ちゃんとそれだけの演奏、がんばれよ!っと笑いをこらえる。まあ、去年の音楽センターを経験した子どもたちには、確かに物足らなく思えるのかもしれない。学校の体育館だし、お客さんは少ないし、ある意味「晴れの舞台」というイメージからほど遠いものがある。言ってみれば今期は「営業」路線の活動に出たわけだね。または「ドサ回り」って言えばいい?今回合唱団員が少ないのはこのせい?地味なコンサートだから張り合いがないって事なのかなあ?

でも、私にしてみれば、学先生のピアノがあって、大好きな歌が歌えて、そこにお客さんがいるというだけで、場所は何処でも幸せ。そもそもプロじゃあないんだから、どこで歌ったってお客さんが多くったって少なくったって、ギャラは入らないんだから一緒よ♪…ってそういう事じゃあなくて…大切なのは、そこに歌があるって事なんだと思った。

体育館のステージで歌うとお客さんの顔がすごくよく見える。つまらなそうに手悪さしてる最前列の集団は、合唱団員の子どもたちの友だちなんだろうな。何人かは教員かなって思う。同業者は何となくそういう臭いみたいな空気を纏ってて、不思議とそれを感じ取ってしまう。子どもと一緒に付き添いで来たんだろうなって感じの、身の置き所に困ってるような雰囲気をありありと漂わせてるおじさんもちらほら。色んな顔が見られて面白い。いつも客席は暗闇に沈んでしまうのでこんなのんきな観察はできない。ある意味、ホントに今回のツアーって、ドサ回りだなあっと思ったりする。観客の手応えをじっくり見ながら芸を磨く下積み役者の気持ちちがちょっぴりわかる(?)かも。これはいい勉強になるなあ!

1部はメッセージ色の濃い曲がいくつか。歌ってみて、体育館の響きの悪さと、ピアノの音の悪さを再認識。途中学先生が指を痛そうにしていた。大丈夫かなあ?音を出そうとしてムリしちゃってるんだろうなと思った。
曲の間には、団の紹介や曲の解説などが入り、歌う時間より待ちの時間を長く感じた。「合唱団をより多くの人に知ってもらう」ということが今回の無料ツアーの趣旨でもあるそうなので、まあ、そういった事情からかやや話が長く、観客席の子どもたちは当然の事ながらどんどんだれていった。
「つまらない話にはもう飽きたよお、歌だって訳のわかんない戦争のこととか歌ってるしぃ」
客席で身をよじるたくさんの子どもの表情から、言いたいことがよ〜く伝わってくる。でも、大人達の中にはうんうん、と頷きながら話を聞いてくれる人もいて、客席の中にも温度差を感じる。まあ、それにしてもステージ上の子どもたちがよくこの時間をこらえているものだと感心した。実際、これだけ曲の間が空くと、次の歌への機動力が鈍るような気がすることは確か。ええと、あえて私の実感を一言で言うなら、「アイドリングは短めに。乗る人にも環境にもやさしく。」って感じ?

2部は合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」。お芝居仕立ての合唱組曲だから、子どもたちでも1部よりは楽しめるだろうと思う。2部の幕が開く前に、私にはひとつの目標ができた。それは
「あの最前列にいる落ち着きのない子どもたちの動きを止めてやろう」
という教師根性丸出しのたくらみ(^-^)♪

1曲目の「サーカスの歌」の中には、サーカスの団長が出てきて、声高らかにぞうの芸当の紹介をする場面がある。けれど今回のステージは合唱団の演出もされる丸山さんのオリジナル脚本。その部分は象つかいの娘がすることになっていた。すなわち、私の役どころ。さて、出番だ!
「登場しました象さん達は、アドン!エルド!マカニー!キーコ!…」
と叫びつつ客席に視線を送る。
「まずは、逆立ちでみなさんにご挨拶でーす!どうぞー!!」
一番前の席の女の子達を真っ直ぐ見ながらシルクハットを持った手をぱっと広げて見せた。ポニーテールの女の子とばっちり目があった。
…ああ、楽しいったら!

体育館でのコンサートは確かに地味ではあるけれど、こんな親密な気分でお客さんの前で歌えるなんて幸せだ。ソロを歌えば全員の意識が私に向かっていることがはっきりわかる。なんとまあ、ゼイタクな!…小学生の頃、学校の体育館で群馬中芸のお芝居を見た後、自分もいつかきっとあんな仕事をするんだ、と、思いこみの激しい私だったなあと思い出す。うん、今日はちょっぴり、夢が叶ったのかな?

コンサートが終わって、お客さんの送り出しをするとき、偶然にもさっきのポニーテールの女の子を見つけた。
「今度、一緒に歌おう!来てね!」
と言ったら
「はい!」
とはっきり返事をしてくれた。大きな目。嬉しくなった。

ああ、あと3回もコンサートがあるのかぁ!すごいなあ…!あと3回も舞台に立っていいのね?なんてまあ、幸せなんでしょう♪さあ、ひとつも気を抜かず、いい演奏をしよう。


11/3(日):思いを込めて

ラグビー慶明戦。それからハイ↑ロウ↓ズ。

平尾・大西・大八木・元木・萩本・堀越・増保…の現役時代、7連覇神鋼に夢中だった頃のラグビーと、障南田村恵君に夢中だった頃の高校野球以来…私がどこかのチームをドキドキしながら祈るような気持ちでスポーツを観戦するなんて事は滅多になかった。自分の教え子の野球部や息子のサッカーチームを応援する時は、その選手一人一人を支えたくて声を出し、さらにチームを愛している。でも、それ以外ではスポーツは気楽に楽しむものだった。

そんなわけで久しぶりに手に汗しながらの観戦。慶応はo-taniさんの愛する母校。真横であそこまで熱くなられたら、そりゃもう、こっちも手に汗握らずにはいられない。ああ、疲れた!そして、勝利の快感!

ハイロウズはヒロトの狂気と電気仕掛けのジャンプに、そしてカワイイMCに魅了されてあっという間の1時間。
そうなの!今日は日曜日だったんだよね、シャララ〜ラ!
スーパーソニックでぶっ飛ばし続け、エレキマンで飛び跳ねて、ミサイルマンで天を突き刺して終了。声はセーブしたもののやはりガラガラ。何しろ、この私の全力シャウトが爆音で完全に消される。これを快感と言わずして何を言うか。イヤ、しかし喉は次の舞台までにきちんと整えておかなくちゃあ。

それにしても、思いを込め、心をあずけるって、なんて贅沢な事だろう。終わった後には気分の高揚の余韻と丁度いいけだるさと。ふううぅ…。
ありがとう。幸せな一日だった。


11/4(月):URAWA REDS!!

生まれて初めてサポーター体験。今日はナビスコカップ;浦和レッズの初タイトル決勝戦。
こんな大切な試合に参加できたなんてビックリ。しかも周りはRedsに人生賭けてるような真っ赤っかな人たちばかり。
向かい風に無数の旗が翻る様は勇壮!の一言に尽きる。なに?あの背中!男たちの真っ直ぐな思いが無言の内にもスタンドを埋め尽くしてゆく。贔屓のチームがあるっていうのはこんなにも人を輝かせるものなのかと半ば呆然とし、半ば感動し。

国立競技場の最上段は北風を受けてメチャメチャ寒かったけど、「オレたちの」チームを応援する…というよりスタンドからともに戦う人たちの怒号にも似た叫び声、声援の重低音はどこまでも熱く、私はといえば内臓から振動が全身に広がるような感覚に痺れ続けていた。

試合結果は0−1で鹿島の勝利に終わってしまった。私の周囲の放心するような虚脱するような人たちの思いには、似非サポーターの私なぞまだけしからん程に追いつかない。試合終了した時、私の中に訪れた一種の寂しさは、チームがまたもタイトルを得なかったという結果より、むしろ、ともに90分間その空気を味わった仲間達の瞳が勝利に輝くことができなかった哀しさに共鳴してのことだったように思う。いずれにしても…間違いなく素敵に危険な野蛮な空気を目の当たりにした。今日は自分の存在の小ささをいたく感じ入った日だった。


11/21(木):赤色唐辛子の魔法

ペペロンチーノって生まれて初めて聞いたとき、すっごくカワイイ響きだと思った。そういうパスタがあるんだあ、一体どんなものが入ってるのかなあ。何かカワイイ彩りの宝石箱みたいな印象を勝手に抱いて、パスタやさんで初注文。
で、あのシンプルなシンプルなパスタと初お目見え。
「え〜…これだけえ…?」
そりゃそうだよね、だってペペロンチーノだもん。出てきたパスタはうす緑色のオリーブオイルの中に叩き潰したニンニク数個と、真っ赤っかな唐辛子。すこおし刻みパセリがかかってた。
そのあまりのシンプルさに、やや、否、かなぁりがっかりしたものでした。だって想像してたのと全然ちがぁ〜うう…。
でも、食べてみてその落胆は大きく覆されたのでした。オリーブオイルってこんなに香りたつんだぁ。ニンニクってすっごく風味がいいんだなあ。焼いたニンニクってほくほくしてておいもみたい。そして唐辛子って…☆◎※×☆…辛いものは結構好きだった大学生の頃の私。香りのいい唐辛子を思わずぱくり。…そして呼吸困難に陥ったのでした。でもでも、パスタのおいしさに「おおはまり」になってしまったその出来事だったのでした。奥が深いんだぁ…。

けれど、ずうっと家ではペペロンチーノを作ろうと思わなかった。シンプルだからこそいい素材がなくっちゃあ作れない、あんな香りのオリーブオイルなんて手に入らないし…。
ところがところが、この夏からはペペロンチーノへの挑戦継続中。おいしいオリーブオイルをぱすたやさんで買ったのさ。ふふ。それと、私の家の近くにあるF村産直販売所では、とれたてのしなやか柔らかな、まっかっかっかとんがらしをどっさりで80円なんてすぃーとなお値段で売ってくれちゃってるので、これはもう、ペペロンチーノでしょうと。

でね、今日もペペロンチーノを作りました。シンプルな味にはまだまだ自信ないけど、でも、旬の素材・牡蠣を入れておいしさの助っ人をしてもらって…。
なかなかのデキでしたよ!ああ、お腹一杯!真っ赤なとんがらしって魔法だな。くちびるはひりっひり♪でもやっぱ、唐辛子の辛さには、なんか麻薬めいた常習性がありそうです。

ああ、それにしても、あろうことか、ひとりで300gも食べちゃうなんて!!!ヲイ!
勿論、私じゃあないよぉ。食べっぷりを見てると唐辛子だけでなく食欲を喚起されました。イヤ、お見事。
だから、久しぶりに食べ物ネタで日記書いちゃった。

ふうううううううう。ごちそうさまっ!


11/23:敗北感

片品文化ホールで合唱団のコンサート。実は、朝から本当に気分が乗らなかった。目覚めたときから体がずしんと重くて、喉が詰まる感じ。平たく言うと、スッゴクツカレテイル。
疲れの原因は、自分でよお〜くわかっている。実は、ここんとこの課題と言えば、ギターマンドリン部の指揮をどうするか、という一点に集約されてた感じ。そもそもこいつは、私にとって降ってわいたような災難だ…。何でこの私があんなワケのわからない合奏の指揮なんかできるっていうのやら…。私にあんな弦楽団の指揮やら指導ができるんなら、音楽大学なんかいらないでしょう。言っとくが私は好き好んで歌を歌ってはいるが、音楽に関しては全くの素人なのであって、あくまで美術の教師なのだから音楽的な専門的な技術的ななんたらかんたらにはほんとーに無縁なんだぞ!!!!!!
…といくら逃れようとムキになってもダメだめダメなのでした。

11月に入ったある日の放課後、校長先生に
「ちょっと、いいかい」
と、校長室に呼ばれた。正直に言うと、その瞬間、私の背中に冷たあい空気がすうぅ〜っと流れ落ちていくのをリアルに感じてた。だって予感はアリアリだったからね。
「じつはさあ、ギタマンなんだけど。s先生、今日から正式に病休に入ってね、まあさ、そりゃ、しょうがねえんだよ、な、だって病気なんだからさ、誰にもどうにも出来ねえよな、うん。でさあ、困っちゃったんだよ、ギタマンさあ、北郷祭があるだろう、それとなんか、コンクールもあったよなあ、東日本大会だっけか。こりゃあ、もう、今更さあ、やめるわけにはいかねえだろう。な、いかねえよこれは。もう決まってるんだから、な、生徒だってさ、父兄だってさ、そのつもりでやってるわけだろ」
…おいおい、つまりどうしろっていうの?このわたしに?
「まあさ、適当にできる範囲でいいと思うよ、コンクール入賞なんかいいから、とにかく行って来てくれればそれで。まあたまたま先生が副顧問だからさ、そりゃまあ大変だとは思うけれどね、ここはひとつやってみてもらえるかい」
そう切り出した校長先生。要は、
たまたま副顧問になっているど素人のこの私に、音楽教師のs先生の代わりにギターマンドリン部の今後の指導をして欲しいと、そういうことだったのだ。

かんべんしてよお…しらねえよそんな、ギタマン?指揮?できるワケねえだろ、そんなの話がちがあだろ、おい、じゃあ、なにか?教師ならだれでも野球の監督ができるのか?サッカーのオフサイドをいきなり見分けられるのか?バスケのファウルがとれるのか?剣道の審判が出来るのか?6つのパートのある演奏用楽譜が読めるのか?指揮が出来るのか?簡単に言うなよ、じゃあ、あんたがやってみろよ、おい、ふざけんな!!!!

………まあ、言う気になればいくらでも悪態がつけたわけだけれど、残念なことに、それを言葉にするほどには、もう私は若くはなかったということなのさ。大人になっちまったぜ、ふんっ。

で、ここに書くのもつらすぎる試練の毎日が訪れたわけだ。読めない楽譜とワケのわかんない音楽記号、わがままな娘たち、へたくそな演奏(でも本人達はうまいと思ってる)それらとの闘い。一番困るのは、私の感性でこれはおかしいと思った演奏を、どう伝えたら子どもたちに届くのかがさっぱりわからないということだった。「専門外」という言葉が一日に何百回も私の脳裏をよぎった。でも、ま、やってるわけだ、部活も。指導らしきことも。ああ、やだな、なにさ部活って。顧問って。教師って。
そう、やっちゃうのです。それも、熱心に。必死に。

で、片品へ。
おそろしいのは、私が本当に緊張しないという体質。舞台では全然緊張しない。その上、今日はずっと頭から部活のことが離れない。なにをしててもあのコンクール曲「雪」が離れていかない。
本番。歌っている最中に、私はくっきりと二人の私を確認した。一人はこんなことじゃあいけない、しっかりと歌おう…歌のイメージに入り込もうと真剣になり、苛立つ私。もう一人は、へええ、こんな風に集中出来ない私もいるんだね、しかも無意識でも歌っちゃってるよ、不思議なもんだね…と妙に醒めて傍観してる私。

ソロを歌っているとき、一瞬吸い込んだ息と一緒にホコリが喉の奥に飛び込んできた。声が途切れる。歌詞が全部すっ飛んだ。それどころか、意識も一瞬にしてすぱりと切れた。あれ?いま、何をしているの私は?あ、歌ってるんだ、あ、ソロなんだ、でも喉が詰まって声が出ないぞ、咳がしたい、でもソロなんだ…

その葛藤は、ほんのゼロコンマ2.3秒のことだと思う。喉の痛みを押し出すようにしながらすぐに歌をつないだ。歌詞なんか意識してないのに勝手に口からするするとでてきた。そして歌い終えた。顔中苦痛の涙でぐちゃぐちゃ。なにしろ咳込みたいのを必死でこらえながら、とにかく歌った。やれやれ。
観客席では、おそらく私の吸い込んだホコリのもとのがきんちょどもが走り回っていた。熟睡してるお母さんが見える。舞台の明かりを利用してパンフレットに落書きしてる子。隣同士おしゃべりしてる子。ケラケラ笑いながら走り回りながら、演奏中に何度も客席から入ったり出たりを繰り返す一団。ふうん、こんなに興味関心の薄いとこでこんさーとするっていうのも、なんか面白いもんだなあ。
次々口から歌詞はどんどん出てくる。学先生が言ってた、ここはもっと小さく響かせて、の指示もその場面になるときちんと蘇る。私にしては珍しく、ほとんど出を間違えなかった。
けれど、正直に告白すると、ぜんっぜん集中できなかった。歌ってる最中も頭の中には消えない霞みたいに部活の事がぼんやりととどまっている。同じパートの人の地声が妙に耳につく。ピアノの音はうまく聞き取れない。自分の声も他人の声のよう。全然楽しくない。なんだこれ。
もう一人の私がつぶやく。
「全ての舞台を真剣にやり抜こうってあんなに意気込んでたのにさ、なんだよ、まったく。プロでもないのに、会場に文句つけてんじゃあないぞ、部活のことなんか今は関係ないだろ、おまえは自分の精一杯を表現すればそれでいいの。一生懸命聞いてくれてる人だってあそこにほら、いるじゃない?集中しなよ、しっかり歌いなさいって」

そして終わった。完璧な敗北感。
コンサートをしてイヤだなって思ったのは多分生まれて初めてだ。バンドのライブでも、こんな思いを味わったことはなかった。
なんなんだろう。一体私はどうなってるのか。


11/25:LGL症候群

昨日は学校の文化祭で、今日はその代休。せっかくの休みなので映画でも見に行こうかと思っていたけれど、この1ヶ月くらいずっと気になっていた不規則で強い心臓の鼓動の症状を医者で調べてもらおうと決めて、病院へ。
レントゲンを撮って、心電図をとった。検査室への移動がてらレントゲン写真やら、心電図の波の図をしげしげと眺めながら、別にどーってことないじゃん…と、なんだかお金を無駄遣いした気分。だってお医者にかかるといきなり2000円くらい簡単にすっとんでっちゃうんだものね。身体のためとは言いながらも何かもったいない。長生きしたいとは特に思わないのに、やっぱ体調が悪いとイヤだなって思うから、医者に行く。で、お金がかかると、いつも少し後悔。
(こんなの、家でゆっくり寝てれば治るんじゃないかな)
ま、しかたないやとも思うけど。

診察室にはいると、いかにも頭の良さそうな白衣のお医者さんが、小学生が使うみたいな150円くらいのちいちゃいコンパスを使って、私の心電図をちょい、ちょい、と、何か長さを測るようなことしてた。
「これね、あなたの心臓の電気が流れたときに出来る波の図です。どっきんって心臓がするよね、でも、心臓の4つの部屋がいっぺんにどっきんって収縮したら血は流れないでしょ、だからほら、波が4つね、できるでしょ、こんな風に時差があるんです。これね。」
お医者さんの話し方はすごくわかりやすかった。聞きながら、このお医者さん、いい人だなって感じる。
「で、あなたのね、これ、この波からこの波、普通よりかなり間が短すぎね、これLGL症候群っていいます。ラウン・ガンナン・レビン…んー…っとかってまあ、人の名前ね、LGLって…ええー、心臓の電流を流す道がね、あなたのはこう、余分にあるの。で、違う信号出しちゃってるね、これ、生まれつきなんです」
ふううん…そんなの生まれつきって言っても、今までこんな事なかったぞ。心臓検診でもずっと異常なしだったのにな。まあ、とにかく、私の心臓はそんなわけで最近不整脈が次々に起こっているということだった。
確かに、このあいだの片品コンサートの時や、一昨日の訳あり徹夜の後の文化祭では一日中、妙な心臓のぎゅっどきんどきんが続いてた。不整脈、放っておくと突然死が起こったりするんだって。人間の身体って不思議。
金曜から木曜にかけてホルター心電計ってのをつけて24時間の心電図をとるんだそうな。治療はそれからってことだった。

まあ、そんなわけで、不整脈の原因がわかって、今日の通院は久しぶりに無駄遣いした気分にならなかった。新しい病気を知ってひとつ賢くなれた気分だし。それと、お医者さんのおしゃべりもなんか楽しかった。こういうお医者さんがもっと増えたらいいのにな。

せっかくのお休みだから、いつもはできないことしてやれ〜って、お昼ご飯にはブリーチーズとレモンと生タコのスライスでサラダを作って昼からワイン♪ふふふ。優雅〜♪そして読書三昧。お休みっていいね。
でも、ちょいと酔ってきたら心臓が暴れ出して、ぎゅぎゅぎゅっどどどんがいつもより長く続いて息苦しくなってしまった。あはは、医者に行っときながら何やってんだか。でもま、いっか、お休みだもんね。

てなわけで、のんきな私はパチパチとほろ酔い気分でパソコンなんか叩いてるわけだ。LGLばんざい。ん?


12/7(土):千秋楽

千秋楽。「千秋楽」は本来、雅楽曲の一つであり、能「高砂」の終りの文句でもあるそうな。法会の最終日に雅楽「千秋楽」を奏したからとか、演能の最後に「高砂」の「千秋楽」を謡ったからとか、そんな理由で演劇や舞台、相撲などの最終日をいつ頃からか千秋楽と呼ぶようになったのだとか。

今日は千秋楽だった。合唱団の今年度の活動「県内無料コンサートツアー」はこれでおしまい。色々悩んだことも多かったけど、今日は精一杯歌って終われた。学先生、丸山さん、横田先生、そして今まで舞台づくりのために尽くしてくださった多くの方々、一緒に歌ってくださった団員のみなさん、本当にありがとうございました。
私にとっては、最初で最後の「ぞう使いの娘」役だった。もうじき○歳代になろうかという今日この頃、いくら何でも、もう、今後どこかで「娘」役なんかさせていただけることもないだろうなあ…。本当に楽しかった。勉強にもなった。いい思い、いっぱいさせてもらっちゃった。

ふううん、考えてみると、私たちにとっての「千秋楽」の謡は「命のコスモス」だったわけだ。来期に取り組む合唱劇「カネト」のエピローグで歌われる曲。ということは、終わりだけれど、次につながる序曲でもあったわけで、なんとなく終わり方としては嬉しい。だってすぐにまた次の目標が見えているということだから。

でも正直なところ、来期に参加しようかどうしようかと悩みどころで…。仕事が忙しいとかそんなことではなく、何となく自分の歌声がどうも他のみなさんとうまく解け合っていないのじゃあないかと、気が気でない。今日のコンサート中も、なんだか周囲の人の歌声がどうもせっかちに走りすぎている気がする部分が多くて焦った。
私の片耳にはやはり今のところ聞き取りの限界がある。歌っているとき、周りの声にかき消されてピアノが聞こえない事はしばしば。そんな時は学先生の動きを見てリズムを合わせる。今日はみんなの歌声が、ピアノと合っていないんじゃあないかと不安だったのに、学先生が特に気にする様子もなく演奏していたことから、私一人が違うリズム感の中にいるのかなと不安になった。合わせようと躍起になるのだけど、でも、どうしても私にはいつもよりすごくせっかちに感じられた。それって歌いながらとてもストレスだった。
さらに、今日の舞台が終わった後に、聞いてくれていたかつての同僚から
「あなたの声はすぐに聞き分けられたよ。声の質が全然違うから。がんばってたね」
といわれて背中がすうっと冷たくなった。
言ってくれた人は(人一倍がんばっていて立派だったね)とほめてくれたつもりなのだろうが、でもこれは合唱なんだもの。わたしの声がすぐに聞き分けられるってどういうこと?馴染んでいなかったと言うことならば大問題なんじゃあないかなあ…。あんなに気をつけてみんなの声にとけ込むように歌っているつもりなのに。すっごく声をセーブしてコントロールしているつもりなのに。それとももしかして、私の声や発声が、合唱に向かないのかな。もっとたくさんの人がソプラノパートにいたら目立たないのかなあ。それともやっぱり私の耳が悪いことがいけないのかな…。
……う〜ん…。考えすぎ?

私はよくほかの人から、必要以上に話し声が大きすぎると言われる。自分によく聞こえないものだからついつい大きい声で話してしまうみたいだ。無意識に。声の大きさ、授業中は努めて静かに、と心がける。でも、気がつくとかなり大きな声になっているようだ。声がはっきり大きくて聞き取りやすいと言ってくれる人はいるのだけれど。ふむ、困ったもんだ。

とまあ、結構課題の多かったこのコンサートツアーもおしまい。聞きに来て下さった皆様、ありがとうございました。(特に、今日のお客さんはとっても聞き上手で、歌ってて気持ちよかったなあ…!)それから、会場準備など、さまざまなところで気を遣って下さった各地のスタッフのみなさん、本当に本当にお世話になりました。(ギタマン顧問をしながら舞台セッティングの大変さは痛いほどわかるようになった)

大きな山を目標に取り組むのでなく、今期はいくつも続く山を乗り越える山脈型の取り組みだったな…。その分つらかったけど、鍛えられたかも…!なにはともあれ、千秋楽…。


12/25(水):War is over,if you want it.

今日は午前中学校で仕事。午後からSappyのアンサンブルコンサート。夕方から合唱団の今期打ち上げ会。

Sappyがすっごく凛々しく見えてびっくりだった。考えてみればもう私の教え子だった頃から5年過ぎようとしてるんだ。あの年頃の子の5年間って大きい。何だかどんどん大人になっちゃうみたいで、私は置いてけぼりみたいなカンジ。青年期の真っ直ぐなたくましい背中。若い欅の幹みたいな。ちょっぴり焦っちゃうな。
演奏の方は表現力豊かなサックスとクラリネットに特に感動。でも高校生って割と淡々と演奏するのかな。全体としてはもっと表情が欲しかったなあ。身体まるごとで音楽を作るような。

そして桐生から速攻高崎へ。数日前に会場を教えてもらった時のメモを頼りに向かうと

 

…?????ああ、駄目だこりゃの迷宮入り。でもそういう迷子も嫌いじゃあないから、探検♪たんけ〜ん♪と 道をぐるぐる…。頭の中には、たぁららったぁ〜た〜ららぁ〜♪とインディージョーンズのテーマが流れ続けていたけど、さすがにこのままだと遅刻かなと思い、電話。なんとまあ、メモが全然間違ってる。
《問屋町へ向かう信号のひとつ手前を左に曲がって右側》→《問屋町へむかう信号のひとつ先を右に曲がって右側》音が途切れてたのもかまわず携帯電話で道案内を聞き取りながらメモったのが敗因か。この微妙な、しかし明らかな違いにニヤニヤしながら、ようやく目的の場所へ。

合唱団の人たち、本当に暖かい。やっぱり来期も頑張らなくちゃあとつくづく思った。子どもたちはむちゃくちゃやかましいし、生意気だし、素直だし、もう最高。今度はたった一回の舞台に向けて1年以上を費やすと言うことだから、しっかり歌を覚えて自分なりの満足を得たいと思っている。歌も、もっときちんと勉強したいな。来年はもう少し節約してお月謝を捻出しよう。学先生の生徒になって勉強させてもらうぞと決意。新しい年の目標が出来た…!

パーティーの最中、隣に座ったIさんから
「あの、akyaさんですよねえ?」
と声をかけられびっくり。だって初めて話す人なのだから。
「実はSappy君と何度か話してるんですよ。掲示板とかで。彼もクルマ好きでしょう、そのつながりで。で、akyaさんってSappyの小学校の担任だったって聞いて。そんな前の担任といまだに繋がってるってどういう事かって思いながら…」
驚いた。こんなとこに、わたしのネット上の存在を知る人がいようとは!帰宅後よく見たら合唱団のサイトからLINKがあった。Iさん=CHUCKさんは、私たちのCDのジャケットにきかん坊達の顔をうじゃうじゃと描いてくれたひと。わあ、なんか、またひとつ、嬉しい出会い。しかも、あのカワイイ双子ちゃんのお父さんだものねえ。

みんなのあいさつの中で一番心に残ったのは
「いま、イラクやアメリカのこと、心配。戦争みんなが思えばなくなる。ちゃんと思っていきたいから歌います」
tadashi君の言葉。いつも彼の、喉の奥から絞り出すような言葉には衝撃を受ける。ハンデを持って生まれたtadashi君。世の中には、個の幸せを見つめられなくなってる心の麻痺した人間がどんどん増えているのにね。組織の論理しか見ようとしない馬鹿な男達の多い中、彼の言葉がすごく男らしく聞こえた。

帰り際、上毛大橋から赤城を見る。宝石をちりばめたヴェール。瞬いて輝いて、長く尾を引く裾野。この土地に生まれて、色んな人に出会って、今年一年も幸せだったなあっとかみしめながら、帰宅。


12/27(金):たんぱくしつの誘惑

昨夜から胃がきりきりと痛くて、寝返りうってもお腹さすってもくの字になっても団子になってもいたあああい☆いたああああああい☆いたああああああああい☆しくしく。で、完全不眠。
薬飲んでも痛い。食べないと痛い。食べるともっと痛い。絶対お腹のどっかおかしいのだと思うけど、お昼は学校の調理室でみんなでおでんとギョーザパーティー(なんと1学年の有志でご飯まで炊いた。楽しかった♪)、夕食はかねてから約束してた家族で焼き肉屋さん行きというお馬鹿な私。うううう、おなかいたいよお。おなかがあああ。。。。。。。でもでも、どうしてこうたんぱくしつっておいしいのでしょうね。ううう、困ったもんだ。

子どもの頃、母の作る食事にお肉がないといって、泣いてお布団に潜り込んじゃったことまである。あれ、どうしてだったんだろう、今頃だけど思い出す。そこまでお肉が食べたかったわけでは絶対ない筈なんだけど、なんか夕食のおかずを見てこんなのイヤだと思ったら泣けて来たのだった。へんなの。母はびっくりして、はじめは「贅沢言わないの!」と叱ってくれてたようだったが、何か途中から心配になってしまったようで、じゃあ、少しだけハム焼いてあげるよとか、ウインナーならあるよとか、言ってたようだったけど、その後のことはとにかく覚えていない。わがままが言いたかっただけなのかな…。三人姉妹の真ん中の愛情不足を自覚してた私。単に駄々こねて甘えてみたかっただけなのかもしれない。母が生きていたら、ゴメンね、あれ、何だったんだろうねって笑い話出来たろうけど、もうきっと覚えてなんかいないだろうな。仮に母が生きていたとしても。

たんぱくしつと言えば、子どもの頃我が家では毎晩食後に牛乳を温めてみんなで飲むという習慣があった。猫舌の私は牛乳がぬるく冷めてくるまでふうぅ〜ふうぅ〜と表面を吹いてさましては、湯葉のような膜が出来るのを眺めていた。いつまでもそうやっててなるべく厚い膜を作っておいて、お箸で掬い上げてぺろんって食べて。なんかチーズみたいな噛み応えがあって、別においしいと言うほどの物でもないけれど、なんかいつまでも口の中でくっちゃくっちゃと楽しんでいたっけか。何かあんまりお行儀のよくない話しだけど、すごく懐かしい子どもの頃の思い出。あの頃はお野菜なんか敢えて食べたいと思いもしなかった。別に好き嫌いというわけではないのだけれど。考えてみれば、野菜がおいしいなんて思うようになったのはいくつぐらいになってからだろうか。自分で食事を作るようになってからかなあ…。

今日は仕事納めでした。おなかが痛くったっておいしいものを食べることを優先してしまうあたり、いくつになっても子どもじみたわたしであった。あはは。


12/28(土):光の響きの中で

そこに立った瞬間、頬に柔らかい毛布をふわりと掛けられたような暖かさに覆われた。数多の電球が光を放ちながら発熱しているのは勿論のことだけれど、その時感じたのは、無数の光の筋が織りなすタペストリーにすっと頬をなでられたような暖かさ。遠近の魔術の中でアーチは少しずつ少しずつ重なりあって遠い果てで交響楽を奏でるように瞬いていた。響き合っていた。

東京ミレナリオを見てきました。人類の技術と芸術の感動的な出会い。その美しさに魅了されました。
感謝します。こんな綺麗な物を、こんな大がかりな物を、私たちがたやすく見られるところに並べてくれた芸術家達の冒険心に。こんな素敵な光につつまれて心躍らせながら静かに呼吸できる命にも。