1.原発事故の恐ろしさ

 原発賛成派でも反対派でもない chabin でさえ、3月14日の昼前に福島第一原発3号機で起きたおぞましい大爆発を見たら、さすがに心中穏やかではいられない。一筋の閃光がピカッと輝いた瞬間、水平に広がっていく白煙の上を茶褐色のきのこ雲が数百メートルの高さにまで舞い上がり、上空から原子炉建屋内部の構造物の残骸がバラバラになって落下していく。あとには、原爆ドームを連想させる おどろおどろしい姿が残された。核兵器の直撃を受けない限り、”ダイジョブだぁ”といわれた強靭なコンクリートの建造物が見るも無残に破壊されたということは、中で何が起こったのかは容易に想像できる想定内の出来事だけれども、その後の原発事故報道のあり方は全くの想定外だった。当初、「負傷者3名、行方不明7名」と報道されて30分も経たないうちに、「負傷者11名、うち1名は骨折」という摩訶不思議なレポートがあったきり、負傷者の消息は全く報道されないのには驚いた。建屋内で原子炉への放水活動をしていて大爆発の直撃を受けたと思われる自衛隊や消防隊の人達が、無事でいられるわけがないのに... 3月12日に起きた1号機の大爆発直後から、異変は感じられた(この時に発表された負傷者4名の消息もいまだ不明)のだが、しかし、原発の安全神話が完全に否定されると今度は、報道を使って「ダイジョブだぁ、この程度の放射能は危険ではない」の一大キャンペーンを始めたのは、本当に想定外中の想定外だった。あたかも、「福島原発のは体に良い放射能、チェルノブイリのは悪い放射能」ごとき報道は、今から五十数年前、米ソの核競争時代に使われたキャンペーン「アメリカの原爆は良い核兵器、ソ連の原爆は悪い核兵器」を彷彿とさせて、背筋が寒くなった。もしかして、民主主義のこの国で、戦前の検閲のような忌まわしい事態が始まったのではないか。そう思うと、目の当たりにした原発事故以上に、報道統制の恐ろしさに気がつき愕然とした。TVや大新聞の言うことを信じて良いものか、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で判断することにしたのは、福島原発事故について に示した通りである。

2.報道と風評

 当時、TVや大新聞に出没する偉い先生方は異口同音に、「事態は収束に向かっており、放射能は全く心配することはない」の大連呼だったのに対して、「事態は非常に深刻で、大量に放出された放射能は極めて危険」との激レアな少数意見は、著しく偏向した”風評”と蔑まれ、全く無視されていた。そして、戦時中の「勝った、勝った! いざ来い、ニミッツ、マッカーサー! 欲しがりません、勝つまでは!」も真っ青の「日本は強い国! いざ来い、マイクロ・ミリシーベルト! 逃げ出しません、消すまでは!」という大本営顔負けの大号令を発するとは、地獄の閻魔大王様も、ビックリ仰天だったに違いない。いくら、イイカラカンな chabin だって、放射能が安全だなんて、とても信じる訳にはいかない。”放射能は危険”という風評の方が遥かに”安心”であるとの結論に達し、念のため、事態が収束するまで、家族を西に逃がすことにした。

3.首都圏脱出

 爆心地から北東気流に乗って首都圏に放射能の雨が降り注ぐ前に、なんとか、博多ゆき「のぞみ」に乗り込むことができたが、そこは異様な光景だった。春休みまで まだ1週間以上もあるというのに、車内は小学生以下の幼子を連れた保護者達で溢れ、会社員や学生は2〜3割しか乗っていなかった。もっと驚いたのは、グリーン車内では、金満の中高年よりも、幼子をはべらせたセレブなヤンママ達の方が多かったのだ。日本の支配者達は、被災者には知らせずに、自分の家族だけを逃がしていたのだと思うと、やるせない気持ちで一杯になった。あれから、40日あまりが経ち、”風評”と虐げられた予言がことごとく的中する一方、報道内容は、全く嘘八百の”風評”であったことを、結果が証明してしまった。自己責任で下した判断は間違っていなかったようだ。