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わしらが行ったのは、マーシャル群島にあるニューブリテン島じゃった。真珠湾攻撃からマレー侵攻と、開戦当初破竹の勢いだった日本軍はニューブリテン島の北端の町ラバウルを占拠し、その後ビスマルク諸島やソロモン諸島の島々、ニューギニア本島の北岸の主要な町々を次々に占領していったのじゃ。ラバウルは当時豪州(オーストラリア)の委任統治のための行政府が置かれていた町での、天然の良港に恵まれ、南太平洋の重要な戦略地点でもあったわけじゃ。
 じゃが日本軍の勝利は長続きせなんだ。昭和17(1942)年半ばあたりから米豪を主力とする連合軍がソロモン諸島から巻き返しを始めての、ニューギニア本島やニューブリテン島の日本軍の拠点の多くがのっとられてしもうたんじゃ。特に飛行機の燃料補給ができて戦略的に重要な飛行場があったニューブリテン島のマーカス岬が敵の手に落ちてしもうたため、最重要拠点であるマーカス岬を断固奪回せよというのがわしらに与えられた使命だったのじゃ。
ニューブリテン島
ニューブリテン島