7.宮原線の鑑定

 昭和29年3月15日に宝泉寺〜肥後小国間が延伸開業した宮原線は、昭和59年に廃止される以前に、町田、麻生釣、北里の3駅が無人化されていた路線です。このたび、鉄道統計年報に延伸開業当時の宮原線各駅の入場料記録を発見したので、幻の麻生釣駅と北里駅の入場券発行枚数を再鑑定します。

駅名 入場料金(円) 残存赤線入場券
S27 S28 S30 合計 発行時期等 発行日付 券番
麻生釣 29.3/15開業 0
北里 29.3/15開業、36.12/10無人 170 430 600
(参考)
町田 12.6/27開業、49.5/17無人 30 0 30 60 10円門司A2期 S39.8.6 0065

 上表の入場料金は、昭和27、28、30年度の鉄道統計年報(大分鉄道管理局)に記載されている入場料金を転記したもの。これによって、各駅の入場券発行枚数は以下の通りと推定できます。

(1)切符は売らなかった麻生釣駅

 熊日のふるさと写真館(熊本日日新聞社)に掲載されている 在りし日の麻生釣駅の写真(昭和33年11月撮影)に、駅員さんらしい人物が写っているので、ネットツアー2009では、昭和33年頃は有人駅だったと鑑定しました。が しかし、次の理由から、出札業務を行わない駅との鑑定結果になりました。つまり、タブレット交換のための駅員さんはいるけれども、出札業務の資格を持った駅員さんはいなかったかも。

 @S27、S28、S30、S31〜S39年度の鉄道統計年報に、麻生釣は一度も登場していない ⇒ 開業当時から出札業務なし。
 A改札口らしきものが見えない(あるHPに掲載中のS36年11月に撮影された写真でも同様)。
 B駅員配置でも、出札業務を行わない駅は当時から存在していた ⇒ 
客扱いしない信号場みたいな有人駅だったかも。

 たまたま手元にあった三丁目の夕日の時代の時刻表(昭和33年11月「ビジネス特急こだま号運転」)を見て、信号場みたいな有人駅麻生釣の証拠発見! それでは、ここで問題です。三丁目の夕日の時代の時刻表を読めば分かる”麻生釣が信号場みたいな有人駅だった”証拠とは、一体何でしょうか? ⇒ 答えは こちら 

(2)開業当時は繁盛していた北里駅

 S28年度は、営業期間が僅か17日間なのに17枚の入場券売上也。おそらく、開業初日に、今や鉄の古老になった若き鉄人達が買い占めたと思われます。その後も、S30年度に43枚発行されていて、開業当時はローカル線の中間駅としては不人気な駅ではなかったようです。発行されたのは、たぶん、A型の門司印刷10円2期券ではないでしょうか。

【参考】延伸開業当時はチョー不人気だった町田駅

 S27、S28、S30年度の3年間で、たったの6枚しか入場券が売れなかったチョー不人気駅。S39.8.6に発行された10円券が券番0065の門司印刷A型2期券ですし、また、この不人気さゆえ、10円A型1期券を売りつくした後に2期券が65枚も発行されたとは考えにくいので、10円に値上げされた後に発行された入場券は最初から10円A型2期券だったとするのが妥当かもね。

以上の再鑑定結果も、chabin の独断と偏見と見た目を駆使したデタラメなものですので、全く信用できません。これまで通り、この鑑定結果から生じる いかなる損害と儲けに関して、chabin は一切の責任を負わないものとし、ご覧頂く方もこれを了承するものとします。