■京都(2004年9月11日) ................................................................................................................................................................................................................................................ オフ会へ参加するため訪れた関西。この日のオフ会は夜だし、せっかく行くんだから・・・と、午前中のうちに関西入り。京都観光をすることにしました。今回は、最初から目的地は今旬の!?新撰組ゆかりの地、壬生村に絞っていたので、まっすぐそこを目指します。 壬生村ってどの辺なのかよく分からなかったのですが、遊びに行った時いつも通ってるあたりのすぐ近くだったんですね^_^; まず最初は光縁寺。新撰組総長山南敬助他4名の合同墓、沖田総司の縁者!?など4基の新撰組関係者のお墓があります。今年になって訪れる人が増えたためでしょうか。入り口には「見学お断り。参拝者のみ」の張り紙が。とはいっても、100円の参拝料を払えば誰でも参拝は可能です。 次にやってきたのは新撰組屯所跡の旧前川邸。山南敬助等、多くの隊士が切腹した場所でもあります(山南と明里が最後の別れを惜しんだ出窓は取り払われて残っていないそうです)。現在は別の方の個人宅のため内部は非公開ですが、土日祝は門内に入ることができ、新撰組グッズの販売や、パネルの展示がされています。 旧前川邸前から道を左に折れると、新撰組発祥の地八木邸です。内部は狭くて一度には入れないので、チケットを買って(抹茶&屯所餅付きで1000円)次の回?まで待つこと数分。 中では、局長芹沢鴨、妾お梅ら暗殺の場となった奥座敷で、ガイドさんが新撰組誕生の話や、今、あっちゃんたちが座っている座敷のどの辺に誰の首が転がっていたとか^_^;、説明してくれました。 隣の部屋の鴨居にはこの時の刀傷が残っていて、また、芹沢がつまずいて転びとどめを刺されたという文机も見ることができます。 暗殺事件のことは、新撰組は最後まで隠し通しましたが、八木家の奥方も真っ暗闇の中でも所作から誰たちか気づきつつ、そのことはけっして口外しなかったそうです。近年になっていろいろ真相が明らかになりました。 昭和58年に京都市の指定有形文化財に指定されましたが、観光客が訪れるようになったのは、平成9年(だったかな?)にメディアに取り上げられたことによるもので、それまでは京都の人たちにもあまり知られてはいなかったそうです。そして今年は空前の大ブーム!?で、あっちゃんのような観光客が多くの訪れています。 見学を終えたら、以前離れがあった辺り(芹沢が母屋、近藤勇たちはこっちの離れに住んでいたそうです)に建っていて、現在八木家が経営する和菓子屋京都鶴屋 鶴寿庵で屯所餅(壬生菜を刻んで皮に混ぜて丹波大納言小豆の餡を包んだ大福)とお抹茶をいただけます。
一息ついたら次は壬生寺です。かつて新撰組の砲術訓練や剣術の稽古に使われていました。地蔵信仰と壬生狂言で有名なお寺・・・だそうですが、よく知らずに行ったので、その辺のところはあまりよく見てきませんでした``r(^^;) 境内にある壬生塚には、近藤勇の胸像と遺髪塔、芹沢鴨の墓などがあります。 ここから15分ほど、なんてことのないごくごく普通の町の中をてくてくと歩いていくと、島原西門跡。島原はかつて花街(歌舞音曲の遊宴の町)だったところで、角谷は当時の揚屋建築の唯一の遺構として国の重要文化財に指定されています。 さて、この角谷(揚屋。現在の料亭にあたるところ)。近藤や芹沢など新撰組隊士たち、坂本竜馬、西郷隆盛、伊藤博文etc.多くの有名人が利用したそうです。 現在は「角谷もてなしの文化美術館」として1階のみ公開されていて(2階は予約制)、ガイドさんの説明を聞きながら見学ができます。 芹沢鴨は角谷で大宴会の後、酔って帰ったところを暗殺されました。新撰組がつけた刀傷、掛け売り禁止の文書なども残っています。 昨年の○河ドラマでN○Kが太夫に関して間違った解釈の演出をしたとかで(太夫は島原で最高位の女性。美しいだけでなくあらゆる教養を身につけていました。そんな太夫が某ドラマのように肌をむやみに露にしたりはしなかったそうです)、角谷から物言いがつきましたが、謝罪はなく・・・。現在、出入り禁止だそうです。そのため、今年も芹沢最後の宴会のシーンに使うことができず、なんだか訳のわからないところで飲んでましたね〜。とはガイドさん談(笑) 角谷などの揚屋に太夫や芸妓を派遣した置屋、輪違屋(ここも中の見学ができたようですが、止めちゃった(^^ゞ)を外から眺め、島原大門を通って島原を後にしました。
この辺でそろそろタイムアウト。短い京都観光を終えて、大阪へと向かいました。 NEXT>> |